我が家の日常と、育児に関する社会の動きなどをフォローしてゆくつもりです。
熱心に良く続くと思って感心していたヨウの部活ですが、このところ部内の揉め事で、一週間ほど活動を停止していました。吹奏楽ですが、大変部員が多いのです。色々な考えの人が居るようです。部活に対する取り組み方も人それぞれ。そんな中で協調するのは難しそうです。しかし、吹奏楽ですから、メンバーみんなでひとつの音楽を奏でなくてはなりません。ひとりの指揮者の指揮棒に従わなくてはなりません。
相互理解が最も難しそうです。実際には部活はパートごとの小グループで動きます。ヨウは金管のホルン担当で、彼女が自分のパートのメンバーに不満を言っているのは聞いたことがありません。小さなグループで十分に理解し合っているのでしょう。残念ながら、それ以外のパートのメンバーのことまで十分に理解していると思えません。ヨウひとりの問題でなく、クラブ全体。他のパートのメンバーについて十分に理解できていないという認識が必要でしょう。もっとお互いに理解し合う必要があるという点に気付くべきです。指導の先生も、口には出さなくてもそこら辺のことを意図して、部員に色々と意見を出させているのでしょう。自分たちのパートが上手くいっていると思えるのなら、その範囲をクラブ全体に広げることはそんなに難しいことでないと思うのですが、話を聞いていると、何だか難しそうです。先ずは「気づくこと」から始めたらよいです。
ヨウ、ナミ、それぞれに試験結果が返されているようです。
ヨウは一学期期末試験。「思っていたより」良い結果だったようです。これはくせ者で、達成感の少ない勉強をしていたということ。達成感は少ないものの、それなりに質の高い勉強だったと言うことなのでしょう。自覚が芽生えると良いのですが。英語の成績が良くなかったのは、勉強の方法が間違っているから。英語は頭の良さは余り要りません。辞書を引きながら地道な問題解決の積み重ねが重要なわけで、一夜漬けは無理ですね。
ナミの方は、まだ全部の結果を聞いたわけでないけれども、中学校よりも学校全体のレベルは高いわけで、自分の相対的な順位にちょっとショックを受けているようです。ナミは塾に通っているわけでありませんし、少し出遅れている面はあると思いますが、それだけの話です。彼女は一生懸命勉強していますので、1年も過ぎれば、十分な成果が出るでしょう。私は余り心配していません。
北海道の祖父母(私の両親)が金婚式を迎えました。北海道の有名な温泉地のホテルで、お祝いの会が開かれました。
弟妹に子どもたち、そして孫達があつまり、賑やかに過ごしました。家族ごとに何か出し物を出すことになり、我が家も色々と考えて、懐かしい歌を歌うことにしました。祖父母達にとって懐かしい歌のほとんどは孫達に知らない歌です。そう言った古い歌の中でも、子どもたちの耳に少しでもなじみがあるような歌を何曲か選んで,練習しました。ちょっと振りも付けました。
こういうときには、YouTubeと言うインターネットサービスが大変役に立ちます。大いに活用させてもらいました。練習した甲斐があり、楽しく歌うことが出来ました。それらの古い歌は子どもたちのお気に入りになったようです。
それにしても、50年間(多分)喧嘩もせずに夫婦が続くと言うのは凄いことです。我が家はまだ17年ほど。この先30年以上もあるのですが、山や谷があることは容易に想像できます。子どもたちが無事に育ってくれるかどうかも分かりません。もっと言うと、世の中が平和のまま過ぎるかどうかも分かりません。地球はどんどん温暖化するようですし、国家の財政は莫大な赤字を抱えています。まして、少子高齢化がどんどん進んで,日本の人口は減り始めています。
私が子どもの頃、両親の偉大さを理解していませんでした。今は十分に分かります。偉大な両親に育てられたこと、そして、私たちを普通に育ててくださったことに,心から感謝しております。
去年の今ごろの育児日誌を読み返すと、色々なことが書いてあります。
昨日、6月9日がその日だったわけで、ちょうど1年過ぎました。そのことについて今の気持ちを書くのは10年後の楽しみに取っておきます。
まぁ、とにかく1年が過ぎたわけで、少し印象に残る何かが欲しいと思って、職場からの帰り道に花束を買いました。打出に花屋があることを思い出して、大急ぎで寄りましたら、ちょうど店を片付けてシャッターを下ろそうとしているところでした。花を売って欲しいというと、店長とおぼしき人は、片付けの手を休めて、私のために花束を作ってくれました。今日は結婚記念日の人が多くて忙しかった、と言いました。私は結婚記念日というわけではないです。と説明したのですが、何のための花束かは、口に出せませんでした。店長は何かお祝い事と思ったようで、花瓶から色とりどりのガーベラを選んで、かすみ草と小さなバラを付けて、とてもきれいな花束を拵えてくれました。私がはっきりしないせいで、きれいなリボンまで付きました。美しい方が良いですし、別にしんみりするために花束を買ったわけではありませんから。
