チュらさん、朝ドラですが、面白いね。久しぶりです。
エリィもかわいらしいし、明るくて前向きで。朝ドラ向きのストーリーでいいと思います。
時間帯の都合から、あんまり熱心には見ていないんだけれど、いつの間にか主人公は看護婦になり、幼なじみの医者と職場結婚、そして妊娠出産、、、
にわかに、育児ドラマの様相を呈してきました。
でもね、ちらり、ちらりと見ている分には育児の大変さが伝わってこないですねぇ。
外科に転科した亭主が、余り育児に参加する気がないみたいだけど。
今日も、エリが寝ている。赤ん坊はどうしたんだろう、、、と思ってみていると、エリがふと目を覚ます。亭主が赤ん坊をだっこして、「疲れているみたいだから、休んでいてよ」とか何とか、、、
赤ん坊が泣いていれば、もう少しリアルなんだけどねぇ、、、それとも、この亭主は、一瞬で赤ん坊を泣きやませる、神の手を持っているのだろうか?
それから、今は生後3ヶ月くらいらしいんだけど、あの赤ん坊は、いくら何でも、でかすぎ。歩きそうだぜ。でかい赤ん坊もいるけれど、誰も「でかいねぇ」といわないドラマは不自然。
今日は、亭主の浮気を心配するエリが、ワインをまたまた一気呑みするシーン。母乳栄養ならちょっとまずいんではないかなぁ、、、
まあ適度に呑むおかあさんは居るけどさ。この前、泡盛の一気呑みで叩かれたばかりなのに、懲りないねぇ。
死んだお兄さんの名前を息子に付けるのも、かなり違和感を感じました。
育児は視聴者の多くが経験している、あるいは現在経験中のことだから、ごまかしは効かない。もう少しリアルに描いて欲しい。
数年前の「天うらら」が、介護ドラマとしてとてもいい出来だっただけに、育児を扱う以上は、「新しい育児のあり方」のようなものを明示するような志が欲しい。そうでなければ、ドラマの筋立てに赤ん坊を使うという、安直なものになりかねません。
虐待やら少子化やら、育児を取り巻く環境は、複雑になる一方です。もう少し配慮をお願いしたいです。
> それから、今は生後3ヶ月くらいらしいんだけど、あの赤ん坊は、いくら何でも、でかすぎ。歩きそうだぜ。でかい赤ん坊もいるけれど、誰も「でかいねぇ」といわないドラマは不自然。
今日見ていたら、仕事を休んで半年といっていたので、6ヶ月ですか。ナミンチがいうには、まだ歯が生えていないとのことです。それならまぁあのくらいですかね。
> 今日は、亭主の浮気を心配するエリが、ワインをまたまた一気呑みするシーン。母乳栄養ならちょっとまずいんではないかなぁ、、、
今日はミルクを作っているシーンが出てきました。母乳栄養じゃないんだね。
小学校一年生の時に、初めて並んだ女の子の名前や、机の場所をなんとなく覚えている。
そのときに、担任の先生が、鼻濁音を教えていたことも覚えている。わたし「が」、じゃなくてわたし「ぐぁ」
ちょっと、仮名で書くのはむつかしいが。
そのころは、何のことか、さっぱりわからなかったけれど、今にして、小学一年生に鼻濁音を仕込む、担任、S先生はなんだかすごい人だったなぁ、、と
つくづく思うわけです。
「トランクスには逃げたくないね」
っちゅうのは、すごいコピーだと思う。
分かりやすいようだけれど、実体を映していない。実はインチキであります。
お腹のたるんだような人が、トランクスをはくと、まるでブリーフのような着こなしになります。トランクスのようなブリーフを穿いているように見えるわけです。一般にプリーフは無地が多いが、トランクスは妙に派手な柄が多い。
そんなわけで、派手ながらのブリーフのようなトランクスを、お腹の脂肪が少し、(いや、かなり)余っている人が穿いていることを想像(するのはイヤだけど、)してみてください・・・アァ、、何か、、、、、
私は普段、トランクスを穿いていますが、本当はブリーフの方が好きです。
ブリーフが蒸れるというのは、全くの誤解で、太股の付け根と、アレを布地できちんと分けてくれるブリーフの方が、穿いている方は爽快だと思います。ブリーフに比べると、トランクスは、ノーブラでいるようなものです。
