我が家の日常と、育児に関する社会の動きなどをフォローしてゆくつもりです。
月曜日、3月20日に小学校の卒業式がありました。
家族全員と毎朝一緒に通学しているヨウカラの友達二人が式に出席し、ナミンチの卒業を祝うことになりました。ナミンチは学校でずいぶん式の練習をしていたようです。親の方は、衣装の手配。カアサンは和装、トウサンは礼服に白ネクタイ。カメラの準備、子供たちの健康管理、それからお天気の心配。何しろ、天気の悪い日が多いこの頃。ナミンチの学年は今までも大きな行事の度に悪天候にたたられていました。週間天気予報をハラハラしながら見守りました。当日は気持ちよいほどの青空。少々冷たい風が吹きましたが。
背の低いナミンチをよく見届けるためには、なるべく前の方に席を取る必要があり、少し早めに出かけました。少し待ちましたが、式が始まりました。卒業生は体育館の舞台の袖から入場。二人ずつ舞台に現れて、自分の席に着きました。式の間、ずっと音楽の教諭の生演奏で、なかなか良い雰囲気でした。そういえば、卒業生は胸に赤いばらの飾りを付けていました。私の時もそうだった。薔薇をみたときに急に昔に戻ったような感覚を味わいました。
国歌と校歌の斉唱に続いて校長の挨拶、メリハリがあってなかなか良かったです。内容はよく覚えていませんので、後日ナミンチに確認してみます。花を咲かせる枝、枝を支える幹、幹を支える根っこ。根っこは陰で広く張って全体を支えている、というようなたとえ話が後半。卒業証書授与もひとりずつ舞台に上がり、校長から直接受け取りました。
来賓の紹介、祝電披露などに続いて、卒業生が小学校の思い出を語り、歌を歌いました。在校生代表として5年生のみが出席し、歌を歌ったり、退場の時にリコーダーで合奏したり。聞き覚えのある曲だと思ったら、スマップの最近の曲でした。
エリポンはとても行儀良くしていました。タンタンは途中でかなり退屈して、タマゴッチをいじろうとしましたが、説得に応じて我慢してくれました。私の隣に座っていたおとうさんは涙ぐんでいましたが、私は特にセンチメンタルな気持ちにはなりませんでした。
式の後、校庭で卒業生を待ちました。みんなで花道を作って門出を見送りました。それから、校庭に戻って記念撮影など。ナミンチの担任の女性教師は袴が大変お似合いでした。全体として厳粛な雰囲気で、大変良い式典だったと思います。ちょっと寒かったけれど、天気にも恵まれました。
何人かの方から、卒業を祝うメールを頂きました。ありがとうございます。
ナミンチが中学に進むのにあわせて、以前から考えていた子供部屋の模様替えを実行に移しました。
なにしろ、3LDKに家族6人で住んでいます。子供部屋は一つきり。憧れの個室など夢のまた夢。おおよそ6畳で居間と直結の子供部屋を4人姉弟で使っています。能率の良い配置が必要です。今までは、幅160センチの事務机を背中合わせにふたつ入れて、それぞれを半分ずつ占有させていました。ナミンチにはいかにも狭そう。そこで、ピアノを居間に移し、空いたスペースに140センチ幅の事務机をもう一つ追加することにしました。Garageという事務用家具の通販で購入。Garageを利用するのは二度目です。
机が届いて、並べ直したところで、席替え。子供たちの希望を聞くと、新しい机が人気です。新しい机は少し狭いのだけれど。結局、新しい机はナミンチが使うことになり、その隣にエリポン、ヨウカラの順で並び、タンタンとトウサンは背面の机を使うことにしました。
机を追加したのにあわせて、電気スタンドをふたつ追加しました。新入学シーズンで、電気スタンドがいろいろと売っているかと思いましたが、きょうび、学習机には電気スタンドが備え付けですから需要が少ないようで、電機店では余り品揃えは期待できません。結局コーナンで購入。ついでに、いろいろと問題のあったキャスター付きの椅子をキャスターなしのものに換えました。机と椅子二脚、電気スタンドで、結構な出費となりましたが、何となく部屋が広くなったような感じ。やって良かったと思います。
