新年会が梅田であった。
阪神電車の特急に乗り換えるため、西宮で電車を待っていた。初老のご婦人が二人。
どうやった?紅が勝ったんちゃうんの?
最近の若い歌手は、わからんわぁ。まともなのは、、、
「アユ」と、ダパンパ(?)くらいやで。
アレはどうやったの?「小林幸子とミカワ」
小林幸子の圧勝や。ミカワは全然かなわへん。
その辺は見ていない私だけれども。
ミカワさんは、もう幸子と張り合うのは止めにして、普通の格好で、誠実に一曲歌って、浮いたお金をNHKの歳末助け合いにでも、(まぁ別にユニセフでも、何処でもかまわないが)寄付でもなさったら、建設的で良さそうだ、とか、誰でも思いつきそうだと思いながら、多分それも、幸子に先を越されるだろう、などとも思いを巡らせた。
TOKIOといえば、ジャニーズ系、いや、ジャニーズである。
今回、紅白を見ようとした唯一の動機が、TOKIOの生演奏を見聴きしようということである。
今まで全く興味が無く、彼らが歌っている姿を見た覚えはない。今回で9回目の紅白歌合戦出場とあるが、気にも留めていなかった。
今回、彼らが歌った「花唄」は私が昨年耳にした曲の中でも最高のものの一つである。彼らがどのようにそれを演奏してくれるのか、興味を持った。
私にとって最高の唄が、番組の中ではさらりと流され、ワンコーラス分削られていたようで、残念だったが、メンバーたちは気持ちよさそうに演奏していて、良かったと思う。
チャンスがあったら聴いてみてほしい。
長女も興味を持っている。近場でコンサートがあったら一緒に行ってみようと思っている。
アンテナというものがある、ということは、何となく知っていた。しかし、それが何であるのか、分からずにいた。
押し込み相互リンク(結果的にそうなった)サイトの中を探険していて、アンテナというリンクをクリックしてびっくり。「Gotaku Statements」が、あったのである。しかもてっぺんに並んでいた。
これで私はアンテナの仕組みを何となく理解した。自分がよく訪れるサイト、あるいはページを登録しておけば、どこかの誰かが(サーバーなのかな?)更新の有無をチェックして知らせてくれるというわけであろう。相互リンクの管理人氏はココの掲示板をちょっと気にして下さっているらしい。
そのアンテナに並ぶページの中には、私のお気に入りに入っているサイトも多数ある。いわば、私にとっての「有名サイト」とゴタクが並べられている。
しかも、ゴタクは掲示板である。誰かが読むと、読み出し数がカウントされ書き換えられる。それがアンテナは更新と解釈するので、いつもリストの上位に並ぶようである。
どうしよう、、、アンテナ経由で来る人もいるかもしれない。実際居るようだ。
すっかりビビった。読者を意識したら、このようなことは書けなくなる。私にとって、ちょっとした試練である。
まぁ、いいや。ご覧の通り、この程度のものです。今後ともよろしく。
もし、お暇でしたら、終了をクリックして、おやこニュース本体の方も見ていって下さい。
それではごゆっくり。
箱根駅伝のテレビ中継が始まって、随分経過した。NHKラジオにかじりついていた身としては、テレビ中継自体は大変ありがたい。ありがたいが、おそらく駅伝はメジャースポーツとして、社会の注目を浴びることと引き替えに、その良さのいくらかを手放した。
アナウンサー氏がいう。
中継開始以来、お正月の風物詩となりました、箱根駅伝です。
それは違う。箱根駅伝は、テレビ中継が始まる遙か前から、風物詩であったのだ。
中継開始以来、風物詩となったのは、「お正月に駅伝をテレビ観戦すること」である。
番組制作側、スポンサーのサッポロビールのひたむきな努力には敬意を表したい。しかしながら、ニッテレの、感動押し売り中継には辟易とする場合がある。
何人をごぼう抜きにしようが、それは駅伝なら当然あり得ること。むしろ、一区走者が不調であれば、沢山抜いて当然。ましてや、何人に抜かれた、などと追いかけるのは、ばかげている。駅伝中継では、そういう選手は「ブレーキ」と呼び、切って捨てるべきなのだ。
テレビ中継であるから、見ていれば分かることを連呼することは、もうこの局のアナウンサーの性なのだろう。並んでいないのに並んだ、とか、抜いていないのに抜いたとか、並んで走っているだけなのに、激しい競り合い、とか、
まぁ、それくらいは大目にに見続けている。
たかがタスキである。ルール上、それをクビに掛けて走らなければならないのだ。繰り上げスタート、などというものは、交通整理の都合上である。別にどうでも良いのだ。タスキをつなぐ行為は駅伝遂行の上でタダの手段である。ましてやタスキそのものはタダの布である。精神的な象徴に祭り上げたのは、ニッテレの罪である。
たかがタスキ、どってことないのだ。
私はスポーツ、ゲームとしての駅伝を楽しみたいと思う。
私には、最近の人気歌手のことはよく分からない。モーニング娘。を見ると、どうにも嘆かわしい気分になる。
浜崎あゆみも分からない。歌手なんだろうと思う。
