フジテレビのF1中継には、大変感謝している。些細な問題は感じることはあるが。
佐藤琢磨選手が予選3位で、過去日本人最上位ということだが、歴史的な瞬間は、今シーズン中にやってくるだろう。彼にとっては全くの通過点だ。BARは間違いなく、現段階でトップチームに次ぐ力を持っており、佐藤選手は今シーズン中に予選1位獲得、そして、初勝利に限りなく近づく可能性がある。
今回のレースで歴史的なことは、予選三位より、むしろ、レース中のラップリーダーを取ったことだろう。過去にあっただろうか?
日曜深夜の中継で、予選の模様をちらりとやっていたが、明らかにヤラセである。あの時点で琢磨はトップに立っており、三位が確定していなかったことは、予選の中継を見た全ての視聴者が知っている。
琢磨の大きな可能性を信じているなら、この程度のことで、「歴史的」などとはやし立てない方がよいのではないか。
いつかしら、日本の偉いひとは、自分の行いに対する結果責任を取らないことが多くなった。
職場の大先輩によると、日露戦争の乃木将軍以来だというのだ。そんなものか、と思いつつ、御託を聞いていた。
山の中にダムを造ると、誰かが言い出し、いつの間にか本決まりになり、建設が始まるが、結局、山間の村人を里に追い出しただけで、たいした役には立ちはしない。お金を沢山失った。美しい自然も戻ってこない。
何かのサービスのつもりで、鉄道を造り、結局莫大な赤字を抱え、線路の残骸を晒すことになる。
たいした配慮も無しで、海底にトンネルを掘ったり。
社会資本の建設に、純粋な政治家の使命感で行動したのならともかくも、大抵は胡散臭い下心が伴う。税金をつぎ込んだ上、生態系をコンクリートで固めるという、償いがたい失策。そのお金は、キミのものじゃない、という声は届かないんだか、聞こえないふりをしているのか。
誤った金融政策の結果、社会全体がおかしくなって、未だに不良債権の償却を続けて、政策を決めた誰かは責任を取っただろうか?
大地震がやって来て、行政がもたついたために被害は拡大した。その責任を誰か取ったのだろうか。
上に立つ人が自分の決定に責任を取らないのが当たり前の世の中で、フクダさんが辞めたことは、実に新鮮である。辞めたのが偉いとは思わない。へまをやったから辞めたのだ。
彼のヘマは、要するに、私や、他の多くの国民の将来に関わる大切な法律を決める論議を、決定的にしらけさせたことである。
彼だけではない。今、話題に上っている多くの政治家は皆同じ罪を背負っている。小沢さんは脱税に等しいといった。
菅直人も辞めることになるだろう。他6名をかばっているそうり大臣も、結果責任をないがしろにするという過ちを犯している。
指導的立場の人間が、ヘマを認め、責任を取って辞職すること。これはなかなかの快感だ。その快感を思い出させてくれた点で、フクダさんは偉いと私は思う。
私自身、自分の年金がどうなっているのか理解していない。間違いなく払っている自信はない。
現に、年金未納者が4割近くに達しているというのだが、その数字が、今現在払っていないひとなのか、過去に未納歴があるひとの割合なのか、分からない。
給与所得者は、自動的に引き落とされるものだと思っている。税金と同じだ。
そういった、安直なやり方が、年金に対する認識の甘さを招くと思う。
より大きな問題に入る以前に、システムの整備が必要と思うが、今回決まりつつある改正案は、どうなっているのか知らない。
未納者と槍玉に挙がっているギインの方々が、自らの年金納入状況について、どういう認識を持っておられたのか分からない。誤魔化してやろう、と思っていたとは思わない。払わせるための論議が、机上の空論であることを証明してしまった、誠に滑稽な話。ついうっかり、では済まされないと、思い至るのにも随分時間が掛かった。
