ちょっと間が空いてしまいました。忙しかったせいもあります。
ネタは色々あるのですが、書けない気分の時があります。決して書き飛ばしているわけではないのです。
結構時間がかかります。一つ書くのに1時間くらいは、かかるから。
すらすらと書けることもありますが、どうしてもうまく書けない時もある。
一日一つが目標なんですけど、スランプを感じることがあるのです。
決して、飽きてしまったり、興味を失ってしまったわけではありません。
うまく書けるときは、結構楽しみながら投稿しているのです。
今後ともよろしくお願いいたします。
チチ@管理人 / 9/17(月)
話は変わりますが、先日より掲示板の体裁を若干変えました。直覧モードが使えないように変更したのです。
ご覧になるときはスレッドモードが見やすいと思います。
たまに、新着モードにすると、古い記事にレスが着いていることが(余りありませんけど)あるかもしれません。
両方を組み合わせてご覧下さい。
きわめて、重大な事件が起こりました。
まぁ、対岸の火災、言ってしまえば、という認識の方は改めた方がいい。
またもテレビ中継。恐ろしかった。映画のような、、、という人がいらっしゃるが、私にはそうは見えなかった。
あの手の映画は余り好きじゃないから、ほとんど見てないせいか、、、
もっと想像力を逞しくしなくては。テレビの画像は、所詮は電気信号。私たちはCRTの表面の3色の光の残像を見ているに過ぎません。電気信号を色に置き換えたものを見る。無意識のうちに、想像力で補いつつ、理解しているわけです。
あの衝撃的な映像だけで、様々な状況を想像し、次に起こりうることを想定し、対策を立てて行動しなくてはならない。映画では決して死ぬことのない主人公も、現実には木っ端みじんだし、最後には必ず雄叫びを上げながら死んでゆく悪者は、まだどこかにのさばって、次なる手段をほくそ笑みながらシミュレートしているに違いないのです。
私たちの住む世の中が、実に危ういもので、多くの無意識の善意により支えられている。そして、悪意を持った誰かがそれを乱そうとすれば、簡単に瓦礫と埃の下に消えていってしまう。
明日が今日より少しだけ良い一日であるという、確信が持ちにくい今日一日でありました。
皆が不安になっているときに、指導者が何をするべきかは重大なことです。
事件が報道されたのは、まだほとんどの人たちがお茶の間でテレビを見ている時間帯でした。皆が、次に何が起こるのか、固唾を飲んで見守っていたはずです。
私はとてつもない恐怖心を覚えました。火災や、ビルの崩落に対してではなく、見えない、意図の分からない暴力に対しての恐怖心だと思います。
私たちの指導者は、一晩何をしてたんでしょう?
即座に、は、無理にしても、事件が起こって、それがどのくらい重大な事態か認識して、とりあえずのステートメントを出すのに、どのくらい時間がかかるんでしょう。
一晩ダンマリを決め込むとはね。情報の収集って、いったい何をしてたの?どういう情報が集まったのか、きちんと知らせて欲しいものです。
ちょいとがっくりさせられました。想像力の欠如は指導者としての信頼を失うことになります。
チチ@管理人 / 9/13(木)
それにしても、ペンタゴンが空襲を受けるとは、、いったいどうなってるんでしょう。
戦争にはなって欲しくない。もう戦争状態だというけれど。
限りない報復の繰り返し、、、テロリストが相手なら、巻き込まれるのは市民なのだから。
オトコの半分、いや、もしかするとそれ以上かもし//れないが、は、スケベである。一度くらいは風呂屋の番台に座ってみたいと考えたことがあるに違いない。
お医者さんごっこという言葉は、ある歳を過ぎると、どうにもいやらしい。白いカーテンの向こうで、衣服を脱いで、診察するわけである。本当の医療行為ならともかく、ゴッコはやはり、いやらしい感じがする。
しかしながら、本物のお風呂屋さんも、医師も、やる以上はプロであるから、客、あるいは患者に羞恥心を抱かせるようではいけない。プロに徹して、信頼されなければ、商売は成り立たない。
幸い、風呂屋の主人が、職業を利してわいせつ行為をしたなどという話は聞かないし、残念ながら、時としておかしなことをして問題になる医者は居るが、そう滅多にあることではない。
