このページのもくじ

  1. レスポンスとしてのブックマーク
  2. 私の書き方
  3. 最小限のナビゲーション
  4. ウエブ進化論

体調はまぁまぁです。

レスポンスとしてのブックマーク

ソシアルブックマークサービスの価値について、今まで何度か言及した。大変な価値のあるものだと思う。ウエブをブラウジングする際には大きな助けとなる。一方で、ブックマークされる側、詰まり記事を書いてウエブ上に公開する側として、この仕組みは未だに不完全と感じる。

ブックマーカーの間では、その記事の作成者と一般読者のブックマーカーは同列の扱いである。大勢の読者が記事を読んでブックマークする。それぞれにタグを付けたり、コメントをしたりしてその記事を評価する。作者はブックマークのシステムの中で評価に応えるすべがない。せいぜい自分の記事を自分でブックマークして、自分なりのタグを付けたりコメントしたり出来るが、その行為はセルフブックマークと揶揄され、不調法とみなされることがある。

ブックマークコメントにいかに応えるか、私はその答えを見つけられずにいる。だから、私はブックマークコメントを見なかったことにしている。付けていただくのはありがたい。コメントは読んでいる。折角なのだから、ご自身のブログの中で記事にしてトラックバックしてくださればよいと思う。あるいは、記事のコメント欄や掲示板を利用してくださったらよいと思う。

ともかく、読者から受けるレスポンスは私に大きな刺激となる。不特定多数の読者の中で、ブックマーカーは特別な地位を占めてしまう。ブックマーカーはある興味の対象として私の書いた文章を読み、同じ興味を持つ人々にコメント・タグ付きのURI情報を伝える。一つのブックマークが数倍の読者を引っ張ってくる。アウトプットとレスポンスはウエブページを公開する醍醐味の一つだ。ブックマーカーを意識することで、この醍醐味を簡単に味わえる。結果として、ブックマーカーたちのレスポンスを探ることが、文書を公開することの目的の一部になりがちだ。これでは本末転倒である。

文書の作者自身が付けるコメントやタグは、ブックマークの中で特別な地位を占めるべきではないか。ずらりと並ぶブックマークの中で、一番目は必ずセルフブックマークとなるようなことは、はてなダイアリのエントリなら簡単に実現できそうである。例えば、誰かが私のダイアリのエントリをブックマークしたら、作者自身の付けたタグ(カテゴリをそのままタグとしたらよい)が一行目に表示されるような仕組み。ソーシャルブックマークサービスの中で、セルフブックマークは作者自身による意思表明として活用すべき有効な情報なのではないかと考える。

私の書き方

とある話題の論議に関わった。

その話題に興味を持つ人々が、私の記事をブックマークしてくれる。嬉しいのだが恐ろしい。私自身がブックマーカーに迎合してしまうような気がする。他にもいろいろな記事を書いているはずなのだが、ウエブの中でブックマークされた記事は目立つ。まるで、自分がその件に関するオーソリティになったような錯覚を憶える。それについて書くと、いくつかのブックマークが付く。彼らはその話題以外には余り興味がないようだ。

私は文書を公開する上で、特定の読者を想定したくない。しかし、いつの間にか、なじみのブックマーカーのネットワークのようなものを意識している自分の立場に愕然とする。特定の読者とは、読んで何かレスポンスをくれる人々だ。その最も安直なものはブックマークで、その次はブックマークコメントだ。

特定多数を対象に記事を書くと、内容が縛られる。迎合する。書く前から内容が決まってしまう。硬直化する。たとえ、特定の誰かに対して書いている記事であったとしても、読んでくれるであろう不特定の誰かに対して書くという姿勢は堅持したいと思う。サイレントマジョリティということばを忘れてはいけない。

他にも、いくつか自分の中のルールはある。主語は「私」。適切なマークアップをおこなう。削除しない、などなど。

最小限のナビゲーション

何が必要か考える。とあるリンクを辿り、見知らぬウエブサイトを初めて、偶然に訪れたとき、どのような行動を取るかを夢想しつつ、必要かつ十分なナビゲーションとは何かを考える。