履歴は消せない。済んでしまったことは仕方がない、と、ご自身で勝手に決められては困るし、そうり大臣が、「うっかりしてたんでしょうネ」と、免罪符を発行したところで解決する問題でも無かろう。
とりあえず、タイミングを見計らって、懺悔の時間を設けてはどうか。年金に限らず、いろいろとやましいことを全てぶちまける。
-実は、年金を8年間、払い損ねていました。
-途中で気が付いたんですが、面倒くさいのでほったらかしていました
-秘書の給料をちょろまかしていました。決して飲み食いに使ったわけではありません。
-貰えるものは貰わないと損だと、大先輩に云われましたので。
なんか、他にも色々あると思う。ギインさんたちも、気になっていることを洗いざらい告白しておいたほうが、この先いろいろとやりやすいと思うし。大暴露大会。
タイミングはやっぱり、選挙の前かなぁ。
後々ばれて、みんなをしらけさせるより、いくらかマシって感じがするんだが。
何かの出来事に対して、どうしてそんなに大騒ぎするのか、分からないことがある。
ヒステリックに罵倒するひとを理解しがたく感じる。
いろいろな考えの人がいて、心地よいことばかりではない。
インターネットを使っていると、一番大きな声が、どれなのか分からなくなる。
デマや、自作自演や、マルチポスト、現実と別の世界がそこにある。
ネット上は、ペンディングが原則。
私は全てを疑って掛かる。低いところに流れていかないように。自分の感性を信じること。
森先生の、神の国以来の出来と思われる。最初にヤフーニュースの見出しを見たとき、違う意味に勘違いした。
大変深刻な問題は、かの国の市民たちが、我が国を盲目的対米追従で、大砲をぶっ放す片棒を担ぎ続けている、怪しからん国である、と認定し、ジャパニーズであるという理由だけで攻撃の対象にされる事態であると思う。人質に抗日的分子、っていうのが、犯人グループの中にそういう人たちがいた、という意味と思ったら、全然違うのね。もちろん、犯人って云うのは誘拐犯人のこと。
私は派兵に反対の立場だと、公然と云う訳だし、例えば、民主党や共産党、自民党の中にも、反対の立場を表明するひとはいるから、広島のおっさんに云わせると、おまいら全部纏めて分子だってことになる。
私の発想が貧困なのだろうが、ひとを分子呼ばわりするなど、民主主義が成熟していない、人権が迫害されがちな国で、迫害するときに使う言葉のように聞こえる。
大変幸いなことに、発言を撤回する考えが無いらしい。今更、口が滑ったわけでも、勘違いした訳でもなさそう。彼は本気でそういう主張を国会でおこなうひとなのだなあ。まさか、ジミン党を代表して、そのような意見を述べたわけではないと思うけど、(根拠無し)。
今回、誘拐の被害にあって解放された人、それぞれがどのような人たちかは存じ上げないが、重要な点は、その人たちの行動が、現地の人々から感謝されていたかどうか、と云う点だと思う。
軍隊に依らない援助というものは、国同士の関係を作り上げてゆく上ではかなり重要で、首相の下心で動かざるを得ない軍隊よりも、一般市民レベルの援助が、にほんの信頼を気付き挙げていく上では重要かも知れないぞ、と思うが、今は危ないから行かない方が良いねぇ。
ホンダが初めてリリースしたV型ツインエンジンは、GLという名前のバイクに積まれたはずだ。それ以前にホンダがこの形式のエンジンを使っていた記憶がない。強いて言うと、4輪グランプリレーサーはV型エンジン(12気筒)だった。野心的なスクーター(ジュノゥ)は水平対向2気筒で、これはバンク180度のVツインと言っていいかもしれない。水平対向と云うことなら、ゴールドウイングのシリーズ(登場当初は4気筒)がある。
