毎日、機嫌良く働いて、おいしくご飯をいただいて、子どもたちと遊んで、抱っこして、おんぶして、お風呂に入れて、歯磨きして、女房とおはなしして、一日の反省やら、これからの抱負やら、考えていたら、もうこんな時間だ。そういう毎日。
おおもとは、
http://deztec.jp/design/04/03/000156.html
参考文献多数。
おそらく、これを読む多くの社会人の方々が、それぞれの分野の専門家であると思われる。
否定命令文で、キャッチフレーズを拵えると、色々な誤解を生む元になる。ともかく、専門家だろうが、素人だろうが、(自称専門家の方が発言のインパクトは当然高いだろうけども)、ウエブページで発言するからには、当然、腹を括り、あらゆる人からのあらゆる批判的意見を受け得ることを覚悟するべきだ、という感じで、私は意訳したんだけど。
色々なアイディアをまとめてらっしゃるが、自称専門家の間違った情報は、確かに害悪であるけれど、ウエブページに並んでいる多くの情報が当てにならないというのは、ウエブと付き合う上で常識。それが、自称ウエブデザイナーであっても、 自称HTML・XHTML カテゴリのガイドであっても同じこと。
誰と責任を分担したところで、インチキはインチキ。上司に個人サイトをチェックをお願いするより、社内で講習会でも開いた方が建設的というもので、そういうことはFaculty developmentと称して、まっとうな企業なら色々と取り組んでいるはずです。
ウエブデザイン業界が特別とは思わない。会社の管理者が、社員に対して予防的に呼びかけるならまだしも、社員個々人が自分のサイトを会社に申告し、お伺いを立てるというのは筋が逆と感じる。私にはとうてい理解できないが、考えが古いだけかもしれない。
再就職する人が悪いんじゃなくて、いわゆる、天下り先と呼ばれる再就職先の企業やら、特殊法人のいい加減さが問題なのだ。
コネやら、権力やら、ネームバリューを目当てに、自己保身の相互依存となる状況が宜しくない。まじめにやる人が馬鹿を見る世の中では目も当てられない。
カイカクの生け贄になっているならもったいない話。
妙な言葉。公務員のエライ方の人が、定年退職後に再就職すること。なのかも。
有能な人材を、年齢を理由に退職させることの損失を、まず考えるべきだ。
法律上、引退を強いられる人材に新たな職場で活躍してもらうことを、もう少しポジティブに解釈したらどうか。
拙いのは、天下りする役人ではなく、受け皿となる特殊法人とやらで、そちらの改善を急ぐべきだと思う。
セクハラ・ストーカー行為
も、妙な言葉だ。援助交際と同じくらい妙だ。と、以前にも書いたかもしれない。いかがわしい行為、とか、分かったような分からない言葉は、やはり妙だ。
虐待と、育児の事故は紙一重だと思う。新生児の場合、思わずやってしまったことが深刻な結果をもたらす。それを虐待と呼ぶのもやるせないと思うケースがあるだろう。
しかし、一律に虐待扱いされる。報道や警察が一線を何処に引いているのか知らない。
泣く赤ん坊を泣きやませることは出来ない。
泣いている理由がはっきりしているときは、その原因を解決してやれば、赤ん坊は泣くのを止める。しかし、夜泣き、とか、寝ぐずり、と呼ばれる泣き方は、原因が親の立場から分からない。泣きやませようとする動機は色々だろう。自分も疲れているから、早く泣きやんでほしい、とか、周りに迷惑が掛かるから、とか、
この状態で泣いている赤ん坊は決して泣きやませることは出来ない。慣れていない親は、一生懸命、あやしたり揺らしたりする。泣き声のトーンが上がるほどに、親の側も必死になる。レスポンスが十分でないと思ったら、更にがんばる。最悪である。
こういう状態の赤ん坊はあやしても無駄である。揺するのも良くない。親に出来ることは、ジッと我慢し、泣きやむのを待つことである。何をやっても無駄なのだ。抱っこして、歩き回る、あるいはゆっくりと揺らす。(揺するのではなく、揺らす)即効的な何かを求めてはいけない。そのうちに泣きやむ。それまでとことん付き合う覚悟を決めて、少なくとも、親の方は心を穏やかにしておく。私がこれらのことに気がついたのは、4人目を育児している最中のことだった。
