我が家の日常と、育児に関する社会の動きなどをフォローしてゆくつもりです。
エリポンは入学以来2ヶ月あまりが経過。そろそろ、それらしいお勉強が始まっています。
まずはひらかなの練習。これはこくご。一通り、ひらかなは読めますし、そこそこ書いていましたが、いくつかの文字は裏文字になるし、書き順は無茶苦茶。だいたい、鉛筆もお箸もグーで持っていましたから、書き順も何もない気がしますが。
書き取りの練習、毎日カアサンが付き合って、随分上手になりました。裏文字はかなり減りました。
一方、さんすうの宿題やプリントを持って帰ってくるんだけれど、いきなり難しいことをやっているので、びっくり。足し算と引き算の組み合わせ。二つの数字を合わせていくつ?二つに分けると片方はいくつになる?前者は足し算、後者は引き算。だいたい、数字と数の関係を理解していないと思う。エリポンにとって、数字は順番を表すもの。5を見せて、鉛筆を5本、というのが理解できていないらしい。つまり、数字の差し引きはとうてい不可能。まずは、「数字」という文字と、ものの数(かず)の関係をきちんと分かってもらおうと思う。
出来ると、本当に嬉しそう。なかなか行く手は険しそうだが、こっちもがんばる積もり。とことん付き合う覚悟。
ところで、さんすうのノート(横長、マス目)は、1ページに数字の練習がしてあって、2ページ分、マルが書き並べてあるだけ。プリント使っているからなのかな?
週末、小学校の授業参観に出かけてきました。長女5年、次女3年、三女1年です。一応念のため。
小学生たちは日曜日ながら通常通りの時間に登校。1時間目は普段通りに授業を受け、二時間目、三時間目が参観。二時間目の休み時間は15分休みです。案内のプリントを手に、カアサンと戦略を練ります。エリポンの様子はなるべく念入りに見たいと思います。お姉ちゃんたちも、どういう勉強をしているのか、クラスの雰囲気はどうか見たいと思います。二人で手分けするのですが、タンタン対策も何とかしなくてはなりません。
一応、二手に分かれ、私が三女から順に。30分ずつ。カアサンは、長女から順に30分ずつ。最後の5分間をエリポンの教室で落ち合うことにしました。
時間 | エリポン | ヨウカラ | ナミンチ |
---|---|---|---|
2時間目 | 音楽 | 算数 | 算数 |
15分休み | |||
3時間目 | 国語 | 体育 | 社会 |
念のため、もう一つ表を用意します。
時間 | トウサン | タンタン | カアサン |
---|---|---|---|
2時間目前半 | エリポン音楽 | ナミンチの算数 | |
2時間目後半 | ヨウカラ算数 | エリポン音楽 | |
15分休み | エリポンと校庭 | タンタンの相手 | |
3時間目前半 | ヨウカラ体育 | エリポンこくご | |
3時間目後半 | ナミンチ社会 | ヨウカラ体育 | |
3時間目最後 | エリポンこくご |
5分ほど前に1年生の教室の前に行くと、教室内はがらんとしていました。エリポンがやって来て、まとわりつきます。一緒に教室に入りました。どうも、始業時間が厳密ではないのが気になります。クラスメートが教室に入って、授業が始まったのは、始業から5分以上過ぎていました。
音楽はエリポンにとって、多分、得意科目のはずです。音楽教室に通っていましたから、楽譜やリズムやメロディには慣れています。大きな声で歌を歌うのですが、おちゃらか、と、ぶんぶんぶん。オチャラカは、手遊び付きでやらなくてはなりません。誰か相手を探して、二人で組になって、というのもエリポンには苦手なところ。担任がちょっとだけ助けてくれて、無事に二人組になりましたが、オチャラカは手遊びにじゃんけんの組み合わせ。エリポンはなかなかついて行けない部分がありました。その間、カアサンはタンタンを連れて、ナミンチの算数を参観。図形を組み合わせて、別の形を作るというような授業。タンタンが教室内を走り回ったとのこと。
続いて、トウサンはヨウカラの算数。グループ単位で、アイスクリームカップとペットボトルを使って、水のかさを量る授業。なかなか面白い内容でした。
15分休みにヨウカラ立ちは体操着に着替え。その間エリポンと校庭へ。エリポンが自分から、鉄棒の逆上がりを練習しましたので、少し手伝いました。ナミンチが友達とドッジボールをしていました。
三時間目。体育館でヨウカラの体育。この時点で、カアサンからタンタンを受け取りました。今にも走り回りそうなタンタンを押さえつけていましたので、余り体育をじっくり見た覚えがありません。カアサンによると、後半は跳び箱だったそうです。
タンタンを連れて、5年生の教室へ。ナミンチが社会の授業を受けていました。黒板に貼り付けてある白地図に、色々の食べ物の産地を貼り付けていく。スーパーマーケットの商品の生産地表示を調べてくる課題が出ていたようです。ナミンチの答えは、えのき:長野県。色々出てきて面白かった。
タンタンがねらっています。押さえつけると暴れる。ゆるめると逃げる。結局、一瞬の隙を逃げられ、教室の中を走って、ナミンチのもとへ。クラスメートが騒ぎました。トウサンが追いかけて押さえつけ、連れ戻しましたが、結局教室を出て、廊下から参観する羽目に。
忙しかったが、何とか見届けることが出来ました。父兄の一部が少々お行儀が悪いのと、始業に遅れてくる子供たちが気になりました。
風邪から来る喉頭炎で、二日ほど声が出なくなりました。子供たちが大騒ぎしている中で、黙り込んでいるトウサン。こんなことで父親がつとまるのでしょうか?