GLはクランクシャフト縦置きのVツインエンジンである。Vツインエンジンをバイクのフレームに収めるためには、全く対照的な二つのレイアウトが考えられる。クランクシャフトをアクスルに平行(横置き)とするか、車体の前後方向に平行(縦置き)にするか。前者の代表はハーレーディビドスンでバイクの幅を抑えることが出来るのが利点である。ハーレーも優れたツアラーであるが、何しろ、狭角Vツイン横置きとなると、ハーレーのイメージが強すぎる。また、この配置の場合、後部シリンダーの冷却が問題となる。クランクの回転方向から、駆動形式はチェーンが一般的だ。また、エンジンの背が高くなるので、ガソリンタンクの行き場が無く、これはツアラーの性格を考えると致命的だ。ドカティのようにエンジンを前倒しとするのが冷却に対するひとつの解決策だが、それでは更にドカのイメージが強烈である。思うにホンダはVツイン、シャフト駆動のツアラーを前提に、エンジンを設計していったのではないか。シャフトドライブとするには、縦置きが有利であり、この方式は、冷却でもアドバンテージがある。(実際のGLは水冷式となったが)また、バンクの隙間にガソリンタンクを広げられる。そして、何より、この形式はかなり独創的で、似たものを探すことが難しい。(モトグッチくらいではないだろうか)
斯くして、GLは縦置きVツイン、シャフトドライブという、ツアラーに最適なエンジンと駆動系を与えられ、世に出ることとなった。私が免許を取って最初に手に入れたバイクが、GLの後期型のCXEuroと云うバイクである。
重厚で、かつ軽快に回るエンジンは、実に気持ちの良いものだった。CXEuroは中型の限界を超えた巨体の持ち主だったが、ライディングポジションは良好だった。
ホンダが、シリンダーヘッドを外側に捻ることで、ライダーの膝に余裕をプレゼントしたからだ。捻られたヘッドにはチェーンが掛からないから、Vツインエンジンは、古風なOHVでバルブを駆動していた。GLは本来500ccとして設計されたと思われる。3リッターのフォーミュラワンエンジンの6分の1で、同じボアxストロークを持っているのだ、と自慢げに言う人も居たが、本当のところを私は知らない。
その後、GLの心臓はターボチャージャーを与えられ、史上最高のツアラーを生み出し、いつの間にか消えた。エンジンなんていうものはなぁ、部品よ、部品。なんだか何処かで見たようなバイクばかりのこの頃では、理解し難い話かもしれない。ホンダの技術者は、ライダーの膝に吸気系が当たらないように、エンジンを捻ってみせたのである。
縦置きクランクのエンジンを搭載したシリーズは、左右にシリンダーをひろげているところから(私の勝手な思いこみ)ウイングと呼ばれている。
ヤマハが日本のバイク史上にもっとも大きな影響を及ぼしたバイクの名前がRZである。(と、私は思っている)
20年余り前、売っているバイクは、格好が出来るだけ悪いように、余りスピードが出ないように、作られていた。ちょうど同じ頃に登場し、バイク史上に大きな影響をもたらしたスズキの刀が、運輸省のお役人に、ギッタギッタに改造され、(スクリーンが取り払われ、アップハンドル仕様になった)登場したのが実に印象的な出来事だった。
RZは市販レーサーTZ直系と思わせる水冷2ストロークエンジン、モノショックサス、エンジンパワー。デザインはまぁそんなところだろう、って感じだった。発表は350ccで、その後すぐに250ccが出たはず。
RZに対する羨望のまなざしや、その後に続いたレーサーレプリカブームは、その頃の少年たちが、格好良いバイクや、速いバイクに乗ることは、犯罪的であると暗示を掛けられていたことの裏返しだったかも。
実際、バイク事故のニュースに、350ccのオートバイで転倒し、、、といちいちアナウンスが入るのは、その頃良くあったことで、RZは事故がニュースにして貰えるバイクだったのだ。