改めて、強調しておく。「親は赤ん坊を泣きやませることは出来ない。親に出来ることは、赤ん坊が泣きやむのを待つこと。」
忍耐強く、接することが必要なのだ。
ウエブ日記などは結構楽しいかもしれません。はてなのサーヴィスなどは、リンクなども自動的に入れてくれますし、トラックバックに近い形でリファラーも残してくれます。コメントを書き込む設定にすると、ちょっとした掲示板のような扱いも出来ます。
しかし、ウエブサイトを運営するのは、本当に大変。やってみたいな、と云う人は、老後の楽しみにとって置いた方がいいかもしれないと思う。
時々、こういうことを書いているのですが、ゴタクの楽しみ方についてメモしておきます。
-お暇な方は、過去ログなどありますので、ご覧になっては如何でしょう。
-750番目あたりまでまとめたもくじのページはこちら
http://www.oyakonews.com/archives/gotaku/gotaku_index.html
-多分、ご覧の皆さんのブラウザウインドウの右側に、過去ログへのリンクが表示されているはずです。現在、950番あたりまで、過去ログに入っているはずです。
-可能な限り、毎日、出来れば週に5つくらい、新しい記事を書きたいと思っています。
-新しい記事が出ているかどうか、アンテナをご利用になると便利かもしれません。
http://a.hatena.ne.jp/namnchichi/
ただし、このアンテナは情報をキャッチするのが半日くらい遅れることがしばしばありますが。
-自分もゴタクに投稿してみたいと思う方(余りお奨めしませんが)ゴタク利用案内をお読みください。それで書く気が失せない方はどうぞご自由に。
http://www.oyakonews.com/cgi-bin/gotaku_cgi/gotaku_intro.html
と云うわけで、いつもご利用いただきありがとうございます。当面、こんな調子で続くと思います。
さほど遠くない場所で、鶏インフルエンザの騒ぎが起きている。
昨晩、テレビの再放送で、昨年起きたオランダの鶏インフルエンザ流行について見聞きした。他山の石があったのだ。
今日の夕方のニュースで見たのだが、アサダさんの小屋にいた20万羽の鶏たちを処分するのに、随分もたもたとしている。ようやく2万羽の処分が終わり、残りを処分するのに、機動隊の出動が要請されたとか。
まだ終わっていなかったのか、と、少々ビックリ。暢気すぎる。いつからやっているのだ。いつまでかかるというのだ。
だいたい、感染が疑われたときにどう対処するのか、マニュアルのようなものがないのだろうか。すべて自治体任せで、お国は大臣が視察に出かけた。処理の邪魔をしに行ったわけではなく、処理を手伝いに行ったわけでもない。補償問題も必要かもしれないが、防疫対策が最優先のはず。大分で発生した時点で、その準備がなされているべきではなかったか。
とりあえず見に行った意図がよく分からない。体裁を繕いに行ったわけでは無かろう。他山の石から学習するべきだった。見学しに行くなら、アサダさんのところより、感染の拡大防止の最前線となっているはずの周辺農家の方ではなかったか。
生活ほっとモーニングという番組を毎朝、少しずつ見ている。本来はおかあさんといっしょの裏番組なのだが、息子が朝ドラを気に入っており、歌のお姉さん、お兄さんに余り興味を示さないので、ニュースに続いて見続けていることが多い。生活情報を扱うワイドショウといった感じ。仕事に出かける直前のひとときである。
今日の話題は、涙もろくなること、だった。歳を重ねると、涙もろくなることを、ボランティアを使って実験していたようだった。
涙もろくなる、というのは、感情を制御し難くなることで、過剰である場合、痴呆症の一症状とも考えられるので、少々危ないテーマなのだが。
思うに、想像がある点にたどり着くと、私は涙が出るのだ。閾値が下がっている気がする。想像力が豊かになったのか、あるいは、思考のパターンが固定しつつあるのか。
私はストーリーにリアリティを求めるので、ドラマなどで感涙することはほとんど無いと思う。散文や、音楽にはかなり弱い。