私は一日に何回、子供たちの名前を呼んでいるのでしょう。何回「止めんかぁ!」と、叫んでいるのでしょう。声が出なくなりましたので、怒鳴ることも、叱ることも出来ません。
意外にも、声が出ないせいで、子供たちが静かにしてくれました。トウサンの口の動き、手の動きを見て、意図を汲み取ってくれようとしました。
叫ぶばかりが能ではない。と思った反面、その態度を貫くことの難しさも、声が出るようになった今、感じています。
先日、古くからの友人の送別会があり、その当時お世話になった先輩や、元同僚と懐かしいひとときを過ごした。私自身は喉をやられて、余りしゃべれなかったのが残念。
お会いした数人から、ホームページ(おやこニュース)を見ているよ、と、云われた。年賀状などで、アドレスをお知らせしていたせいだろうと思う。そして、先輩から、「よう遊んでいるやないか」と、云われた。だからどうということはないのだけれど、サイト開設以来、そろそろ4年、その蓄積だと云うことで。
それから、いかに家族との時間を過ごすか、ということが、私にとって大変重要なことで、それは、仕事を機嫌良く続けるためにも、まず家族の和があってこそ、と思っているから。
というわけです。何か、言い訳がましいですか?
半年に一度、通院している小児科、発達外来に行ってきました。実は、半年前に取った予約をすっぽかしてしまい、取り直してもらって診察に行ったら、実は一日ずれていたといわれ、大変ご迷惑をおかけしました。
主治医が、エリポンに色々な質問をして、エリポンがそれに答えてゆきます。なかなか難しそうな質問もあり、どうしてそんなことを答えられないのかなぁ、と、がっくり来るようなやりとりもあり。やきもきしながら聞く反面、娘の確実な成長も感じて、嬉しく思ったり。
取り敢えずは順調ということで、次の予約は一月。
病院の前にグミの木があって、鈴なりの実を、タンタンとエリポンが二人で頬張っていました。
たまたま、5時頃、いつもより一時間早く家に帰り着いた。少々忙しい日だったので、早めに子供たちを風呂に入れ、いつもより一時間早く職場に戻ろうと思っていた。
帰ったら、妻は晩ご飯の準備の真っ最中。長女と次女は絵画教室に出かけていた。長男はブロックで遊んでいて、三女が小学校の宿題に取り組んでいた。宿題はひらかな「ね」「と」のプリントに、かなを書き取る練習。それに付き合うことになった。20ほどのマス目をひらかなで埋めていくのだが、時間が掛かる。はねて、止めて、折り返して、正しい書き順で書かなくてはならない。一生懸命やっているのだが、おかしな時は消しゴムで消して書き直し。そうこうしているうちに、絵画教室が終わる時間になり、車で迎えに行った。普段は自転車だが、その日は雨が降っていた。
車庫から車を出していると、妻が長男を連れて追いかけてきた。連れて行って欲しいという。
長女と次女を拾い、帰ろうとすると、明日の遠足のお菓子を買うという。駄菓子屋の前に車を停め、買い物が始まった。次女はたかだか100円ほどのお菓子を買うのに、狭い店の中をカゴをもって往ったり来たり。20分ほどかかって、ようやく決めて、嬉しそうに店を出ようとしたら、長男が自分も買いたいと、カゴをつかんで放そうとしない。夕食の時間が押していたから、無理矢理カゴを引き離し、車に押し込むと大泣きし始め、チャイルドシートから抜け出そうとする。長女は気に入ったものがなかったから、帰り道のコンビニに寄るという。一カ所で済ませたかったのだが、やむを得ない。
家の近くのコンビニに寄ったが、車を停められない。長女を置いて、一人で帰ってくるように言ったら、長男がついて行くと云いだした。長女一人で長男の面倒まで見るのは無理だろうと思い、長女だけ下ろして家に帰ったのだが、車の中で、長男は、「つばめを見たかった」と、また大泣き。コンビニの軒先に、つばめの巣があり、長男のお気に入りの場所なのだ。車庫から自宅に戻る間もずっと泣き続けて、結局妻が長男をコンビニまで連れて行くことになった。直に長女が戻り、姉妹たちと私で夕食を取り始めた。しばらくして、機嫌の良くなった長男と妻が戻ってきた。夕食が終わり、風呂に入って仕事に戻ろうと思ったら、既にいつもの時間となっていた。
