民営化したらどうか、と思うのは、高速道路の料金徴収システムだ。
私はどうにも、あの馬鹿げた機械にお金を払う気になれない。移動体通信網の例でも分かるように、民間の参入を許し、競争原理が働けば、ハードの値段は一挙に下がる。また、様々なサービス料金などが登場するはずだ。自動車が原則ETCを装備するという状況になれば、例えば、あらゆる料金所で自由に乗り降りが出来る乗り継ぎ料金なども可能だろう。そうすれば、サービスエリアの下らないレストランで行列を作る必要もなくなり、高速道路沿線の地域の名産を食べるレストランに入ったり出来る筈だ。
高速道路の乗り口ETC専用の出入り口(原則無人)を各地に新設したらよい。人件費が掛からない。料金計算も機械がやることだ。高速道路沿線で道路利用者がお金を使う。今までサービスエリアの一部企業が独占していた利益を、地元に還元出来るだろう。
なにより、道路利用者にとって様々な選択の余地が増える。このメリットは大きい。
筑紫哲也氏による松井秀喜選手へのインタビュー。ニューヨークのアパートのテラスで、逆転サヨナラ勝ちの余韻を引きずりながら。
30歳を迎えたことが話題に上り、結婚についての意見を求められ、松井は、経験がないから分からない。といい、逆に、筑紫氏に経験に基づくアドバイスを求めた。
結婚の可能性について、「相手があっての話」「自分がその気にならないと、、、」と言いかけて、「お互いがその気にならないと」と、言い直した。
そう聞かれて、近鉄球団の社長だか、オーナーだかは、自信を持ってイエスと答えられなかったのだろう。
合併って、どういうことだ。ひとチームこの世から葬り去ろうというわけだ。身売りなら分かる。合併なんて発想がどこから出てくるのか。
私は野球は面白いスポーツだと思う。見て面白い。そして、テレビ中継やスポーツニュースがその魅力を十分に伝えていないとおもう。
球団が減り、試合数が減ると云うことは、野球はテレビで見るもの、ということになる。それで本当に野球の魅力が伝わるだろうか。
新たなファンを開拓できるか。従来よりのファンに対する奉仕になるか。
何にせよ、この理不尽で突飛な構想の背景を全て明らかにするべきだと思う。何か営業上の都合、しかも、各球団と直接関係のない利害で、話が持ち上がったような印象を受けた。つまり、パリーグを潰そうという意図が感じられたということだ。反対する声が余り聞こえてこないのも胡散臭い。
全く納得できないまま、ファンは離れるだろう。何処かの赤字がいくらか減るのと引き替えに。
事件後に、校長がうつむきながら、立ったままマスコミのインタビューに応えていた。小学校には、児童が父兄同伴で登校した。どうして臨時休校にしないのか不思議に思った。
その後、大勢の教育関係者が会合を持って、対策を話し合っていた。
ある人に云わせると、小学校は開かれたところらしい。校門を施錠したり、セキュリティスタッフが来訪者をチェックすることを気に入らない人がいるらしい。
別の人に言わせると、小学校は心の教育をする場所らしい。
教育現場にもなにがしかの責任があり、改善すべき点があるのだろう。
校舎内部から全ての刃物を追放するとか、校舎の隅々に監視カメラを設けるとか、空き教室の全てに施錠するとか、毎日児童のボデイチェックと持ち物検査を行うとか、そのような対策は根本的なものとはなり得ない。もしくは、教育担当者たちが口を揃える、「心の教育」偏重で、子供たちがまっすぐと育つとも思えない。解決すべき問題の多くは、学校の外にある。
「私たちに出来ることは、それほど多くはありません。私たちに期待しないで下さい。」と、学校長ははっきり言うべきだったのではないか。
心の教育やら、生命を大切にとか、そのようなことは家庭で身につけるべきもの。家庭教育の失敗が、事件を引き起こす原因になっているのではないかと思う。事件から多くを学びたいと思うが、少年法に縛られて伝わらないことにいらだちを感じる。
