我が家の日常と、育児に関する社会の動きなどをフォローしてゆくつもりです。

163二学期終了

  • 管理人
  • 2005年12月22日

終業式は猛吹雪。この辺では滅多に雪が降りませんので、それだけでも大騒ぎですが、午前中はかなり降りました。風も強くて、ちょっとした吹雪となりました。子供たちは無事に学校に行って、通信簿を受け取って戻ってきました。私は忘年会で、子供たちの顔をまだ見ていません。通信簿だけ見ました。

一度に三通も持って帰りますので、見応えがあります。子供たちの個性を、先生はよく評価してくださっていると思います。通信簿の評価は、日頃の生活にフィードバックして初めて意味が出てきます。自分の弱点が何か、如実に表れます。努力の成果を評価していただくことが、子供たちの励みになります。三段階絶対評価の限界も歴然です。

ナミンチには、成績に表れない学習がこれから大切になっていくということを自覚して欲しい。ヨウカラは、興味を持って掘り下げていくことが大切だと言うこと。エリポンには、勉強が楽しいものだと言うことを知って欲しい。

親にも反省することはたくさんあります。また頑張りましょう。皆さん。


162理科の勉強

  • 管理人
  • 2005年12月13日

ヨウカラは、一頃理科の勉強が苦手だ、といっていました。電気や磁石の勉強をしていた頃、テストの結果を見ましたが、回路がどう繋がると電気が流れるか。電池をどのように繋いだらいいか。そういう勉強に余り興味が持てなかったらしい。テストの結果は、まぁまぁ、なのですが、肝心な部分を理解できていないのは明白。また、本人にもその自覚があったようで、それでも興味が持てず、分からないままでほったらかそうという気持ちで居たようです。

確かに、電気は目に見えませんし、電球が点くか、点かないかふたつに一つ。夢やロマンは余りありません。ヨウカラが興味を持てなかったのもやむを得なかったかもしれません。ところが、二学期に入って雲行きが変わってきました。

星の勉強が始まり、トウサンがちょっとした講釈を垂れたのです。今となっては何の話だったか、正確には覚えていませんが、多分、季節によって見える星が変わるのはなぜか、とか、そういった話題だったと思います。地球儀を引っ張り出し、紙と鉛筆で地球の公転軌道と地軸の傾きを書いて、「で、見てご覧。夏の間、北極の辺りは一日中日が照っているでしょ。」とか、そういう話し。4年生にはちょっと難しいかもしれないと思いながら、念入りに手を抜かずに説明したのです。彼女は星の動きに興味を持ったようで、色々と質問してくるようになりました。そして、星座の話し。きれいな天体写真の本をプレゼントしたところ、俄然星座とギリシャ神話に興味を持ち、図書館に行くたびにそれに関する本を借りてきて、もうその知識は親が全く太刀打ちできないほど。イルカ座の話しが出てきたり、南十字星が一番小さい星座だということを知っていたり、様々なギリシャ神話の神様の名前を知っていますし。

空を見上げると星が見えて、ただ漠然と見ているより、それが何という名前の星か知っている方がずっと楽しいということに気がついたらしい。そして、興味を持ったことを資料で調べるということも学んだようです。

昨日も、理科の実験が二時間続きでとても楽しかったそうです。ちょっとしたきっかけで、理科の勉強が好きになったようです。


161耐寒マラソン大会

  • 管理人
  • 2005年12月10日

この時期、小学校の恒例行事。耐寒マラソン大会。夙川沿いの遊歩道を臨港線から酒蔵通りまで、およそ800メートルの周回路で子供たちがレースをします。運動会には個人成績の出る種目はありませんが、マラソン大会は、学年ごとに順位とタイムが出て、賞状を貰えます。

