私は、自分の書いた記事が、誰にどのように読まれ、引用され、評価されているか、大変興味があります。それを知ることが出来る手段としては、ひとつには、GoogleやYahooの様な検索サイトを利用すること。もう一つは、この中でも何度か話題にしていますが、アクセスログに残る「リファラー」があります。
おやこニュースの場合は、一日あたり数百のリファラーが残るわけですが、(道具としてのパソコンに対するアクセスは、そのうちの三割ほど)私はそれをなるべくよく見て、自分の記事が何処かで話題になっていることに気付いたら、必ずそのページを見に行きます。今回、引用されたことも、リファラーを見て、まず気がついたのです。リファラーは、管理人が引用されたことを知る手段として、必要かつ十分なものだと思う。掲示板のime.nuリンクや、リンクせずに引用や言及されているケースについては、検索ページに頼るくらいしか方法がないと思いますが、気にしても仕方がありません。引用してくれたページを見て、必要と感じたら、引用に対するコメントを自分のページの中にアップしたり、あるいはそのサイトの中にコメントを残す仕組みがあればそこに書き込みます。自分のページで取り上げる、ということは、自分のネタとして取り込むということになります。
ブログツールそのものが、自動化・省力化、そして、外部とのリンクを強く意識したものと捉えると、ブログツールとトラックバックは親和性が高いと思う。スパムと見なされるケースは別にして、その記事について言及している記事を閲覧者に通知する仕組みとして管理者に省力化というメリットがある。
トラックバックが引用を通知する機能限定の掲示板と捉えると、閲覧者の側からは、気軽にリンク提供という形でウエブサイト作成に参加できるメリットがある。このような機能を提供するものは、トラックバックに限らず、URLの書き込みを受け付ける掲示板や、受動的には「本日のリファラー」という形で、リファラーを公開しているケースがある。
ウエブサイトを閲覧していて、そこにリンク見つけたときに、クリックするかどうか、判断する基準は、リンクを辿ることで有用な記事にたどり着けるというある程度の確証があること。逆に、下らない、見たくないものを見せられる心配が少ないと感じるだけの補足的な説明があることに加え、そのサイトの管理人に対する信頼を持てることだと思う。閲覧者に開放されている部分のリンクが、管理人の意に添うものばかりではないという認識があれば、そこから先は閲覧者の判断に委ねるという管理人のポリシーで解決できると思う。ただし、リンク提供の形でウエブに参加する閲覧者の中には、管理人の意図を十分にくみ取らない人もいるだろうし、管理人が全く意図しないリンクが作られることで、トラブルの原因になることもあると思う。掲示板にせよ、トラックバックにせよ、管理人が明確にポリシーを明らかにして、慎重に管理することが必要なのではないか。
「リンクの管理をどう考えるか」に対して、「適宜覚書」(DACさん)からコメントを頂きました。「適宜覚書」は、おやこニュースのアンテナに登録してある、私がいつも興味深く読ませていただいているサイトです。道具としてのパソコン、に、他からご意見を頂くことは、かなり珍しいことです。
私のサイトには、トラックバックの仕組みがありませんし、他のサイトに対しトラックバックしたこともほとんどありません。される側(トラックバックを受ける側)の問題点については、想像や観察の域を出ないのです。但し、引用にリンクがついている場合、リファラーで言及されたことを知ることは出来ます。DACさんのご意見に対する私なりの感想。
Trackbackが必ず記事内容の品質が低下したり、記事の方向性をミスリードするものであるかと言えば、その逆に記事の質を引き上げる可能性も十分あると思う。(中略)「管理者がそういったリソースを探す手間を省く」と解釈も出来るだろう。
様々なチャンスを広げ、なおかつその手間を大幅に省くことが出来るという点については私も同意見です。但し、記事の方向性のミスリードに関して、自分の真意が伝わる様に、詰まらぬ誤解で誤った方向の意見が流れ込まないように、自分のサイトの記載を慎重に吟味する必要がある。また、閲覧者が増えるに連れ、サイト(ページ)の意図や方向性を参加者に明示する努力が必要になってくると思う。
管理者のTrackback管理権限だと考えている。つまり、記事の質を下げてしまうような内容であるならザクザク刈り取るように削れば良い。(中略)そもそも元記事の理解が明後日向きだったり、引用のみだったりした場合のTrackbackに対して何の敬意を示す必要があるのか?
大変難しいところだと思う。トラックバックには、スパム的なものや、質の低いものが混ざり込むのが当然である、という前提で考えると、それを理由に削除すると、トラックバックの仕組み自体を否定することにならないか?リファラーをチェックして、自分で見に行って気に入ったところだけをリンクするのと変わらないように思う。閲覧者が、トラックバックをどう捉えるか。質の低いものがあって当然、と思うのか、管理者が強烈なセレクションをかけているものと理解しているのか。現実問題として、山ほどの、(管理人にとって)無意味なトラックバックに埋もれることを覚悟の上で設置するか、「管理人が取捨選択し、適切なもののみ残しますので、どうぞお気軽にご利用下さい」と、書くか。そのような注意書きを書いてまで、一般閲覧者に参加を促すのは無意味なような気がするが。また、敬意はスパマーに対してではなく、一旦ウエブ上に出現したリンクに対するもので、私なら悶々とするかもしれない。
管理者が手の届かない範囲で記事の解釈を表明する場合だ。(中略)で批判的・揶揄的な記事を載せるとか閲覧者のサイトでゴニャゴニャ書いてリンクしたりしなかったりするとか…。
私は、匿名掲示板をほとんど見ない。手の届かないところに、何か出ている、と教えてくれるような友人も居ない。手の届かないところは、無視するしかないと思っている。トラックバックとは関係のない話と思う。ところで、単純な閲覧者が、自分の見てきた記事を勝手にトラックバックする、というのはアリなのかしら?
私の元々の記事は、トラックバックに限定せず、閲覧者参加の形で自分のサイトに他サイトに対するリンクの設置を許すかどうか?という点だった。有用なリンクを提供してくれる、質の高い閲覧者が多い場合は、活用することにメリットがあるだろうが、色々と注意書きを書いたところで、「リンクはトップページに」と、同じくらい虚しいことになる可能性が高い。
実際、私ははてなダイアリで、リファラーの公開となる、「コメント」の受け付けを止めたのだ。リファラーを辿ったときに、どうしても容認しがたいサイトに繋がったからだ。そのようにして、閲覧者が同じような不快感をもつことがないように、管理人は自分のところから外部に向かうリンクに責任を持つべきだというのが私の意見で、トラックバックは公開が先、管理人のチェックが後回しになる。
ぎりぎりのところで、サイトを作成、管理している身としては、週に一度、この程度の記事をアップするのが関の山で、ご意見を頂いたときに、リアルタイムで応対するのが難しい。何かの拍子に大量のトラックバックの可能性を考えると、とてもでないが管理しきれないだろう。省力化が大きなメリットといいながら、本末転倒という気がする。トラックバックや掲示板で、閲覧者と様々なやりとりは大変魅力的ではあるけれども、私個人のこうした都合で、閲覧者参加型コンテンツの管理は無理と思っている。