新しいパソコンが届くのを、気長に待っているところ。
もうじき、MacBookPro15インチが手に入る見込みである。仕事専用に使うのだが、おそらく、Boot CampかParallelsかを使ってウインドウズをインストールすることになると思う。手に入るまでにいろいろと情報を集めておく。
マックユーザーであり続けることに、ウインドウズユーザーには想いもせぬようないろいろな制約が伴う。例えば、何か周辺機器を購入するときに、店頭でパッケージを穴が開くほど見つめて、これが果たしてマックでまともに動くのかどうか、悶々とせねばならない。(マック対応と書いてあるやつの方が怪しいこともある)周辺機器のパッケージに表示されている対応OS云々は、機器そのものより、むしろ付属のソフトの対応の話しであることが多い。ウインドウズユーザーのあぁた。マックユーザーはおまけに付いてくる便利ソフトのほとんどを捨てているのよ。
ウインドウズ環境で孤立するマックユーザーは互換性の確保にことさら気を遣う。互換性を確保するためのステップを常に意識して、先回りする。こういった苦労は、ウインドウズユーザーには思いもよらない少数派の悲哀である。陸に上がった人魚姫のようなものである。
仕事で使うソフトには、ウインドウズ専用が多い。いろいろな機械をコントロールするソフトウエアはかつてマックが多かったが、今ではウインドウズのみ対応というものが増えている。機械によって、マック仕様、ウインドウズ仕様を選べるものもあるが、全く同等の機能を提供してくれるとは限らない。お値段の方はマック仕様の方が高いことが多い。ウインドウズ仕様をマックユーザーが共有するのは苦労するが、逆はそれほどでもない筈だ。例えば、USBフラッシュメモリにデータをコピーしようと試みる。マックならフォーマットに関わらず読み書き出来るが、ウインドウズパソコンだとマック用フォーマットのメディアを受け付けてくれない。
マックにわざわざウインドウズをインストールして、何か役に立つのか。役に立つと思う。ここから先は、実証した訳ではない。あくまで私が期待しているというレベルの話しである。
主要なプリンタメーカーはマックに対応するドライバを用意しているが、旧機種ではOSXに対応していないとか、明らかに機能的に劣るとりあえずOSX対応の間に合わせバージョンが放置されているものがある。職場でOKIのレーザープリンタをネットワークで共有しているが、モノクロレーザーのマック用ドライバがタコだ。同じPDFファイルの印刷クオリティはウインドウズ>>>マックである。それならば、PDFファイルの印刷はウインドウズからやればよい。
もう一つ期待していることは、ウインドウズ版のオフィスを利用することである。私はiWorkのユーザーであるので、自分で使う文書やプレゼンテーションにはアップル製のPagesやKeynoteを使う。ワードやパワーポイントを使うのは、ウインドウズユーザーとデータを共有しなくてはならないときや、ワードのテンプレートを渡されて、書類を作るときであるが、そういったケースでは、お返しした完成ファイルが相手方のウインドウズでどのように表示されるか(それを互換性と呼ぶ様だが)が大変重要で、私には確かめようがなかった。但し、マックユーザーはなるべくずれないようにするためのちょっとしたコツというか、そういう配慮をノウハウとして持っている。アホ臭いことだが、マックユーザーが悶々と苦心しているのと裏腹に、テンプレートを作る側はほとんど互換性に対する配慮をしていないのが普通である。で、いっそのこと、オフィスはウインドウズ版を使えばよいのではないかというのが私のアイディアである。エクセルに代わるアップル製ソフトが無いが、最近はエクセル本来のデータ集計に用いるより、下らない書類のテンプレート処理に使うケースの方が多くなっている。
プレゼンテーションも、パワーポイント限定で、データを持ち込むスタイルがに対応するにはウインドウズ版パワーポイントでの表示確認は必須である。ならば端からウインドウズバージョンでファイルを作った方が無駄が省ける。
というわけで、デュアルOSのマックを使う場合、様々なソフトウエアをマックに対応させる意義が薄れ、マック版ソフトが存在意義を失うことになるのではないか。WindowsOSを取り込んだことで、マックユーザーは究極の互換性を手に入れたことになるが、iWorkやiLifeといったアップル専用のソフトの出来次第で、マック滅亡の引導を渡すことになりかねないなぁ。例えば、ウインドウズ版のiTunesの方が出来が良かったりしたら、どうなっちゃうんだろう?