子供たちは、何度も練習に行きました。エリポンは低学年で一周、ヨウカラは中学年で二周、ナミンチは高学年なので三周走ります。特に、ナミンチは今年で最後になりますし、去年は随分練習して学年8位となり、自信を付けましたので、今年はそれを越える成績を残したいと思っていたようです。ただし、今年は六甲山の縦走などあり、なかなか練習時間が取れませんでした。去年より練習量が不足していると自覚していたようです。

トウサンは、学生の頃マラソン大会に何度か出たことがあります。長距離を速く走るためのアドバイスをすることが出来るのです。去年までの作戦は、一週目はセーブして、後半追い上げなさい、と言うもの。今年はカアサンが付き合って何度かリハーサルに云ったのですが、三週12分がなかなか切れません。レースを明日に控えて、最終的なアドバイスは、タイムをこれ以上縮めるためには、1周目のペースを上げること、でした。それだけの力が付いたと判断したのです。根性はあるし、やる気も十分。

当日は、ヨウカラが1番目。これには間に合いませんでしたが、職場を抜け出して応援にいきました。ヨウカラは30位。去年より順位が上がりました。エリポンはいつになく真剣な表情で走って29位。ナミンチは作戦通り、一周目から速いペースを維持しました。三周をほぼイーブンペースで走りきり、12分を大幅に切るタイムを出しました。順位は6位。去年の順位を更に上回りました。

トウサンはストップウオッチをもち、一周ごとのタイムと順位を知らせました。走っていたナミンチは、応援の声が大きくて驚いたそうです。みんなよく頑張りました。


160通学路

  • 管理人
  • 2005年12月7日

私が小学生の時、社宅住まいで小学校は社宅の中にあるようなものだったので、通学路に潜む危険ということを特に意識することはなかったと思う。従妹は町中に住んでいて、繁華街を通学路にしていたから、色々と用心しなくてはならないことがあったはずだけれど、むしろ、寄り道による非行の問題がクローズアップされていた。

そして現在、我が家のむすめ達は歩いて10分ほど。通学路は割に見通しがよい。我が家のある集合住宅に、同じ小学校に通う児童が多数いる。まして、長女、次女、三女と三人揃い、少なくとも登校時は集団となる。問題は下校時だ。特に、三女は友達づきあいが下手だ。同じアパートの友達と必ず一緒に帰るように指導している。指導というと聞こえはよいが、要するに、口を酸っぱくして言い聞かせている。一年生の頃は、中々クラスメートとうち解けられなかったようで、それでもつかず離れず。友達の後をつけ回して下校していた。二年生になって、交友関係が出来上がり、二人のクラスメートと三人グループで下校している。先日所用で自宅に戻ったとき、たまたま三女の下校に出くわし、友達と並んで歩いている姿を見てほっとした。

幼稚園は父兄の送り迎えが鉄則である。このルールは数年前の痛ましい事件以来、極めて厳格である。普段と違う降園手段を取るときは、予め文書で通知しなくてはならない。ところが、小学校に上がった途端に送り迎えが無くなる。初めは不安だった。今でも心配である。たまたま運良く、事故に遭わずいる。

子供たちの判断力を信用してはいけない。特に、低学年の児童を騙すのは簡単である。防犯ブザーは、子供たちが鳴らす判断をして、始めて役に立つ。危険と身構えているから使えるものだ。GPS付きの携帯電話が役に立たなかった事例も記憶に新しい。

安全を確保する、あるいは危険を避けるために、子供たちに出来るだけ単純な状況を作り出す必要がある。子供たちに複雑な判断を求めてはいけない。下校時間と通学路を設定し、安全を確保する必要がある。行政と学校と父兄、そして地域の住民が組織的に子供たちを見守る必要がある。「危険な感じ」がする場所は、危険なのだ。何となく危ないと感ずるなら、それに対応し、対策を立てる必要がある。


159英会話を学ぶ

  • 管理人
  • 2005年11月29日

現在、タンタンをのぞく三人の姉たちが、某大手英会話学校の子供向けコースに通っています。ナミンチは幼稚園の頃から、ヨウカラはその前から通い続けています。授業料も馬鹿になりません。送り迎えもしなくてはなりません。