さて、中学校の教師による、とんでもない事件が明らかになった。中学生の少女が無惨に高速道路上で死亡し、彼女を監禁した犯人が、中学校の教師であったわけ。
私は滅多なことでは驚かないつもりでいる。神戸の14歳の殺人犯の時も、事件を聞いたときに、子供の仕業だろうと思ったから、犯人が逮捕されても全く驚かなかった。しかし、今回は驚いた。
この世の半分は女性であるから、学校に通う子供達の半分は女生徒である。これまた半分は男性教諭である。
ことと次第によっては、学校は完全に信頼を失うことになるだろう。今回がきわめて希なケースであると、信じたい。こういった少女趣味の変態は、いったい何の目的で教師を志したのか、、、
変態が支配する監獄に子供を送り出す親は居ないだろう。
ほとんどすべての教師は、子供にごく普通の愛情を持って接していると信じている。いや、信じたい。
しかしながら、今回の事件の衝撃は、計り知れない。
インチキ500円玉が出回って、世の中の自販機のほとんどすべてが500円玉使用不可になった。お国は新しい硬貨を発行するという、解決策を採った。しかしながら、かなり改善が進んできたとはいえ、未だに使えたり、使えなかったり。圧倒的少数のインチキ硬貨のために、私たちの社会がひっくり返ってしまったわけ。
今回のような事件を防止する具体的な策を、私は全く考えつかない。親としては、自らの身を守るすべを子供に教え込み、また、コミュニケーションを出来るだけ密にして、怪しげな教師の噂を聞きだし、しかるべき所にちくるくらいか手はないだろう。
(自分の子供が、危険な場所に出入りしないようにしつけることは、「身を守るすべ」に含まれる)
ともかく、抜本的な対策をお願いしたい。たかがインチキ500円玉にあれだけ迅速な対策を採ったのだ。今回の事件が社会に与える影響は、それ以上だと思う。
(※ 男性の立場から書いています。女性の方は性別をひっくり返してお読み下さい)
二十歳過ぎて、異性から「いい人」と言われ//るようなら、危機感を持つべきだ。
いい人ほど悪い人は居ない。
身を固めるまでに、年に一度くらいの割で、「あんたなんて最低よ!」と言われるように、努力するべきだ。
いい歳になったら、お互いに自分のことは自分でやらなきゃならない。二人の関係はギブ&テイクが原則である。いい人なんぞと言われるのは、ギブ&ナッシングの関係を証明しているようなものだ。永久にいい人で居続けられるわけはないし、彼女もそのうち、「いい人」じゃない人をいいと思うようになるだろう。
そういう関係がいいと思っているお相手には、「ぼくは君のパパじゃ無いからね」と、ひとこと言ってあげるといい。そうすれば、「あんたなんて最低よ!」と言ってもらえるに違いない。
慈善事業やってるんじゃないんだから、イーブンな関係が築けないのなら、振っちまったほうがいい、というお節介な助言である。
星の数ほどいる異性のなかで、自分にぴったり合う相手にそうそう簡単に巡り会えるはずはない。
年に一人、というのは結構いい線だと思う。もちろん、それなりの努力は必要だけれど。
両手にあまるほどお見合いをしました。でもね、本来自分の相手は自分で探すのが自然、と思ってたので、一応仲介者の人たちの手前、「いい人いないかい?」と自ら探しているフリをしてみたけど、その返事は、「いいヒトかい・・
どーでもイイヒトならいっぱいいるんだけどねエ」でした。いいヒトならまだいいんじゃないかな、どうでもいいヒトより。
北海道から関西に出てきて、、、、
北海道出身というと、しばしば、「おおらかだ」と言われる。
そんなことはないと思う。環境がずいぶん違うので、独特の雰囲気を感じることがあるかもしれないが。どちらかというと、世間知らず、という表現の方が抵抗感がない。
北海道に生まれ育った私は、瓦の屋根が珍しいし、道路はまっすぐなものだと思っているし、隣と隙間無く建てられた家を見て、驚くのである。
道路の渋滞に揉まれ、雪が積もらない冬に違和感を感じる。こっちの冬は寒いねぇなどと言い、県境を珍しく感じて、道道と言う言葉に違和感を感じない。
北海道出身だと、おおらかな人呼ばわりされた上、カラオケで松山千春を唄え、とリクエストがかかる。「長い夜」をやれ!
