インターネットにおける著作権(2004-03-30)

インターネットにおける著作権

リンクの自由と著作権が、場合によっては相反するものとして話題に上ります。ウエブというのはとても不思議なところで、末端のユーザーレベルではあらゆるものが無料です。少なくとも、情報を受ける側は、情報の代価を払う必要が無く、逆に、情報の提供も無償でおこなわれるのが原則です。

これは、インターネットのそもそもの出発点が、学術論文の閲覧、整理、検索であることと無縁では無いでしょう。学術論文は、厳密な書式が求められます。加えて、記載内容は、タイトル、著者名、論文の概要に加えて、

  1. テーマが如何に有意義であるかと云う研究の背景を明示する部分
  2. 研究方法に関する説明
  3. 実験やフィールドワークによって得た知見
  4. 得られた結果の正当性に関する考察
  5. 引用文献の一覧

から成り立っています。それぞれの要素は、既に論文として公表されている他の研究成果を適切に引用し、読者を納得させる十分な裏付けを示す必要があります。引用論文の明示は、筆者の論理の信頼性を高めるばかりでなく、他の研究者の権利を保障するという意味を持っています。

学術論文は公表されてこそ意味があります。出版社が著者から著作権を譲り受け、公表する手段を提供するわけです。それと引き替えに著者が得るものは、Authorshipと云う名誉です。公表された論文のAuthorshipが研究者の価値を測る尺度となることも見逃せない事実です。こういった仕組みが、引用は無償である反面、厳密な書式に従い明示すると云うルールの根底にあると思います。HTMLの書式は、こうした学術論文をバックグラウンドに眺めると、実に合理的で説得力のあるものです。

このルールをインターネットにおけるリソースの公開に外挿すると、インターネットの仕組みそのものが出版社に相当すします。そのため、著作権の管理が宙に浮き、結果的に、本来分けるべき著作権とオーサーシップがウエブ上ではごっちゃにされてサイトの管理人(一般には筆者がそれを兼ねる)に任されることになります。

リソースの二次利用について

 ほーむぺーじ管理人となって3年あまり。私自身が著作権侵害を受けた、と感じたことは今のところありません。気が付いていないだけかもしれません。気が付かなければ、被害を感じることも出来ないわけで、それはそれでオーケィです。

私がウエブサイトの管理を始めて、ややしばらくして、インターネットにおける引用やリンクと云うことについて、大変大きな影響を受けたのが、Jintrick氏のサイト(Personnel)です。そふぃあ氏という名前の方が通りがよいかもしれませんが、最近更新された自己紹介で、Jintrickと云う呼び名をご本人が推奨しているようなので、こちらを使うことにします。

リンクや引用について、Jintrick氏は、三つの原則を示しています。彼自身は著作権に言及していませんので、自分の著作を二次利用されることに関する原則です。彼のページを読んで、私が勝手に三つにまとめたのですが。興味のある方は、元文献(Personnel:当サイトについて)を読んでいただいた方がよいだろうと思います。

「転載は全てご自由に」
http://members.jcom.home.ne.jp/jintrick/Personal/about.html#reproduce
「あらゆる形のリンクを歓迎」
http://members.jcom.home.ne.jp/jintrick/Personal/about.html#about3
「真似されて困るようなものはWWW上に置いていません」
http://members.jcom.home.ne.jp/jintrick/Personal/about.html#copy

要するに、ウエブ上にアップロードした以上、どう使われようが、作者は関知しない、と云うことと解釈しました。私もそう思います。現実問題、一旦アップロードしてしまうと、作成者に出来ることと云えば、都合の悪いものを削除するのが関の山でです。

著作権について敬意を払う意志のある人は、特に断り書きを並べるまでもなく、適切な方法で引用をしてくれるはずです。そういったことに意識の低い人に合わせて、自分のページに物騒な断り書きを入れるのは、私には気が引けるのです。盗作、盗用、フレーム内リンクなど、問題がありそうな二次利用をされたところで、気が付かなければ対処しようがなく、ならば、端から関知しないと決めておいた方が現実的というものです。

例えば、フレーム内リンクやインラインフレームの場合はどうでしょう?あたかも、自分のコンテンツであるかのように見える点が問題であるようです。こういったやり方が著作権法に抵触すると云う判例も出ているとのこと。おやこニュースでも、キッズgooやGoogleのキャッシュを経由したアクセスがあります。