英会話そのものが、今すぐ役に立つ状況ではありません。中学に入学したら英語の授業がありますが、そのために今から習わせているわけではありません。英会話は子供たちの将来、海外に出たり、外国からやってきた人たちとコミュニケーションを執る手段として、必須のものと思うので、今から準備させているのです。早く始めればよいというものでも無いようです。タイミングがあります。しかし、子供たちが英会話教室で、外国人と接する機会を持っており、このことは重要だと思います。

英語でコミュニケーションを取る家庭に育った子供は、自然と英語を身につけていきます。幼稚園児でも流ちょうな英語を話すわけで、言葉を話すことに特別な能力は必要ありません。しかし、一度日本語が身に付いた後で、もう一つの言語を身につけることは簡単ではありません。右利きの投手が左で投げるようなものだと思います。つまり、訓練が必要なのです。

ナミンチがもうじき小学校を卒業します。通っている英会話学校の子供向けコースが一旦終わるため、改めて中学生向けのコースに入るように案内を受けました。ところが、中学生コースは新規募集の生徒と、ナミンチのように何年も通い続けている生徒を一緒くたにするとのこと。子供向けコースのステップアップが考慮されていないのです。どうにも納得できません。その旨申し上げましたところ、外国人講師とマンツーマンの授業を紹介されました。本来、中学生は受け入れていないそうですが、ナミンチのために特例を設けるようなことを言っていました。確かに魅力的ではありますが、一コマ40分におよそ8000円。考慮の余地はあるように思います。目下検討中。本人のやる気次第、いや、我が家の経済の方が問題か。

晩飯時に、NHKラジオの基礎英語(1,2)をみんなで聞いています。晩ご飯を食べながらで、なかなか集中できませんが、結構ためになっていると思います。


158いわむらかずおさん

絵本作家、いわむらかずおさんの作品に、エリポンが熱中しています。学校の図書室や市立図書館から毎回一冊ずつ借りてきて、熱心に何度も読み返しています。代表作、というか、エリポンは14匹のねずみたちのお話がお気に入りです。いまは、「14ひきのあさごはん」(ISBN4-494-00619-X)を学校から、「14ひきのピクニック」(ISBN4-494-00673-4)を市立図書館から借りてきています(ともに、童心社刊)。およそ20年ほど前に書かれた作品ですが、大変モダンで古さは全く感じません。独特の暖かい筆遣いと、細かい正確な描写が特徴です。楽しいお話とうらはらに、図鑑として使えそうなほどです。ねずみたちと一緒に、野原の散策を疑似体験しているような気分になります。見つける楽しさ、観察する楽しさにあふれた絵本です。

10ひきの兄妹ねずみたちが助け合ったり、遊んだり。そして、両親、祖父母もお話の主役で、あわせて14ひきです。擬人化された動物たちのお話は他にも数多くありますし、私は余り興味を持っていませんでしたが、エリポンにせがまれて読み聞かせて好きになりました。良い本です。


157タンタンゲロ風邪に苦しむ

  • 管理人
  • 2005年11月28日

勤労感謝の日、尼崎の海釣り公園で魚釣りに興じました。結構よく連れて忙しい釣りでした。子供たちは大喜び。釣りの話はまた別の機会に書くつもりです。

明け方から午前中一杯釣り場で過ごし、昼ご飯はマクドナルドへ。みんな疲れていたようだったので、テイクアウトして家に帰って食べることにしました。ところが、タンタンがしんどいと言いだし、結局昼ご飯を食べませんでした。その後ずっとソフアに寝そべって、ごろごろしていると思ったら、夕方になって嘔吐。ソフアカバーを汚してしまい、タンタンは申し訳なさそう。その後、何度か嘔吐を繰り返し、タンタンはグロッキー。結局、翌日一杯回復せず。喉が渇いたといって少し水分を摂っては吐きけにおそわれる繰り返し。タンタンはヘロヘロになり、夕方小児科へ連れて行くことにしました。タンタン自身も「病院に行って早く元気になりたい」と言い出し、トウサンがダッコして連れて行きました。