家に持って帰って、余りに良くできた花束でしたので,しばらくそのまま眺めて、それからカアサンが用意してくれた花瓶に生けました。ガーベラはとても良い香りがすることに気付きました。
勉強の話題をもう一つ。
ナミが数学を一生懸命やっていますが、どうにも理解できない問題があるようです。たまに手伝うことがあるのですが、もう高校レベルの数学を離れてずいぶんになりますし、色々な公式や定理を忘れてしまっています。教科書を見せてもらうと思い出して懐かしむことは出来るのですが、教える側が懐かしがっていては,勉強ははかどりません。今やっているところは、順列組み合わせです。これは手ごわい。力業で何とかなればよいのですが、分かるように説明するのはほぼ無理です。ナミはおじいちゃんに頼ることにしました。おじいちゃんは学生の頃(と言っても随分以前の話ですが)数学が得意だったのです。そして、今でもナミの1つ年上の北海道のいとこ達に数学の勉強を指導しています。いわば、現役というわけです。分からない問題をコピーして速達で送ったら、すぐに解答例が丁寧な解説付きで送り返されてきました。お陰で、ナミの勉強は大いにはかどったようです。はかどっていますから、あとは試験でどれくらい問題が解けるか、それはナミの努力次第。
高校レベルになると、それなりに勉強していないと手が出ない。増して、人に分かるように説明するのはおおよそ無理と、順列組み合わせの問題を前に痛感しました。自分が高校生のときには、多分出来ていた筈なのですが。
エリの方は、もう六年生ですから色々と難しい勉強が始まっています。今は分数の足し算、ひきざんに取り組んでいます。少し前には公約数とか、公倍数の勉強をしていました。本当の目的は、分数の計算の基礎だったようです。通分するには最小公倍数が若あっていないと厳しいものがあります。エリは一応、分かっているようです。時々頓珍漢な間違えをすることがありますが、基本は出来ています。割合の勉強よりは,エリの性に合っているようです。
インフルエンザ騒動で忘れてしまいそうになりましたが、中学校の中間試験。
採点結果が帰ってくると言うところで,一週間の臨時休校になりました。そう言えば試験だったねぇという頃に成績。ヨウが苦手としているらしい、理科、数学がまずまずの成績。今までで一番良かったらしい。その他の文系の科目はマァマァ。全体としては、結構良い成績。何だかはっきりしませんが、一生懸命やった理科の結果は努力が反映されていたことは間違いありません。
本人は随分満足したようです。少し、勉強を手伝った私も嬉しいです。
あとは、もう少し、要領が良くなると良いのです。規則正しい生活とか、計画的な学習とかそう言う部分で。
高校の方は前後期制ですので、中学の定期試験とはタイミングがずれます。インフルエンザの為に、一週間先送りになってしまいました。ナミが泡喰って勉強しています。何しろ初めてなので,どれくらい勉強すればよいのか見当が付かないと言っています。気が済むまでやればよいと思います。
ナミのチームの話です。インフルエンザの影響による中断を挟んで、公式戦が続いていました。インターハイの県予選です。
ナミはマネージャーとして重要な役割のようです。本人が結構のめり込んでいます。とりあえず、Jリーグや日本代表の試合を以前に増して一生懸命見るようになりました。ルールブックを眺めたり、サッカーに対してより深い知識を得ようとしています。スコアを付けたり、練習や試合を手伝ったりするのが活動の内容のようです。インフルエンザの影響でスケジュールがずれた大会は学校を公休にしてもらい、遠征に参加しました。強敵が並ぶ兵庫県ですが、ナミのチームは健闘し、ベスト16を賭けた戦い。必死で食い下がりましたが、結局一歩及ばず、1点差負け。今シーズンが終わってしまいました。上級生の多くは、これで引退となるようです。
ナミは家で,ジョギングや柔軟運動をしています。自分がプレーするわけではありませんが、体力が大切さに気付いているのでしょう。マネージャー業というか、サッカー部に熱中しています。本気になれると言うのは良いことです。
何度目かの記念日を迎えました。長女の歳に2をたせばよいので、17回目です。今年はしっかりと覚えていました。
晩ご飯はちょっと豪華にステーキ。アンリシャルパンティエの工場が近くにありますので、直販店でロールケーキを買ってきて食後にいただきました。子どもたちは手紙をくれました。どうして今日はごちそうなのか、わからずに食べている子もいました。父の日?