子供たちに付き合っている間に、貴重な一時間は幻のように過ぎ去った。妻は毎日一人でこの相手をしているのだ。たかが一時間であるけれど、育児の苦労と、家族と過ごす時間の大切さを思いつつ職場に戻った。
子供たちが、いろいろなものを作ります。折り紙に鋏、糊、色鉛筆、クレヨン。そして、忘れてはならないものがセロテープです。
セロテープというのは、二つのものをつなぎ合わせるのになかなか優れた道具です。糊に較べると、乾かす時間が要りません。手が汚れません。相手を選びません。一方、のり付けはのりしろが必要ですから、計画性が要りますが、セロテープはとにかく貼り付けるだけなので、何となく、安直な感じがします。
エリポンは以前より、セロテープが好きで、何でもかんでもセロテープで貼り付けていたのです。ちょっと前には、紙をセロテープで貼り合わせたドレスを着たりしていたのです。無茶苦茶に貼り付けられると、何となくセロテープを無駄にしているようで、もったいない気分でいたのですが、、、
この頃、エリポンはセロテープアートに目覚めたようです。折り紙とセロテープで、びっくりするような作品を作り上げます。セロテープアーティスト、エリポンの誕生。この調子で腕を磨いていけば、そのうちに、「誰でもピカソ」に出られるかも知れません。
見事な作品を眺めるに付け、子供の直感を形にする、セロテープの偉大さを思い知らされます。
私が子供の頃、喜んでいたのりたま(丸美屋)は、今でも食卓に並ぶ。
長女が産まれた頃、私たちは食事に随分気を遣っていた。今でも気を使っている積もりだが、当時は親二人が、子供一人にかかり切りになれた。
常に薄味で、たっぷり時間を掛け、子供の食事に付き合うことが出来た。今は、とてもでないが、そうは行かない。効率重視。とにかく、食べてもらいたい。食事は次第に味付けが濃くなり、子供が喜ぶサイドメニューが取り入れられ、いつしか、おかずを残してもふりかけご飯を平らげて、お代わりにお茶漬け。これは宜しくない。おかずを味わい、ご飯をいただく。習慣の問題だ。ふりかけを食べるために、ご飯を食べている子も二人いる。
妻と協議の末、先週から、夕食の食卓のふりかけを追放することになった。少ないおかずで、ご飯をおいしく食べることは、子供たちが身につけるべき重要なテクニックである。納豆は毎日出るし、おかずだって決して少ないわけではない。
妻が子供たちに、晩ご飯にふりかけは無し、と宣言したのだが、子供たちの反応は意外と冷静だった。初日は特に混乱無し。
エリポンが、納豆をご飯にてんこ盛りにした程度。
ハンバーグというおかずも、子供たちにとって好ましいものだったのかもしれない。
食習慣の問題。軽視してはいけない。今まで許していたのは、とりあえず食事時間に親の負担を減らすためだ。子供たちは成長し、提案を受け入れる能力を身につけつつある。
4人目、長男が幼稚園に通い出しました。3女が通った幼稚園に、入れ替わりで、年少から入園させました。
入園式は4回目です。今回、初めてトウサンが仕事の都合で、式に出られませんでした。少し遅れて幼稚園に着くと、式は終わり、説明やら、記念写真の撮影やら。式自体は15分ほどで終わったそうです。
多分、これが最後の入園式になるはずですが、何が違うと行って、弟、妹を連れて行く必要がなかったことです。今まで、弟、妹をどうするか、が、常に悩みのタネでした。今回は、その悩みのタネが、入園式の主役というわけです。大丈夫だろうか、と、心配していたのが嘘のように、元気に走り回ったタンタンの様子は、4月12日付のダイアリで紹介しています。
図書館を積極的に利用することはとても重要です。本との出会いは、様々な人生を経験するのに近い効果があります。
