我が家の日常と、育児に関する社会の動きなどをフォローしてゆくつもりです。
先週末、図書館で本を借りてきました。まず、最近気に入った本のご紹介。
共に、岩崎書店。大変美しいイラストに、科学的で興味深い解説文。とても面白い本です。これらは、返した本。次に、借りてきた本。
と云うわけで、最後に長男の話題。カアサンべったりの長男。夏休みはひたすら公園に出かけてセミ採り。今年はクマゼミが大発生で、セミを捕りまくり。クマゼミはタンタンにも届く枝にズラリと行列を作っているし、ほとんど逃げませんのでおあつらえ向きのターゲット。公園ではいつものお友達にも会えるし、カアサンに言わせると、割と気楽。夏休み中は、幼稚園の送り迎えも無いし、お弁当の準備も要らない。姉たちにも手伝ってもらえるし、休み中の方がむしろ楽だったかもしれないとのこと。
幼稚園は宿題もない。唯一、夏休みの予定表に、お天気などのシールを貼り付ける程度。タンタンは随分と活動的、社交的になり、少しずつ親の手を離れつつある状況。
トウサンにとっては、平日に相手を出来るわけではないし、夏休みだからと云って、特に何も無し。なんだか、カアサンに任せっぱなし。宜しくありません。つき合う時間が少ないせいで、なかなか成長を感じづらい。末っ子に、赤ん坊のノスタルジーを感じてしまうトウサンの赤ちゃん扱いが気に入らないらしい。確かに、体格が急に大きくなった。舌っ足らずは相変わらずだが、既に赤ん坊ではない。ちょっと寂しいきがするが、扱い方を変えなくてはと思う。
家の中ではマーカーで絵を描きまくったタンタン年中の夏休み。
さて、長女のケース。小学校6年生です。色々な意味で、親から信頼されている長女。それだけに、最も親の目が届きにくいとも云える。長女は、長男の相手をしたり、妹たちを統率することで、色々な場面で親の肩代わりをしてくれる。親は時々頼ってしまう。日常生活では、随分と助けてもらった。
自由研究は、特にこれと云ってやりたいと思っていることがなさそうだったので、「戦争の記録を残す」と云うテーマを提案した。研究を進めるにあたり、三つの点に焦点を絞る。
戦争とは?まず、これを理解する。そして、歴史を学ぶ中から、日本が第二次世界大戦に突入した背景を理解する。ここまでは、様々な文献を資料として読み取る。主に、インターネットでWikipediaを参照していた。ただし、特に日中戦争の部分は、人によって大きく見解が異なる。出来るだけ、資料に基づく中立なものになるように注意を払った。とりあえず、長女が目にする資料を私も通して読む。
三番目は、祖父へのインタビューで、質問項目をあらかじめ用意させた。何を質問したらいいか分からないというので、いくつか例を出した。とりあえず、100項目を目標に質問を考えなさいと、アドバイス。
実際に、祖父にインタビューする時は、大半私が横で聴いていた。父が心に仕舞っていたいくつかのことを聴くことが出来て、私にも大変有意義だった。インタビューは実家に帰って三晩をついやした。
あとは、インタビューのメモを元に、レポートにまとめる作業。これは長女がほとんど自分で進めた。私は、時々読ませてもらい、幾らかチェック。タイトルをどうするか、それからいくつかの漢字の間違いなどを指摘した。長女は追加の質問を、メールで祖父に尋ね、答えをもらって内容を修正した。
これらの研究を進める中で、親の仕事は、
ということになる。指導する側として、知識を共有すると云う姿勢が重要で、また手間と時間が掛かった。
もう一つ、長女は自由研究として新聞スクラップに取り組んだ。毎日気になった新聞の記事を切り抜き、コメントを付ける。長女自身がひとつ、親がひとつ記事を選ぶ。そのために、毎日じっくりと新聞を読まなくてはならない。ちょっと違う視点を提供したいと思う。かなり苦労したが、社会現象に対する長女の理解度を知ることが出来て、興味深かった。
長女の夏休みの自由研究が出来上がった。すばらしい出来であると思う。力作。そりゃ親も(祖父も)頑張ったからなぁ。こんな調子で、結構忙しい夏休みだった。
カウントアップしていくことにします。(長男は最後に廻すことにします)
次女は、課題を計画的に片付けていく才能があるようです。最後までため込んで、右往左往するようなことはありません。(これは長女も同じです)余裕を持ってやっていたように思いますが、余裕が有りすぎるような気もします。お勉強の方は、もっと貪欲に取り組ませるべきだったかもしれません。