週末、大阪城ホールに出かけた。歳を重ねるに連れて、音楽の好みはレトロスペクティブになり、その最大の要因は、新しい音楽と向き合う時間が十分に取れないからだと思うが、もう一つの要因、自分の思考が固定化してきていること、をひしひしと感じざるを得ない。
娘が、小学校の運動会のリズム体操で、「はなうた」を練習していた。はなうた、というと、私は何となく吉田拓郎を連想するのだ。彼が以前に、自分の歌を鼻歌で歌うことはしない、というようなことを語って、それが印象に残っているせいだと思う。
娘たちが練習していた「はなうた」は、鼻歌ではなかった。そのポジティブな歌に、私はすっかり痺れ、演奏しているTOKIOは、最近聴いた中でもっとも気になるミュージシャンとなった。私は日曜日の午後3時頃、大阪城ホールではなうたと再会したのだ。
イントロを省略し、生ギターで始まったその歌は、私に語りかけ、私の涙腺は緩んだ。ここに歌詞を書くことは、音楽著作権上拙いらしい。
2時間半あまりに及んだショウを私は満喫し、長瀬智也のパワーとセンスに驚愕し、そして、メンバーそれぞれの強烈な個性に酔った。
Gliderと、フォノグラフ、I'm mineを聴けなかったのが残念だった。
おっと、娘の付き添いで行ったのだった。来年は、多分女房が付き添い、私は留守番となるだろう。
彼らのますますの活躍を願う。
ORKUTという、なんと言ったらいいのか良くわかりませんが、友人紹介サイトのようなもの、に、誘われて、登録(と言っていいのかどうか分かりませんが)しました。登録して、初めて、どういうものかを概ね理解した次第。
自分のページに、自分の自己紹介があって、その隣に、友人のリストが出ます。私の場合、リストといっても、私を誘ってくれた人がひとりだけ、出るだけです。
誰かを誘って、その人がメンバーに加わると、リストに友人が増えていくのだろうと思う。
誘ってくれた人の名前をクリックすると、その友人の友人がリストアップされ、更にその友人のリストを見ることが出来て、、、という具合に、人間関係がどんどん広がる、という仕組み。そのひとりの友人を通して、2800名あまりのリストと繋がっているらしい。そういったリストの中には、アンテナや、リンクを通じて、存じ上げている、私にとって有名なネット上の人も居たりして、ウエブページからは窺い知ることの出来ないような、人物のちょっとしたことを知ることが出来て、なんだかドキドキする感じ。
一種の「幸福の手紙」みたいな感じがしないでもなく。
私は、友人が少ない。ネット上の知り合いに至っては、ほとんど居ないと言っていい。唯一、この人なら誘ってもいいかもしれない、と、思っている人がいるのだが、今回の誘いが、その人から来たので、いよいよ誘う相手が居ない。
おやこニュースは、スタンドアローンのサイトなので、お友達が居ないことは、むしろ当然というか、私にとっては誇るべきことだと云うことで、強がりにしか聞こえないかもしれないけれど。
残念ながら、私からリストが広がる可能性はほとんど無いと思う。当面、私の友人は[1]のままでしょう。なんだか、そこに居るだけで、私のところで繋がりを切ってしまうようで、折角誘って下さった友人には申し訳ない気分です。そのうちに、何かするかもしれませんが、しばらくは、眺めて楽しむだけと思います。
一時、ぱったりと止んでいたウイルスメールがまたぽつりぽつりと来ている。今回はLiveUpdateをしたためか、Norton AntiVirusが反応する。
普段は、開かずに捨てるのだが、左手でトラックボールを操作していて、間違えて開いてしまった。多分、開いたところでどうということはないはずである。
今回はかなり手が込んでいる。HTMLメールで、画面上は、マイクロソフト社のアップデータの案内を装っている。私は、マイクロソフト社がメールを使ってこういったアップデータを送りつけることをしないということを知っているし、何より私はウインドウズユーザーではないから、そういう登録も一切していないので、これはウイルスメールだと思う。