職場に年に1人くらい、どこかで見たような、よく似た雰囲気の女性が入ってくる。なんだかどこかで見たことがあるなぁ、、と思っていたら、要するに、浜崎あゆみに似ている人たちなのだった。
何がどうありがたいのかよく分からないが、浜崎さんは絶大な人気がある。歌手としてどれほどか私には分からない。
年末の番組で、浜崎さんを何度か見た。彼女はしゃべらない方が良いんじゃないかという気がする。個性的なおしゃれ、(化粧)も、どんどんエスカレートしている。
お笑いタレントが浜崎さんのまねをしているのかと思ったら、浜崎さんご本人である。ちょいとやりすぎでは無かろうか、と思った次第。
・・・・・
残念なことである。
良い選手である。この先、代表チームを支える選手となりうると思っていただけに。
チーム作りのことを考えると、彼を放出するかどうかをまず決めるべきだっただろう。
結果的に、放出せざるを得なかった、というのだろうけれども、場当たり的というか、後手後手というか、そういうことをやっているから、チームの力は安定せず、累積赤字もいっこうに減らない。
一年でJ1復帰などという夢のようなことを本気で言っているわけではない思う。
気長に、5年計画で、人件費削減、地道な経営に徹し、累積債務を減らして、それから、それから、、、、
その前に、経営陣の刷新をした方が良いのかな?その辺はよくわかんないけれども。
いつの間にか、北朝鮮の矛先はアメリカに向いている。どうして?
1万人の反米集会の模様、テレビで見たが、一糸乱れるシュプレヒコールが北朝鮮らしいところなのか。ちらほらと見られた朝鮮半島の統一旗に違和感を感じた。
スペシャルである。
この時期、どの局でも判で押したようにスペシャル、スペシャル、SP。
面白いなら良いが、タイトル見ただけで見る気が失せる様なものが多い。尤も、暢気にみている暇も余り無い。
昨日の忠臣蔵(NHK)はちょっとだけ見たが、なかなか興味深かった。録画しようかと、ふと思ったほど。
仕事から戻ると、女房が一昨日放送になった、「私は諦めない・スペシャル」(NHK)の録画を再生していた。
私はこの番組を見たことがない。おそらく女房も同じだろうと思う。
スペシャルは三人のゲストを呼び、苦労話を聞くというもの。聞き手は長島一茂とNHKの武内陶子アナウンサーである。武内アナウンサーは朝のニュースを読んでいた、なかなか感じの良い人。バラエティ向きか?といわれると、私はそう思わないが。
3人のゲストは登場順に、清原(読売ジャイアンツ、野球選手)、向井(宇宙飛行士ではなく、タレント)、赤井(タレント、元ボクサー)である。
私がこの番組を見たことがないのは、この手の偉人伝もの、苦労話ものが好きでないからである。見たいと思わないが、他に興味を引く番組もない。何より、女房が見ると言うのを止める理由もない。
清原選手は、素晴らしい能力を持った野球選手と思う。しかし、現役選手をこのような場所に引っ張り出すのはいかがなものか。怪我、不振、そこから立ち直ったというような話であるけれど、特別なことは余り無いような気がする。ジャイアンツファン向け。彼とてプロスポーツ選手であるから、怪我したり、調子が悪かったりするのは当たり前のこと。それがプレッシャーになるのは、彼が人気チームにいて、莫大な給料を貰っているから。来期の目標は?と訊かれて、全試合出場、と言っていたが、なんだかヘン。
この番組は人気選手、タレントに対するインタビュー番組ではなく、そういう人の苦労話を聞いて、視聴者に感動して貰おう、という企画である。現役選手はまずいのではないか。
向井さんもいろいろ苦労なさっている。気の毒である。しかし、ここで番組制作側に考えて頂きたいことは、子どもに恵まれない人、赤ん坊を失った人は、この世の中にかなり沢山居るということである。怪我をしたプロスポーツ選手よりはるかに大勢いて、ほとんどが全くの一般人である。そのような人たちの中には、肉体的には妊娠が可能であるにもかかわらず、もう出産したくないと考える人も少なくない。そういう人たちが、向井さんのやっていることを見聞きして、励まされるかどうか、子宝に恵まれた私には分からない。
もう一つ、妊娠時に子宮ガン検診を行うのは、ごく普通のことで、それは、妊婦にガンが見つかることがさほど珍しいことではないからである。向井さんがやったこと、つまり、医師の説得に応じず、胎児を助けるために無茶な手術を望み、自らの生命を危険に陥れたこと、は、妊婦の気持ちとしては分からないでもない。向井さんは幸運にも、手遅れにならずに済んだ。しかし、同じことを現在悩み苦しんでいる人が多数居るであろう、ということを考えると、このような取り上げ方はいかがなものかと思う。今現在、医師の説得を受けて、手術を決心しようとしている人がどう考えるか、命に関わる問題であるだけに、番組制作側は慎重に配慮するべきと思う。
赤井英和さんが俳優に転身する前に、期待されるボクサーであった話は、かなり有名と思う。番組で、彼が大けがをした試合のビデオが流れたが、何もそこまでする必要は無かったのではないだろうか?