ウインドウの左上隅は特別な場所と心得る。ウインドウが開いたときに、間違いなく目に入る場所だ。そこにどういった情報が必要か。

見出し記事(コンテンツ)、これは必須だ。読んで、あるいは、見て貰うことが目的なのだから。テキストに限らず、画像であってもよいわけだが、まず、興味を持って貰いたいコンテンツを一番よい場所に置く。一目見て、下らないガッカリ、と判断した場合は、あっという間にウインドウクローズだろう。おぉっと、これは、、、と思わせたら、閲覧者は次の行動に移る。直ちに読み始めるかも知れない。私はしばしば、コンテンツの中身より、「誰が何時、何の目的で}という情報を得ることを優先させる。ただ面白そうな、しかし当てにならない情報を読んでいるほど暇ではない。人により、場合により、優先順位は逆転するかも知れないが、更新日時と作者に関する情報は必須だ。これらによって、情報の鮮度と確実性、そして情報発信の目的を伝える。閲覧者は既に読む気になっているから、これらは左上隅にある必要はない。てっぺんか最後など、わかりやすい場所がよいだろう。閲覧者が見つけやすい場所にあればよい。作者に関する情報は、簡単なハンドルネームやidを表示させておいてアンカーとして、詳細な自己紹介のページにジャンプさせてもよいだろう。

実際に記事を読んで貰って、初めてサイト内のナビゲーションが意味をなす。閲覧者がそのほかの興味深い記事を効率的に探せるようなリンクがあった方がよいだろう。話題で括ったもくじか。または日付単位でまとめているなら、時系列で並べたもくじなどだ。ブログにありがちな、「最近の」コメントやらトラックバックの「一覧」などをこれらのリンクと同列に扱う必要はないと思う。少なくとも、一覧として並べる意味は、「私のページはこんなに賑わっています」という作者の自己顕示だろう。実際にコメント・トラックバックがあったページに一覧を表示させるのは妥当と思うけれど。

アクセス履歴被ブックマーク数の表示は、一種のプロパガンダとしては成り立つのだろうな。いちいち読むのが面倒な人は、そういう数字を見て、サイトの信頼性や記事のもつ価値の指標にするのかも知れない。みんな忙しいから、とりあえず読む暇がない人たちは情報を選別するために有用な情報と感じるのかも知れない。

ブログなどで、とうてい読めないような豆文字でアンカーのリストをズラリと並べて三段カラム表示にするようなのは、自分の著書やそのほかの宣伝をしたい著名人プロブロガーの悪い癖で、私は真似しない。

大切なのは、とにかくコンテンツに興味を持って貰うことだ。そのために必要な何かを、見やすい場所に並べたらよい。

ウエブ進化論

今さらという気もするが、偶々目に付いたので、購入して読んだ。

「ウエブ進化論」梅田望夫著、筑摩書房、ISBN4-480-06285-8。2006年2月。

興味深く読んだが、途中からつまみ読みになってしまった。今現在、自分が抱えている問題で身につまされた部分。グーグルの組織マーネージメント(78ページ)のあたり。

電子メールとは、情報の送り手が受け手を選ぶ仕組みである。つまり、情報の隠蔽を基本とする従来型組織を支援する情報システムである。

私は、新しい組織を立ち上げるために、いろいろな準備を手伝っているところだ。その中で、仕事の連絡をメールでやりとりして、大変な不自由を強いられている。ほとんど私には関係ないようなやりとりまでCCやら一斉送信で回ってくる。通信文は引用が繰り返されて、いたずらに長くなる。メールが手軽であるために、みんなメールに頼り、ほとんど無意味なトラフィックが級数的に増加する。これは下らない。

他にもいくつか。はてなの話も興味深かったが、私は以前よりはてながやろうとしていることをうすうす感づいていた。

自分ではなかなか鋭い考察をしていると思うのだが、既出ですか。

向こう側とこちら側、というくくり方とか、グーグルには自製の何十万台ものサーバーがあるとか、そういう話は驚いたな。あと、例えばiTunesStoreなんぞが一般的になれば、CDをプレスして運んで陳列するというコストが全くかからなくなる。つまり、レコード会社という縛りが無くなるなぁと思っていた。チープ革命というらしい。既にパワーを持っている人たちは、知らん振りをしているけれども、革命で恩恵を被る圧倒的多数のパワーはきっと世の中を変えるだろうな。

とりあえずは、定時のテレビ放送が無くなるだろう

アップルのOSのアップグレードは無料になるだろう。ドットマックの料金を払えば、OSのアップグレードは無料、っつうか、両方(OSとドットマック)のお布施を集めるなんぞ全く図々しいにもほどがある。それから、iPodも厳しい競争に晒されることになるだろうな。私はアップルびいきだけれど、自分の音楽を聴く手段を縛られるのは嫌だ。このままiTunesStore/iPodが肥大化すると、自分の音楽ライブラリが完全にアップル社に依存して、アップルこけると音楽全体が沈没することになりかねない。これは拙いからね。


もう春、すぐそこ。