World-wide Web は、この世の中のコンピュータに蓄積された、様々な知識やデータを網の目のように結びつけようとして、そのコンピュータの持ち主である人間も結びつけた。
人間同士を結びつけることを想定していたかどうか、分からないが、インターネットが紡ぎ出す人間関係は、距離感が曖昧なまま発展してゆく。
公開の原則
全ては公開されているということ。距離感が曖昧な場合、公開を意識できないことがあるかもしれない。匿名で行われる情報公開の多くは、受け手と読み手の距離感が不明のまま進行する。結果的に利害が生じたとしても、利害さえバーチャルであるのは、お互いが匿名だから。
公開の原則に鑑み、全ての人が見ることを拒絶できず、インタラクティブなコンテンツを含む場合、あらゆる人の参加を拒絶できぬ。広大なバーチャル空間で、匿名性を廃して初めて公開と言えるのであって、そうする覚悟が出来ていないなら、それは必ず破綻する。例えば、いわゆる「サイトばれ」の恐怖におののく滑稽さやら。ある時、クラスメートがうざったく思えたのは、そういう理由からだろう。
ほーむぺーじが公開されている以上、二人の関係を絶つには、どちらかが引かねばならぬ。自分の空間であるほーむぺーじを守り抜こうとすることは、余り珍しいことではなく。手の届くところにある邪魔な参加者を排除する方法は、その人の個性や知識、経験から結論が出されることだろう。
つまり、無防備なネット参加者や、ウエブページで情報提供を行おうとしている人々が、学ぶべき唯一のことは、公開の原則であったと思う。
私は携帯電話を使わないので、余り公平な意見とは云えないかもしれない。
通勤にバイクを利用している。目の前を走る車が、妙な運転をしているとき、つまり、交通の流れに乗らず、左右にふらふらと進行方向が揺れて、突然ブレーキを踏んだり、している場合、その車の運転手はかなりの確率で、ケータイ電話をいじっている。
こういった、妙な運転は、泥酔状態の酔っぱらい運転に匹敵するもので、携帯電話の恩恵と関係ない立場から、車内で携帯電話使用が禁止されることは、良いことだと思う。
加えて、携帯電話の危険性は、よそ見のみならず、会話そのものにより注意が散漫になることだと思うので、ハンズフリーならOKということにはならない。
しばらくは不自由に感じる人もいるかもしれないが、近い将来、運転中は電話が通じないのが当然と受け入れられることになるだろう。
社説というのは、新聞の編集部が作るコラムである。新聞社の意見を代表する記事として、対外的には重要な位置を占めていると思う。
話題をタイムリーに取り上げることが多いが、私は滅多に読まない。せいぜい、見出しを眺める程度である。
先日、読売新聞社説に妙な見出しを見つけた。日本人ジャーナリスト二人が殺害された翌日の紙面である。
土曜夜、ニュースワイドショーの「ブロードキャスター」で、福留氏がかつて、戦場取材で知り合った友人の無惨な死を悼んだ。
新聞社も同業として、いろいろ感じ入る部分があるのだろうと思って読んだ。
読売新聞の5月29日付の社説は、ネット版でも読むことが出来る。社はリンクを拒絶しているので、興味のある方はYOLを探せばすぐに見つけられるはずだ。
タイトルは
[2邦人襲撃]人質事件の特異さが際だつ
と云うものである。私は、もとより人質事件の自己責任云々がどうにも理解できなかったのだが、どうしてこのタイトルが出てくるのか、不可解に思い、読んでみた。新聞社の主張が理解できなかった。
同じ日の他紙の社説を見ていて、分かったことは、読売新聞は、人質事件以降、外務省の求めに応じ、記者をイラクから退去させていること。そして、退去後、読売紙面に自己責任論や、戦場の取材活動に対する批判的な記事が増えたこと。
自衛隊派遣に積極的だった読売新聞は、邦人に被害が及ぶことで、国内世論が反戦に向かうことが気に入らないと見える。そこで、今回の事件で自衛隊撤退などと言い出す人は、この前の「人質事件」のときのように、強烈な非難を浴びますよ、と、読者などを恫喝しているように感じられる。
