年末に書き殴ったものをまとめてみる。
リンクは自由と、私は自分のページのリンクポリシーに書いている訳です。
自由というのは、私のページへのリンクは自由にして下さいという意味であると同時に、したくなければしなくても良いという意味でもあります。このページから、いくつものリンクアンカーが設定されているのですが、そのジャンプ先は、同じページ内のどこかであったり、同じサイト内のどこかであったり、あるいは私とは直接には何も関係のない誰かのブログやウエブページであったりするわけです。また、誰かが私のページの何かを読んで、そこにリンクしてくれることもあります。
私のページが誰か別のひとが管理するページからリンクアンカーのジャンプ先に指定されるケース。いわゆる「被リンク」ですが、これはアクセスログのリファラに残っているために、私は知ることが出来るので。アクセス解析をしていないと、それに気がつくには手間が掛かります。(たまに、自分のサイト名などで検索すると見つけられることがあります。)
その中で圧倒的に多いのは、グーグルなどの検索結果の一覧に私のページが並ぶケース。検索結果からの直接リンクです。かつて、頓珍漢な検索に心苦しく思って、ページ構成を工夫、というか、ページを細かく分割するということをやったのです。私なりの努力がいくらか実を結び、リファラから判断する限り意味不明の検索結果からリンクされる率はかなり減ったと思う。うちのページが検索に掛かりにくくなっただけかもしれないけれど。
さて、手強いのはリンク集の類で、自動巡回ロボットが勝手に私のページを何かのリンク集に加えたり、あるいは誰かが(手段としてはグーグルなどの検索を使うと思うのだけれど)私のページをピックアップしてリンク集を作る。まぁ、別に自由ですので、まずは良く読んで、リンクさせる価値があると思ったらリンクすると良いですね。
それから、いろいろな人力検索の類から、たまにリンクされることがある。ある人が何か質問を提示する。すると、比較的に暇な面倒見の良いひとが、検索して出てきた結果を質問者に教えると、質問者からお礼の言葉とはてなポイントなるものがプレゼントされる。回答者が必ずしもその分野のエキスパートでないのは明白で、何か非常に意味のないリンク集を作っているのではないかと感じることがある。代表的なものははてなだが、それ以外にも、こういったサービスはいくつかあるようで、まぁ、例を示しておきます。
こんな調子で私のページにリンクさせて、ポイントを稼ぐ。情報を提供しているのは、リンク先、つまり私なんだな。結びつける労をねぎらうポイントということだな。リンクは自由だし。
一番目、パソコンの画面が真っ暗っていうやつはこれは、どう考えても手強い。壊れている。つうか、パソコンの機種やなんか、そう言う基本的な情報が何もない中で、答えるのが間違い。こういう質問は「釣り」と揶揄される。原因についての飼料です
、とおっしゃる回答者さんは、私のページをリンクさせて、
- 対策はシステムの入れ直しです 後で説明します
- どんな人:一般人
- 自信:自信あり
とおっしゃっているが、当該リンク先はPowerMacG4にソネット社のCPUを載せ替えようとして苦労した話で、問題解決の適切な資料となり得ない。この判断に私は「自信がある」。リンク先をまともに読まずに紹介しているのが明白で、こういうでたらめな、閲覧者を惑わすようなリンクは非常に困る。ジャンプ先に指定された私自身は別段困りはしないんだけれどもね。
さらにもう一つのリンク集は、ソシャルブックマークだ。私も使っているはてなブックマークを前提に話を進める。概要は一月ほど前にまとめている。私のページにもいくつかブックマークが付いている。数万人のユーザーがデータベースに興味深いURLを登録するボランティアとして機能している。彼らは、発見した興味深いURLに自分のidを署名し、タグを付けて分類し、さらにブックマークコメントやブックマーク数という形でレイティング情報まで付加する。
ユーザーボランティアが構築した巨大なデータベースを、自由に使いこなすのがソシャルブックマークサービスの醍醐味である。
デフォルトで表示される「id:nantaraのブックマーク」というページに騙されてはいけない。ソシャルブックマークサービスはそんな単純なものではない。これはデータベース上のURL一覧からid:nantaraが登録したブックマークを抽出して時系列で並べたものである。タグ、ユーザーid、ブックマーク数、に加えてサーバーがオートマティックに加えるカテゴリー、キーワードの情報、ドメイン情報等を適宜組み合わせて駆使すると、無限の可能性をもった興味深いリンク集をカスタマイズできる。これは凄い。