家族が始まった日です。良いお天気でした。軒先のあじさいも咲き始めました。
ようやく、インフルエンザの流行は峠を越えたようです。神戸は大変な騒ぎというか、騒いでいるわけではないが、戦々恐々とした雰囲気になりました。様々な情報が管理されていました。本当のことが伝えられていないという印象が残りました。空港の検疫で全てを留めることが出来るわけでないことは明白でした。厚生労働大臣に医学的な知識が十分でないように感じられたのにも閉口しました。感染症の不安を感じている市民にどのように語りかけるか。これはプロの医師がやるにしても相当な経験と技術が必要です(ムンテラといいます)。話は政治や行政ではありません。医療です。市民の生活を感染症の予防のために制限するわけですので、一種の「インフォームドコンセント」の発想が必要です。大臣にはそれがありませんでした。不安をあおった印象です。どうも厚生労働省は情報を隠しているのではないかと、私は訝りました。こういうことの説明は大臣には無理です。詳しい説明をするための専門家が必要なのです。専門家の話もあったと思うのですが、どうも大臣が喋りすぎという印象です。総理大臣が、厚生労働省を分割するという提案をなさったようですが,医療分野とそれ以外を分けると言うのは有りと思いました。
今回、人々の健康以外に、様々な経済的な波及があったわけで、例えば神戸で行われたサッカーJリーグの試合は殆どお客さんが入らないとか。ホテルのキャンセルが相次ぐとか。幸いに、新型インフルエンザは弱毒性でした。極めて大規模な予行演習が行われたと捉えて、何時か発生するであろう強毒性のインフルエンザの流行に対策を講じるべきでしょう。とりあえず、疑いのある患者をどうやって医療機関まで運ぶかを、真剣に考える必要があると、ポートライナーで職場に通いながら思いました。
学校の休校措置は良かったと思います。とりあえず、家に居れば何とかなると思っていましたので。
突然一週間の休みになって、子どもたちは困っています。退屈するわけです。
今日はお菓子作りをしたようです。出来上がったアイスクリームと、妙なたこ焼きのようなおかしをごちそうになりました。我が家はそれでも姉弟が居ます。邪魔になることも多いかも知れませんが、タンタンとエリは口げんかをしながらも、協力関係にあります。意外なことに、普段は部活で忙しいヨウがこういうときには姉弟達の間に入って、コロの散歩に出掛けたり、お菓子作りを手伝ったりします。
インフルエンザのために学校や幼稚園、保育所などが休みとなり、仕事を持つ親御さんが困っているという話題が盛んに出てきます。我が家は常に子どもたちを優先して親の予定を立てていました。カアサンはバイトを始めましたが、子どもたちに何かアクシデントがあったときにどうするか、を前提にして仕事を選んでいました。タンタンが小学校に上がるまでの十数年間、私ども夫婦は常にどちらかが育児に関われるような体制を取ってきました。私の職場が近く、時間に自由が利いたこともそれを支えるひとつの要因だったと思います。ですから、このような事態に至っても、我が家は当然のことと受けとめ対応します。
昨年から私の職場が変わり、そうおいそれと職場を離れて子どもの面倒を見るわけに行かなくなりました。それでも今回のケースでは、私の職場も半分閉鎖のような状況になっておりますので、必要があれば仕事を放り出して自宅で子どもの面倒を見ることはできたと思う。少なくとも、それ以前は私かカアサンのどちらかが,常に家に居るかもしくはすぐに家に戻れるような体制を取っていました。それが我が家にとって家族のための危機管理のやり方でした。
ナミが部活を始めました。
中学のときは病気のために部活を十分に出来ませんでした。高校では余り気に入った部活が見つからなかったようで、サッカー部のマネージャーになりました。男子サッカー部の活動をお手伝いする立場です。マネージャーの先輩も居て、練習も忙しそうです。帰宅時間は夕食には間に合いません。さすがは高校の部活動です。インフルエンザ騒動で延期されましたが、今は高校総体の県予選の真っ最中で、ナミのチームは4回戦進出を決め、勝ち残っています。先日はタンタンとエリを連れて、三回戦を観戦しました。相手とは少し実力差があるように感じましたが、ナミのチームはなかなか良いチームです。2−0で完勝しました。チームの雰囲気も良かったし、ちょっと安心。試合も面白かったので機会があればまた観戦したいです。
