一段落、ようやくつきそうな気配。寒いですけど、いかがお過ごしでしょうか。(2006-01-24:追記)
ちょっと雰囲気を変えようと思い、このページのスタイルシートを入れ替えた。おやこニュースのスタイルシートは大きく分けて二つの系統に分かれている。以前から使っていたのは、Personnelで公開されていたJintrickさん作のwater.cssをベースにしたもの。今でもトップページを含めて複数のページで使っている。これは、本来ユーザースタイルシートとして作られたもので、 大変良くできている。私はデスクトップにwater.cssファイルを置いて、ユーザースタイルシートが必要なときに使わせてもらっている。
一方、入れ替えた新しい方は、加納さんが作ったものを元にアレンジしている。もっとも、加納さんのスタイルシートにはテーブル関係のプロパティが指定されていなかったので、その部分はwater.cssから転用している。このふたつのスタイルシートを使い分けることになったのは、単なる偶然で、他意はない。
実際には、上記の一方をベースの表示を受け持つスタイルシートとして、ドリームウィーバーのテンプレートごとに固有のclassやidをプロパティとして指定したスタイルシートと組み合わせて表示を制御している。
以前から、何とかしたいと思っていた。そう思った理由は、自分で読み返して中々良いと思う記事があり、このまま埋もれさせてしまうのはもったいないと思ったから。また、「自分のための覚え書き」というサイトの趣旨にもかかわらず、日付順に並べるだけでは何がどこにあるのか探し出すのが困難で、自分のためになっていないから。ここいらで、一旦過去ログを見直して、テーマ別にきちんと構成し直したいと思っていた。思ったのはずいぶん以前のことで、少し遣り掛けて、熱意と時間の都合が中々付かず、ほったらかしになっていた。家族関係の話題を別サイトに過去ログとしてまとめたついでに、やる気が少し起きてきたので、再開した。
「道具としてのパソコン」は、一ページごとに独立した数個の話題(<h2>で導かれている)から構成されている。原則として、<h2>ごとの単位に分割し、別のファイルとして、内容ごとに分類し、ジャンル分けした。ただし、一続きにした方が分かりよいものは無理に分けずに一ページとした。ジャンル分けは結局以下の5つ。
アップデータのログを別にまとめようかとも思ったのだけれど、実に面倒な上に、面倒なので、止めた。作れば、それなりに役に立ちそうな気がするが。必要があれば、ソフト&ハード、もしくはMacユーザーmemoの方に組み入れる積もり。取りあえず2005年分はおおよそ整理を付けたつもりで居る。自分が書いた過去ログを読むのは中々楽しい作業である。以前は今より色々と複雑なことを考えて居たように感じる。
なんと、コニカミノルタがカメラ事業、フィルム事業から完全に撤退するらしい。再考の余地は全くなしということか。
本業手放してどうするのか。落胆している。デジタルカメラ部門(の恐らく一部)をソニーが譲り受けるとのこと。私はカメラメーカーのアフターサービスに満足していた。アフターサービスは、愛用という言葉に裏打ちされた、ユーザーとメーカーの結びつきのたまものと思っていた。そこが家電メーカーとカメラメーカーの大きな違いで、デジカメを選ぶならカメラメーカーと思って、自分はそうしたし、知人に尋ねられたときも、迷わずミノルタを奨めた。
私はミノルタユーザーで、ミノルタがカメラ事業から撤退する(また、コニカのフィルム事業も同様)というニュースを自分の身に降りかかった切実な問題として聞いた。これは数年前に、千代田生命が潰れたときの感覚に似ている。その時、私の保険契約は外資に買い取られ、保険料は4割ほど減額された。
出来れば、カメラ部門を切り離して、まとめて身売りして欲しかった。私が望むのは、ミノルタというブランドではなく、自分のカメラが今後何十年か使い続けることが出来るという保証である。少なくとも、ミノルタという会社が続く限りは、私はアフターサービスを受けることが出来ると思っていた。しかし、会社は残り、ユーザーは切り捨てられた。マウントとブランドを売り、顧客はおまけに付けたというか、引き取らせたというか。大変情けない気分。
アフターサービスを残すための、ぎりぎりの選択だったのかも知れないけれども。庶民文化としての「写真」が消滅の危機に瀕している。デジカメがつくるのは「画像」あるいは、「データ」であって、写真ではない。
株式の言葉で「IT関連株」という言い方があるようだが「IT関連企業」って言うのは何なのか?