小児科医の見立てはウイルス性の腸炎。冬季に子供に流行る感染症の一種で、下痢と嘔吐で脱水状態になることもあり、姉弟や場合によっては親にもうつることがあるとのこと。トウサンも子供の頃、同じような症状に苦しめられました。その頃の主治医は「自家中毒」という病名を付けました。吐きけが酷く、立ち上がれなくなります。大変苦しいのです。端から見ると、大変情けない状況になります。本当にウイルス性なのか、分かりません。タンタンは嘔吐はしていたものの、下痢は一度だけ。結局、姉たちにもうつりませんでしたし。

タンタンは三日目の朝に水分を摂れるようになり、幾らか起伏はありましたが、そのまま回復しました。子供の頃の自分を見ているようで、妙なところが似てしまった息子になんだか申し訳ない気分です。


156歴史教科書

  • 管理人
  • 2005年11月15日

ナミンチが、社会で日本史の勉強をしています。信長が足利幕府を倒して、秀吉が日本を統一して、関ヶ原の戦いで徳川幕府の時代となり、明治維新によって、近代国家が築かれた。まぁ、間違っては居ません。だから何なの?と言う部分が決定的に欠落しており、ナミンチは不可解に感じているようです。

幕末から明治維新に掛けてを範囲にしてテストがある、ということで、相談に乗りました。先日来、司馬遼太郎氏の「最後の将軍」「峠」を読んで、この辺りの時代背景には興味を持っています。何故に幕府は倒れたのか?大阪の陣以降、国内で戦が無くなり、武士の装備は200年余りに渡って進歩しなかった。そこに、黒船が来航し、幕府は先進国との武力の差を思い知った。国が存続しうるかどうかの危機的状況が発生し、装備の近代化、すなわち、外国との貿易による兵器の調達が最優先事項となった。貿易には金が必要で、結果的に封建制度の崩壊を招く。

封建制度とは?ナミンチは習っていないという。貨幣経済の担い手である商人が、士農工商の最下位におかれているのは、封建制度を維持する上で、で重要な意味を持つ。士農工商って、何?え?習っていないの?教科書に出てないよ。

うーむ。手強い。そういえば、小学校歴史教科書には後醍醐天皇が現れずに、鎌倉幕府が滅亡した。北条氏は執権として、、、執権って何?

とにかく、黒船の衝撃がでかすぎて、攘夷、つまり外国人をやっつけろという国民的ヒステリ運動が起こったんだが、当時のリーダー格、つまり、幕府も薩摩・長州も攘夷なんぞ出来るわけがないことは重々承知。国を守るためにどうするか。幕藩体制の主眼は、連邦諸国(藩)の力を殺ぐ方向であったのが、外圧によりそのようなことを言っていられなくなり、結局幕府は諸藩をまとめきれなくなった。そこで、薩摩長州はもう一つの権威であるところの朝廷を抱き込み、政治の主導権を握った。

と言うようなはなしを、風呂の中でとうとうと聞かせたのだが、テストには役に立たないかも。しかし、この教科書には欠陥があるなぁ。説明するのが面倒なところは全部省いてある感じ。


155加害者の話を聞きたい

  • 管理人
  • 2005年11月15日

このところ、あっと驚かされるような、未成年による事件がふたつ続きました。一つは女子学生による毒物中毒事件。もう一つは、男子高校生による女生徒殺害事件。前者は、薬物に異常な関心を寄せる少女によるきわめて特異なケースと感じます。後者は、年頃の少年、少女が、片思いの末、思いを寄せる相手の家のまわりをうろつくことは珍しくないと思う。事件に発展するケースは稀かもしれませんが、より身近に感じます。