勉強も忙しいようで、部活との両立のためにナミは随分時間を詰めて大切に使っているようです。部活を通して出来る人とのつながりは他では得難いものです。忙しそうな高校生は大変頼もしく見えます。
季節外れのインフルエンザ流行に伴い、市内の学校のほとんどが一週間の休校(休講)となりました。どこかの高校ではインフルエンザのために学年閉鎖になっていたそうですが、新型インフルエンザの検査を怠っていたとか。何なんでしょうね。断片的に伝わってくるニュースによると、強烈な感染力を持つようです。感染力そのものより,誰も免疫をもっていないことの方が重大なのかも知れません。何しろ、十代の子どもたちはまるで免疫が無さそうです。
土曜から日曜に掛けて、患者数の増加が報告され、例えば大阪府と大阪市では対応が分かれました。神戸市では当初、東側海沿いの3つの区で流行を抑えようとしたようですが、結局、兵庫県と大阪府一円はほとんどの学校がお休みということになったようです。まぁ、色々と不都合はあるのですが、やむを得ないでしょう。罹らないように自宅待機するのと、罹ってしまってから登校停止の処置を受けるのでは、前者の方が良いに決まっています。
自治体レベルで難しい判断を迫られ、文部科学省や厚生労働省がどういう方針なのかが余りよく分かりませんでした。
日曜日の夕方は我が家の電話が鳴り続け、学校その他の連絡網が廻りました。初日は良いお天気で、私の職場も休講となりましたので、今日は仕事を休んだのですが、子どもたちは大変退屈していました。特に小学生達には気の毒なほど。担任が宿題をもって各戸を廻っていました。子どもたちは連れ添って朝夕の犬の散歩に出掛けましたが、それくらいしか外に出る機会はないのです。かあさんがマスクを買いに行きましたが、どこも売り切れていました。
エリが修学旅行から帰ってきました。小学校六年生で、姉たちと同じルートだったようです。奈良を散策し、東大寺や平城京跡など観て,三重県鈴鹿市のサーキットホテル泊。翌日は鈴鹿サーキットの中の遊園地で時を過ごして帰ってくるのです。今まで同じ場所に行った姉たちは幾分雨に降られたりしたのです。お天気が心配でしたが、が、エリが最もお天気には恵まれました。結局、奈良県、三重県はほとんど雨が降らなかったようです。
エリはずいぶん楽しみにしていました。準備万端で出掛けていって、十分に楽しんで、お土産も幾らか買って帰ってきました。あんまり詳しい話はまだ聞いていません。一日エリが居なかっただけですが、我が家はずいぶんと静かで寂しくなりました。
我が家のかあさんが応募したら、「毎日かあさん」の作者、西原理恵子さんのトークショウの入場券が当たりました。
毎日かあさんは我が家で最も人気のあるマンガの1つです。我が家はその新聞を購読していますので、毎週日曜日に最新作を読んでいます。そして、単行本も全て揃っています。私も結構好きです。
トークショウの当日、日曜日でしたので、家族全員で参加しました。6人揃って行動するのは久しぶりのように感じます。ナミは部活がありましたが、午前中で早引きさせてもらい、制服のまま出席しました。
私はトークショウと云うものに参加するのは初めてです。簡単に言いますと、テレビ大阪が「毎日かあさん」をアニメ化し、そのキャンペーンとして母の日に引っかけてトークショウを行うというもので、トークショウの前に様々なテレビ大阪の宣伝がありました。母の日にありがちな、おかあさんの似顔絵コンテストの表彰式やら、毎日かあさんクイズなどで、会場の何人かが表彰されたり、スポンサーからプレゼントをもらったり。そのうちに西原さんが登場し、毎日新聞社の西原さんの担当編集者を相手にトークショウ。最後に会場からのリクエストに応じて西原さんがホワイトボードにイラストを描いてくれました。