この手の番組は、ネガティブとの対比で、ポジティブを際だたせようという意図が、好きではない。タイトルもなんだか変である。「私は諦めなかった」ならまだ良いと思う。
体を売ってはいけない。
買う側が99.9%悪い。生活の糧にするならばともかく、
警察庁がおよそ3000名の中高校生に対して行ったアンケート調査の結果が、読売新聞の三面に掲載されていた。黒枠、横書き見出し。
同世代の女子学生が小遣い稼ぎの性交渉を行うことに対して、高校生のおよそ半数が「問題ではあるが、本人の自由」と答え、「しても構わない」という答えは、男子学生で8%、女子学生で4%だったという。
「構わない」と答えたのはおおよそ20人に一人である。みんなが同じ意見である必要はないし、別段驚くような調査結果とは思えない。
半数を占めた「問題ではあるが、本人の自由」という意見は全く正論であるように感じるが、記事の見出しは、
高校生2人に1人売春「本人の自由」
と大きく、その脇に小さく
問題ではあるが・・・
この記事は、おそらく高校生の性風俗の乱れを訴えたいのだろうと思う。男子学生は、ともかく、女子学生のほとんどが、売春行為を問題ありと答えていることは、高校生たちの性風俗(妙な言葉)がそれほど乱れてはいないという印象を私に与えた。
アンケートの選択肢にどのような言葉が並んだのか分からない。他人が売春することを「本人の自由だが、問題がある」という答えを選ぶ学生は、むしろまっとうな考えを持っているように私は感じるが、読売新聞の記者とは見解の相違があるようだ。
見出しの振り方は、多分ににゴシップ紙的で、事実を曲げて伝える意図を感じる。何が言いたいのかよく分からない、妙な記事であった。
念のため、言っておくが。
断じて体を売ってはいけない。本人の自由、という屁理屈は出さない方が良い。あなたは必ず後悔するからである。性交渉は愛情が伴って初めて成り立つもので、受け取ったはした金が、あなたの愛情の価値となる。
いつか、あなたの信頼に足るパートナーに出会ったとき、あなたは埋めようがないほど、自分が深く傷ついていることに気付かされるだろう。
決して体を売ってはいけないのである。
などなど、
なんか、どうでも良いような、もしかすると重要なことなのか、、、
ゴタクのどこかに、新聞屋やテレビニュースを含めた、メディア・マスコミが私たちの生活、将来の社会を作る上で重要だと思う、という話を書いたと思う。
一つは、ゴタク60番、他にもあったはず。
今回保守党が分裂したことはよく分からないが、熊谷氏がナントカ党をやめたことは、私たちの生活をよくする上で、いくらかプラスになりそうなので、こういうことをテーマに書く。
私は熊谷某氏を信用していない。彼はナンタラ党の重要な役職にあって、その手のテレビ番組に出演して色々と自分の党か自分自身かのご意見を述べられていた。妙な人だと思った。なんだか信用ならないな、と、、、
その彼が、野党を辞めて、与党に鞍替えしたのだ。要は、自分のインチキさ加減に嫌気がさしたのか、今まで嘘をつき続けていたことに疲れたのか。美味しい話と思って入った党が思い通りじゃなかったのか、まぁ、要するに目算がはずれたので、次善の策というわけ。親愛なる国民の為に自己犠牲の精神で、とか、そういうことではない(と思う)。
黙って移ればいいのに、色々と悪口を言ってから辞めたらしい。旧所属党を罵倒しなくては、自分自身の正当性を実証できない。彼にとって正当性というのは、相対的なものらしい。
どうしてこれが、私たちの生活にプラスになるかは、もう寝るのでこの続きで実証しようと思う。
小中学校が完全週休二日になって、お休みの日数が増えて、学力低下云々、、、そりゃあ当たり前と思うが。
だいたい、祝祭日が多すぎる。完全週休二日と引き替えに、祝祭日を整理した方が良い。祭日を減らさなくても良いから、休みの取り方をもう少し柔軟に出来るようにしたらいい。
こう、毎度毎度お休みが挟まっては仕事にならない。経済的な損失も大きいと思う。もっと柔軟に、各人がまとめて休みを取れるような仕組みにしたらいいと思う。
この世の中には、要らないものを「ただで配っている」ことが良くある。
要らないもの、というのは、受け取る側にとって要らないものという意味。もらっても意味がないものである。サービスのようであるが、配るためにコストはかかっている訳である。