ブリーフを何か、気持ちの悪いもののように、扱うのは止めよう。布地に罪はないのだから。
財布の中で、一番肩身が狭いのが5円玉だと思う。
穴開いてるし、分厚くて、丈夫そうなんだけれど。
自動販売機には拒否されるし、かさばるし、たまるとなんだか気が滅入る。
10円なら、電話掛けたり出来るけど、5円玉ひとつじゃ、神社の賽銭くらいにしかならないよ。
ちょっと可哀想。あんなに立派なんだから、自販機に入るようにしてくれると良いのに、、、
不当な差別だと思うわけ。
女房が子供を連れて実家に遊びに行くと、夕食を自分で用意しなくてはなりません。と言っても、面倒なので、外食です。外食と言っても面倒なので、近くのラーメン屋に行くことに決めているのですけど。
この近くのラーメン屋はいつ行っても混んでいて行列に並ばなくてはなりません。
私はついていないのです。行列に並ぶと、少しずつ、人が店に入っていきます。人の動きは、たいてい、私の直前で止まり、あと一人のところで待たされます。なぜか、私の後に行列に並ぶ人が途切れて、私は一人でボケッと店の前で待つのです。ついていない人の典型のような風景が、ラーメン屋に行く度に繰り広げられます。
今日もラーメン屋に行ったのですが、また行列、、、学習効果っていうやつで、とりあえず、店の前を素通り。コンビニによって帰ろう。と、思ったら、つぶれたはずの別のラーメン屋に新しいお店が開店していましたので寄りました。
開店祝いが店の入口に積んであったので、出来たばかりの様です。並ばずに、店の中に通してもらいました。
味は、ちょっと物足りない。でも、並ばなくてよかったからまあいいか、、、と思いつつ、チャーシュー麺をすすっていると、かき鳴らすギター。ヘビィなボーカルが聞こえてくる。なかなかいいじゃないか、と思い、店員のお兄さんに聞いてみる。店員は3人。みんな若い。いかにも下っ端のちょいと太った、無愛想なお兄さん。茶色い短髪である。
「これ、有線なの?」
「?、、、?」
「この曲、有線放送なの?」
「はぁ、、そうですけど」
「いいねぇ、なんて言う曲か知ってる?」
「あの、コブクロっていうバンドです。ワダチという曲」
「なんか、ギターをかき鳴らすところがイイね。曲もカッコイイ」
「ソウデスカ、ぼく、好きなんですよ」
兄ちゃん、好きならもっと嬉しそうな顔を出来ンもんかな、、、兄ちゃんは、あくまで無愛想である。
「大阪出身で、ストリートミュージシャンだったんです」
「ウン、確かに、路上で歌っていた雰囲気、あるね」
ラーメンの味そのものは、いささか不満であったけれど、かき鳴らすギターを久しぶりに聞いて、ちょっと得をしたような気分になった。
気に入った音楽との出会い。偶然を大切にしよう。
ビートルズを聴かないビートルズファンが少なからず居るらしい。
LP盤で全て揃えているので、CDを買いそびれたというわけである。
私がビートルズに興味を持って、おかねを出す余裕が出来たころ、ビートルズのアルバムが丁度CD化され始めた。だから、私はレコードの方は一枚も持っていない。すべてCD。青い二枚組を除いて、オリジナルアルバムは全て持っている・・・はずである。
いまさらCDを買うのもねぇ、、、と言う方に、おすすめの一枚がある。
the Beatles 'Live at BBC'
である。米国にいるときに買ったので、日本で売られているのかどうか、分からない。イギリスBBC放送のライブ番組に出演したときの音源をまとめたもので、二枚組、全69トラック。モノラル録音であるが。
サージェントペッパーズもいい。ホワイトアルバムも。アビーロードは二枚持っている。でも、初期のアルバムが好きである。アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア、や、プリーズ・ミスター・ポストマン、のっぽのサリー、マネー、などなど、、、
4人が本当に楽しんで音楽を演奏していた時代のナンバーではないかという、勝手な思いこみかもしれないが。