RZという、いかにも、な名前も、このバイクが最初だったのではないか。輸出仕様車はRDだったと思う。
その後のバイクはやたらとRやZが並ぶようになった。CBR-400RRRRとか、いや、二つほど大杉かも。
10年前、私たち家族はアメリカに居て、フォーミュラワンレーシングからいくらか距離を置いていた。ESPNで中継があったのだが、我が家はケーブルテレビ局と契約していなかった。後日、ジャパニーズスーパーマーケットのヤオハンで、日本のテレビ番組を録画したビデオテープがレンタルされていることに気が付くまで、私はグランプリレースの映像を見ずに過ごしていた。
アイルトンセナを知ったのは、彼が英国のF3レースを転戦していた頃。セナ・ダ・シルバと云うブラジル人ルーキーが連戦連勝、と云うような雑誌記事を鮮明に覚えている。当時も、今も、私にとってヒーローはジル・ビルニューブで、セナは素晴らしい才能を持った天才の一人に過ぎなかった。
不確かな情報が、少しずつ明らかになっていき、私は彼の死を悼んだ。時代を代表する天才が死んだ。時代の歯車は、彼のFW-Renaultをコースの外にはじき飛ばし、ヘリコプターが彼の亡骸をサーキットから取り除いた。レースは止まらない。
この年、ティレル・ヤマハの片山が素晴らしいパフォーマンスを見せた。10年が過ぎ、佐藤は今シーズン、限りなく彼の夢に近づくだろう。セナの時代の跡形さえも、消えようとしている。
育児まっただ中の関係で、子ども向け番組を見る機会が多い。
番組より、コマーシャルに注目する。
大抵は大人の発想であるから、子供たちを騙そうという魂胆が見える。
下らないゲームで、喜々として遊んだり、追い掛け合って奪い合ったり、下らない駄菓子を楽しそうに頬張ったり。
魚肉ソーセージを、何か特別な食べ物のように宣伝しているフィルムに、複雑な思いがした。かつての代用食品、ちくわや蒲鉾と大差ない。風味もちくわっぽい。
それを新たなチャレンジのように見せかけ、子供たちに売り込む魂胆がいやらしい。
要するに魚肉ソーセージが嫌いで、子供たちが食べたがると、私にとって不都合だと云うことなのだが。
VTRと云うバイクに乗っています。通勤に使っている。
249cc、90度V型二気筒エンジンは、VT250F直系。私の体格には少々小振りであるけれど、ランニングコストが安くて、乗り易くて高速道路も走れる。もうちょっとパワーがあってスムーズなエンジンが欲しいところ。燃費はリッター28キロ程度。まずまず満足して乗っている。
先日、オイル交換とチェーンのメンテナンスに、バイク屋へ行った。作業を待っている間、壁に貼ってあるホンダのラインアップを見て、考えさせられた。中免で乗れるバイクのなんと少ないことか。私はフルカウルのバイクが好きなのだが、既に中免で乗れるフルカウルのバイクはスクーターのみである。
中型限定免許とは、何だったのか。
要するに、若者をバイクから遠ざけるための施策だったのだと思う。施策の目的からすると、例えば、バイク所有歴8年で自動的に限定解除で良かったはずである。
どうしても、と云うなら、いくらかの教習を受けて、でもいいけれど。400ccの排気量で免許を区分したその制度は、いわゆる非関税障壁である。いまや、中免は少数派と云うことなのだろう。馬鹿げた政策の犠牲者は積み残し。今更教習所に通う暇もなく。免許を新しくしたところで、バイクを買う経済的な余裕もないけれど。
自動二輪免許にグレードアップできたなら、アフリカツインが欲しい。いろいろな意味で無理だけれど。
昔から、模様替えが好きだった。
気分が変わる。要らないものを捨てて、今必要なものを自分の手の届きやすい場所に配置し直す。慣れは居るけれど、生活の効率が上がる。効率の良い生活は気持ちがよい。
バーチャルな世界、ウエブページ上の模様替えはどうか?