私はコーヒーをブラックで飲む。何処かでコーヒーを頼んだときに、そうできる場合はミルクも砂糖も要りません、と、断る。断ったところで、その分値段を安くしてもらった経験は一度もない。
マックでハッピーセットを頼む。オモチャがおまけに付いてくる。以前は数種類の中から選べるようになっていたので、4セット頼む我が家のこども達は4種類のオモチャを一度に手に入れることが出来たのだが、この頃は一種類である。同じオモチャを4つもらっても仕方ないので、余分は断ることにしている。売上伝票にはオモチャ代が明記されているにもかかわらず、代金分を差し引いてもらったことはない。
私はギャンブルには全く興味がない。競馬も競輪も競艇もやらない。スポーツ新聞の概ね半分のページはその手のギャンブルに関する記事であるが、私は全くそれらのページを見ない。半分見ない新聞に130円払うのは、なんだか無駄なような気がする。
他にもいろいろとあるかもしれない。
おやこニュースの修正作業に取りかかって随分経過した。その間、余り新しい記事が増えないのはやむを得ない。
何度かここでも触れたとおり、修正作業は、インターネットの本来のルールに従う様におやこニュースの書式を書き直す作業である。
ウエブの一部として、ネットにアップロードするからには、そのルールを知り、従う必要があるという判断の元である。もちろん、そうすることによって、制作者側にもメリットがあるということも、困難な作業を行っている理由の一つである。
そもそも、この問題は私がおやこニュースを始めるにあたり、ウエブページ作製のルール、つまりはHTMLの文法をほとんど何も知らずに始めたことが発端になっている。何も知らずに作業が出来るのは、いわゆる「ホームページ作製ソフト」のおかげであり、パソコンを起動して、ワープロソフトを使った経験があれば、ウエブページのようなものを作ることが出来るのである。そして、私は取り敢えずクリックしてメニューを開く、という、いつものやり方でソフトウエアの使い方を覚えようとした。見た目の形(私のパソコンのいつも使っている環境で)はそれなりになるのだが、ウエブとワープロの違い、つまり、ワープロは自分のパソコンで完結し、プリントアウトイメージがインターフェイスの役割をするのに対して、ウエブでは自分の著作物をの最終的なインターフェイスは全く違った環境にいる人のウエブブラウザソフト、ということに全く思いが及ばなかった。
このギャップを埋めるには、誰かがルールを決めて、ウエブページを作製する側とブラウザを作る側がそのルールに出来る限り従うことで対処するしかない。ルールとは、World Wide Web Consortium(W3C)という国際機関が推奨するHTMLとスタイルシート(CSS)の文法である。しかしながら、現状で、このルール作りそのもの、あるいはルールの適用が現状に即していないことは明白である。つまり、一昔前のブラウザソフトとの互換性が十分ではない。(最新のソフトでも不十分なものが多い)一昔前のブラウザソフトのHTMLとCSSの解釈は独自のものが多い上にいくらかのバグがある。つまり、厳格なルールに則ると、非常におかしな表示になってしまうという矛盾。そして、「ホームページ作製ソフト」や、様々な「ホームページ作製マニュアル本」「ホームページ作製支援ホームページ」は、ブラウザの違いによる表示の違いを回避するために、厳格なルールの適用を避ける傾向があり、意図を持ってアレンジされた方法論を、背景となる理論を抜きにして、素人向けに教え込んでいる。結果的に、ルールをある意味ねじ曲げて作られた「ホームページ」が現状で圧倒的多数であり、それらは(W3C)が意図するウエブの発展に対して、大きな重荷になっているように思う。
現実に、ホームページ作製ソフトを使っている限りは、ルールをねじ曲げたウエブサイト作製の方が初心者には楽で、簡単である。そのようにして出来上がったページを作製ソフトを使って直してゆくのは、余り愉快な作業ではない。
そんなようなことをやっているうちに、私はHTMLをそこそこ理解し始めた。少なくとも、理解しなくてはならない、ということは理解できた。
ところで、
ゴタクをご覧になって下さる方は、余り他の記事を見ていないという話である。お暇なときに、是非、隅々くまなくご覧になって下さるよう、お願い申し上げる。
だって、つまんないから、、、のはなしは、このあとにつづく。。。。。
> だって、つまんないから、、、のはなしは、このあとにつづく。。。。。