三姉妹が並んで机に向かう様は壮観です。
ヨウカラの、二分の一成人式に出席してきました。
前半は学年単位で体育館に集まって、校長などの挨拶。これはカアサンだけ参加。後半のクラス単位の参観にトウサンも参加しました。職場から直行したのですが、思っていたより時間が掛かり、教室に入ったときにはもう授業は始まっていました。先日封筒に入れて渡した手紙を開封しているところ。
狭い教室の中に、父兄用のパイプ椅子が並び、子供たちは机の隙間に押し込められている感じ。ちょいと狭すぎ。母親の参加が多かったけれども、数名の男親の姿も見られました。
まず、親から受け取った手紙を読んで、書いてある内容を簡単にまとめてクラスメートに紹介する。挙手を促しましたが、積極的に手を挙げる人が少なかったので、担任が生徒の顔を見ながら当てていきました。その後、手紙に返事を書くということで、紙が配られ、一応5分間で返事を書き上げることになりました。
子供たちが返事を書いている間に、担任から授業の趣旨についての説明があり、10歳の記念に、「マイブック」を作っており、スケッチブック一冊に自分の今までや、現在の様子をまとめている。今回の手紙のやりとりは、マイブックの重要なページを埋めることになる。担任からもひとこと書いて渡す予定とのこと。現在進行中のマイブックの実例をいくつか見せてもらいました。
果たして、5分で何が書けるのだろうか?と思っているうちに時間は過ぎ、発表の時間。座席の順に全員が返事を発表しました。子供たちは僅かな時間の間に、ほとんど即興で返事を書くわけですが、たいしたものです。他の父兄が何を書いて渡したのか、本当のところは分かりませんが、その返事を聴いていると何となく想像が出来て興味深いものがありました。私は、何を書いたらよいか分からず、いろいろと考えました。先に妻が半分のスペースからちょっとはみ出るくらい、今までの楽しかった思い出を書いて、私が書いたことは、以前紹介したとおりです。
「10年間、私を大切に育ててくれてありがとう」といった内容が多かったように思います。感謝の気持ちを表す機会として、成人式はふさわしいと思います。更に進んで、これから先の決意表明を述べている子もいました。「迷惑掛けてごめんなさい」と謝っている子もいました。
10年間の育児を振り返って、改めて感じることは苦労話ではありません。個性豊かに育ってきた娘に対する感謝の気持ちです。子供たちは本当に私達を楽しませてくれています。「こちらこそ、楽しかったよ。ありがとう」ということなのです。そして、しっかり勉強して、よく考えて、立派な大人になってくださいということ。10歳のすばらしさは、あらゆる期待が実現しそうな可能性に満ちあふれています。我が家はまぁまぁ順調にこれまで過ごしてきたと思います。そういう気持ちが、手紙で上手く伝わったかどうか自信はありませんけど。
「トウサンは子供の頃、おっちょこちょいで、いつも廊下に立たされていたんだって。」と嬉しそうに話す次女。おい、『いつも』なんて書いてないよ。『立たされたことがある』だよ。
先週末から、我が家はインフルエンザ流行の直撃を受け、大混乱。
日曜日、エリポンが不調を訴え、夜になって発熱。翌日小児科に連れて行き、検査を受けたところ、インフルエンザA型と判定されました。流行に備えて、子供たち全員がマスクをしていましたが時既に遅く、火曜日には全員が発熱。残る三人をまとめて小児科に連れて行きましたが、もう検査するまでもないでしょう、とのことで、全員揃ってインフルエンザの診断が下りました。三人分の検査料が節約できたわけです。それぞれ二日ほど高熱が出ましたが、タミフルを服用し、自宅で安静。卒業を控えて、行事が目白押しのナミンチは残念ながら楽しみにしていたお別れ会を欠席となってしまいました。