加害者側の親として、防ぐ手だてがなかったのか。私は家庭環境に原因の一端があるように想像しますが、被害者側に比べて、加害者側の環境は少年法の制約があり、ほとんど伝わってきません。いくつかの事実を可能な限り明らかにして欲しいと思う。自分たちが、被害者、加害者のどちらになってもおかしくないと感じるだけに、事件のいきさつは開示されるべきだと思う。


154家族と過ごす時間

  • 管理人
  • 2005年11月15日

私にとってとても大切なもので、それを確保することを最優先にしてきたつもりです。もちろん、それが全てではありません。仕事があって、時間を都合するのです。

子供たちは、お父さんと一緒に夕食を食べて、一緒に風呂に入って、それが当たり前の生活と思っています。それを実現するために、色々と努力をしている。いくつかのことを犠牲にしている。先日来、出張など色々あって、夕食時に帰れない日が数日ありました。今日、晩ご飯に間に合うように帰宅すると、「あぁ、お父さん久しぶりだね」と言われてしまった。土日は一緒に夕食を食べたはずですけど。

くじけそうになりながらも、十数年来続いている、夕食時に家に帰る習慣。家族と過ごす時間が、私にとってとても大切なものだと言うこと。私が、そうすることが好きだから続いているのだと思います。


153ヨウカラ誕生日メモ

  • 管理人
  • 2005年11月1日

10月の晦日は、次女、ヨウカラの誕生日です。満10歳になりました。当日は平日(月曜)でしたので、前日になりますが、日曜日にケーキを切りました。

誕生プレゼントはその前の週に買い物に出かけました。「何が良い?」と尋ねると、「分からない」という返事。エリポンは、今から「タマゴッチが欲しい。」と、宣言しているのに比べて、現実主義者のヨウカラは、自分があれこれ選ぶより、トウサンに選んでもらう方が何か素敵なものを見つけてくれると考えたようです。昨年は、誕生プレゼントを選びに東急ハンズに出かけたのですが、あれこれ悩んで決められず、トウサンが勝手に水彩クレヨンとスケッチブックを選んであげたら、ヨウカラは随分気に入り、この一年あちこちに持って歩いて絵を描きました。

今回は、西宮のフレンテ内の文房具店に出かけて、やっぱりヨウカラは色々悩んで、自分で素敵な表紙のスケッチブックを選んで、トウサンが18色の透明水彩絵の具セットを選んであげましたところ、満足したようです。家に帰って早速試し描きをしました。

日曜日は、お友達と六甲山にハイキング。ヨウカラはナミンチ、トウサンと、六甲最高峰まで登りました。疲れた、しんどい、と文句を言いながら、みんなから少し遅れて歩くのが彼女のスタイル。目標を与えられると、黙々と取り組むナミンチとは、これまた対照的。それでも、無事に山頂まで登り切り、楽しそうにひと休み。下山した頃には辺りは暗くなっていました。家に戻って、車で出直し、ケーキを受け取りにアビルテへ。今回は、メロンの載ったチョコレートケーキです。そのまま約束通りにサイゼリアで誕生日のご馳走。ヨウカラの大好物のメニューはペペロンチーノスパゲッティ。普段は、みんなで取り分けるのですが、誕生日の主役は自分1人で食べて良いことになっています。親としては安上がりで有り難い。お腹が一杯になって家に戻り、お風呂を済ませてからケーキを切りました。

そして、最後のプレゼントは、トウサンと一緒に寝ること。誕生日当日の月曜日、みんなから「おめでとう」と言ってもらって、自分は両親に感謝の言葉を言ったヨウカラ。トウサンは普段より早く帰宅して、ヨウカラの横で布団に入りました。日頃トウサンの横に寝ることを強硬に主張するエリポンも、この日だけはトウサンの横をヨウカラに譲りました。