さて、BBCライブには、オリジナル曲、カバー曲取り混ぜて、69トラック。セリフだけのトラックもあるが、超お買い得アルバムと思う。Johnny B Goodeなど、オリジナルアルバムに入っていない曲も多数収められている。
この時代のビートルズが好きな方には、是非、おすすめ。
LPで持っているか、らいまさらCD買うのもねぇ、、と言う方、これはLPでは手に入らないよ。とりあえず、最初の一枚にいかがでしょうか。
鶴は恩を返そうと、夜中に自分の羽根をむしって織物をこしらえたそうです。鶴は、他に出来ることを思いつかなかったんだろうと思う。鶴の爺さんに対する引け目や、愛情、恩義、それから高価な織物を手に入れた爺さんの心理的な葛藤はこの際無視して、夜遅くまで自らの体を痛めつけて、という点、ホームページ管理人は、鶴のようだ。
ゴタクにネタを絞り出すのは、ニキビをつぶすのに似ているかもしれません。よく熟れたニキビをひねり出すことは、ある意味快感であります。あら!と、なんとなく気になり始めたニキビが、だんだん立派になって、きれいにつぶれるのは、出来のよいごたくを世に送り出す気分と似ているところがあります。
しかしながら、いつも熟したニキビがあるわけではないし、ニキビが出来るのは、やはり少し憂鬱なことであります。熟するまでの痛みや、その後の傷跡のことを考えると、ゴタクを並べるのは本当にニキビつぶしのようだと思うわけです。
気がつくと、200ゴタクを突破していました。意外とネタも続くものです。でも、なんだか、ひとつネタを使うたび、鶴が羽根をむしるような気分になり、次のネタを考えるたびに、鏡に映りにくい場所の小さなニキビを探している様な気分になります。
高速道路は、明日からタダにします。と、一言言えばいいのだから、これはかなり簡単なことのはずである。何の準備もいらない。私は究極の景気対策だと思っているが、どうだろうか。「土曜、日曜、祭日のみ無料」でもイイや。簡単だぜ、やってみ。骨太カイカク。
さて、料金所でお金を払わないシステム。別にタダになるって訳じゃなくって、無線か何かで料金を徴収する仕組みを開発するというニュースを聞いて、おい、止めてくれと思ったのはつい先日のことだった。
きっと、莫大なお金をかけて、そういう「カネを集めるシステム」を開発するのだろう。タダにするって言っているんだから、今更金集めにお金をかけなくてもいいじゃないか。よせよせ、、、、と思っていた。
そしたら、もう実用化されている。
バイクを手に入れたので、久しぶりに阪神高速湾岸線に乗ったのだ、すると、、、
> バイクを手に入れたので、久しぶりに阪神高速湾岸線に乗ったのだ、すると、、、
いつもなら、スムーズに通る料金所にちょっとした車の列が出来ている。あれ?っと思うと、そこは料金所のブースが横に8つくらい並んだ大きな所なのだけれど、そのうち3カ所がETC(自動料金徴収システム)専用になっている。つまり、一般車両が通れるブースが減っているわけ。ETCというのは、無線でやりとりして自動的に料金を取る仕組み。だから、車は料金所で止まらなくていい。その結果、料金所の渋滞が減るというふれ込み。
多分,ETCの機械を取り付けている車なんてほとんど無いから、専用ゲートはタダ塞がっているだけ。行列が長くなって、本線まで繋がれば、ETCだろうがなんだろうが、渋滞するに決まっている。
ETCを利用する方法を、HPを伝って調べたが、何にせよ、受信装置を車に取り付けなければならない。手帳くらいのサイズの機械で、カーショップで取り付けるそうです。色々と調べましたが、そのお値段はわかりません。一台いくらくらいだろう、、、やはり、1万円くらいはするんじゃないだろうか、、
このシステムを有効に活用しようと思ったら、料金所を通る車の8割くらいがETCを取り付けていなければならないだろうと思う。つまり、普通にお金を払うレーンが一番隅のひとつだけ、で、済むような状況にならなければ意味がなさそう。原則、料金所では停車しなくていい訳だけれど、何かの不都合で急に止まったりする場合は危険じゃないだろうか、という気がする。