ブックマークがいくつか付くだけで、ページにはそれに関連したリファラが相当数記録される。人々は揉め事が好きである。「炎上中」の火災を安全な場所に集まって眺めることを野次馬という。例えば、消防や警察の無線をpodcastで配信したり、消防隊員のヘルメットに小型カメラを仕込んで実況中継をストリーミングで流したりすればハイテク野次馬として人気を集めるであろう。野次馬のもう一つのやり方は、ソシャルブックマークサービスのデータベースの中から炎上中のURLを見つけ出すことであり、コンピュータプログラムの助けを借りれば比較的容易いのだ。アイディアとしては、ユーザーのレイティングを参考にするとか、タグの山からきな臭いものを探す。そして、いつも揉め事の中心や周囲に出没する感度の高い人のidでブックマークを括ってみるなどなど。
利用価値もあなた次第。そして、感度の高い人からブックマークされると、一過性(大抵は2−3日)ではあるが相当数のアクセスが集まる。このフレキシブルなリンク集にとって、ひとつひとつのブックマークエントリは網の目をひろげるためのノットとして機能する。これは凄い。アンテナなんて目じゃない。ブックマークの世界は無限に広がっている。
で、リンクは自由というはなしに戻るのだけれども、何処かでh抜きリンクは止めて欲しいと云うような話題を見て、ちょっと考えを巡らせた。h抜きというのは、要するに
ttp://www.oyakonews.com/oyanews/homep/current_hp.html
と云う不完全な形で読者にURLを提示することである。読者にWWW上のリソースを提示する方法は幾つもある。
もっと遠回しに、私がこの項目でやったように、ブックマークの一覧にリンクさせたり、検索結果を示したりすることもできる。ウエブページの作者として考えるべきことは、閲覧者に誤解を与えずに自分の考えが意図通りに伝わるように表現することである。そうする上で必要ならリンクを示す。アンカータグで括り、href属性でジャンプ先のURLを指定すると、多くの読者から便利と思われるかも知れない。一方で、言及している内容によって閲覧者はジャンプ先を見て不愉快な心持ちになるかもしれない。ハイパーリンクを設定する場合も、アンカーをクリックするかどうかは閲覧者の責任であるが、ページ作成者にもハイパーリンクを設定した責任を感じる私は、何でもかんでもハイパーリンクさせればよいと考えていない。
言及した内容のリソースにたどり着くことができるような確実な情報を提供し、言及先にジャンプするかどうかを閲覧者に委ねるのも一つのやり方だ。
ウエブ管理人として、閲覧者がどうやって自分のページに辿り着いたかと云うリファラの情報は極めて興味深い。一方、言及される立場として、リファラを見つけるとどんな言及をしているか見に行くわけだが、スパムを見せられることもあるし、いちいちそんなことでハイパーリンクしなくてもいいです、と云う気分になることもあるだろう。掲示板やブログなどのスクリプトが、URLっぽい文字列を勝手にジャンプアンカーに設定してしまう。そういう便利さに慣れきってしまっているから、「h抜きリンク」とアクセスログのリファラを結びつけたようなはなしになってしまう。
タブブラウザで閲覧している私は、この頃リファラを残さずに閲覧することが多くなった。アンテナやブックマークのリスト、或るウエブページのアンカーを新規タブで開くとき、二通りの方法がある。
後者はキーボードに手を伸ばす必要がないから楽であるが、アクセスログにはリファラが残らない。
h抜きリンクを嫌う理由は、どうやらリファラを残して欲しいと云うことらしい。アクセスログを見ると、自分のページが何処かで言及されているのが分かる。分かるように閲覧してくださいと云うお願いのようだ。
ジャンプ元の作成者に対し、「リファラに残るように閲覧させるように、ウエブページ作成者はご配慮下さい」ということだ。同じようなことを別の言い方をしているケースを思い浮かべる。
「リンクはトップページにお願いします」というやつだ。ディープリンクを止めて欲しい、私の家に勝手に入らないで欲しい。玄関から入りなさいと主張する人たちは、リファラが気になって仕方がないのだ。「リンクはトップページに」というお願いは、トップページ以外に外部URLのリファラを残さないでください、と云うお願いと等価である。そういう意味で、「h抜きリンクはご遠慮下さい」は、必ずリファラを残してください、と言うお願いと等価である。
或るページの内容を引用したら、引用者は引用元を閲覧者に提示し、誤解を生じさせないよう心がける必要がある。提示の仕方は(善し悪しは別として)上に示したように色々ある。要は閲覧者に誤解を与えないこと、そして、引用元に敬意を払うこと。ハイパーリンクさせるかどうかは引用者の表現の自由の範疇だろうし、閲覧者がどのように閲覧するかに至っては、誰からも拘束されるものでない。引用元、引用先、どちらの意図とも関係ない部分である。
まとめると、リンクは自由であり、意味のない注意書きは書くだけ無駄だという結論になる。
スタイルシートを変更した。ちょいと忙しくなりそうだ。