家族の「自衛隊撤退」要求に呼応するように、わずか二日間で約十五万人の署名が集められた。国会前では、組織的なデモが続いた。極めて政治的な、奇妙な光景が繰り広げられたのである。
しかし、国の政策変更を公然と求めたことへの批判に、家族が「自衛隊撤退」を口にしなくなるや、こうした動きも、急速に沈静化した。
ここら辺が、今回の邦人ジャーナリスト殺害とどのように関係あるのか、私には理解しかねる。人質を取って自衛隊の撤退を要求したのは、誘拐犯の方だと思っていたが、読売新聞の解釈は違うらしい。
よみうり新聞社は、橋田氏と小川氏を、退避勧告を無視し自己責任を果たそうとしない無謀な行動を取る輩、と、扱う度胸は無いらしい。むしろ、美談のような書き方である。
人質事件の家族と違い、橋田氏の妻もジャーナリストで、夫の職業についても、十分に理解している。マスコミとの応対は慣れたものだ。今回は人質事件の時のようなバッシングよりも、同情が起こるだろうと云う読みなのだろう。いい加減なものである。自社の主張など、一般ウケという大命題の前に霞む。まさか、政府や外務省と相談しつつ見出しを決めている訳ではないと思うが。
今、読売が記事にしているイラク関係の記事は、ネタの出所に十分気を付けた方が良い。多くが記名記事である。誰が何処で何を見聞きして書いたのか、十分に留意する必要がある。
家族の幸せ、と云うことを重視するなら、申し上げにくいが、彼女が北に戻るか、あるいは中国など他国に永住すると云うことも選択肢に入る。が、これでは政府のメンツが丸つぶれなので、そうはならないだろう。
何もせず、だらだらと未解決のまま当分経過させると云うのもかなり現実的な線だ。政府のメンツという意味では、その間により魅力的な別のことを解決すれば保てる。
合法的に日本国内に、と云うことなら、犯罪人引き渡し条約を破棄するしかない。もう少しスマートには、佐渡島を日米犯罪人引き渡し条約除外特区とする。米国との関係は少々悪くなるかも知れない。佐渡島に指名手配犯人が集まるかも知れないが、特区と決めるからには仕方がない。アメリカでとんでもないことをした人でも、日本の法律に照らして善良な市民なら、それでよしとするわけだ。
他の解決策は思い浮かばない。ワタシガホショウシマス、と云うからには、それくらいやるつもりはあったのだろう。それとも、ただブッシュ氏に泣きつく作戦だったのか?あるいは、実は逃亡兵ではない、と云う、新たな証拠を出してみるか。
朝のひとときをさわやかに過ごす。
よくない評判をよく目にする。あの良さを理解するには時間がかかるかも知れない。あるいは永久に理解できない人が多いのかも知れない。少々残念。
私も、初めのうちは分からなかった。詰まらないと感じたと思う。
ある時、良さが分かり始めた。それ以降は、見るごとに評価が上がる。
なんだか、ぼんやりして、ぼてっとした主人公の良さが分からなかった。何となく不自然な、わざと臭い雰囲気を感じていた。ある時、私は見ていて大変感動した。それ以降、良さが分かるようになった。
私が感じるドラマの魅力の半分が、藤澤恵麻さんの個性なのだと思う。ストレートで前向き。
残る半分は、暖かい脇役たち。全く隙がない。
ドラマの良さが分からない人がいるのは、当然とはいえ勿体ない。
家族を大切にしたい、すべての人にお勧めできるドラマ。
結果論として、あのパッシングは無理があった。彼はコントロールしているつもりで、コース上にとどまれると考えたとしても、彼のラインは先行車のラインとクロスする。
次の周回か、あるいはそのいくつか後のコーナーでチャンスを見出した方が、結果は良かったのかも知れない。つまり、無謀なパッシングで多くのものを失ったという見方が出来るだろう。しかし。
琢磨はF3時代から、あのスタイルを貫いていた。そのことを思い出したとき、私はレースを理解した。
もう少し、したたかに、表彰台に上ることを考えて、3位を安全にキープすること、あるいは、ファイナルラップまでに、二位に上がることを考えていれば、それは容易いことだっただろう。