自分で地道に更新するページを模様替えすると、更新の効率が上がることが多い。メリットがある。初めてご覧になる方には関係ないが、このページ(実は掲示板だが)を模様替えした。スタイルシートという、表示方法の指定を変えただけで、別に更新の効率が上がるわけではない。いくらか見易くなったかどうかは分からない。そういう意図ではない。
がらりと変えて、見る人を驚かせようと思ったのだが、どうも私のくせや、好みや、能力が色濃く反映されるわけで、結局大して代わり映えしない。
いろいろと、不条理に感じられることがあり、言葉にするのが難しく、十分な余裕が無く、悶々としていた。
以前から、どうにも見づらい、重たいと思っていた、職場内のある部門のページを久しぶりに開いて、驚いた。
レイアウトがすっきりして、分かりやすくなっていた。以前はワードで作ったことがありありの、やたら長い上に全く目次が無し、と云う困難なページだった。なんと、目次がついて、ページを分割している。少なくとも見かけは随分すっきりした。リンクがブランクウインドウで開くが、そうなることが分かっていれば、実用上はそれほど問題にはならない。
試しに、ひとつメニューをクリックし、「注意書き」のページを開いてみる。しかし、見かけ上シンプルになっていたにもかかわらず、異常な重さ。一応、ブロードバンドであるが、なかなか読み込みが終わらない。テキストばかりのページであるにもかかわらず。
なんだかおかしい。ソースを見てみる。HTML 4.01 Transitionalと、doctypeも入っている。例によってテーブルレイアウトだが、何ら珍しいものではない。
いきなり、<td></td>がずらりと並ぶところが新鮮だ。新鮮だが、いくらスクロールしても、<td></dt>ばかり。なんだこれは?
しばらくして、理解した。tdを数えると、1行に141個のtdを並べ、それぞれに幅をピクセルで指定してある。141個目のtdには、spacer.gifが縦横サイズ指定で入れてある。巨大な方眼紙をウインドウ内に作り、それに必要な言葉を並べたらしい。
何故か、方眼紙は1行ごとにテキストが全くない余白を入れている。
数えると、2万7千行余りのHTMLファイルである。重たいはずだ。
概算すると、141列X200行ほどのテーブルと云うことになる。しかも、1行置きに空っぽの行が出てくるから、実際のテキストは100行ほどと云うことになる。
こういった形のテーブルレイアウトに気が付いたのは初めてだ。このテクニックが何かの本に、テーブルレイアウトの裏技として紹介されているのだろうか。まさかと思う。テーブルレイアウト自体が裏技なのだ。裏の裏までやる必要はないだろう。
それとも、ホームページビルダーには、方眼紙テーブルモードがサポートされているのだろうか。或いは、作成者のオリジナルテクニックか。よほどパワーのあるCPUを使っているのだろう。
見せてありたいが、職場内なので、うわさ話に留めておく。
先日、某アンテナから外されていることに気付いたのですが、今度は自分のアンテナから、とあるサイトを外すことに。数少ない補足サイト、自分としては大切に扱いたいのだけれど、なんだか大変愉快でない記事が続き、やむを得ず。最後の手段なのだが。
非のあることが明らかな人を叩くときの口調の滑らかさというか。罵倒する。いつ何時、立場が逆転するとも限らず。
我が身を映し、自分が書いていたことを、そういう目でチェックしてみることにする。
外してみて分かる。アンテナの影響は大きい。WWWは広い。
「アンテナ」とは、更新情報付きのリンク集である。私は、hatenaのサービスを利用している。他にも、他の人が管理し、公開されているいくつかのアンテナを利用させてもらうことがある。
(おやこニュースのアンテナ)
お使いの Web ブラウザでは、このサイトが正しく表示されないことがあります。
と云う表示を見て、少々困惑した。MSN Japanと云うサイトに入ろうとしたら、いきなりそういう表示に出くわしたのだ。
毎日新聞社の新しいサイトの頭に付いた、MSNっていうのが何か知りたいと思ってクリックした先の話である。おやこニュースのリファラーにも、たまにsearch.msn.co.jpと云う検索ページを見かける。マイクロソフト関係の何かであると思っていた。MSN:MS Networkなのか?