自由研究の話しは、既に、別のページで既に紹介しています。暑い中、半日掛けてトウサンと二人で自転車で取材し、後は、写真を幾らか提供した程度。ヨウカラは実に個性的な「夙川調べ」というレポートをまとめました。ところが、見せてもらって気がついたのです。「地図があった方が良いねぇ」
ヨウカラは地図を書くことが難しいと感じたらしく、なかなか取りかかろうとしませんでしたが、何度か催促されて、渋々と始めました。完成した地図がどうなったか見せてもらっていないので分かりません。
レポートをまとめたノートが数ページ余りました。夏の星座を教えてほしい、というので、風呂の中で、色々と星の話をして聴かせたところ、興味を持って、残りページは、「太陽系の惑星調べ」と云うタイトルで、自主的にまとめ始めました。丁度、理科で星座の勉強が始まったところらしいのです。季節によって見える星座が違うのは何故か、と云う話から、地球を含めた太陽系の話になって、9つの惑星について、色々と調べ始めました。惑星探査が進んで、海王星までは、かなり鮮明な写真が撮影されているのです。ヨウカラはそれらを「Wikipedia」を使って調べました。ウエブページの見方はトウサンと、ナミンチがアドバイスしたのです。調べてまとめるのは自分でやったのですが、興味を持ち出すと熱中するヨウカラのことですので、星に対する様々な質問が飛んできます。いい加減な答えをするわけに行かないので、トウサンも勉強しなくてはなりません。
アンドロメダのお母ちゃんのカシオペアが、化けクジラに食われそうになったところを助けてくれたのがペルセウスだ、とか、ガリレオのオッサンが、望遠鏡で、土星には耳があると云った、と云うような会話が、夏休みの我が家では飛び交っていました。水星はどんな色をしているの?と云うような難解な質問まで。水星は、かつて観測したマリナー10号によるモノクロ写真が残されているだけ。多分月面のような雰囲気の筈ですが。
どうも、ご無沙汰でした。親も忙しかった夏休み。てんてこ舞いしていたカアサンが、缶ビールを一缶。今日で終わりだから。忙しい夏休みは終わり。そして、忙しい二学期が始まると云うわけで。
ようやく始業式。二学期が始まりました。夏休み、子供たちが家に張り付いている分、当然親は忙しいのです。エリポンは、なかなか自主的に宿題をこなすことが出来ず、カアサンがしばしば横に張り付くことになります。習慣づけと云うことが重要です。読書感想文を書くのに、トウサンが支援しました。本は、エリポンが自分で選びました。帰省中、フェリーの中で、一緒に読み、エリポンに感想を尋ねました。
と云う具合。何を書いたらいいのか理解すると、エリポンは自分なりに書き進みます。余り案ずる必要はありません。手伝いすぎると、自分でやろうとしなくなります。エリポンの方から、「次はどうしたらいいの?」と、訊いてくるようになっては拙いのです。手取り足取り、とならないよう、セーブしつつ。親のアドバイスとしては、切っ掛けを与えて、時々修正する。その程度にとどめるべきです。特に、読書感想文の場合、感想は必ず持つので、それをどのように表現していけばよいのか、手順を教えることが大切です。あとは、「もうすこし丁寧に書きなさい。」読んでもらう為に書くので、読み手を意識しなくてはなりません。読みやすい文字で書くことも重要です。
しかしながら、私が見落としていたことが有ったことに、後日気付かされました。カアサンが、エリポンの宿題をチェックしていて、習っている漢字を十分に使えていないことを指摘したのです。小学校で評価されますので、正しい日本語で書くことが必要で、その中には、習っている漢字を正しく使うことも、含まれるのです。
中途半端に漢字を使うくらいなら、ひらかなで表現する方が、分かりやすいと云う判断も成り立ちます。私はそう思うのですが、その点は小学校国語教育の矛盾点のひとつと思います。
案外、涼しい夏です。
このところ、日曜日の夕方に、エリポンとヨウカラが、丁々発止とやり合っている。今までは、6時から、海外ニュースを見ながら晩ご飯。食べ終わる頃に「サザエさん」7時からお風呂に入り、7時半のアニメ「氷の女王」に間に合わせる。8時からはケーブルで「帰ってきたウルトラマン」。それから寝る準備、といったスケジュールだった。