エッジの上を走り続ける琢磨は、自分のトラックがエッジの上である必要があるのだ。手をゆるめることが許されるのは、トップに立っているただ一人のレーサーのみだ。
インを取られ、あわてふためいたのは、ルーベンスの方だ。勿体なかった、と云う言い方は成り立つだろうが、レーシングアクシデントの一つである。
あの走りを否定的に捉えてはいけない。
先ほどまで、F1ヨーロッパグランプリを見ていた。
タクマのレースについて、若干の感想を述べる。
彼は、間違いなく、優勝を争っていた。次のカナダ、そして、その次のインジアナポリスは特に、彼とBARにとって、初優勝のチャンスが来るだろう。それは、例えば、マイケルが何かトラブルに見舞われれば、と言うような条件なしで、彼らがレースを席巻する可能性があると言うことだ。
今回の接触について、彼は、レース後のインタビューで、マシンが全くコントロール下にあったと云っていた。多分そうなのだろう。恐ろしいほど、切れた走りをしていたらしい。ラップタイムなどの情報が手に入らない、しかし、接触した周回で、彼の一コーナーへのつっこみの鋭さは尋常ではなかった。後ろに食らいついて、というような儀式一切なしで、いきなり切れ込んでいった。タクマは負け惜しむようなやつではない。そして、ルーベンスはわざとぶつけるようなレーサーではない。多分、彼の云うとおり、相手が慌てたか、気が付かずにぶつかったのだろう。しかし、同一周回、二番手を走る相手を抜く場合は、幾らか敬意を払うべきだろう。少なくとも、並びかけた瞬間に、相手に気が付いてもらわなくてはならない。ルーベンスは、ピットサインで後ろにタクマが居ることを知らされていたはずだ。彼らの常識を越えたスピードで近づき、抜こうとしたのだろう。
タクマがF3でチャンピオンを取ったシーズンのレースをいくつか見たことがある。今日のレースは、それを思い出させるものだった。
タクマは勝ちに行った。あの走りはチャンピオンを争っているときの走りそのものなのだ。
改めて云うが、カナダ、あるいは、インジアナポリスに大きなチャンスが訪れるはずである。
BSE対策と称して、莫大なお金をばらまいたこと。が、犯罪者を生んだ陰にある。50億円は些か遣りすぎだった。
初めてではないだろう。今まで彼が受けた補助金の類をすべて洗い直してみたらよい。
莫大な金を無責任にばらまく仕組みを作った役人や政治家に結果責任を問いたい。
もちろん、欠陥車を作り、更にそれを隠した製造側は罪を免れまい。しかし、こと公共の安全を守る目的にしては、法律を守らせる仕組みの不備に関して、行政側の手落ちである。
欠陥を隠すために、新車を10台、献上したとか。それだけ大胆、と云うか、馬鹿げた不自然な誤魔化しをやっていたにもかかわらず、表に出なかったことはとても不思議である。行政のチェック機構に欠陥があったとしか思えない。
「イラクには入らないで下さいと勧告していたんですけどね。残念ですね。」
と、言った、と、よみう りしん聞に書いてあった。
他にも何か言ったのかも知れない。あるいは、あの人のことだから、ひとことだけ言ったのかも知れない。
多分、「残念」と云った主は、犠牲となったジャーナリストがどういった人なのか、何も知らない。彼が、命をかけた作業について、理解しようとしていない。自分の言葉の重みも、責任も、考えない。
その言葉が本心かどうか。
まず、自分に責任がないと予防線を張り、そのために、二人が命をかけた、ジャーナリストとしての仕事を否定する発言であることに、気がついていない。デリカシーのない男。
鈍感なマスコミ、市民、狂っている。
<!--
「自己責任だからね、問題ないですね」と云ったのかも知れない。
-->
*肩代わり
秘書の給料を肩代わりさせると、いろいろな不都合が生じて問題になることはあるが、本人の給料の肩代わりは、特に問題がないのかも知れない。
*太っ腹
欲がない、というより、下心を表に出さない。