ソースを表示させると、ページ内に設定されているリンクはマイクロソフト社のセキュリティページに繋がっている。
表題は数パターンあるようで
* Latest Net Patch
* Network Upgrade
* New Microsoft Pack
差出人は、
* Microsoft Public Services
* Microsoft Security Center
* Microsoft Corporation Program Security Section
大抵は、Mailer Damonからのエラーメッセージと組になって届く。
マックなら大丈夫だろう、と、一応すべて開いて、ソースを見てみると、Recieved: fromの部分がすべて同じホストで、実名は伏せるが、某テレコミュニケーション会社である。ということは、その社内の端末が、ウイルス感染し手いるということなのかもしれない。
そのパソコンからこれを受け取っているのは私だけでないと思う。誰か教えてあげた方が良いんじゃないかな。
他人事ではありませんので、皆さん、それぞれにご用心を。
これだけ騒がれている中、自分の鶏小屋の異変を放置した、京都の養鶏業者の暢気さというか、危機意識のなさというか、鈍感さというか、ちょっと拙いかな、とは感じたと思うのだけれど、考えたくないと思ったのか、遠い別の世界のことと思っていたのか。言葉を失うが、責任感の低さに唖然としたのだ。
ウイルスをもらってしまった兵庫県の養鶏業者の憮然とした記者会見の模様。怒っている人。怒りにふるえる人の表情とは、こういうものだというような。
ところで、京都の養鶏場では、次々と鶏が死んでいるわけで、残り全てを処分することになったと、夜のニュースで聞いたのだけれど、京都府の対応の暢気さについても、問題にしたい。
おそらく、24時間ほど、判断が遅れたと思う。大丈夫かな。
養鶏場の近くから中継していたテレビ局も、大丈夫かなぁ、と、心配になったのですけど。
芸能人は、色々大変で、独身者が誰かと交際していたり、いよいよ婚約となったり、その木はないのに赤ん坊が出来たり、出産したり、結婚したが別居したり、借金が出来て引っ越すことになったり、結局は上手くいかなくて別居したり、愛人が出来たり、不倫したり、離婚したり、するたびに、芸能記者や、ワイドショウ視聴者や、ファンや、興味を持って下さる一般市民に挨拶というか、報告するわけです。嫌だと思う。人気商売だから仕方なくやるのです。芸能人という一個人より、マスコミの力の方が上というのが現在のバランスです。
きょうびはファックスとか、ホームページとか、そういう便利なものがあるので、いちいち質問に答えたくない人は、そういったオンラインの遠隔操作でご挨拶というのが主流のようです。
今日見た番組の中でも、某女優さんが結婚することになって、その報告ファックスを紹介していましたが、「直筆ファックスが送られてきました」
そんな馬鹿な。ファックスは直筆であり得ない、それをいうなら「手書きファックス」でしょ、と、思ったのでそのようなことを書く。
何処かからリストを手に入れて、メールを送りつけてくる人たちの狙いは、良くわからない。魔が差した人を釣ろうとしているのか。
それに比べると、電話をかけてくる人たちの目的は明快である。出方をうかがい、アポを取る。アポが取れれば、彼らの目的は50%以上の確率で完遂だろう。電話はメールを大量に送りつけるより遙かに手間が掛かる。メールはレスポンスが無いことが多いのだろうが、電話の場合は一応、コンタクトが取れる。
この手の電話に出ることになったら、
1:まず挨拶する。(向こう側に名乗らせる)
2:向こうの正体を確認する(個人名のあとに、企業名を名乗らせる)
3:電話をかけてきた意図を確認する(税金節約ってことですよね、すごいなぁ、、)
4:不動産の勧誘であると感じたら、<strong>なるべく無礼な</strong>切り方をする
キーポイントは、相手の意図を聞き取ること。話に乗りそうな雰囲気を見せると、簡単に勧誘だと告白する。(スパムであることの確認)それから、無礼に切ることである。向こうはこちらのことを金づるとしか思っていないから、こちらも向こうに敬意を払ったり、気遣いをする必要は全くない。