続きます。
随分間が空いて、このあとどう続けるつもりで居たのか、自分でも忘れかけていますが、、、
そうそう、まず、若干の補足から。
> 現実に、ホームページ作製ソフトを使っている限りは、ルールをねじ曲げたウエブサイト作製の方が初心者には楽で、簡単である。そのようにして出来上がったページを作製ソフトを使って直してゆくのは、余り愉快な作業ではない。
ここで「楽」、「簡単」といったのは、文法的なことを考えずにデザインビューでレイアウト作業をするという意味です。ホームページ作製ソフトがHTMLの知識無しである程度体裁(あくまで外観上の)を整えることが出来るというのは事実。ワープロソフトを使うのに、ワープロがデータをどのように処理しているのか知る必要がないのと同じことです。問題は、このようなソフトを使って作ったデザイン上の配慮のほとんどが、ルールに従わないこと。私が初期に使っていたページミル、そのあとに使ったドリームウィーバー3、それから4に関しては、かなりいい加減な印象を受けている。今使っているドリームウィーバーMXはそんなにおかしなことはやらないみたいだけれど。
細かいことをとやかく言わなくても、という雰囲気が大勢のようだけれど、インターネットが公共のものである以上、そのルールに出来るだけ順うべきだというのは当たり前のこと。公共の公園だからといって、勝手にテントを張って住み着くのは宜しくないというようなこと。公共のものが便利であればあるほど、私たちはそれを自由に使う環境を守るために、出来るだけのことをする義務がある、と思うわけです。
閑話休題。
HTMLを調べてゆくうちに、いくつかのサイトで、管理者の心構えのようなものを再確認させられました。その一つ、これはかなり有名なサイトらしいのですが、
PC TipsというサイトのHTMLの定義のための覚え書き、の中から一部引用させてもらいます。
http:/members.jcom.home.ne.jp/pctips/www/concept/Concept.html
まず自分のやりたいことを明確にする、
自分が常連となるべきサイトを探し、
そのサイトで自分が満たされるならば、サイトを作る必要はない
まぁ、当然といえば当然のことです。
しかしながら、こういったことはきちんと口に出して記録しないと、サイトを作製する忙しさにかまけて曖昧になってゆくものです。
それ故に、ウエブサイトで自己紹介のページはきわめて重要で、私はどこかのサイトに興味を持ったら、まず自己紹介ページを探すわけです。私は自己紹介のページでページの趣旨について述べていますが、残念ながら、おやこニュースの自己紹介はいささか不十分なものです。
初心に戻るということもあり、私の育児経験をまとめるページの作製を始めているのです。先日ホームからリンクを貼りましたので、既にご覧になったかたもいらっしゃるかもしれません。
なぜか、なかなか筆が進まず、まぁ忙しいこともあるからでしょうが、それから随分忘れてしまっていることもありますし、、完成にはほど遠い状況です。入り口で躓いているといった方が良いかもしれない。
取り敢えず、女房に意見を求めましたところ、(ほめてもらうのが、一番の励ましになるのです)女房は、あんまり読んでいない、とのこと、その次に出た言葉が、タイトルにあります、
「だって、つまんないから、、、、」
(やっと出ました。書いている方もほっとします)
確かに、つまんないなぁ、と、自分でも思う。作成作業が進まないのは、作っている方も詰まらないから。
いろいろと制約が多いのです。本文中にも繰り返し注意書きをしていますが、正しいこととは限らず、まねしておかしなことになっても責任もてないよ、、、
あまりにその点に拘りすぎているのかもしれない。
もっと読み物的に、適当に書いた方が、書く方も読む方も面白いものになるのだろうなぁ、、、
あるいは、最近ウエブ作製に熱中して、育児をおろそかにしている亭主への皮肉だったのかも。
、、、、、、なかなか難しいです。暇無いし(ほとんど、くちぐせ)
職場で研修用の資料のようなものを作った。
私はマッキントッシュを使うが、事実上の標準となっているワードプロセッサ、マイクロソフトワードを利用した。ヴァージョンはvr. X である。
数年前までは、マックライトIIという簡単なワープロソフトを使っていたが、ワード98をアカデミック価格(1万円くらいだったと思う)で購入してから、ずっとワードを使っている。マックライトが確か、4万円くらいの値段だったから、ワード98は驚くほど安かったのだ。