ロゴをクリックすると、いきなり、上記のような表示を見つけたわけだ。
新しい MSN Japan は、Internet Explorer 5 以上のブラウザでご覧いただくよう最適化されております。
正しく表示させるために、Microsoft Internet Explorer 5.x 以降、または MSN8 をご利用いただくことを推奨させていただきます。
それ以外のブラウザでご覧いただいた場合には、レイアウトの崩れ、または読み込みに時間がかかってしまうなどの可能性がありますことをあらかじめご了承ください。
私の使っているのはMozilla 、つまりそれ以外のブラウザである。上手く表示されないことがあるらしい。
念のため、そのページのソースを見てみると、もちろん、Doctypeなどなく、Headもない。<HTML>と<BODY>の間に、メタとスクリプトが書いてある。<HEAD>無しとは、少々大胆だ。
<BODY>の次は、<FONT>で、フォントタグの中に、<P>やら、<TABLE>やらがぶち込んである。これは手強そうだ。拡張子がhtmlでも、htmでもなく、.armxとなっているところを見ると、これはHTMLファイルではないのかもしれない。何か、全く別の、しかし、HTMLを表示できるブラウザにはHTML互換で表示できるような、特別な方法で書かれているのかもしれない。
エクスプローラできちんと表示できるかどうかは知らないが、彼らが言うところでは、エクスプローラー5以上に最適化されている、と云うのだから、エクスプローラはHTMLをマァマァ表示出来る、しかしARMXは、完璧に表示できるらしい。
しかしながら、この世のウエブページのほとんどはARMXではないはず。MSNの住人にはそんなことはお構いなしか。
IE5以上なら、豆文字も普通のサイズに表示され、フォントサイズ大にしても、レイアウトが崩れたりしないのだろう。きっと。
「MSN8」とやらに至っては、何がなんだかさっぱり分からない。素敵な写真付きメールを送ったり出来る、「何か」らしいのだが。
MSN 8 のメールなら、豊富な絵柄の中から背景画像やアイコンを選ぶだけでカラフルなメールの出来上がり!写真を送る時もグッと見映えがよくなります。文章を書くのが苦手な人は、いろんな表情がある豊富なスマイルアイコンを使うと便利。メールの文章にちょっと画像を加えるだけで、楽しい気持ちや嬉しい気持ち、いろんな気持ちが伝わりやすくなります。
メールの添削サービスでもやってくれると良いのに。
一応、ムービーの説明も見聞きしてみたんだけど。マックには対応していないと云うことで、スルーすることにした。
で、結局、NSNとは、何なのかは、分からずじまいだった。
と、ここまで書いて、大変基本的な勘違いをしていることに気付いた。
当該ページは、IE5以上を「使っていない」人がとばされる訳で、「それ以外のブラウザ」の人だけが目にするページと云うことになります。
どうなっているのかは分かりませんが、例えば、水玉模様のシマウマを見せて、シマウマが水玉模様に見える人は、病気だからこの薬を飲みなさい、と云うような画策か、あるいは、あのような、一見無茶に見えるソースが、それ以外のブラウザに最適だと彼らは信じているのか、あるいは、結局何も考えていないのか、そんな感じだと思う。
不幸な人を見ると、不思議な感情がわく。哀れみや、同情、実はそのようなことは、もう一つ別な感情のあとについてくるのだ。
自分や、自分の家族でなくて良かった。と思う。自分の気持ちを率直に表現すれば、そういうこと。私は不幸な人を見るたびに思う。自分でなくて良かったな。胸をなで下ろす。
これが自分だったら、どうなってしまうんだろうと思う。銃口を向けられて、「コイズミは馬鹿だと云え」と、脅迫されたら。馬鹿だと思っていたとしても、脅迫に屈することは耐え難い。嫌だ、あなた方の言うことは一切受け入れない、と、毅然として言えるだろうか。
家族が誘拐され、命を楯に脅迫を受けたときに、毅然としていられるだろうか。
ーーブライアン(ブライアン・エプスタイン;ビートルズのマネージャ)が死んだときのあなたの気持ちはどんなでしたか。
親しかった人が死んだときとおなじです。ちょっとヒステリカルな、なんというか、ひゃぁ、自分でなくてよかった、というようなことがありますよね。誰かが死ぬと生まれてくる、あの不思議な感情です。
.レノン・リメンバーズ(ジョンレノン著、片岡義男訳)
デパートで、エスカレーターに乗り、3階にでおりようとしたとき、目の前が女性向け下着売り場だったりすると、少々困惑することがある。しかし、どれほどきわどい、特殊なものがぶら下げてあったにせよ、それを見て興奮することはない。目のやり場に困る状況になるかもしれないが、経験上、こういうところを通り過ぎるときは、平然とやり過ごした方がよいことを知っている。
また、図らずも、何かの弾みにスカートの内側が見えてしまうことがある。風が吹いたり、何かに引っかかったり、しゃがみ込んだり、そういうときに、目に入って来ることがある。
見てはいけないものを見たことで、どきっとする。場合によっては、幸せな気分になるかもしれない。逆に、大変気分を害することもあるだろう。下着売り場ではこのような気分になることはない。
同じ布を見ているにも関わらず、感情の変化に違いが現れるのは何故か。
某教授が、手鏡を持っていなかったらどうだろう?背後からそっと近寄り、ただ、手のひらを、スカートの下にかざす。あるいは、スカートの主が、自分で手鏡を持っていたら?