エリポンとナミンチの熱が下がり、金曜日には通学許可が出ました。続いてタンタン。ヨウカラが最後まで熱が続きましたが、週末には回復し、週明けから学校に行きました。
予防接種は受けていたし、うがいや手洗いも念入りにやっていましたが、上手くいかないときは仕方ありません。全員が一度に感染したのは初めてと思いますが、家でじっとしている分にはうつしたりうつされたりの心配は無いので、帰って気楽だったかも。ひとりで家にいるより、姉弟たちが一緒にいてくれて、気が紛れるというものです。
カアサンはいろいろな予定をキャンセル、延期で大変でしたけれど。
学年末、特に長女は卒業を控えて、いろいろと忙しい毎日。親の立場でも忙しい。
長女が自分史を仕上げた。原稿用紙で50枚を目標に書いていたが、結局60枚となったらしい。これは、特に印刷するというようなことはなく、小学校卒業の記念に、今までの自分の人生、というと大袈裟だが、生活をまとめるという趣旨。友人や親が数枚を加える。長女も友人に寄稿した。
まず、できあがった自分史を読ませてもらい、それに付け加える形で妻が3枚、私が2枚書いた。長女は第一子だし、米国留学中に出産、育児となった。妻は書きたいことが山ほどあって、長女に対する手紙のような構成になった。私は、長女の自分史に足りないところを補ってあげる、という趣旨で書いたつもり。長女が生まれるに至った、夫婦の出会いを中心に書いた。家族の始まりはそこから始まる。良きパートナーに恵まれて、長女が生まれ、やがて妹、弟たちが生まれた。出会いから結婚までをかいつまんで。そして、長女の命名の由来。オマケとして、長女の髪型についてのコメント。相当久しぶりに原稿用紙に向かい、緊張しつつ書いた。
続いて、次女のクラスで、読書感想文。「ぼくの一輪車は雲の上」をクラス全体で読み、子供たちが感想文を書いた。親も書いてくれ、ということでこれも数十年ぶりに読書感想文を書いたら、学級通信に一部が引用されて紹介された。
経験が子供たちを育むという、わかり切ったことに対して、親はどういう態度を取るべきか、この話は教えてくれます。
というようなこと。読んで書いて、結構骨だったが、本は大変興味深い内容だったし、次女は喜んでくれたようだ。続いて、
次女の二分の一成人式に寄せて、メッセージのリクエスト。これは漠然としていて、なかなか難しい。何を書いて良いやら。風呂の中で構想を練る。父もかつて小学校4年生だった。親からは「だらしがない」と叱られ、学校ではおっちょこちょいで廊下に立たされ、そういうクラスメートが次女のクラスにも居るはずだ。クラスメートにトウサンが居ることを想像してご覧。トウサンのクラスにも、多分ヨウカラのような女の子が居たはず。
まぁ、そういうことを書きました。ふだん話するだけでなく、実際に書いて、気持ちを伝えるというのは、きっかけが与えられてこそ。書き上げててしまうと、なかなか良い企画であると思う。これからも時々子供たちに手紙を書こうか。まぁ、年に一度くらい。
園児たちの話ではなく、親たちの話です。
埼玉から西宮に引っ越したこともあり、我が家の4人の子供たちを、4つの幼稚園に通わせました。ナミンチが通った所沢の幼稚園は、バス通園。西宮で二ヶ月ほど通わせた公立幼稚園と、ヨウカラが通った私立幼稚園は徒歩通園。エリポンとタンタンは同じ幼稚園ですが、ともにバス通園です。
バス通園では、バス停の友達が出来ます。当然家も近所ですが、同じクラスと限りませんし、丁度朝の忙しい時間帯なので、なかなかそれ以上の関係にはなりにくいと思います。懇談会などで出来る同じクラスの親同士がの関係が大切です。
こうして幼稚園で出来る友人は特別です。おそらく、一生のおつきあいになる友人を作ることが出来ると思います。小学校のPTAでは、なかなかそこまでのつき合いは出来ません。子供たちが自立し始めて、親が出る幕が無くなるためだと思います。
