いろいろと事情があって、携帯電話を持たざるを得ない雰囲気になった。
事情は主に職場の業務に関することだ。春に職場が変わって職員連絡網を作ったときに、私だけ固定電話の番号で、連絡網の最後に載せてもらった。大体、連絡網が何の役に立つのか分からない。どなたかの携帯電話よりも、妻か子どもたちが留守番で出る我が家の固定電話の方が余程役に立つと思うが、私が携帯電話を持っていないことが業務に支障を来すらしい。オマケに、私の職場には公衆電話が一台もない。私用で電話を掛けるにも、職場の内線電話からゼロ発信を使わざるを得ない状況だ。また、外部に講習に出掛ける初心者達の引率をするにも、携帯電話は必須という解釈がされているらしい。必須の携帯電話を持っていない私の行動は身勝手で、業務に差し支えるらしい。余計なお世話と思う。不本意ながら、そういうことらしい。
そろそろ潮時ということで、携帯電話を手に入れることにした。折角なのでiPhoneにしようと思った。あちこちのウエブページにiPhoneの評判が出ている。携帯電話ユーザーが乗り換えると、いろいろと出来ないことがあるらしい。あれもこれもダメと報告されているが、その多くは今まで携帯電話を使っている人がiPhoneに乗り換えて感じる不自由について書かれている。おサイフケータイ機能とか、携帯サイトの閲覧のようなことは、私は元より縁のないことである。いろいろな評判記事を目にして、私はその記事の作者が気にしている「iPhoneに出来ないこと」がどれ程重要なことなのか理解できない。今や、携帯電話はあらゆる機能を呑み込んで肥大化している。携帯電話に精神的に依存している人を見かけることがある。一方で、日常生活の様々なイベントを携帯電話の機能に依存する危うさも感じる。要するに、携帯電話が壊れたり、無くしてしまったりしたときに、ただ電話がつながらなくなるだけで済まない。生活そのものが成り立たなくなる。私は、様々な情報機能を携帯電話に集中させることを望ましくないと思う。
業務で外に出て、同僚と待ち合わせしたり、連絡を取らねばならないケースがままある。私は携帯電話を持っていないから、それが使えない前提で行動し、計画を立てて連絡を取るための手段を用意するが、すでに携帯電話に依存する生活をしている人々にとって、ケータイネットワークから外れている人は、連絡を取りがたい極めて厄介な人ということになる。私が依存している人々の都合に合わせて行動することを強いられるいわれはない。ところが、もう世の中は携帯電話に依存するのが当然で、多勢に無勢。このように回りくどく説明していることさえ、携帯ネットワークの中の人に理解してもらうのが難しいことは容易に想像が付く。すでに、携帯ネットワークが生存に必須の水や酸素と同じようなものと捉えている人もいるようだ。念を押すが、私が携帯を持つのは自分の便利のためではなく、周囲に合わせるために持たざるを得ないからだ。携帯なんぞない方が幸せなことは多い。携帯があった方が良いこともあるが、そういった機会は私の日常ではそれほど多くない。それは、私が携帯電話に依存せずに生活しているからだ。この話を理解しがたいと感じる人は、私からすると、単に携帯電話に依存する生活を営んでいる気の毒のな人々、ということなのだ。私は今までに、何度か「携帯電話を持っていないなんて信じられない」とか「持っていないなんて可哀想」とか、「携帯無しで、どうやって生活するんですか」というようなことを真顔で言われたことがあって、その様なことを言う人が少なからず居ることを知っている。その様なことを言う人が、いろいろな意味で携帯電話ネットワークに依存してしまっていることを知っている。
私は、携帯電話に依存せずに生活してきたから、携帯電話を手に入れるに当たり、望む機能はコストの問題と電話が通じることと、面倒がないことだけである。別に、番号ポータビリティがどうだろうと構わないし、おサイフケータイ機能など興味がないし、携帯サイトも見たことがない。
iPhoneについて知りたいことは、従来の携帯に比べてどうか、ということではなく、電話が通じるのか。iPhoneそのものの携帯電話としての完成度とか、使いやすさ。ここで云う完成度というのは、一般の携帯電話(一般の携帯電話が何なのか、私には説明できないけれど、余計な機能がゴチャゴチャと付いているイメージ)にどれ程近づいているかという意味ではなく、純粋にiPhoneの携帯端末としての完成度ということ。
金曜の夕方、職場の同僚達との飲み会に誘われ、少し早めに三宮に出て、ソフトバンクのショップを探した。今や、繁華街にはコンビニよりも携帯電話ショップの方が多い。生まれて初めて入る携帯電話の店。アイホンありますか?と尋ねると、待ってましたと店員が奥から箱を持ってきた。
意外なことに、店員はいろいろな説明をしながら、決してアイホンを勧めようとしなかった。むしろ、止めた方がよいと聞こえるような表現で、アイホンを諦めさせようとしているようだった。私はアイホンには興味があったが、それ以外の携帯電話には全く興味がなかったし、それ以外の携帯電話にするなら、別にソフトバンクを選ぶ理由もない。アイホンがいかに特殊か、というコピーを見せてくれた。従来の携帯に置き換えられるものではない、というような話が書かれていた。携帯電話ショップの店員と話をするのは初めてだったが、客商売をする店員の中で、最も自由なファッションが許されている職種の一つだろう。
彼は料金制度について説明してくれたが、一般の携帯電話の料金を払ったことがない私には理解しがたいものであった。特に、バケット通信料、つうか、バケットというものが私には理解できない。従量課金となった場合、携帯の通信料は莫大なものになるということは分かった。「着うたフル」一曲で数千円。これは著作権料ではなく、データ通信にかかるコスト。馬鹿げている。これで数十万円の請求が来ることもあるという話をソフトバンクの販売員がしてくれた。それって良く耳にするような悪質な接続業者の話で無くって、何だか到底理解できない。宴会に間に合わなくてはならなくて、余りゆっくりと説明を聞く暇がなかった
話だったというのは、要するに急いでいたということ。それから、予めニュース等で予備知識があった。しかしながら、いざ料金制度の説明を受けると、理解しがたい金額が幾つか出てくる。まぁ、とにかく、毎月の使用料の上限は、9000円プラス電話料金程度、データ通信をほとんど使わなければ、それよりも三千円ほど安くなるというような話だった。
とりあえず、私はアイホンの所有者となり、宴会場に走った。