それに、この機械で関越道の所沢料金所の渋滞が緩和されるとはどうしても思えない。莫大なカネを掛けてシステムを作って、利用者もお金を払って装置を取り付けて、緩和される可能性があるのは料金所の渋滞だけである。
うまくいくにはあと数年かかるんじゃないだろうか。仕事で毎日乗る人は、ETCつける意味があるかもしれないが、せいぜい月に一度か二度しか高速道路を利用しない、一般の人たちにETCを取り付けるメリットが見いだせるとはとうてい思えない。
このシステムを有効に活用するために、取るべき道を二つ提案します。
一つ目
機械をタダで配りなさい。普及させなければ意味がない。
普及させて、日本中の料金所を無人にして、そして、しかる後に、すべての高速道路はタダにしてしまう。
タダで配るにはお金が要る。どうせ税金だ。車を乗る人は高速道路料金や、揮発油税、重量税、など、充分すぎる税負担をしている。その先に高速道路無料かがあるのなら、文句を言う人も居ないでしょう。
これを有効に活用しようと思ったら、それくらいやんないとねぇ、、、
二つ目
お蔵入りさせる。傷口を拡げる前に、止めてしまう。お金をかけて、見返りが少ないんじゃしょうがないよ。すぐに看板を下ろしてしまおう。
このシステムの構築のために費やされたお金は、いったいダレが払っているんだろう、、、、、って、税金に決まってるか。
マックといっても、平日半額のバーガーのことではありません
アップルという会社が出しているコンピューターのことです。
ずいぶん昔から、マウスでアイコンをクリックするという、今ではごく当たり前の、(こういうのを、グラフィックユーザーインターフェィスGUIと言うのだそうです)を採用して、使いやすいパソコンとして有名でした。
一太郎を立ち上げるのに、JXWと打ち込んだり、HOW MANY FILES?とかいう画面の前で、???となっていた時代に、やりたいことをクリックすれば、やりたいように出きる、という使いやすさを実現していたということです。
私が使い始めて、もう9年ほどになります。
その間にパソコンはどんどん進歩して、マック以外のパソコンもマックのような使い勝手の良さを身につけてきたようです。
以前はマックでないと使えないソフトやマックでないと出来ないことが色々ありましたが、今やその立場は完全に逆転してしまっています。
しかしながら、マックは依然として使いやすく、いいパソコンです。親子ニュースのすべてはマックで作られています。そろそろパソコンを新しくしようかな、と思っている方。マックを選ぶのはいかがでしょう。iMacという、一体型のタイプだとおよそ12万円ほど。iBookというノートタイプだと16万円ほどで手に入ります。プリンタなどの周辺機器も、ウィンドウズ用のものが、大体そのまま使えるはずです。
今どき、マックを選ぶなんて、よほどの好き者と思われるかもしれません。しかし、マックだからといって困ることはあまり無いはずです。ウィンドウズを全くと言っていいほど使ったことがないので、比較は出来ませんが、一通りのことはマックで不自由ありませんし、セットアップやソフトのインストールなどもとても簡単ですから、身近にパソコンを教えてくれる人が居ないなら、マックにするというのもひとつの手です。
どうですかねぇ、悪くないと思うんだけれど、、、、
捨てなけりゃ、、と思いながらそのチャンスを逃してしまったものを、ダレにも気がつかれないように処分するのは、それほど簡単なことではありません。
聞いた話で恐縮です。ある男の子が、グリコのアーモンドチョコレートが好きなのです。アーモンドチョコレートは、グリコに限らず、ポリフェノールとやらが一杯で、歯磨きさえきちんとすれば、体にいいことこの上ない。食べ過ぎて肥ったり、ニキビが出来たりするとまずいですけど。
で、なけなしのお小遣いから、毎日一箱、か三日に一箱くらい、買って食べていたのです。おかあさんが買い食いなんぞに厳しい人で、箱を机の引き出しに入れて、捨てられずにいたらしい。