タンタンの生活発表会がありました。
前日まで、タンタンは風邪で幼稚園を二日休んでいました。体調が戻ってきて、前の晩にはお風呂にも入ったのですが、当日朝、どうも本調子でないタンタンを連れてカアサンが幼稚園へ。
トウサンはまずエリポンの球技大会の応援をして、幼稚園へ直行することにしましたが、エリポンのチームは二試合目から。二試合目は休み時間の後から、ということで結局試合は見られずに幼稚園へ。
桃太郎の劇をクラス全員で演じました。タンタンは途中、雉をお供に加えるシーンで台詞付きの桃太郎役が回ってきました。台詞にほとんど「サ行」がありませんでした。最後に、桃太郎に懲らしめられる鬼の役を自作のお面をつけて演じました。劇が終わってから、みんなで歌を歌いました。複数の役を演じつつ、小道具を運んだり、セットを動かしたり。さすがは年中組。タンタンの舞台が終わったところで幼稚園を後にしました。
見事に演じきったタンタンですが、体力的にかなりきつかったようです。
小学校三学期最後の参観日がありました。エリポンの参観日に職場を抜け出して参加してきました。タンタンのお弁当の日で、カアサンは幼稚園のお迎えのあと、少し遅れて参加。
二年生合同で、体育館でいろいろな模擬店を出して遊ぶという企画。「わくわくフェスティバル」というもの。子供たちはこの日のために模擬店の企画を練り、準備をしていたようです。案内状も作って家族に渡していました。
輪投げやボーリングなど、ペットボトルやボール紙などを使って、いろいろと遊べるように、体育館の壁際にお店が並んでいました。授業の始まりに整列して、いくつかの注意事項を聞いたあと、全体を遊ぶ役と店番役に分けて、前半、後半で役割を入れ替えました。
エリポンは前半に遊んで、後半は店番の役。遊ぶときも、特に友達と連れ添うこともなく、しかし、つまらなそうなわけでもなく、ひとりで体育館の中をふらふらとしているので、ちょっとせっついてみることにしました。「何かして遊んだら?」結局、輪投げとビー玉転がし、そしてボーリングゲームをして、賞品のメダルを一つ、手に入れましたが、積極的なクラスメートたちは、首からいくつもメダルをぶら下げていました。折角列に並んでいても、いつのまにか順番を抜かされていたり。それでも、何も言わずに列の後ろに並び直したり。少々やきもき。
お友達には、「エリちゃん」と声を掛けてもらっているのですが。
後半の店番で、エリポンのグループはストラックアウト。ボードに的を貼り付けて、新聞紙を丸めて作ったボールをぶつけてもらう。やんちゃな男の子たちが行列を作って、上々の人気。
店番は三人居ますが、遊ぶ側がどんどんボールを投げるので、転がったボールを拾って集めるのに結構忙しい。ボール拾いをお手伝い。エリポンは、ボールが入ったカゴを持って、遊ぶ人にボールを手渡す役になって、それなりの存在感を示していました。担任の目の届かない授業参観。日頃の人間関係やら行動をみるのに絶好の機会で、参加して良かったと思います。
授業が終わり、子供たちはまた整列。先生のお話が始まりましたが、まわりの父兄は世間話に花を咲かせていて、騒々しい。授業はまだ終わっていない。子供たちは静かにしている。非常にみっともない。気を遣って欲しいと思いました。
そのあと、懇談会にはカアサンが参加しました。
日曜日。タンタンが、「おとうハん。おヒごといかないの?」と気にする。日曜日はお休み。余程忙しいときなら別だが、家族と過ごす時間。行かない。今日は何して遊ぼうか?「おヒごといってよ。」なにぃ?そうか。たまごっちでゲームをやりたいタンタン。トウサンに邪魔されるのが嫌なのだ。トウサンはたまごっちを取り上げる邪魔者というわけ。
お姉ちゃんたちは、トウサンが家にいると喜んでくれる。タンタンは逆だ。まぁ、何とでも言ってくれ。トウサンは気にしない。そんなことではへこたれない。少しでも、おまえたちと過ごす時間を作ろうと努力しているつもりだ。努力が足りないと言うことか?そんなもので遊ぶより、トウサンと遊んだ方がずっと楽しいんだぞ、と、実力行使。