資料は簡単な本を一冊作るようなもので、いくつかの項目からなり、見出しを付けて行かなくてはならない。フォントメニューや書式設定からフォントサイズやら、太字、イタリック、インデントなどを選びながら、文書の体裁を整えてゆく。
いろいろな書類をワープロで作るが、つい先日まで、ワードのメニューの中にある、「スタイル」という機能に全く興味がなかった。クリックすると、「標準」とか、「見出し1」などが選べるようになっている。私の同僚も、そのメニューをクリックしたことはないという。
先日から、おやこニュースの改造に取り組んだ。かなり作業は進んでいるが、その過程で、ウエブサイト作製言語(?正しい表現かどうか分かりません)HTML(hypertext markup language)の勉強をちょこちょことやった。勉強というと大袈裟だが、分からないところを本や講座サイトで調べるのである。
HTMLは「文書構造」を論理的に示す文法で、一つの書類の中に、全体のタイトル、作者名、大見出し、中見出し、小見出し、本文、引用部分、など、印を付けてゆく。最終的に、大見出しは大きなフォントでアンダーラインをつけて、中見出しはイタリックにして、、などという、文書全体の見栄えをスタイルシートという別の書類で設定する。そうすると、文書の見栄は統一することが出来る上に、変更することも簡単である。要は、しっかりと書類の概要を決めて、適切な見出しを付けておけば、文書の体裁はあとで自由に変えられるというわけである。
そのような考え方、文書の作り方を知ると、ワードの不自由さは身に染みる。全部作り上げたあと、ちょっと見出しのフォントを変えようなどと思ったら、かなり面倒な作業となる。HTMLであれほど簡単に出来ることが、専用ソフトであるワードで出来ないはずはない、、、と思い、「スタイル」というメニューの使い方に始めて気がついた。ちょっと使ってみたが、書式の設定がかなり複雑そうで、付け焼き刃では解決しそうにない。自分自身が、ワードで何処まで出来るのかが分かっていないところも問題である。
ワードを使っている人のどれくらいが、文書作成時に「スタイル」機能を使って、文書構造を意識した書類を作成しているのか分からない。
人に見せるだけなら、どんなやり方をしようと、プリントアウトイメージは変わらないものになるかもしれない。しかし、それを作り上げる過程で、適切な見出しを付けて、「スタイル機能」でマークアップするかしないか、これは文書作成者の手間やその後のその文書の利用価値を、根底から変えるものだと思う。
以前勤めていた職場の秘書嬢は、インデントの使い方を知らないために、書類の左端に2センチの余白を入れるために、全角スペースを全ての行に打ち込んでいた。プリントアウトすれば、確かに2センチ空くかもしれない。しかし、本文を一部修正すると、修正部分から下の全てのスペースを打ち直し。彼女はそれを自分の仕事と思って数日がかりでやっていた。そのようなことは論外であるが、HTMLを学ぶ過程で、文書の論理構造をきちんと決めることが、書類を作成する上できわめて重要なことだと、実感した。
HTMLにはワープロには出来ないこと、ハイパーリンク、という技も使える。しょっちゅう落ちるワードに業を煮やしながら、いっそのことHTMLにして、CDロムで配ってしまおうか、、とふと思った。
近い将来、ワープロは滅びると思う。
アルコール飲料のコマーシャルはもう少し控えめであって欲しいと思う。
この頃のキリンビールのコマーシャルは、どうにも私の波長に会わない。飲んべえ役を演ずる中山美穂は余り見たくない。手を振りながらビールを飲んだり、役所広司が食べ物に異常な執着心を示す様は、少々アブノーマルに見えて、不気味である。
広末涼子がサッカーボールで芸をしながらビールを飲むに至っては、酔いが廻りそうでこちらまで気分が悪くなる。あのようにはしゃぎながら酒を飲むこと自体が、余り良い飲み方ではないと思う。
いささか、例が古かったかもしれない。
さて、今回問題にするのは、白麒麟(冬季限定発泡酒)のコマーシャルである。
このコマーシャルは妙である。とりわけ、ライティングが妙である。なんだか薄暗いような気がする。何かの効果を狙っているのだろうが、私には判然としない。