おそらく、教授にとって重要なことは、そうと気付かぬ人の背後に近寄り、手をかざすことなのだ。ミニスカートの下、背後は彼女たちにとって、急所であるように教授には思えたのだろう。急所に色気を感じるのは珍しいことではない。教授にとって、手鏡は、少女たちに背後から近づき、急所に手をかざすためのエクスキューズだったのではないか?
急所は本来隠されるべきで、それが本人が意図せずに晒されたときに起こることを、プライバシーの侵害という。ある種の変態的趣味を持っている人は、適度にプライバシーを侵害することが、快感と感じられるのだろう。教授は少々想像力が豊かに過ぎた。
対象が高等学校の生徒であったことに関しては、良くわからない。そこが彼の変態性なのかもしれない。
こういうことを分かった風に書いている私も、自らの変態性を晒していることになるだろう。
テロ、と云うにはいささかお粗末な感じだ。
最初から、交渉することが目的のようだ。三日間の猶予を与えた。テロと云うよりは、誘拐事件。
余り頭のいい人たちがやっているとは思えない。場当たり的で、素人っぽい。
事件が起こり、官房長官がいつになく、きっぱりとした物言いだった。皮肉とも、ジョークとも付かぬ引きつった笑いは影を潜めた。
直後に出てきた外務大臣は、無能ではないかと思う。単に私が嫌いなだけなのか。
「・・・とすれば、」と、意味不明な仮定を持ち出し、「・・・の模様」を連発。もよう、って何だよ。何が分かっていて、何をどうやって調べようとしているのか。分からないなら分からない、言えないなら言えない。はっきり言うために出て来たンじゃぁないのか。
小学校入学式 祝辞
少子化が進行し、おそらく、一世代の人口は100万人ほどか。
仮に、一学年100名とすると、全国に小学校は1万校あることになる。取りも直さず、今週末に一万件の入学式が行われるわけだ。
式典には挨拶がつきもので、校長、PTA会長、父兄代表、在校生代表、そして来賓。少なくとも、5人が挨拶すると云うことは、5万人が、スピーチの ネタを探していることになる。10人に一人がインターネットの検索を使ってスピーチを考えたとすると、5000人が、「小学校 入学式 祝辞」をキーワー ドにして検索したはずだ。そうすると、おやこニュースが827件のトップに出る。
かくして、本日のおやこニュースホームのカウントは、多分新記録の78名。ページビューでは800を超える、これも新記録と思われる。
件のページに書いてあることは、
校長の挨拶が終わり、来賓の祝辞。30名ほどの来賓が次々と紹介され、全員が祝辞を述べてゆきます。いくら何でも、、ちょっと退屈。
と云う話題。30名の来賓挨拶!
読む価値のある情報かもしれません。簡潔に、子供たちに分かる言葉でお願いします。というか、来賓の祝辞は止めた方が良いと思いつつ、明日の入学式に備える一父兄の私。