*おおらかな時代
おおらかとは、無知のこと。抜け穴が多いこと。
北海道出身の私は、意味もなく、「おおらか」と評されることがあって、これは大変失礼というか、言われる側にとって愉快なことではない。
*『会社なんか来なくてもいい』
で、給料をもっていると云う状態は、一般には解雇一歩手前の大変リアルな状況、と云うか、干されていることを意味しているので、身につまされる人がこの頃は多いかも。
言葉の響きがよいのか、意味不明の単語が一人歩きする。
インターネットを使った、様々なことが、ハイテク、と、表現されている。
Y新聞社の夕刊コラムの一部を引用する。
インターネットの普及でハイテク犯罪は増える一方だ。自殺ほう助の請負、薬物提供、殺人依頼、レイプの勧誘……今月は「幻の焼酎」の偽物販売や著作権侵害の違法コピー関係の事件が摘発された
インターネットの使用に免許制を提唱する論さえある。それもうなずけるような乱れた状況がある。
彼らのハイテク犯罪の概念はきわめてユニークである。よみうり新聞社としては、インターネットの免許制に賛成する立場なのだろう。
コラムでは、オークションにおける詐欺行為も問題にしている。
利用者が騙されやすくなっていることは確かかも知れない。
当たり前のことであるが、ネットの向こう側を信用してはいけない。常識である。
私はどうして、家族を話題にしたウエブサイトを作り続けているのでしょう?ウエブサイト(いわゆるホームページ)を持つことが、何か特別なことのように扱われる風潮もあります。しかし、実際にやってみれば分かることですが、こうしてホームページを作り、サイトを維持管理することは簡単なことではありません。誰かにアドバイスを求められたら、今なら、止めた方が良い、と云うかもしれません。或いは、やるなら、ごくごく軽い気持ちで、と云うのもひとつの取り組み方でしょう。何より、大切なことは、続けることです。
おやこニュースを立ち上げた3年前と比べて、世の中の状況はずいぶんと変わってきています。私の目指すところも、少しずつ現実に目覚め、淘汰されて来たように感じています。インターネットという公共のものを使い、私は何をしようとしているのか。要点は二つです。
1. あくまで、自己満足で、自分たちの記録を残すということ。
2. 結果的にそれが誰かの役に立つならば、それが無償でおこなわれ、全く何らの見返りを求めないこと。
WWWがもたらす独特な人間関係の距離感に、私自身が当惑することが多いのです。皆さんがここで目にする全てのものは、私が、私と家族のために作ったものです。他の何のためでもありません。それが、ご覧になった方に何らかの利益をもたらすならば、それは全く望外のことです。私にとって、いらっしゃる方々は、まるで透明人間のようです。私はアクセスカウンターなどで、誰かがここにやってきたことを知ることが出来ます。たった今、誰かが隣のページを眺めているかもしれないと感じることは、管理人にとって独特な感情です。
何かを感じ取っていただいたときに、それは、インターネットというバーチャルな空間に存在していながら、実は、私たちが実際の生活で見聞きし、感じ取った実体であること、そして、私の部屋の(実際の部屋です)机の上で、私が考え、作り出した実体を、WWWと云う空間に、送り出したからこそ、そこにある、と云うことを想像していただきたいと思います。
私がこういったことを始めて3年あまり。私は、自分がすごいことをやっているのだと感じています。全くの素人の私が、自分の感じること、経験したことを、これほど詳細に記録してゆくことは、ウエブページ作製以外にあり得ないような気がするからです。目撃することの快感をお楽しみ下さい。私は私で、楽しんでおります。おやこニュースは、更に当面続く見込みです。
(おやこニュースサイト紹介より転載)
訂正です。
今回のレースで歴史的なことは、予選三位より、むしろ、レース中のラップリーダーを取ったことだろう。過去にあっただろうか?