そして、一月が過ぎ、二月が過ぎて、引き出しには20個か50個のアーモンドチョコの空き箱が貯まってしまった。ある日、おかあさんが部屋をこっそり片づける。おかあさんとしては、息子の秘められた何かを見つけてやろうという、ちょっとした期待感もあったに違いない。で、見つけてしまったものの中で、もっとも衝撃的だったものが、山積みのチョコの空き箱だったというわけです。冷静に考えれば、どうということはないのだけれど、いきなり山積みのチョコの空き箱を見つけた母は、すっかり動揺して、近所の奥様連中に相談する。それが私の耳に入ってきた。
少年の心理もわからないではない。その秘密を知ってしまった母親は、本気で息子が異常なチョコレート中毒ではないかと心配したということであります。
一回貯め込むと処分するのは大変だ。と、つくづく思い知らされたお話でした。
捨てるに捨てられないものを、捨てるのにいい方法は、人に上げてしまうことです。
大学生の頃、先輩が、「おい、おまえ、持ってるか?」
と訊くので、「いえ、持ってません」と、こたえたら、
「やるよ、取りに来いよ」
本当は少し、持っていたのです。
で、取りに行きました。押入の中に、山ほどあったなかから、一抱え分、くれました。
最初から、要らないものとして、区別してあったようです。
で、家に持って帰って、見ましたが、、、
くれた理由は、なんとなくわかりました。娘から借りてきた高校の制服を着た(ような)おくさまなんぞが、自由奔放な着こなしをしていたりします。
その手のものばかりです。
今は、規制がずいぶんと緩くなったようで、余り隠さなくても法律上の問題はないみたいですが、当時は、ちょっとでも見えてしまうと不都合があって、如何に隠すか、見えそうに隠すのがプロの仕事だったはずです。今のようなシロウトっぽいモデルを使うわけに行かない理由があったんだろうと思います。
まあ、隠した方が興味深い場合も、多々あるように思いますし、それについて、深く突っ込むのは止めましょう。
つまり、当時はこういったものを売る自動販売機があって、表紙をちらりと見て選ばなければならない訳で、なんとなく照れもあって、じっくり吟味する余裕は無いのが普通ですから、思わず何の役にも立たない、本意で無いものを買ってしまうということが、しばしばあったようなのです。
そうなると、買った瞬間に、それはゴミになってしまいます。そうそう捨てられるものではありませんから、人を、(言葉は悪いが)騙して、差し上げるということになるわけです。
通販番組が華やかですが、思わず買ってしまって、手にした瞬間にゴミになってしまうものも、増えているような気がします。ばば抜きのようなもので、あなたに役に立たないものは、大抵は私にも役に立たない。自分で何とか処分しましょう。
その一抱え分を、私がどうやって捨てたのか、余り覚えていないのです。後輩に取りに来させたりはしなかったと思う。黒いビニール袋にいれて、何カ所かのゴミ捨て場に分けて捨てるような知恵も無かったと思うけど。
昨日、ニッテレ系のニュースで、田中(長野県)知事が、怒ってました。
NTTの長野支店長を呼びつけて、こき下ろしていました。
迷惑メールの話です。田中知事もアイモードのユーザーなわけ。
私には1日平均で8通だか9通の迷惑メールが来る。云々。
要は、迷惑メールを受信する方がそのコストを負担するのはおかしい。という主張。
アイモードとはいえ、インターネットを使ってメールをやりとりする以上、これは仕方のないことのような気がする。支店長程度の人にに文句を言っても解決しないでしょう。
問題は、送る側だし、システムを運用している方には責任がない、とは言いきれないかもしれないが、あのように文句を言われても、メールっちゅうもんはそういうもんだからしょうがないですよ、以上の説明は出来ないでしょうね。
メールが来るたびに、電話回線で通知が来る。NTTとつながるから、そのためのコストでありましょう。