西原さんはたいへんな毒舌家で、スポンサー相手のキャンペーンに付いてちくりと皮肉を言っていました。まぁたしかに、ずいぶんと露骨な宣伝でした。テレビアニメの方の人気が芳しくないそうです。毎日かあさんのファンである我が家も、テレビ大阪のアニメまでは観ていません。マンガを知っていれば、わざわざアニメまで観たいとは思わない。我が家でさえ観ない位ですから、おそらくマンガとアニメは全く違うファン層を開拓しなければならないのだろうと思います。それに、テレビ大阪はマイナーです。我が家でも余程のことがないとチャンネルを合わせません。
「毎日かあさん」は育児という視点を通したマンガです。育児に関しては多くの人が経験しますので、余りいい加減なことは書けませんし、たいへんリアルなストーリーが特徴です。私たちも共感するところが多いのです。しかしながら、子どもたちは徐々に育って自立心も芽生えるでしょう。ある歳を過ぎると,育児はネタとして成り立ちにくくなります。同じ問題を「おやこニュース」でも抱えているわけです。そういう意味で、西原さんの育児マンガは,旬を少し過ぎたと私は感じていました。西原さんは今後の展開について色々と話していましたが、そこに留まらず色々と先を見据えた展開を考えていらっしゃるようです。マンガのキャラクターとしての二人の子どもたちを独立させることが必要でしょうね。リアルの子どもたちは育ちますが、マンガキャラはどこかで成長を止める必要があるでしょう。
西原さんがイラストを描く段になって、会場から御題のリクエストを求めましたが、いきなりエリがすっくと立ち上がり、リクエストしたのです。西原さんは早速描いてくれました。西原さんのトークはなかなか軽妙で面白いのですが、おそらく本当はもっと激しい毒舌で、今日は平和な家族連れ向けに、かなり遠慮というか気を回して呉れていたのではないかと思う。ショウが終わってから、テレビ大阪のCM撮影があり、帰り際に、スポンサーのお花屋さんからカーネーションを一輪ずついただきました。
ちょっと前の話になります。
連休が始まる直前の日曜日に野外コンサートに行ってきました。花*花です。メンバーの一人、こじまいずみさんのブログに告知が出ていて、ちょうど予定も開いていましたので出掛けました。子どもたちにも声を掛けましたところ、ナミとエリが行くというので、三人で行きました。会場は万博公園のお祭り広場。どうやら、メーデー関連の労働組合のフェスティバルで、スペシャルゲストとしてよばれていたようです。
花*花は解散してしばらく経ちますが、今後再結成して活動していくようで、このステージがその最初ということらしいです。花*花はたいへん好きです。アルバムを3つ持っていて良く聴いています。こじまさんのソロアルバムもたいへん素晴らしいです。こじまさんのソロステージは3年ほど前に見たことがあります。こじまさんは出産なさって、目下子育ての真っ最中です。子どもを育てることはとても手間が掛かるというようなことをおっしゃっていました。食事やトイレや、全部誰かの世話になっている。たいへんな手間を引き受けてくれる人が居るから子どもは育つことが出来る。自分たちも誰か(親)の世話になったことを忘れちゃダメ。というようなことを力説なさっていて、私はそこの所に大いに同意して印象に残りました。
たいへん良いステージでしたが、労働組合関係と言うことで、ちょっと思っていたのと雰囲気が違っていました。野外ということでやりにくいこともあったかも知れません。そして、あいにくの雨が降り出しましたが、何とか最後まで演奏は続きました。こじまさんのブログを見ていると,他にも色々な活動をなさっているようで、花*花もそのうちの1つと言うことなのでしょう。今回は新曲はありませんでしたが、今後は新しいアルバムも出すのかも知れません。
ナミとエリも十分に楽しんだようですが、一番楽しんだのは多分トウサンでしょう。
天候はまずまずでした。思うに、日本は祝祭日が多すぎです。どうにもなりません。