最後に、お祖父ちゃんからお祝いのメール。満10才の誕生日はとても大事な誕生日なのだよ。健康に気をつけ、けがをしないように、事故にあわないように祈っているよ。

私達も祈っています。益々元気に、姉弟仲良く。毎日を楽しんで下さい。


152ナミンチの弱点は髪型

  • 管理人
  • 2005年10月20日

私は、子供たちの髪型について口を出します。風呂で髪を洗ったり、櫛で梳かしたり、毎朝括ったりするのは親の役目です。休日の朝は私が子供たちの髪を括ります。自分で手入れできるようになるまで、髪の長さは親が口を出す権限があるというのが、我が家の考え方です。ナミンチはそこそこ自分で何とかするようになって来ましたが、活動的で手間の掛からない恰好が良い、という私の考え方を理解して居るのだと思います。彼女は普段着にスカートを穿きません。

ナミンチが髪を伸ばそうとしています。ナミンチは髪の毛が太くて多い上に、ストレートで、トウサンに似ています。少々気の毒に思うのですが、トウサンが子供の頃も(そして今でも)髪はまっすぐで、中途半端に伸びるといわゆる坊ちゃん刈りになるのです。ナミンチは、左右に分けて括ると子供っぽくなるし、ポニーテールにするには長さが足りない。今までに何度か男の子と見間違えられたのが、髪型のせいかもしれないと思っているようです。

後ろでくくれる長さになるまで。大変な苦労と思います。伸びたら伸びたで、髪の毛が多いナミンチはやはり大変だろうと思いますが。前髪が顔に掛かって見苦しくなってきたので、先日からヘアバンドをするようになりました。なんだか変なヘアバンドの使い方と思っていたら、生え際にヘアバンドを被せていたのです。生え際(ここではうなじのことですが)がトウサンに似ているといわれて、おでこの生え際のことと勘違いして隠していたのだそうです。誤解は解けましたので、明日からは、さっぱりとおでこを出して、少しはマシになると思います。ナミンチはなかなか形の良いおでこなのです。

眉毛やら、髪質やら、生え際やら、ナミンチは色々とトウサンに似ているといわれることが多いのです。自分でも似ていると自覚しているようで、髪型よりも、そちらの方を気にしていたのかもしれません。


151コの字で寝る

  • 管理人
  • 2005年10月13日

寝室は二つに分けて、トウサンはお姉ちゃんたち三人と、カアサンはタンタンと寝るのが我が家のフォーマット。

トウサンは週末はなるべく子供たちと一緒に床につくようにしています。添い寝すると、大抵一緒に寝てしまい、一時間か二時間後に起き出して、カアサンの入れるハーブティーを飲むというのが、最近のパターン。目が覚めずにそのまま寝てしまうことも、ままありますが。

床につくときは、子供たち4人揃っています。カアサンが寝るときに、タンタンを別室に運びます。添い寝をする週末は、誰がトウサンの隣で寝るかが、子供たちにとっては大問題。とにかく、エリポンは、夕食時から、「今日は仕事に行かないの?」と、確認して、一緒に寝てもらえると思うと、「パパ、一緒にねよう。」と、予約。エリポンはトウサンの隣を独占しようとします。

しかし、トウサンの隣は右と左2人分あります。ナミンチは、エリポンと争っても勝ち目がないと、あきらめの境地。ヨウカラは、「いつもエリばかりでずるい!」と、今週こそは自分の順番だ、と、主張して、エリポンとやり合います。もめなくても、トウサンの隣は二カ所あるはずなのですが、エリポンは、わざわざヨウカラとトウサンの間に割り込もうとします。タンタンはトウサンの横には、まるで興味がなかったのですが、最近は、「今日はオトウハンとねる」と、このもめ事に自分も加わろうとします。大抵は、トウサンが仲裁に入って、まずエリポンとヨウカラの間でトウサンが横になって、ヨウカラとトウサンの間にタンタンが割り込む、というのが一般的です。トウサンのまわりはぎゅうぎゅう詰め。ナミンチはこの争いに加わらず、ひとりで広いスペースを確保。

