他人の日記にひとこと(2005-05-01)

NHKは公共性がある。間違いがあったり、閲覧に困難があったら批判の対象となる前回、他人のブログのコメント欄の無神経な書き込みを罵倒した。

私は、コメント欄が賑やかなブログは好きじゃない。考えるほどに、コメント欄の使い方は難しい。他人の日記を読んでいるのだ。悩みやら、喜びやら、普段の一日がつづられる。それは苦悩の記録である。辛い、苦しい、嬉しい、詰まらない、と、つづられる日記の何と美しいことか。大勢の、あるいは、何人かの読者が、固唾をのんで見守っている。じっと、身じろぎもせずに読んでいる。コメントを寄せる前に、その、すばらしい日記とバランスが取れる文章が書けるかどうか、自問するべきだ。

読者は詰まらないコメントで、日記を汚すべきではない。見守ることを選んでほしい。他の読者はそうしている。

私は、あるサイトを念頭に、このことを書いた。残念ながら、その日記がつづられていたブログは、閉鎖されてしまった。無粋なコメンテイターにつきまとわれ、間抜けなレスを付け続けるより、あっさりと閉鎖してしまう方がマシな選択だったような気がする。勿論、閉鎖に至った本当の事情は分からない。

札幌出張のついでに、旧友で作家の小路幸也氏に会ってきた。中学時代のクラスメートで、それ以来のつき合いである。先日、彼にとって5冊目になる単行本「HEARTBEAT」(東京創元社 ISBN4-488-01715-0)が刊行されたばかりである。大変意義深いひとときだった。

この歳になると、仕事と何の関わりも無い友人は極めて貴重な存在である。現状と近未来の話し、そして、思い出話が半々程度。私が、昔のことの大半を忘れていて、彼がその多くをかなり正確に覚えていることに驚かされる。その時は、余りぴんと来ない話が、数時間後に記憶の底からおぼろげに甦ってくるという不思議な感覚を味わった。彼の小説に感じる、微妙な懐かしさと共通するものである。記憶力の良さは、文筆を生業とするものにとって重要な資質に違いない。

現在は、互いのウエブページを閲覧し合う間柄で、いわばオフ会である。小路氏は私のサイトの熱心な読者のひとりで、色々と褒めて下さる。作家に褒められるのは少々面はゆい。私は、記述のプロである彼のウエブページにいくつか注文を付けた。一昨年、作家デビューが決まった時、彼はハンドルネームから本名に切り替えたのだ。結果、彼のサイトは、作家小路幸也のオフィシャルサイトとなり、特定多数(彼の作品を読んだ人々)に対して書かれるようになった。作家も人気商売で、評価が固まっていない新人作家にとって、それはかなりしんどいものではないかと思う。実名で公開している以上、日記は彼の顔である。今後彼の作品の読者となるであろう不特定多数に向けて、書くべきで、今の閲覧者を大切にしたい気持ちは分かるが、縛られるべきでない。以前からの読者から見ると、表現がかなり遠慮がちになっている、というような指摘。等々。