私はカレンダー通りに概ね休みを取りました。カアサン二度ほどバイトを入れました。休みの日は時給が高いとのこと。長女と次女は部活があり、余り自由になりません。特に、長女の所属するサッカー部は連休の最終日に重要な試合があり、全く休みがありませんでした。(マネージャーといえども、選手と同じように忙しいのです)。毎年恒例の猪名川バーベキューですが、上の二人は午後から参加。少し風が吹いて肌寒く感じるほどでしたが、無事に終了しました。今年は私がダッジオーブンでローストチキンを作りました。
こどもの日は小学生達を連れて神戸森林植物園に出掛けました。余り天気は良くありませんでしたが、ほとんど雨に濡れることもありませんでした。少し出遅れたので、道路の混み具合を心配したのですが、意外なほどスムーズでした。どうやら、高速道路料金の助成で、渋滞の中遠出した人が多かったに違いありません。シャクナゲが満開でした。園内をずいぶん歩き回り,疲れました。
来年になるとエリが中学生になります。こういった形で家族で出掛けるのも難しくなるかも知れません。
忌野清志郎さんが亡くなりました。癌と闘病中ということは存じておりましたので、落胆しましたが覚悟はしていました。
子どもたちはHISがずいぶんとお気に入りでした。タイマーズも好きでした。言葉の意味は分からないこともあったと思いますが、彼の音楽の心地よさが子どもたちに受けた理由と思います。私の思い出のシーンの幾つかに、彼の音楽が寄り添っています。揺るぎない信頼を寄せておりました。これから清志郎が居ない世の中を、私たちは生きていくことになります。
この、おおよそ子どもたちと縁が無さそうな言葉。DSの良い影響が出ているように思います。
我が家にDSが導入されてすぐ、タンタンはヘマをやりました。ルールを破ってしまい、一週間DSおあずけになったのです。それ以来、タンタンはじっと我慢することを覚えました。もしかすると、お姉ちゃん達よりもしっかりしているかも知れません。
2つのことがあってメリハリが付くのです.勉強しなさいと言い続けるだけでは子どもたちはどうしたらよいか分からないでしょう。DSがあって、宿題やドリルがあって、初めて順番が決まるのです。先ずは宿題を済ませなさい。やることが済んだらDSを楽しみなさいと。子どもたちが自主的に机に向かい、宿題を済ませるのに驚いています。私が子どもの頃、こういった行動を取れる小学生はかなり上等な部類だったような気がする。
いうだけではダメですね。今回はほぼ偶然だけれども、一台のDSとソフトウエアは私が思っていた以上の影響を子どもたちに与えました。子どもたちはDSを楽しむために時間の使い方を工夫し、DSのステージをクリアするために姉弟で情報を交換し、何より楽しそうにやっている。意外なほど、子どもたちの能力を引き出したように思います。タンタンはゲームの攻略法を熱心に研究し、「ゼンクリ」を果たして、こんどは姉たちに技術指導をする。指導するときには相手の自尊心を傷つけないように、お互いを認め合った上で情報の交換をするわけで、タンタンはそういう人間関係を築くという面でも、この半年の間に大きく成長したようです。
まぁ、何というか。まさか自分で宿題をやったり、やりたいゲームをじっと我慢したり、といった行動が取れるようになるとは想像も付きませんでしたので、ちょっとびっくりしております。
週末に柔道の大会があり、タンタンが出場しました。タンタンの通っている柔道教室は3年生が多いのです。けが人が出たために、団体戦Cチームの次鋒に抜擢されました。当初は午後の個人戦だけの予定でした。
タンタンは団体戦出場を負担に感じていたようです。端から団体戦はチームメートの中で自分より強い子が出場すると決めてかかっていたようです。突然、代理で出場することになってしまいました。「どうせ負ける」といいます。励ましました。団体戦はチーム5人がそれぞれ試合して、勝つ人も負ける人もいて、それで勝負が決まる。メンバーが揃って初めて試合になるのだから。まぁがんばれ。格闘技は全くの個人の戦いの筈ですが団体戦はチームワークがものをいいます。