発行済み株式の時価総額が企業価値というのは詭弁。株が上がれば企業価値が上がり、更に株が上がる、というポジティブフィードバックループができあがる。看板は立派になり「企業価値=株価」のターボチャージャーがブーストされる。またの名はマッチポンプだ。破綻するのは目に見えている。株価が上がったところで、企業そのものは別に立派になるわけではなく、社会に貢献するわけでもない。株を買って一儲けしようと言う人に、幾らかの夢を見させるだけ。一儲けといっても、その株券を売って初めてお金が手に入る。売りが増えれば株は下がる。要するに、株を持ち続けている人が儲けた気分に浸るだけ。
件のIT企業が何か立派な資産を持っているかというと、おおよそ時価総額とは釣り合わない。少なくとも、IT関連では、零細だ。弥生という会計ソフトがどれほどの利益を生み出すのか知らないが、ユードラにせよ、Operaにせよ、株価に見合う利益を生み出すような性格のものではない。まして、そのIT企業は、日本で売る権利を持っているだけで、それらのソフトウエアを生み出す創造性を発揮したわけでない。あっちのものをこっちに持ってきて売るだけ。ポータルサイトといったところで、Yahooのパクリで、本家とは比べるべくもない。
IT企業って何なの?というか、何というか。
この頃はこのページも一週間から十日も更新が滞ることが多いので、些か時間が過ぎたけれども言及することにします。(構えるほどのことではありません。多分。)
趣味のウエブデザイン:備忘録2006-01-12(備忘録の緩やかな変化)で、徳保さんが更新の頻度を上げる条件というか、コツを紹介なさっています。要は、書きたいと云うモチベーションを維持する方法と云うことなのですが。
- ごく少数の巡回先以外の記事を読まないこと
- アクセス解析だけは見るので誰かがネタ振り言及してくれること
- 健康であること など
一番目、読まないこと、というのは少々意外な発言に思えますが、
ブロガーが激増した結果、視界の中に「少数派としての私」の主張を代弁される方が増え、その記事を読むだけで充足してしまうのです。屋上屋を架す意欲がわかない。
という気分になられることについては、私も似た感想を持ち、少し前に書いています。「私だけでしょうか?」とか「私だけではないでしょう」と臆面もなく書かれたリソース(ブログなどのコメント欄に多いと思う)が目に付き、気分が萎えます。現実に、私が目を通すのはアンテナ捕捉の巡回先と主要なマスコミのサイトがほとんどで、読むだけで充足するというレベルに至っていないのはむしろ幸せなのでしょう。徳保さんがいろいろな記事を見つけてくるのを見て、たいしたものだといつも感心しております。引用が前後しますが、
結局のところ、どうしても書きたいことがあれば、寝る暇も惜しんで何か書くわけで、備忘録が更新されない最大の理由は「書きたいことがないから」なのだと思う。
徳保さんも寝る暇を惜しんで
書いているのだそうです。もしかすると徳保さんは三人いるのではないかと訝っていた私。ちょいとほっとした気分。私も睡眠時間を削って更新しています。ともあれ、ご自愛下さい。
段落と改行の関係について。いくつかのサイトで話題になっていた。
で、出所は、
ふたつのことが論じられていると思う。一つは、改行を制御すること。もう一つは、段落の間の関係を改行幅(段落の間の空間の広さ)で表現すること。
文が集まって段落になり、段落が集まって文章になる。日本語の宿命と思うけれど、英文と違ってワードラップが効かないので、変なところで改行されることがある。改行を制御したいということであれば、意図したところで改行することに加えて、意図しないところで改行させない(二重否定になるけれども)という制御が必要になる。後者はBRでは実現できず、preformatted textを使うしかないと思う。
連続した段落の前後関係で、広く開いているところ、ごく近いところがある。HTMLの<p>でマークアップすると、一律に段落として分けられるけれど、距離感を表現する方法はいくつかある。
「続brとp」の中で、小説家がページめくりを配慮して文を構成していることに触れられている。紙メディアでやっていることをウエブブラウザでやると、ページ振り分けということになる。リンク要素で次のページにジャンプさせるのがスマートなやり方だが、現実には「つづく」のような、アンカーを入れなくてはならないので、興ざめさせるかもしれない。
見出し要素でいくつかの段落を括るのは、このページでもやっている。見出しが邪魔というなら、章番号のような連続的な数字を見出しとして目立たないようにしたら良いのではないか。
<HR>で区切るのが、元々の文書の構造をそのまま残すことが出来てもっとも現実的な方法と思う。かつて、picoBBSのリソースを過去ログにまとめたとき、<br>は<p>に置き換えて、<br><br>は<hr>に置き換えた。久樹さんも段落を<hr>で区切っていらっしゃる。
以上の三つを適切に組み合わると、そこそこ観賞に堪える段落構成を実現できるのではないか。<br>連打の方が簡単といえばその通りだけれど。俳句や詩のような場合は<br>の出番だと思うが、<p>とどっちが適切かという論議には意味がない。
かつて、メディアがLPレコードであった時代に、ミュージシャンはA面、B面の一曲目と最後のトラックを特別に意識していたと思う。それがCDになり、HDDプレーヤーに置き換わって状況が変わってきている。メディアの変化に作り手が対応せざるを得ない例として。
というわけで、今回の更新は完了の見込み。