西宮市には、立派な図書館があります。我が家は幸いなことに、図書館から歩いて10分以内の場所にあり、積極的に活用しています。貸し出し券一枚につき、6冊を二週間、借りることが出来ます。今のところ、4枚の貸し出し券を発行してもらい、隔週で24冊ずつ借りています。
図書館に出かけるのは、大抵、日曜日です。24冊の本、それもほとんどが絵本ですので、相当な荷物になりますから、自転車に乗って出かけます。図書館に着くと、子供たちはビデオブースに直行。色々なビデオを借りて見ることが出来ます。タンタンがうろうろ歩き回って、他の閲覧者に迷惑を掛けることを考えると、ビデオブースに張りついてくれるのは親にとっては有り難いのです。最近の子供たちのお気に入りは、「トムとジェリーキッズ」です。
その間に、トウサン、カアサン、そしてナミンチは、書棚を探しまわり、今週の24冊を選びます。主には絵本の棚から取りますが、ナミンチはこの頃、伝記や歴史ものに興味があるようです。漫画の単行本も、いくらかあり、手塚さんの本を数冊選びます。そろそろ帰ろう、と、子供たちに声を掛け、ヨウカラ、エリポン、タンタンも自分たちのお気に入りの本を持ってきます。数を数えて、かっきり24冊集めて、図書館をあとにします。
図書館に通う夙川沿いの道を散策するのも楽しみのひとつです。借りてきた本は、主に寝る前に読み聞かせています。
折り紙の本が我が家に二冊あります。次女、ヨウカラが、特に熱心に取り組んでいます。本には、かなり高度な作品が並んでいて、挑戦のしがいがあります。本を見ながら新しい折り方をマスターするには、手先の器用さもある程度必要ですが、計画性と、理解力が求められます。手順を踏んで、正確な折り目を付けていかなくてはなりません。折り紙で作った色々な形をため込んで、それらを並べて、ジオラマ風に仕上げ、デジカメで画像に残し、お話を作って楽しんでいます。
折り方を尋ねられるのですが、かなり手強いです。本と首っ引きでやるのですが、なかなか正解にたどり着きません。一緒にやっていると、こちらも熱中してしまいます。おやこで楽しむにはもってこいです。工夫できる遊び道具として、なかなかの優れものです。折り紙は大きな束でまとめ買いしてあります。エリポンは、折るよりも、切り絵やセロテープで工作風に遊ぶ方が好きのようです。
いよいよ、エリポンが小学校へ入学しました。とりあえず、二日間通いましたが、朝はお姉ちゃんやそのお友達と、集団で登校。機嫌良く出かけています。
帰りは当面集団で下校することになっています。ところが、初日は一人で帰ってきました。同じ方面に数名の1年生が居るのですが、学年単位ではなく、クラス単位の下校となったらしい。1年生は、まだ知らないものどうしだし、判断が付かず。途中で離ればなれになるらしい。ちょっと拙いんではないか。せめて、終業時間を学年で合わせて、1年生全体で下校するようにした方が良いのではないかと思う。
今日は、同じアパートに住むクラスメートを誘って、一緒に帰ってきなさい、と、アドバイス。姉たちに、段取りを付けるように頼んでいたら、エリポンが自分で、その子に話しかけて、一緒に帰ってきました。やれば出来るねぇ、と、ちょっと嬉しい気分。なにより、機嫌良く帰ってきたのが嬉しかった。
何か、楽しいことしたの?と、尋ねても、何となく要領を得ない返事なのだけど。今日は、自己紹介を練習したらしく、晩ご飯の時にそのようなことを口走っていました。
ところで、公園の角の交差点だけど、登下校時間だけでも、押しボタン式のスクランブルに出来ないものか。
公園の遊具に関する危険性は、既に、箱形ブランコやシーソーなど、様々な指摘がおこなわれていたにもかかわらず、事故が繰り返されたことは痛ましい限り。子供は危険を予知する能力が大人に較べて相当劣っている。大人に理解できる警告のほとんどは、子供たちに対して無意味である。回転扉について、私は、何となく危険なものという認識があった。事故に先立って、置かれた柵は、危険回避と云うより、むしろ、そこが危険であることの警告としての意味しか持たなかった。子供にはそれが理解できない。