抱き上げて、振り回して、宙返りさせる。別に懲らしめるつもりはない。息子がそういうことを喜ぶことを知っている。
もう一回。もう一回と、案の定反応するタンタン。まぁ、こういったことがあって、一昨日のこと。
仕事から戻ると、タンタンからプレゼントがある、という。ヨウカラが割ってはいる。「タンタンがトウサンの絵を描いたんだよ。漢字も自分で書いたんだ。」
タンタンが熱心に絵を描いているのは知っている。クワガタやカブトムシの絵が多い。ひらかなや数字も書いていたけれど、7割がた鏡文字。解読する楽しみがある。
読める字を書いている。そして、二人並んでいるのはトウサンとカアサンとのこと。言われなくても分かった。
漢字を教えてあげた、と、ヨウカラが自慢げに言う。教えただけで、タンタンが自分で書いたとのこと。次はカアサンにも書いてあげる、と、タンタン。
初めて書いた漢字が「父」という子も珍しいかもしれない。ヨウカラがちょっと気を遣って、トウサンとタンタンの関係修復を働きかけたのだろう。それにしても、子供の描く絵はすごいと思う。次はカアサン。「母」は「父」よりかなり複雑な文字だ。
時間を作るために努力している、といっても、たまごっちにしてやられるようでは、やっぱり努力が足りないのだろう。何にせよ、手足の揃っている絵と、トウサン・カアサンの描き分け。そして、読める文字に成長の跡。大きくなったなぁ、と、頭を撫でるだけでダメ。体で示さなくては。そのためには先ずは時間だ。
タマゴッチといえば、10年近く前に大変なブームとなって、以前勤めていた職場の同僚が、「全然手に入らない」とこぼしていた。そのころ、次女が生まれていたので、この上バーチャルキャラクターの世話までするのはかなわない、とおもった。チップ上に組まれたプログラムに弄ばれる、コンピュータゲームの類は一切やらない。プログラムは巧妙に組まれ、熱中させられるに決まっているから。時間の無駄。
我が家には、ビデオゲームの類は一切置いていない。唯一、マックでいくつかの子供向けCD-ROMで遊べるようにしてあるが、それとて週末土曜日のみに限定している。宿題など、他の用事を済ませてから。
小学生の間で、タマゴッチがブームだ。首からぶら下げている。エリポンが興味津々。みんな持っているし、私も欲しいという。「みんな」もっている、に流されてはいけないと思う。しかし、確かにみんな持っている。複数ぶら下げている小学生も多い。私は止めた方がよいと思っていたが、エリポンのたつての願いということで、誕生日に買い与えた。カアサンがむしろ積極的。発売日に電気屋の前に行列を作った。
子供たちは楽しんでいる。簡単なゲームが出来るらしい。特に、タンタンがゲームに熱中する。
手紙が届いたとか、なんとか、要するにタマゴッチの世話を、様々なことをさしおいてやる。生活の一部をその機械にコントロールされる状況になる。バーチャルペット飼育ということなのだが、ペースが速い。一週間も経つと大きくなる。そのうちに死んだり、どこかに帰ったり。ちょっと早すぎる。もっとゆっくりで良い。生き物を育てたり、世話をしたりすることは、時間と根気が必要なのだ。そういうことを全て吹っ飛ばして、次々に状況が変化していく。ある程度スピード感が必要なのだろう。しかし、早すぎる。安直すぎる。
私は、子供にこの道具を買い与えたことを後悔している。息子がゲームに熱中していること。実際のペット飼育に比べて余りに安直であること。生活の一部をその道具に合わせなくてはならないこと。熱中する息子からタマゴッチを取り上げる。息子は怒り出し、お父さんは嫌いだという。週末、お父さんは仕事に行ったら?という。非常に宜しくない。ゲームが付いているということを知らなかった。知っていたら、許可しなかっただろう。わざわざ、クワガタやらインコやら、金魚を飼育している。今更タマゴッチでもあるまい。リアルな生き物と接する機会は十分に提供しているのだ。
