飽食の時代である。
我が家の長女(中学二年生)は、折角の自分の誕生日に、プレゼントして欲しい物が思い浮かばない。現在小学六年の次女は、中学校の入学祝いにiPodが欲しいといっている。姉が手に入れたのをみて、自分も欲しいと思っているのだ。次女はCD-RWを二枚もっていて、ときどきiTunesからお気に入りを集めて焼き付けて、それを携帯式のCDプレーヤーで聴いている。満足して聴いているようだが、CD−RWの容量が少ないことや、焼き直すのに手間が掛かりおとうさんに手伝ってもらわなくてはならないこと、流石にCDプレーヤーは携帯性に難があること。何れもiPodと較べて、彼女が音楽を聴くという目的に十分ではないと感じているのだ。姉の持つ真っ白なiPodNanoが羨ましくて仕方がない。
話が逸れたが、どうしようと悩んでいる姉の方に、iTunesカードを提案すると、目を輝かせた。彼女たちにとって、いまやiTunesは父親のCDラックとインターネットストアを融合させた存在だ。彼女たちは、何か音楽を探すとき、先ず私が用意したライブラリを見渡した後、iTunesStoreを検索し始める。私は彼女たちが勝手にクリックしないように、パスワードを設定しているから、それが歯止めになる。例えば、長女が学校の英語の授業で聴いた「We Are the World」(USA for Africa)をもう一度聴きたい思ったら、先ずはライブラリを探し回って、見つからなかったらトウサンに聴いて(CDラックにあるが、iTunesにリッピングしていないものも多数ある)、そりゃ無いなということが分かったら、買って、お願い。と頼まなくてはならない。そうだな、良いよ、買ってあげるという話になって、iTunes Storeをブラウズする。あればダウンロード。無ければ、面倒だ。
自分のiTunesCardを持つことは、欲しいと思った音楽を自分の判断でダウンロードできるということになる。長女にとって、これは大きな進歩だ。私は自分がまだ親から小遣いをもらっていた頃を思い出す。駅前のレコード屋、今にして思えば狭い店の中を往ったり来たりして、ああでもないこうでもない、とさんざ迷って一枚のレコードを手に入れた。今では、自宅のパソコンの前で検索して、一覧を出して、数十秒ずつ聞き比べることが出来る。そして、欲しいと思ったときが手に入れるとき。これは素晴らしい世の中だ。音楽の楽しみ方が根底から覆った。もちろん、彼女たちも音楽CDのことは知っているが、どうだろう。10年後に今のことを思い出して「物心が付いたときには音楽用CDは廃れていた」というと思う。私の世代は、レコードをカセットテープに録音して聴いていた。ダビングなどという言葉が一般化するのはその後だ。
そして、そのiTunesカードを手に入れるのも、店に出向く必要はない。AppleStoreでその売り場を見つけて、幾つかクリックすると、数日後にはカードが届く。長女の喜ぶ顔。
実は、彼女がこのカードを使い始めるのにいくらか時間が掛かった。承認が中々降りなかった。あと、ちょっと使い方が分かりにくかった。この辺はアップルらしからぬ、ややこしさと思った。一回使い始めると、後は簡単だ。彼女のアカウントでストアにはいると、カードの残額が表示される。
彼女は幾つかのお気に入りをダウンロードし、自分のiPodnanoに転送して聞き始めた。しかし、彼女が欲しいと思っていた曲、すべてではない。楽しみにしていた曲の中に、iTunesStoreの中で見つけられない曲があった。
LPレコードから音楽用CD、そしてダウンロード販売という時代を生き抜いてきた私は、なぜそこに彼女たちの聞きたい(しかも大変有名な)曲が見つからないのか、その理由は想像が付く。まぁ、ちょっとした意地悪だ。つうか、アップルコンピュータが幅を利かせるのが宜しくないのだろう。デジタルデータの保護やら著作権の問題もあるが、それは音楽CDであっても同じこと。むしろ、DRM(デジタル著作権)で保護される方が、その部分では解決しやすいのではないかと思う。(Wikipediaデジタル著作権管理)で、オンラインにある楽曲が無いのは、要するに、たまには円盤も買ってくれということなので、リアルのミュージックショップに足を伸ばして、駐車場に車を入れて、エスカレーターを降りて通路を歩いて店に入って店内をうろうろと探しまわって、棚の前で右往左往して、やっと見つけたそのミュージシャンのアルバムのジャケットを一生懸命眺めて、多分これだと思うけれども、試聴もせずに買ってくるような、そういう面倒もやむを得ないと思うのだが(アマゾンでワンクリックの方がモダンだろうな)、娘達はそうではない。「何でないのよ?」という。そして、これは私にも意外だったのだが、YouTubeを検索して聴きたい音楽を見つけ出したのだ。それは、必ずしも本物ではなく見も知らぬ素人の演奏のこともあるのだが、聴きたい音楽を耳にするという目的は十分に達することが出来る。取り敢えず、それで凌いで、オンラインに提供されるのを待つのだろう。
さて。音楽各社、著作権者の皆さん。それからアップルコンピュータの人も聞いて下さい。子どもたちが音楽に興味を持ち始めています。私が子どもだった30年前に較べて、子どもたちは実に音楽に接する機会に恵まれることになりました。それはインターネットとデジタル技術によって、音楽を再生することが簡単になり、また流通コストが劇的に下がったことに依ります。音楽を提供する側は、音楽の聴き手を育てることに熱心になって欲しい。音楽を流通させる側は、応分のコストを負担したユーザーの利益を考えて欲しい。
「物心が付いたときには音楽用CDは廃れていた」世代が現実に世の中に登場している。その世代にとって、銀色の円盤を棚に並べることはほぼ何の意味もないことで、それは客観的に見て、音楽を提供する業務に多額なコストを掛けて著作権者の取り分を減らし、レコード会社の経営を傾かせ、音楽ファンに無駄を強いる行為と私は感じる。アップルコンピュータが作り上げたシステムが最高とは思わない。改善の余地は大いにあるだろう。提供する側と流通させる側が建設的な話し合いで智恵を出し合って欲しいと思う。
私が欲しいのは、銀色の円盤や下らないプラスチックのケースではない。音楽を楽しむ権利に投資している。
娘は、iTunes Cardの残高とにらめっこしている。劇的なコストダウンが、彼女たちにより良い環境をもたらすことを強く望む。