まぁ、いくらそのフォーマットでねたところで、我が家の子供たちは寝相が悪いので、深夜、二度目に床につくときには、誰かが横になって上にはみ出している(コの字)か、ひとりが逆さまになっている(Nの字)ル、H、三、など、バリエーションは様々。ひとり、ないし、ふたりを、よっこらしょ、と動かして、自分の場所を確保してから寝ます。結局、誰と寝るかは、様々な偶然に左右されるわけです。


150音を怖がるエリポン

  • 管理人
  • 2005年10月11日

エリポンは大きな音が苦手です。阪急夙川駅に向かう途中、JR神戸線の鉄橋の下をくぐるのですが、頭の上を電車が通る音が怖いのです。自転車を押しながら、あたまを下げて、両腕で耳を押さえながら必死で走ります。

運動会でも、スタートの合図の鉄砲の音が怖いのです。スタートラインで耳をふさいでいます。当然スタートに出遅れます。綱引きの時も、綱に手を掛けていますが、あたまを下げて両腕で耳を塞いでいます。玉入れの時は、開始の合図の鉄砲の後、終了の合図があるわけで、ずっと耳を塞ぎながら、球を投げていました。リレーの時は、鉄砲の合図と関係ないので、安心して走っていました。実は、まぁまぁ速く走れるのです。


149運動会メモ

  • 管理人
  • 2005年10月3日

先週末、小学校の運動会がありました。我が家は、ナミンチが6年生で小学校最後の運動会。特別な一日となりました。

カアサンは5時に起きて弁当作り。トウサンは場所取り。じいちゃん、ばあちゃんもお弁当のおかずを用意してくれました。

開会式に引き続き、全校で体操があります。その後は、一学年ごとに、リレー、全体の競技(二学年ずつ合同)、ダンスと、三種目ずつ。長女、次女、三女が6年、4年、2年と、見事に分散していますので、我が家には大変忙しい一日となりました。

ナミンチは、低学年の世話役に加えて、開会式の鼓笛隊で小太鼓を担当。その練習で、毎朝早出練習がありました。リレーは一周走る人と半周の人が居るのがなぜか分かりませんが、ナミンチは半周。5,6年合同の騎馬戦では、前で支える役。押し合いへし合いで苦労していましたが、団体戦では結構活躍しました。勝ち抜き戦では赤組一番手。組み体操では自宅で逆立ちなど練習していました。ピラミッドでは一番上に乗ったのですが、登ろうとしたときにバランスを崩し、観衆がざわつきましたが、踏みとどまりました。

ヨウカラは、リレー半周、綱引き、ダンスに出場。エリポンは、折り返しリレーと玉入れ、ダンス。エリポンは合図の鉄砲の音が怖くて、耳をふさぎながら球を投げていました。

じいちゃん、ばあちゃん、キミおばさんに従妹のカチュが応援に来てくれました。タンタンは、リレーを夢中になって応援。

父兄競技は、大玉運び。トウサンが白組、カアサンは赤組に分かれて参加。校長が金ぴかの着物にカツラを被って登場。

熱戦となりましたが、エリポンの白組がナミンチ・ヨウカラの赤組を下して優勝。

練習期間中、運動会は、姉妹たちの共通の話題となり、毎日そのことで大変盛り上がっていました。特に、エリポンは練習期間中から大変盛り上がっていました。最後の運動会となったナミンチは、優勝できずがっかりしていましたが、勝負事ですから仕方ありません。

あらかじめ、学級通信で、ダンスやリレーの時の配置が案内されていましたので、トウサンはプリントを片手に、写真撮影に駆け回りました。とりあえず、こんな感じ。天気はまぁまぁで日に灼けました。