突然、エリポンが、サザエさんを見ないといいだした。どこで覚えたか分からないが、「NO サザエさん」と紙に書いて、テレビに貼り付ける。ナミンチとヨウカラは、サザエさんの大ファンである。エリポンを説得に掛かる。しかし、エリポンは、にやにやしながら、「ノウ!サザエさん」。本当にみたくないのか、良くわからない。突然の心変わりの理由も良くわからない。
お姉ちゃんたちは、説得が無駄だと悟り、次善の策を用意する。録画してあとでみるから、ここは余り事を荒立てないようにしようとするナミンチ。一方、多数決に持ち込み、何とかリアルタイムでみようとするヨウカラと、対応が分かれる。多数決では、みたい派は、カアサンと姉二人。トウサンは、別にみなくてもいい。タンタンは、ノウ!が面白いらしく、反対派。
先々週は、突然、タンタンが賛成派に心変わりし、多数決は4対2となったのだが、エリポンが頑強に抵抗し、結局みなかった。先週は、外食したので、みられなかった。今週はどうなることやら。
通信簿、一学期分を子どもたちが持ち帰りました。
授業参観や、個人面談、そして、日頃のテストの成績など、全て分かっています。興味は、子どもたちの様子を、担任がどのように評価してくれるのか。それに尽きます。
三姉妹それぞれの、個性が見事に出た、楽しい通信簿でした。子どもたちと、それを支える親、ここでは、そのかなりの部分がカアサンの功績ですが、努力の結晶です。おおむね、予想通り。担任の先生は、子どもたちをよく観察して下さっています。
子どもたちも、親も、努力が報われることを、励みにするのです。よく見ましょう。足りないところはどこでしょう。色とりどりの三通を見て、ようやく通信簿の見方が分かってきたような気がします。
長女が生まれて以来、私はずっと子どもたちをダッコし続けてきた。そろそろ終わりかな、と思う。
長女をダッコした記憶が、一番鮮明に残っている。その頃は一人っ子だった。私も初めてだった。しかし、おそらく、最もダッコしてあげていないのが、長女の筈だ。実際、長女は良く歩いた。それ以上に、私達が暇で余裕があったから、ゆっくり、ゆっくりと歩く長女に、気長につき合っていた。急ぐ必要は何もなく、一日の予定を長女の行動に合わせることが出来た。
長女が二歳になる前に、次女が生まれた。それから二年後に三女が生まれ、そして、長男が生まれた。ダッコの特等席は、次々と移っていった。私は、ダッコが苦痛でない。むしろ、体力が続く限り、ダッコしてあげたいと思う。
次女は、幼稚園の年長に上がった頃、突然ダッコを嫌がりだした。ダッコしているところを、誰かに見られるのを嫌った。
三女は、小学二年生になった今でも、ちょっとみっともないかな、という表情を浮かべながら、それでもダッコしてほしがることがある。希望を叶えてあげたいとは思うが、少々大きくなりすぎている。
長男は、年中組となり、微妙な年頃である。階段の上り下り、坂道など、ダッコを要求する。ダッコが楽だと分かっている。微妙と言うのは、二点。「格好悪い」という言葉を覚え、ダッコしてもらうことが「格好悪い」範疇に入ることを、近い将来自覚するだろうと言うこと。私は格好悪いとは思わない。誰かが、そう吹き込むのだ。してほしがる間は、してあげたらよいと思う。親の都合で、ダッコを悪者にしてはいけない。もう一点は、ダッコを要求する時に、本当に体調が悪い場合があるということ。
子どもの意志に任せ、親としては、その期待に応えることが必要と感じている。
長女が6年生になり、クラスメートにも私立中学進学を志す人が少なくないらしい。長女自身は、公立に行く積もりでおり、受験する気は全くないようだ。
しかし、その先の高校、大学への進学を考えると、余り評判の良くない兵庫県の総合選抜に頼って大丈夫か、少々不安になり、小学校の個人懇談の際に、担任に相談した。担任は、具体的な例をあげて、分かりやすく説明して下さった。
まず、私学進学を志す場合、受験する本人にはっきりとした動機付けが必要。仲の良い友達が行くから、というような動機は不可。また、私学進学のメリットをどう捉えるかについて、一般に中高一貫教育なので、高校受験の苦労を3年前倒しするということが上げられるが、結果的に、進学後6年間、ぬるま湯に浸る結果となる場合がある。
また、総合選抜に関すしては、中学の成績優秀者は高校受験で学校を選ぶことが出来るということで、努力すれば報われる仕組みがあるとのこと。
不安は解消され、とりあえず、長女は公立中学校に進学することになると思います。