今後、こういう形で、無理解な親と子供からみられる機会が何度もあることだろう。私は毅然と、親が気に入らないものは駄目というべきだと思う。
三学期になって、いよいよ卒業、そして入学が迫ってきました。我が家のフロントランナーナミンチの小学校卒業と中学校入学です。
もとより、中学受験を志していませんでしたので、のんびりしたものです。クラスメートの何人かは、有名私立校に合格した噂を聞きました。ナミンチは普通に卒業して、近所の公立中学に進みます。
準備としては、かねてから髪型を伸ばす積もりで、ようやく見通しが立ってきました。しかし、前髪がいかにも邪魔そうです。後ろ髪はグチャグチャ。伸ばす過程でやむを得ないことですから、今は我慢のしどころ。卒業式前に、一度切りそろえてくる積もりのようです。男の子に間違えられないように、ということで、伸びたあかつきには、後ろで一つに括る積もりでいます。
よそ行きの服を持っていないナミンチ。卒業式用の服をカアサンが先日デパートで見繕ってきました。まだ成長期にある子供の服選びは難しい。しっかりしたものを手に入れたいと思う反面、ナミンチは妹たちより小柄ですので、お下がりは難しそう。思案のしどころです。制服も手に入れなくてはなりませんが、これもサイズが問題です。誰かからお下がりをいただけると良いかもしれません。私が中学にはいるとき、学生服を買ってもらったのですが、母が二サイズ大きめのものを選んだために、「えもんかけ」という余り有り難くないあだ名をもらいました。結局その学生服が丁度よくなったのは、卒業間近になってから。計画通りだったのかどうか分かりません。
あと、通学用の鞄も必要ですが、これは特に指定されていないとのこと。ランドセルでも良いそうです。近日中に探しに行こうと思っています。
小学校では卒業記念の自画像を制作中とのこと。それから、原稿用紙20枚50枚余りにも及ぶ自分史を書いています。生まれたときから今までのいろいろなこと。母子手帳を引っ張り出したり、アルバムを眺めたり、両親にインタビューしたり。担任とナミンチだけが見る、非公開の自分史だそうです。
理科の勉強の話しをちょっと前に書きました。ヨウカラが最初に知ったのは北斗七星です。去年の北海道旅行の時に、フェリー乗り場への行き帰りに高速道路からきれいに見えたのです。それから、夏の大三角形を覚えました。はくちょう座を挟んで、こと座の織り姫とわし座の彦星が向かい合うロマンチックな配置は覚えやすい上に、夏から初冬に掛けて、長い間眺めることが出来ます。また、まわりにさほど明るい星がありませんのでわかりやすいのです。
初冬に入り、トウサンが夜遅く帰宅するときに、星がきれいに見えたので、ヨウカラを起こしてベランダから星を眺めました。オリオンや牡牛座など、豪華な冬の星座が東の空に昇るところでした。冷え込んで澄み切った夜空が余程印象に残ったのでしょう。その後も、「星がきれいだったら起こして」と言ってから床につくヨウカラ。
クリスマスプレゼントにヨウカラが選んだものは、星座早見板でした。これはとっても役に立ちます。明るい目立つ星座を目印に、他の星々の場所がよく分かります。ヨウカラは、夜空が気になって仕方ありません。今日は見えるか?とベランダから夜空を見上げ、よく見える日には寝る前に上着を羽織って、トウサンと星を見に行きます。せいぜい10分くらいです。我が家のまわりは街灯やネオンサインで星を見るには良い環境とは云えませんが、先日はペガサスを見つけることが出来ました。
大抵、タンタンとエリポンも付いてきます。静かに空を見上げます。豪華な冬の星空が見えます。
一昨年、夏の北海道旅行で見上げた夏の空がそもそもの始まりと思います。北海道の田舎道にちょっとだけ車を止めて見上げた夏の夜空には、天の川までくっきり見えていました。