三重大学の奥村晴彦先生の著書。リテラシーという言葉に釣られ、アマゾンで購入した。2007年5月、技術評論社、ISBN978-4-7741-3080-4。お値段は1480円。
書評というつもりはなく、それほど念入りに読んでいるわけではないので。興味があるところを拾い読みしている。ちょっとタイトルに異議を申し立てたい。インターネット時代に、様々な危険から身を守るためのセキュリティ上の基礎を教えてくれる本、と、勝手に思いこんでいた。そういった話しも入っている。(第10章:コンピューターとネットワーク、第11章:情報とセキュリティ)しかしながら、本書の主な読者層は、これからパソコンを使い始める人々。もっと素人向け、万人向けだ。パソコン教室に授業料を払うくらいなら、まずはこの本を手に入れたらよい。第一章ではパソコンの起動のしかた(1.3)に続いて、ユーザー名とパスワード(1.4)、そして、パソコンの終了のしかた(1.5)について、Windowsに加えて、Linux、Macも図を交えて解説してくれている。これからウインドウズを使うかも知れない私にはなかなか嬉しい。
第二章(文字入力)では、文字コードの簡単な解説が私には役に立つ。第5章(文書作成)では、ワードを使ったレポートの作成方法を実例を交えて解説しているが、文書の体裁の整え方として、見出しの設定などをスタイル機能と絡ませて解説している。市販のワードマニュアル本を読んだことがないけれども、こういう解説は貴重なのではないか。文書作成には24ページ分を費やしている。以下、エクセル、パワーポイントに関する簡潔で要点を衝いた解説が並ぶ。良いプレゼンテーションのしかた(7.5)では、しゃべる内容をスライドに書き込んで、それを読み上げるようなプレゼンテーションをしがちですが、聴衆は退屈してしまいます。
とか、話しの理解に役立たないアニメーションが多用されるようになりました。最初おもしろがっていた人も、今ではうんざりしています。
なんて、割と刺激的で良い感じ。
あと、Webによる情報発信と言うことで、WWWとハイパーテキストの話し。ウエブページの作成方法が極めて簡潔に紹介されている。(112ページのノート:olはordered
list(番号の付かない箇条書き)の意味です。
っていう所は、次版で訂正されるはず。
本書の最後の辺り(第12章:情報と社会)にまとめられている知的財産権、著作権法の話題は、大変わかりやすく、最も私の興味を引いた部分。
- 著作権法第17条2
- 著作者人格権及び著作権の享有には、いかなる方式の履行をも要しない。
というわけで、別にマルシーマークを付ける必要は無いということ。他にもいろいろとわかりやすく説明してあって、これから使うが、何か一冊と思う人に大変勧められる内容である。取りあえず必要十分だな。娘たちが年頃になったら、ぜひ読ませようと思う。
新しい職場に移った知人が、手に入れた古いマックを職場で使おうとしたら、クラシックOSのメールクライアントソフトがセキュリティ上の問題のために使えず、苦労してOSXをインストールし、アップル製のMailを使い始めた。その後、アンチウイルスソフトのインストールが必須であるとの通達を受けた。で、知人はやむを得ず私費でノートンアンチウイルスを購入し、インストールしたらパソコンがたいへん不安定になって云々。どうしてシマンテックにしたのよ?と尋ねると。だってそれしか知らないんだもん。まぁ、そうかも知れない。
セキュリティ重視はよく分かる。私の職場でも、ウイルス感染が原因のトラフィック増加でいろいろとトラブルになっていた。そして、ウイルスに感染している人は、自分では気がつきにくいらしい。私も、多分大丈夫と思っているが、絶対に大丈夫と断言する自信はない。つうか、絶対に私は感染していません、と言い切ることなんて、誰にも出来ないンじゃぁないの?
その職場のネットワーク管理者が、LANに繋ぐ条件として、OSを最新のものにアップグレードせよ、とか、OSごとにインストールするウイルス対策ソフトのバージョンなどを指定するとか、そういうことはせずに、ウイルス対策ソフト(なら何でも良い)をインストールすることを定めた。費用も個人負担。インストールしているかどうかのチェックもなし。適正なセットアップやら初期設定が必要なはずだが、その辺のケアもなし。要するに、ユーザー側に丸投げしてしまったということなのだ。結果的に、知人はOS入れ直し、全てのデータが飛んでしまうという憂き目にあった。シマンテックのせいではないのだろう。偶々そういうタイミングだったということ。しかし、私はシマンテックのセキュリティソフトをマックにインストールすることを勧めない。OSのアップグレードにシマンテックがなかなか対応してくれなかったという、嫌な経験をしている。
奥村先生がブログの中でウイルス感染によって大量の個人情報をネット上に流出させた高校教諭の事件を引き合いに出して、「ウイルス対策ソフトでウイルスは防げない」 と警告を発している。そうだろうと思う。例えウイルス対策ソフトを導入したところで、「多分大丈夫」に留まる。「絶対」はあり得ない。ことに、ウイルス対策ソフトの類は間違いなくレトロスペクティブだ。ウイルスが発見されて、初めて対策が立てられ、アップデートされる。予防的になり得ない。予防するのは対策ソフトの役割ではなく、ユーザー各自の自覚の問題だろう。ウイルス対策よりも、データの管理方法がより重要で効果的な対策になると感じる。そういうことが、ソフトウエアで解決される部分は限られていて、むしろ、ユーザー各位の日々の生活習慣とか、自己管理(自己のパソコンではなく、あくまでユーザー本人の自己)が必要ではないか、という話し。
ちょっと忙しいね。もう7月。