だいたい、あのように大勢で踊るCMは私は好きではない。歌もただ騒々しいだけである。季節限定だけあって、急ごしらえで間に合わせたのかもしれない。このCMの主役、癒し系の飯島直子の人気に頼るのみとしか思えない。
飯島直子さんは、好感度ランキングで常に上位にいらっしゃる様だが、私には彼女の良さはさっぱり分からない。別に嫌とは思わないが、なぜあれほど有り難がられるのか理解に苦しむ。だいたい、私は好感度ランキング上位の女優、男優の方で、いいと思う人がほとんど居ない。どうしてこの人たちが好感度なのだろう?と、いつも不思議に思っている。むしろ、その人が出演していたら、積極的にテレビを消すような、(要するに嫌い)な人も数名いる。癒し系というのも理解できない(と以前ここでも書いたと思う)。加えて、季節限定、という商売のやり方が気に入らない。発泡酒は節税(つまりは合法的脱税)酒で、嘆かわしい、、、等々と思っている私は、飯島女史の出演する白麒麟のCMを好ましく思う訳がないのである。
印象に残ることは認める。しかし、発泡酒とはいえ嗜好品である以上、それだけではまずいだろう。
多分、このCMが流れている間、筆者は無意識に画面を睨みつけているはずである。
うまいこと書けるかどうか自信がないが、チャレンジしてみる。
この季節になると、節税のお誘いが時々ある。
電話口で、なれなれしい声を出すのは、おそらく不動産業者である。私の同業者の中には、比較的収入の多い、しかもアルバイト収入として、、、が時々居るらしく、そのような名簿に私の名前も出ているらしい。
彼らは、大抵まず名乗るが、不可解な屋号の業者が多く、すぐには何処の誰さんだか見当がつかない。あぁ、多分また節税のお誘いだろう、と、目星がついたら、私は不動産には興味がありません。あなたはどうして私の連絡先が分かったのですが?私は興味がないので、もう電話しないでください。といって、受話器を置く。大抵はそれで済む。
先日掛かってきた電話の相手は、どうも素人社員だったようで、インチキ臭いことばかり言い出した。ちょいとからかってやろうか?と思ったのがそもそもの始まり。私のミステイクであった。
おそらく、新入社員だったのだろう。テスト採用中だったのかもしれない。この世の中のサラリーマンの全ては税金逃れが出来ず、不満でいっぱいだと決めてかかるような口調で、あった。
ちょっと突っ込むと、彼は口ごもり、先輩に電話を代わるといいだした。おいおい、俺はあんたとしゃべって居るんだ、勝手に代わるな失礼なやつ。と、苦情を言う間もなく、女性が電話口に出た。隣で話を聞いていたのだろう。脈があると思ったのかどうか分からない。良いカモだと思われたのかもしれない。
それから、彼女と延々40分近く、電話でやりとりする羽目になった。
彼女の言葉は巧みだった。私は10回くらい、「そのようなことをあなたにお話しする必要はありません」と、いったと思う。いい加減電話を切りたいと思いながら、切ることが出来なかった。
大変ショックだったのは、この手の勧誘には絶対乗せられないと、思っていたからだ。電話口だったから、何とか40分間耐え抜いたが、もし、実際に対面していたら、そうはいかなかったと思う。向こうの方がはるかに上手だった。
執拗に、話をしたい、と、迫ってきた。会えば絶対に丸め込まれていただろう。
「私のような堅物に何を言ってもムダです。私に興味がありますか?会ってもしょうがないでしょう。」
「興味ありますよ。是非お会いして話をしましょう。」
「仕事の話を抜きになら、いくらでもお会いします。」と、ジョークともセクハラともつかない、捨てぜりふを残す羽目になったのは、こちらの方である。
ゴタク的には、ことわざの引用は馴染まないが、
君子、危うきに近寄らず。
セールスにはご用心。
つづく
彼女の主張:
節税の方法にマンション購入を勧める。
節税の原理として、マンション購入のためローンを組むことで、収入を低く申告することが出来る。そのため、所得税納入額を減らすことが出来る。加えて、住宅ローン減税の対象となることでさらに納税額を減らすことが出来るとか、出来ないとか・・・・
住宅ローンを契約してまで、マンションを購入する意義:
生命保険付きの住宅ローンを選ぶことで、病気などで就労できなくなったとき、安定した収入を得ることが出来る。
不動産経営を行うメリット:
経営者として、現在自腹を切っている様々なもの、(車やパソコンなどなど)を経費として計上できる。(そんな馬鹿な・・・・!)