構造改革とどう関係があるのか分からないが、少子化対策の一環として、様々な経済的な支援が検討されている。
児童手当の支給対象の上限を小学3年から6年に引き上げ、さらに親の所得制限を緩和することになった。また、これとは別に、3歳まで育児手当を支給し(所得による制限あり)、6歳までの医療費を無料化する方針とのこと。
育児支援は現金で渡すより、現物支給をするべきで、その点で医療費の無料化は評価できるが、6歳まで、という根拠が分からない。我が家の場合、もっとも不安に感じていることは住宅、次に親の体力だ。3年後には今のアパートに収まり切らなくなることは明白だ。また、可能な限り育児に参加しようと努力しているが、学校行事など平日に行われるものは、全部妻に任せっきり。育児休業制度を抜本的に見直すべきだ。
お金に関して云うと、小学校までは、それほど掛からない。おそらく、中学校以降にお金が要る。育児手当など支給するより、結婚祝い金を支給する方が、少子化対策としては効果があるのではないか。他にもいくつかアイディアはある。育児支援は結構だが、少子化対策と分けて考えるべきだ。
長女と次女が日記を付け始めました。かれこれ二ヶ月ほど続いているようです。かく言う私も、おやこニュースが始まって以来、日記のようなものをつけ続けておりますから、これで足かけ7年目となります。三日坊主の典型だった私の日記が続いている理由は、ひとえに公開している、つまり、読者を想定しているからに違いありません。
日々のニュースは、比較的ありきたりのことを書きつづっています。その日にあった出来事ですが、家族の動向ばかりで自分自身のことはほとんどかいていません。また、ネット上で公開する前提が制約となり、書くことが出来ないことも色々あります。一方で、それ以外のコンテンツ、例えば、この「育児日誌」などは、不定期ですが、かなり突っ込んだことを書いているつもりです。
子供たちは今までも、学校の休みの時期に絵日記を書いていましたが、それが休み明けまで続くことはありませんでした。長女は漫画家を目指しておりますから、読んだり書いたりするトレーニングが、表現者としての将来に必ず役に立つと思い、読書と日記をつけることを以前から勧めていたのです。
次女が10歳の誕生日に立派な手帳を手に入れて、それを日記帳に使い始めたのです。次女と長女が示し合わせて日記を書き始めたのかどうかは分かりません。
他人の日記、ことに、親が子供の日記を読むことは宜しくないということらしいです。どうしてなのか分かりません。私は子供たちが何を考えているか興味があります。他人の日記を読むことを「盗み見る」と、明らかに悪いこととして表現する根拠は何でしょうか。次女は初めのうち、私が日記を読むことを嫌がりませんでした。「見せて」と頼むと「いいよ」と、返事が返ってきました。次女の日記は様々なイラストを交えた、とても楽しいものです。なかなか子供たちの話をじっくり聞く時間を取れませんので、日記を読むことは私にとって大変意義のあることです。
他人の日記を読むことは、詰まらない小説かマンガかドラマの筋立てに日記を読んで秘密を知ってしまうというような陳腐なエピソードが使われたために、いつのまにかとても良くないことという固定概念が出来てしまったと私は推測しています。ステロタイプの下らない概念です。プライバシーは心の中にあります。日記にあるのはその人の表現です。隠すことに何かメリットがあるでしょうか。
長女はおやこニュースを隅々読んでいます。私はそれを容認していますが、だからおまえのも読ませろと言うつもりはありません。どうして読まれたくないの?と聞いたら「色々と秘密のことを書くから」といいました。そのうちに色々と秘密が出来るでしょうけど。これは成長と捉えるべきなのでしょう。
ちょっと複雑な気分。またそのうちにこの話題に触れるかもしれません。