琢磨のレースラップ中の最高順位は、10−11、44周目終了時点の2位で、記録上は一度もトップには立っていない。
おそらく、マイケルがピットレーンで先にコントロールラインを通過したものと思われる。
ということを、特に、後の方でぞろぞろ出てきている人たちは思っていらっしゃる雰囲気が見える。後の方と云ったが、この後どれほど出てくるか分からないので、正しい表現ではないかもしれない。ややこしい。
別に、珍しいことではないし、みんなやって居るんだから、良いじゃん別に。私も、はじめのうちはそう思った。しかし、違うのだ。
何故に野党第一党の、もしかしてソウリ大臣になるかもしれないような人が、役人が手続きを間違えたくらいで、辞任しなくてはならないのか。
今までは、政治家の皆さんなどが、そういういい加減な気分でいらしたから問題が生じた。これからは、そういういい加減さを許しません、ということだな。私はそう思う。だから、これに関して、ルールを決めようとしている人たちは、毅然とした態度を取る必要がある。考えを改めねばならないというわけだ。
あんまり大勢居るようなら、解散・総選挙もやむを得ないのではないかと思う。
正しいほりかた
仮に、代議士Aさんとしよう。
原則は、一気に掘って、自ら入る。埋めるのも自分でやるが宜し。迷惑かけないように。ソクシンブツといえば、そうとも云える。
Aさんは、掘ってもらっった上に、引きずり込まれて、埋められてしまった。最後にハンカチを振ってお別れを言うところは、マァマァの出来。
一方、Bさんも代議士である。
# 墓穴を掘るまいと必死になることを、開き直るというのであるが、彼はそのことを自覚していない。
(素直に自分の非を認め、深い反省を表明すればよい。)
謝るような振りをして、自己弁護(自分の非を認めようとしない)することは、ある意味最悪のやり方である。(掘っていないふりをしてしまったわけだ)
端から見て、どう見えるかは、私には分かりません。けれど、私は、ハダカが特技と、思っている。
どんなに塗りたくり、着飾ったところで、全てはぎ取ればハダカになる。ハダカさえ、朽ちて滅びれば、髑髏が残る。人間なんぞ一皮むけば皆同じさ、と云ったのが、キースだったのか、山川健一氏だったか、定かではないが。
私はどうも、化粧が下手です。色のセンスが足りません。努力はしているつもりですが、努力の方向が間違っているというか、努力の仕方がまるでいい加減というか。足掻くほどに、美しさからも、機能性からも外れていくようです。
それが個性というのはある意味誤解で、私は諦めの境地。騙すため、なんだか寂しくみえる空間をうめるために、いろいろなデザインを施しているのです。そんなものはどうだって良いのです。本当は。
ハダカが特技な訳で。皆さんのブラウザでどうやるかは知りませんが、「スタイルシートの表示」と云うチェックを外して、私のサイトを見てみて下さい。私のハダカが見えるはずです。着飾っている私より、マシな筈です。
身も蓋もありませんが。
試しに、髑髏も見てみたいのなら、表示メニューの何処かにある、「ソースを表示」とやってみて下さい。私の髑髏が丸見えになりますが、こっちの方は余り自信がありません。
以前から気付いていたのですが、エクスプローラ(マックOSXバージョン5.23)だと、常時素っ裸なのですが、どうしてなのか分かっていません。
それから、ゴタクのページは、掲示板のスクリプト(プログラム)が、自動的に作ってくれるので、私のハダカというわけではありません。念のため。