フレーム内リンクや、インラインフレームによる「リンク」であったとしても、見る人にページの内容が誤解無く伝わると云う点は問題はありません。1ページまるまる表示されるわけで、そのページにある著作権の表示や、他のページへのリンク、広告まで、そのまま表示されるわけですから。「盗用」される側の問題点は、予め意図していない妙なフレームが添えられるという、自分のページの見栄に関わることだけと思う。即ち、リンクされる側にさほどの不利益があるとも思えず、閲覧者も初期には混乱するだろうが、すぐに事情を理解できるでしょう。一方、このような「盗用」をする側に、何らかのメリットがあるとは考えにいことから、これはただ単に、図らずも「盗用」してしまった作成者の無知が問題で、見つけたら嫌な気分になるでしょうが、それはそういった行為の無意味さに腹が立つからだと思う。

完全なコピーや、フレーム内リンクであれば、原作者の意図がねじ曲げられる可能性は少ないと考えられます。また、少し知識のある閲覧者なら、外側のフレームを外すことも出来るでしょう。盗用される側に対する影響としては、むしろ、不完全で部分的な引用の方が遙かに深刻な問題と考えます。

部分的なコピーや、肝心なところを意図的に隠すことで、意味が通じなかったり、本来の主張と逆の意味に取られたるような場面で、二次利用される場合が考えられます。意図的であれば、出典などが示されるはずもありません。ことに、画像が流用される場合、テキストと異なり、検索も困難であるため、二次利用されていることが判明しにくいと思われます。

違法とされるリンクや引用、二次利用を制限しようと思ったら、こういった様々なケースを想定し、注意書きを付けなくてはならないでしょう。しかし。どうせ守られない注意書きなら、書くだけ無駄というものです。何処かに、全てのコンテンツの著作権は放棄していません。とか、その程度のことをひとこと書くだけで十分ではないかと思います。

私自身が何かのリソースに興味を持ってその引用やリンクをする場合、まず、リソースの作者の自己紹介を探し、ページの作製の意図を確かめます。訳の分からないリソースには、反応するだけ無駄です。

 反応するか否かを決めるために、リンクに関するポリシーに注目します。それには、リンクや引用に関する説明が明快であることが必要です。私は、著作権や、文責の所在を明示することに関心があり、また、ウエブ上の様々な文書に自由に引用、リンクが可能であることは素晴らしいと思います。そういった意志を言葉で表現するのは簡単ではありませんが、要するにご自由に、と云うことです。残念ながら、様々な理由で、ウエブページの自由な引用やリンクを認めないと云う立場の人が居ます。そういった文献、ウエブページに対して、私は大変残念と思いつつ、著作権者の主張を尊重し、ご希望通りリンクしないことにしています。必要最小限度で、言い逃れが出来る程度に「言及する」ことはあるかもしれません。やり方として、余り愉快ではありませんが、そう思うのはお互い様で仕方がないことです。

たとえば、「著作権法に認められた適切な「引用」については問題ありません」と、書いてあるとします。私は、著作権を尊重しなくてはならないと云うことは理解しているつもりですが、自分がやろうとしていることが、「著作権法上認められた適切な引用」かどうか分かりません。著作権法に基づく過去の判例など、いちいち知らないし、自分のやろうとしている行為が著作権法上適切であると言い切る自信がないので、この表現は、私にとって「リンクはトップページに」、と同じような効果を持ちます。おそらく、著作権など気にもとめない人には、何の意味もない文言であると思います。著作権を尊重することに異存はありません。ただ、合法的な引用をおねがいします、という注意書きに強い圧迫感を感じるのです。その文言が気になり始めたら、私はリンクを諦めるでしょう。あほくさいのでリンクしないということになります。

ウエブ管理人として著作権をどのように管理するべきか、私自身が明確な解答にたどり着いていません。とりあえず、引用を明記して、Authorshipを明確にして下さい、と、お願いを書いています。しかし、これとて誰の目にも入る場所に書いてあるわけではなく、ただのお願いなので、書くだけ無駄という気がします。引用しようと思ったが、その手続きが分からないと云う人のために書いたのです。

こうして考えてみると、インターネットでは著作権は宙に浮くもので、便宜上、ウエブサイト管理人(一般に著者が兼ねる)が管理していると云うことだと思うのです。引用やリンクなどについては、各人の一般的な常識(が、各人で大きく異なっていることは承知の上)に任せる、と云うのが私にとって最善の解決策と思います。(もちろん、私の見解であって、他人に押しつけようと云う積もりは全くありません。)