私の記憶が正しければ、その柵は、銀行のキャッシュコーナーや、飛行場のカウンターの前に設置されて、行列を仕分ける目的でしばしば使われる、ポールの間に帯を通すタイプの簡易式のものだったと思う。柵は様々な目的に使われ、今回のケースでは命綱であったのだが、小児の侵入を防ぐ目的には全く不完全なものだった。フロアにボルトで固定し、隙間から入り込めない様な柵を設けていれば、事故は防げたかもしれない。
隙間に駆け込むことについて言及したい。子供の行動は親の都合に支配されることが多い。幼稚園の通園路を歩いていて思う。子供の手を引っ張っている親のなんと多いことか。「もたもたしない!」「早くしなさい!」と、叱りつけながら、幼稚園へ急ぐ親たちは、横断歩道の信号を、余り守ろうとはしない。私が子供の頃に、信号の見方を習ったとき、「右を見て、左を見て、もう一度右を見てから、渡りましょう。」「信号は一旦待って、青になったら渡りましょう。」と、教わった覚えがある。「一旦待って、青になったら、、」という意味が、その頃には分かっていなかったと思う。
交差点を遠目に見て、どうせ間に合わないから、あわてても仕方がない、次の青信号で渡ろう、と、私は子供たちに教えているが、横断者用信号機点滅で交差点に駆け込む親たちの片手には、子供が引きずられている。自転車の補助席に子供を乗せた親は、平気で黄色信号で交差点に突入する。(関西では特に交通信号を守らない傾向が強いらしい)一旦待ちなさい、と、習慣づけることは親の責任だろう。
交差点の信号機のシステム自体がきわめて危険であることも指摘しておく。ことに、小学校の通学路では、子供が単独で渡ることになる。たとえ、歩行者用信号機を守っていたとしても、右折、左折の自動車が、横断歩道を横切る。特に、左側の歩道から横断歩道にはいるときが危険である。しつけ方としては、信号機を守ることは当然として、信号が青になったとき、必ず右後ろを確認することを習慣づける必要がある。通学路の交差点は、せめて、登下校の時間帯だけでも、全てスクランブル交差点にするべきだ。
エスカレーターの危険性についても指摘しておく。デパートなど人混みの中でエスカレーターに乗ることは、時に大変危険である。エスカレーターの降り口に十分なスペースを設ける必要があると思う。乳母車を開いたままでエスカレータを利用することは論外である。エスカレータに乗ったとき、目の前に乳母車を押している人がいたら、少なくとも三段分は間隔を空けておいた方が良い。
とにかく、子供を連れているときに人混みにはいるのは、十分な注意が必要。歩道橋の事故もそうして起きた。
回転扉で起きた死亡事故について。親に責任があると考える人が少なからずいるらしい。
この場合、親の責任とは、
と云うことなのか?
その場の危険を親が予知できたかどうか、そこがこの場合の親の責任と云うことだろう。何となく危ないと思っていながら、扉はそこにあった。扉は、人を通すためにある。通り方はともかく、事故にあった少年は、扉を通ろうとした。他の目的に使おうとしていたわけではない。扉に挟まれることは予想できても、よもや、人を挟んで引きずり、頭の骨を砕くことがあるとは、想像しがたい。そこまでの危険を予知することは困難だろう。
逆に、様々な人々が無防備のまま通過する場所に、そのような危険を放置する側に責任があると私は思う。
この事件の被害者の親がどう考えているかは知らないが、子供を失った親は子供を守ることが出来なかったことに対して、責任を感じるものではないか。
親の責任を問うには、回転式の自動扉がきわめて危険な装置である、と云う、コンセンサスが必要である。事件が起こった時点で、製造者、設置者に、その認識はあったと思う。
残念ながら、マスコミにはなかった。マスコミにその認識がないなら、親に装置に死亡事故に至る危険性を予知せよというのは、いささか難しい注文になると思う。
子供の手を繋ぐ、とか、目を届かせる、と云うことが、それほど簡単でないことも付け加えておく。