タンタンの試合相手は以前に一度試合であたったことがある選手でした。力は向こうの方が上だったようですが、タンタンは試合時間の2分間必死になって持ちこたえました。残念ながら、終了間際に押さえ込まれて負けてしまいました。午後の個人戦でもまた同じ相手と当たり、負けてしまいました。
タンタンは団体戦とうことで、いつもと違う力が出たと思います。ちっと自信に繋がったのではないかと思う。試合中もがんばりましたが、そこに至るまで。試合当日まで毎日ランニングせよ,というコーチの指示も守りました。今までとちょっと違う取り組みだったと思います。何かの切っ掛けになるかも知れません。
私もずいぶん前の話ですが、中学生だった頃があり、反抗的な態度を取っていたと思います。当時、自分では余り気がつきませんでしたが、母が言うには、中学校の職員室の中で私は大変評判が悪かったそうです。参観日などが憂鬱だったとのこと。つまり、私は十分に反抗的な態度を取っていて、それを母が観察し、私に伝えてくれたので、私はその様に自覚している。私は親に対し反抗的な態度を取った覚えはあまりないのですが、父母に対する態度は誰も観察していませんし、私に伝えてくれません。私は自覚していませんが、おそらく、ずいぶん酷い態度を取ったのだろうと想像します。
子どもたちも、それぞれに個性を発揮し始めました。私は親の立場から,色々とアドバイスしたり、話を聞いたりしたいと思いますが、十分に時間がなかったり、上手く意思が疎通できなかったりします。コミュニケーション上の理由で親にとってストレスを感じる。そういうのが反抗期と思う。私はここにこういったことを書きますが、子どもたちはそれを読むのです。今まで家族と生活してきて、私が感じ取った多くのことは、こうして書かれています。子どもたちはそれらに自由に接することができる。これは重要なコミュニケーションの手段です。つまり、子どもたちから見て、親の不可解な行動の謎解きがここにあるわけです。こういうことは私が子どもの頃にはありえませんでした。
私は私の家族のメンバーである子どもたちが、少しでも得をするように気に掛けているつもりです。時々、感情を露わにしてしまい、申し訳なく思うこともありますが、私の行動はほとんど子どもたちが少しでも良い方向に向くように考えた結果です。それが子どもたちにとって気にくわないこともあり、その行き違いが増える時期が反抗期なのでしょう。
子どもたちが私をどう思ってくれているか。私自身が色々と思うところはあるわけですが、全てネタを見せるわけにも行きません。親として役割を果たすために、いくらかの秘密は残しておかなくてはならないのです。
反抗期のことを考えていたら、話が少し逸れました。
ナミが高校に通い出しました。ナミの通う学校の前に大きめの池があり、池の中州に木が植わっています。アオサギが沢山集まって木の枝に巣をかけています。エリとタンタンと、カアサンが大喜び。
先日の入学式のついでに、眺めました。よく見ると、カワウも混ざっていて、見慣れぬ茶色い鳥が見えたので、入学式のために持参したカメラで写真を撮りました。カモにしては首が短く、シギにしてはずいぶん大きい。不思議な鳥と思っていました。早速エリに見せたところ、ゴイサギだといいます。ゴイサギなら知っています。以前に夙川沿いで見かけて、写真も撮影しています。エリがいうには茶色い鳥はゴイサギの雛とのこと。たしかに、よく見るとその横に親鳥も映っていました。良く見つけるな。
もう少し以前に、コロの散歩で夙川沿いを歩いていると、とてもきれいな声で啼いている鳥が居ました。姿が見えず、鳴き声の方を見上げると、梢に特徴的な嘴の鳥が留まっていました。遠目ですが写真に撮って、後でエリに見せましたら、イカルだといいます。たしかに、図鑑を見るとイカルです。
毎日のように浜に行って鳥を眺めて、図書館に通って図鑑を見ているわけで、何かすごいです。何を訊いても大抵返事が返ってきます。たいしたもんだ。
こいつを拡大すると、
左から、アオサギ、ゴイサギ(成鳥)、ゴイサギ(雛)。上の画像のどこを拡大したか分かりますか?