例えば、土曜日の午後6時30分に間違い電話をかけてしまったときに、とりつく島もなく、ブチッっと切られて、何もあんな切り方をしなくても、、、と、腹が立った時のような切り方をすること。
名簿を片手に電話に向かう彼らに、いちいち腹を立てている暇はない。あとで恨まれて、付きまとうようなこともない。
とにかく、タイミングを見計らって、出来るだけ失礼な感じで切ることがコツである。
職業意識の欠如に基づく人権侵害が行われた場合を不祥事と呼ぶ。
お巡りさんが、万引きしたり、お医者さんが拙いことをしたり。サーバー管理者が顧客の情報を盗み出したり、学校の先生が、生徒を侮辱したり、政治家が特定の選挙民と利害関係があったりすると、不祥事になる。
何かをやって、被害者が存在する場合を不祥事と呼ぶ。
被害は、人権の侵害である場合が多い。
悪い人が悪いことをやっても、不祥事とは云わないようです。
月に2度ほど、阪神高速をバイクで利用して出先へ出勤する。今日がその日だったので、阪神高速湾岸線を利用し、大阪市内を通り抜けて東大阪方面へ。バイクとはいえ、普通車と同じ700円を払わなくてはならない。
尼崎市の公害訴訟の影響で、阪神高速道路公団と国は、国道43号線とその高架上を通る阪神高速神戸線の交通量を減らさなくてはならないらしい。
我が家から利用する便利さは、湾岸線も神戸線も大差ない。私が湾岸線を使う理由は、西宮港周辺の景色が好きだから。神戸線の眺めは退屈なのである。
湾岸線に交通を導くために、ロードプライシング(要するに、湾岸線料金の値下げ)実験が行われている。要するに、ETC利用の大型車に割引料金を設定し、神戸線の交通を湾岸線に誘導しようということ。
割引率は2割強である。今日利用した限りでは、効果が上がっているとは思えず。環境問題の解決を目指しているのか、ETCの普及が狙いなのか。
神戸線沿線の大気汚染対策を考えているなら、湾岸線の大型車は、通行無料とすれば、大変な効果があると思う。ETC利用車のみ、という見え透いた下心が、寧ろロードプライシング効果を薄めていると思う。
阪神高速道路公団によると、阪神高速全体のETC利用率は10%とのこと。ということは、ETCに拘らなければ、ロードプライシングの効果は10倍になるってことかもしれない。
バイクにとっては関係ないというか、通れるゲートが減ったり、渋滞の列の脇を猛スピードで走り抜ける車が居たりで、迷惑な仕組みなのだ。
私の母は、昭和ひと桁生まれで、主婦ですので、余りITの恩恵に与ることなく今まで生活してきたのです。父の方は仕事柄、パソコンを使う機会があり、メールや、ブラウザを使って我が家のウエブサイトをみたりしていて、母はその横で眺めているという状況だと思います。時々電話で話すと、混乱するのです。母にとっては、パソコン画面に出ているものは、何でもメール(みたいなもの)なのです。
メール見たよ、というのは、ウエブサイトを見た、という意味の場合が多いわけです。
よみうり新聞に、ヤフーBBから100万人分の顧客情報を盗み出した愛知県の犯人の自宅から、100万人分の顧客情報をフロッピーに入れて、、っていうのは本当かな?フロッピーのようなもの(かどうかは難しいと。例えばCDロムとか、MOディスクとか)に入れて、じゃないのかなぁ。記者は細かいことに拘らない性格なのかも。
こちらの事件は、ヤフーBBのサポート業務のついでに、データを持ち出したらしく、DVDをネタにしたもうひと組の犯人の持っていたデータより、色々詳しいことが書いてありそう。
個人情報保護に絶対なんてことはない。当然とはいえ、厳しい現実を見せつけられた思い。
ロサンジェルスの近くに住んでいた2年間に、ユニバーサルスタジオに2度ほど出かけたと思う。余り印象に残っていないが、長ったらしいエスカレーターと、待ち行列を冷ますシャワーと、いくつかのアトラクション。そんなところだった。要するに、映画ファンにとって楽しいところ。アトラクションのいくらかは、誰にでも楽しめるのだが、映画と重ね合わせることが出来る人に、一層楽しいところである。映画を疑似体験、つまり偽物を見せてくれる。