リスク:
はっきり申し上げて、(私の見解、彼女はリスクについて明言を避ける)マンションはワンルームで、自分が利用する目的でなく、賃貸契約を行い、家賃収入をローン返済に充てるためである。つまり、マンション購入により、自分が得られるものは何もない。賃貸契約で利益が出るなら、そのようなことは不動産屋が行っているはずである。また、税金対策を考えると、利益が出てはまずいことになる。うまく借り手がついた場合、ローン返済と家賃収入はとんとんになるのだろうが、実際借り手がつくかどうかは未知数であり、借り手がつかなかった場合、何の役にも立たないマンションを保有するために、ローン返済を続けるという馬鹿げた状況になる。また、不動産価格の低落傾向は続いており、数年後、マンションを手放す時に、価格低下分の損益を抱え込むことになるだろう。
欺瞞を暴く:
節税対策を奨めてくれる彼女は、税理士ではなく、不動産屋である。不動産屋の目的は、我々にマンションを販売し、賃貸契約の事務手続きで手数料を得るためであろう。また、生命保険付き住宅ローンを奨めてくれる彼女は、生命保険会社ではなく、金融業者でもなく、不動産屋である。
また、私は不動産業者ではなく、ただのサラリーマンである。ただのサラリーマンに不動産業のまねごとを奨める彼女の目的はただ一つ。自分たちの建てたマンションの部屋を売り切ることなのである。
私たちがこのような販売契約を、住宅ローンを借りてまで結ぶことによって得られる利益は、損失が出れば、確定申告時に源泉徴収された税金のいくらかが還付されるということだけで、マンション経営からの収入は見込めない。プロの不動産業者が目の色変えてやっても、たいした収入にならないのだから、最初から何の努力もするつもりの無い、いちサラリーマンに不動産業経営など無理である。
債務を抱え込んで、借り手がつかないかもしれないというリスクを背負い込んで、私たちの得られるものは、いくらか税金をちょろまかすことだけなのである。
彼女の主張は、法律上認められている行為なのだ、ということである。
国の立場で言えば、税収が足りなくなった場合の穴埋めは、かならずどこかでしなくてはならない。それは、税制上の改正であり、彼女の言うようなおいしい話がいつまで続くかは、全く不明である。また、不動産価格の低落が収まらない現状についても、彼女はひとこともふれていない。
彼女が言う節税行為が合法であったとしても、それは本来の法律の趣旨に反することである。美味しい汁を吸わないか?というお誘いに対する私の返事はノウなのだ。このような現状に鑑み、実態のない節税目的の不動産経営に規制が加えられる可能性がどの程度あるのか、私は分からない。しかし、規制が加えられた場合に、素人不動産経営者に残るのは、役に立たないチンケなワンルームマンションと、住宅ローンの支払いだけである。
そして、彼女が奨めてくれる自分さえよければいいというような、法律の網の目をくぐる行為は、結局自分たちのクビを締めることになるのだ。
私は持っていないので、その人達の気持ちはよく分からない。
鳴ったときに、自分のものが鳴ったのかどうか、確認が容易であるというのは一つのメリットだと思う。しかし、
電車の中で、いきなり、
しかもかなりの音量で、ドボルザークの「新世界より」の
第4楽章が、ファンファーレのように鳴ったりすると、私はぎょっとする。周りの人も驚く。
多分、本人は恥ずかしいのではないかと思う。
なんで、そんな音楽をならすのだろう?
電話の呼び出し音ということで考えると、ひとコーラス全部鳴らすわけに行かないし、結局イントロ当てクイズみたいなもの。凝っても仕方ないと思うのだが、持っていない私には凝るひとの気持ちは分からない。
出張等々、年末進行でなかなか苦労しております。
皆様はいかがでしょう?
いつのまにやら、判決は極刑。
無罪か、極刑か、どちらか。その中間はあり得ないと思っていましたが。
黙秘権は当然守られるべき権利と思いますが、黙秘することが裁判の戦略として有効である様なことになってはいけないですね。法律上の解釈はどうなのでしょう。
私はこれといった感想はありませんが、一つ、
逮捕以前の彼女の映像を流すのを止めてほしい、と、マスコミの人に言いたい。私は容疑者がどのような風体をしていたかに全く興味がない。思い出して不快な気分になるだけです。多くの残虐な事件、凶悪な事件の裁判結果を伝えることは重要なことと思いますが、そのニュースに映像が必須というわけではないと思う。何でも良いから映像を流す、という様な趣旨で、ニュースの内容とかけ離れた、彼女がブランドTシャツを来て水まきする様な映像は、全く見たくありませんので、止めてほしい。というのはミキハウスの社長さんも同じ意見でしょう。
Tシャツにはぼかしが入っていましたが、、、