ナミの高校入学式に出席してきました。
入学式は午後から。満開の桜が印象に残りました。汗ばむような陽気の中、バスに乗って学校に向かいました。カアサンと二人で出席しましたが、ほとんどの保護者が参加していました。両親とも参加している人もクラスに数名いたようです。
式は大変簡素で実質的に30分ほどで終わりました。本年度から高校の受験制度が変わり、ナミの受験した高校は志願者が多かったとのことで、校長や学年主任はそのことをずいぶんと強調し、新入生への期待感を表明していました。高校の先生は男性が多くて、年配の人が多いと思いました。校舎はなかなか凝った作りです。環境もなかなか良いところです。
クラスには数名の同じ中学の出身者がおります。また、昨年ナミが学校の代表に選ばれて訪中団に参加したときの仲間の何人かと再会を果たしたようです。
余りとやかく口を出すつもりはありません。自由にやったらよいと思います。高校での行動の全ては、これからの人生に直接関わってくると云う自覚を持ってしっかりやりなさいとアドバイスしました。
今年の春休みのようすについて覚え書き。
肌寒い日が続きました。ナミが中学を卒業し、高校入試があり、無事に合格。その他の子どもたちはそれぞれ一学年ずつ上がりました。ナミは合格発表までの悶々とした日々と、発表後のうきうきとした時間を元気に過ごしました。発表が済んだ後の方が,忙しかったようです。高校から課題が幾つか出ていました.その課題の達成度をみる試験が入学早々にあるらしく、まるで受験勉強の続きのように勉強していました。
ヨウは部活に明け暮れた春休みでした。休みの日は一日だけ。本人が好きでやっていることですので、協力はしますが親としては静観しています。色々と悩みもあるようです。何しろ、大所帯のクラブですので。そして、時期に新入生が入部してきて、ヨウは先輩として頼られる立場になるわけです。それも彼女にとっては不安の種です。
エリはダンスの発表会を無事に終えました。相変わらず、インコや犬の世話を焼いてくれます。インターネットで動物のことを調べたり、野鳥の観察も再開して、コロを連れて浜に出ていきます。
タンタンは相変わらずDSに熱中していますが、春の選抜高校野球を何度か観戦しました。特に、地元報徳学園の試合に大変感動したらしく、また野球熱が高まりつつあります。2年生用のドリルを全て済ませましたし、コロの散歩も積極的に出掛けてくれました。これもとりあえずはDSをやるためと云う側面があります。タンタンのDS(スーパーマリオ)についての知識はお姉ちゃん達も一目置いていて、DSでは頼られる立場になっています。ちょっと前には煙たがられていたのですが。
というわけで、子どもたちは皆、有意義に春休みを過ごしたと思います。
春休みもそろそろ終わりです。ナミにアルバイトを頼みました。私の職場でちょっとした単純作業をやって貰うのです。ナミはこれを「チップ詰め」と呼んでいます。前の職場でも何度か頼んだことがあります。職場が遠くなり、気安く連れていくわけに行かなくなったので、ずいぶん久しぶりです。新しい職場では初めて。職場を見せることもひとつの目的です。
土曜日に車で職場に出掛けました。2時間たっぷりと働いて貰って、時給は500円。まぁ、昼ご飯に交通費も支給ですから、大変割の良いバイトといえるでしょう。職場のようすを見せて、色々と感じ取って貰うことも目的のひとつなのです。次はいつになるか分かりませんが、高校に入ればもう少し色々な勉強をするでしょうからもう少し複雑な作業も頼めるかも知れません。
エリのダンス教室の発表会がありました。これで三回目です。
いわゆる「ジャズダンス」とよばれるダンスです。アップテンポの音楽に合わせて、チームで踊ります。エリのグループは20名ほど。エリはその中で最上級生です。エリは余り運動神経がよい方と思いません。それでも、毎週休まずに、どちらかというと熱心に、練習に通っています。練習はずいぶん厳しいのですが、好きなようです。1年掛けて、2曲のダンスを仕上げます。
今までは、練習の送り迎えなども手伝っていましたので、どのようなダンスか、エリがどれくらい上手に踊るのかを知っていました。この1年は全く練習を見ることができませんでした。全てカアサンに任せっきりでしたので、果たしてどんな曲目で踊るのか、エリはどんな役回りなのか、さっぱり分からずに発表会場に行きました。
当日はカアサンが朝から付きっきり。私は残る三人を市民ホールに連れて行きました。チームのダンスは素晴らしく上達していました。エリもずいぶん上手になっていました。これは大変な成長の印です。緊張して見ていましたが、ホッとしました。