一方、それを日本に持ってきたところで、偽物の模造品であるから、なかなか厳しい。ただでさえ、日本の映画人気は余りぱっとしない。映画のテーマパークがさほど儲かるようには思えない。
大阪市が50億円の融資を行うとのこと。いくつもの無謀な借金の保証をしている大阪市であるから、USJ支援は余り目立たないかもしれないが、個々の事案はドライに割り切った方がいいんじゃないかと思う。ただ、お金をかけて、アトラクションを増やすだけでは、同じことの繰り返しと思う。それしか対策が立たないなら、いっそ潰してしまった方がマシ。
というわけで、USJの経営再建のために、より地道な努力やら工夫を提案する。映画人口を増やすような努力をせねばならない。テーマパークの中に、流行のシネコンをつくり、観覧は全て無料とする。映画撮影スタジオを敷地内に作り、自由な見学が出来るようにする。ロケに来た俳優にスタジオ内を散策させる。ロケが無いときでも、本物の映画俳優を毎日動員し、毎日、複数の芸能人を放し飼いにする。
要するに、USJに行くと、「本物」を見ることが出来る、という状況を作り出す。
偽物の模造品、の中で、本物に出会える。ホームページにアクセスして、カレンダーを見る。今日は石田ゆり子が居るはずだ、と思えば、お客も増えると思う。
偽物の模造品という意味では、ユニバーサルスタジオにスヌーピーが居るというのはおかしな話。いっそのこと、ディズニーと提携するというのも良い手だと思うが。
私は、どうも子供っぽいところがあって、自分に害が及ばないことなら、騒動は大きい方がわくわくするのです。
子供の頃に比べると、今は色々と経験を積み、想像力もいくらか豊かになりましたので、色々な騒ぎが、実は巡り巡ると自分たちにも影響が及ぶ、可能性があると云うことに気がつき始め、子供の頃ほど単純には楽しめなくなりました。
先日来、ウイルスメールが沢山来ました。家に帰り着き、パソコンを立ち上げ、メールをチェックすると、ゾロゾロと届きます。あ、ぁ、また来てるなぁ。
別に来たからと云ってどうと云うこともないのです。どうせ開いたところで、私のマックには感染しません。開いたからと云って何も面白いことはないことは分かっているので開きません。
毎日届くウイルス付きメールを見て、私は世の中の動きを感ずるわけです。ああ、今世の中ではウイルスメールが流行しているのだ、と思うのです。そして、ウイルスとスパムを順に消してゆきます。他に、プロバイダやら、製品登録をしたソフトメーカーなどからのメールも届きます。あとで見よう、と思うと溜まる一方になるので、それらはとりあえず開き、上の数行、つまりもくじを眺め、削除してゆきます。
「大変お金が儲かります」、とか、「鮮烈生DVD大安売り」、とか、そういうメールは開かず削除。ナンタラ健康法の本と同じようなものです。件名の無いもの、一応、差出人を見ますが、見覚えがなければ削除。タイトルが文字化けしているものも、問答無用で削除。
迷惑と感ずることがあるとしたら、このシステムを捨ててしまうしかありません。スパムは全く自分に意味がないものを意図的に送りつけてくるという意味で、ウイルスより遙かにたちが悪い。ウイルスの場合、メールの送付はウイルスプログラムが勝手にやるわけで、被感染パソコンオーナーに悪意はありませんから。
別段腹も立ちません。腹を立てる相手が居ません。私にとっての被害は、メールのダウンロードに時間が掛かること。しかし、そんなことはたかがしれています。必要なメールを間違えて捨ててしまうかもしれない。確かに。しかし、必要なメールというものが、我が家には滅多に来ません。色々な項目で並べ直すことで、とりあえずウイルスメールと必要なメールを区別する術を私は知っています。また、本当に必要なメールなら、出す側がウイルスと間違えられないような配慮をするべきです。ウイルスメールが一通も来ていないときでも、件名なし、添付書類付きのメールは無条件で捨てられるかもしれません。