送る側と同時に、ユーザー個人も、自分のメルアドの管理をしっかりしないといけないね。今や、メアドは重要な個人情報のひとつだからね。
それにしても、ユーザーの利益代表のような口調で、支店長に怒鳴りつける。相手の話を聞こうとせずに、自分の主張をしゃべり続ける。相手の言葉の端を捉えて決め付けるような断定的なものの言い方(の部分がニュース映像として流れていた)、ちょと問題あり。
責任の一部は、自分のメルアドを管理する立場の、知事ご本人にもあるように思うが。
知事さん、もう少し冷静に、普通にしゃべろう。
私も誰かに苦情を言うときには、そんな調子になるんだろうな、、、
他山の石提供してくれた知事さん、ニッテレに感謝。
新しい方がいいということで、本日OSXを手に入れました。マッキントッシュの新しいOSです。
これからインストールするのですけど、もしかしたら動かなくなるかもしれません。ちょっと心配しながら、、
最後の投稿になるやもしれません。
自宅マックは動かなくなりました。サポートセンターの連絡待ちです。
やれやれ。
それにしても、アップルのサポートセンターは電話が通じるようになりました。サポート体制を強化したのか、ユーザーが減ったのか、、、
顛末は後日
何とか動き始めました。
苦労しました。
まだ、完璧には程遠いです。やれやれ、、、
おかげで二日かんなにも出来なかったです。
パソコンを、純粋な道具として使っています。
別に、パソコンを持つこと自体をウレシイとは思わない。便利で、やりたいことを簡単に出来る環境を提供してくれるものとして、パソコンを使いこなしたいと思っています。以前の、文章書きや、計算、集計などは、パソコンなしでも出来たけれど、ネットに繋げるようなことは今やパソコンなしでは成り立ちません。
さて、畳とOSは新しい方がいい、という、私の主張は今もって変わりません。マックはOSが新しくなる度に、新たなパソコン利用環境を提供してくれます。便利になり、それ以上にパソコンを使うこと自体が直感的で、日常生活と違和感が減る方向に進んでいきます。
今回の新しいOS「OS X」(オーエステンと読むそうです)も、現在の所、究極のパソコン利用環境を目指しているということが、ちょっと触ってみて実感できました。いや、たいしたものです。ウィンドウズを余りいじったことがないのですが、バーチャル空間をパソコン画面上にイメージさせて、普通の生活をするようにパソコンを使っていくという、方向性に於いて、マックはウインドウズの先を行っていると思う。
まぁ、それはいいんだけれど。今回OS9からXに進化というより、全く変わってしまいました。ほとんどのユーザーは今までの環境、つまり、アプリケーション、データ、周辺機器などを引きずりつつ新しいOSに接するわけで、互換性を確保するというのは、きわめて重要な点です。
この互換性が充分でないです。マックのOSは、漢字トーク6から始まり、OS9まではほとんど苦労もなく、インストール用のディスクさえ手に入れればアップグレードできていました。今回に関しては、全く苦労させられました。何しろ、インストール後、立ち上がらなくなるという事態に陥ったわけですから。立ち上がらないパソコンは、ただの箱以下です。
OSXのパッケージの中にはCDロム3枚の他に、簡単な説明書きが数枚あるだけ。
OSの仕組みから完全に変わっているのだから、もう少し詳しい情報が必要であります。立ち上がらなくなった場合、頼りになるのは紙に書いてある情報なのですから。そして、メニューが根本的に変わっています。今更、マックを買おうという人のほとんどは、今までもマックを使っていた人に限られるでしょうから、以前のOSと新しいOSの操作性の違いや、互換性の問題については、もう少し詳しい解説が必要だったように思います。
あぁ、とにかく苦労しました。未だに完全には動いていませんが、少なくとも以前のOSを使って立ち上がるようにはなりました。
もう少しきちんと使ってみてから、いくらかの感想を寄せたいと思っています。