現在、メールの信頼性を、誰も保証してくれません。メールの信頼性を大きく損ねているのはウイルスとスパムです。ネットワーク内のウイルス感染パソコンは、システムの信頼性を損ねるようです。また、次々届くスパムは、利用者のメールシステムに対する関心を著しく損なうことになります。こういった厳しい状況で、大変不思議なことは、対策のほとんどが個人レベルに任されていることです。
ユーザーの信頼を勝ち取り、ネットワークを自由に安全に使う環境が、プロバイダやメールソフト、あるいはOSのメーカーにとって大きな利益となりそうなものですが、その人たちは、不思議なことに何も対策を打ち出そうとしません。せめて、まとめてメールを出すひとには、課金するとか、あるいは、特定のアドレスからのメールの着信を拒否する仕組みとか。あるいは、よりレベルの高いセキュリティ対策とか、いくらでも出来ると思いますが、商売のレベルで見ると、それらはメーカーにとって魅力的とは云えないらしい。結局、商業主義はユーザー個人の無知と、下世話な好奇心につけ込む。面白そうだからクリックしてみようかな?という、誘惑がより有効なものになるような工夫ばかりが優先するわけです。そういった一切を拒否することが、個人レベルがネットワークのセキュリティ高める上で、仕組みを理解したり、マニュアルを読んだりするより遙かに有効なな方法だと思うのです。
コピーコントロール、つまり、複製できなくなった音楽用CDのことを、蒸し返す。
かつては、法律上、個人で楽しむコピーは許されていたはずだ。それがダメになった。出来ないことはないようだが。いたちごっこで、著作権にお金を払わず、太陽誘電や、メルコやマイクロソフトやアップルコンピュータやレンタル屋にならお金を払う人たちは、便利なソフトを手に入れて、平然として複製をため込む。ため込んだあげく、今度はスキャナーとプリンターまで買い込んで、精巧なジャケットまで作る。お金はあるのだが、何故か音楽著作権に対して払おうとしない。
そういう不見識な行為のために、本来著作権に正当な代価を支払っていた、知的所有権に敏感なユーザーが置いてけぼりというか、割りを喰っている。
不出来な規格の音楽用CDもどきの値段が少しは割り引かれたか、と云うと、そうではないようだ。そして、今度は輸入まで制限されようとしている。私はアジアから輸入された日本人のCDを買ったことはないけれど。
ユーザーの利益をどう思っているのか。ここでユーザとして提案する。これから音楽用CDもどきのパッケージは、最初からオリジナルとコピー二枚を入れておくこと。コピーの方は、のっぺらぼうでも、デカデカと「コピー」と書いてあっても構わない。
なおかつ値下げすること。半額以下にしたら宜しい。
特にコピー二枚組は、是非実現していただきたい。実現したら、私にアイディア料をいくらか下さい。
今日、ニュース23を見ていたら、色々な人の日本国憲法(特に、第9条)についての意見をインタビューして流していた。女房が掃除機をかけていたりして、なかなか聞き取りにくい部分も多かった。ある意図に従って、意見を集めているのだろうと思う。筑紫氏は護憲派、というか、改憲慎重論と見受けられるし、私は、こと、憲法に関しては、改憲するにせよ筋を通して欲しい、と切に望んでいることを予め述べておく。
その中で感じたことは、インタビューに答えた人たちの意見が、実に穏健で、改憲、護憲など、立場の違いはあっても、国の基本法に対する敬意が強く感じられたこと。おそらくは、視聴者に対する敬意でもあるのだろう。
政治家の皆さんは、自分が一番えらい、「一番」のココロは、ほかの党より偉いと云うことだが、投票で選ばれたせいか、畏れを知らないというか、何というか。
実は云いたいことはそのようなことではなく、「海外で生産された日本の音楽CDの逆輸入を一定期間禁止」とか、ETC普及のために、高速道路の回数券を廃止するとか。言い出した話なのだ。舐められている。「国民の前でござるぞ、控えぃ!」と、云う気分なのだ。
ETC がなかなか普及しないのは、あんなもんに何万円もかけるのは馬鹿げていると思うことが普通の感覚だからなのだ。普及させたいのなら、ただで配るがよろし。ケータイ電話をちょっと見習ったら?回数券が普及を妨げているのではない。たとえ、ただになっても、私は納得しがたい気分だが。