松山は勘弁して欲しい。松山氏が北海道出身者の代表のように扱われることを、私はいささか迷惑に感じている。
好きじゃないのである。
他にもいろいろ居るでしょう。森田公一とか、玉置コウジとか、グレイとか、藤圭子とか、、、
イントロが始まってしまったら、やむを得ず適当に唄うが、出来れば、しどろ、もどろ、と、ごまかして、「北酒場」を勝手に唄い始める。ノリのいい曲だし、細川さんに特別な感情はない。たいていの人はこれで満足してくれる。何度かやっているウチに、もう、長い夜のリクエストはかからなくなる。
そりゃ、中にはおおらかな人もいるだろう。しかし、多くは世間知らずの島育ちなのだ。そこがいいところだったり、悪いところだったりするけれど。
米国で知り合ったノリさんご夫妻の話です。
ノリさんは私より少し年上。末のお嬢さんがウチの長女と同じ歳であります。
私たちに遅れること数ヶ月で米国にやってきました。アパート探しなど色々お手伝いをさせてもらいました。(私たちが帰国するときに、その何倍もお世話になりましたが)
ノリさんはとても口数の少ない方で、初めのうち、ボソリ・ボソリと、それでもノリさんにしてみれば、かなりサービスしてくださっていたんだと思いますが、あまりにお語りにならないので、もしかして、私としゃべるのがイヤなのだろうかと、少々不安になったほど。すぐに誤解は解けましたが。
友人宅で、イースターのパーティをするので集まったときのことです。ジェスチャゲームが始まりました。夫がジェスチャーして、妻が当てるというゲームです。ノリさんの番になり、突然彼は床に寝ころびのたうち回り始めました。私たちは呆気にとられ、やがて爆笑。しかし、何がなんだかさっぱり分かりません。するとおくさまが、ズバリと当てたのです。
「地下鉄工事」
正解でした。
普段お家でも口数が少ないノリさんです。奥さまは無口な彼のちょっとした仕草ですべてを理解してしまうのです。すっかり彼の心を掴んでらっしゃる奥さまに我々は脱帽。
帰国後も時々連絡を取り合っています。
米国で知り合ったアイリィさん(日本人です)はウチの向かいに住んでいて、女房が出産で一月早く帰国して、一人暮らしとなった私はずいぶんとお世話になりました。
おくさまの手作りの夕食をよくご馳走になりました。
時々、フレンチカナディアンのディビッド(アイリィさんのテニス友達)も一緒でした。
アイリィさんは、ちょっと私に似たところがあって、ジョンが好きで、タケシの映画が好きで、そして、ちょっと違うところは、スポーツマンで、赤ワインを冷やして飲むのが好きだと言うところです。
カリフォルニアではおいしいワインが作られています。おまけに安い。私もロサンジェルスに住むようになって、ワインのおいしさが何となく分かったようです。私は少し辛目の赤ワインが好きです。
ワイン通に言わせると、ワインにはチーズで、白は冷やして、赤はそのまま飲むと言うことらしいです。
アイリィさん宅でいただいた、冷えた赤ワインは。赤ワインを冷やして飲んだような味がしました。当たり前ですが、、、、
別段、不味くなるわけではないです。色々な楽しみ方があるし、グラスを傾ける内に少しずつ暖まってきて、ちょうどいい冷え加減になるわけです。
敢えて冷やして飲む、アイリィさん。自分のスタイルは自分で決めるっていうことで、ちょっと教えられた気分でした。
赤ん坊は可愛い。
これは生物学的にも当然のことで、もし赤ん坊が可愛くなければ、哺乳動物や鳥類のような子育てをする動物は、自分の子供に興味を失い、育児をしなくなってしまう。種の保存と繁栄を考えると当然のことなわけです。
赤ん坊よりもっと可愛いのは、「自分の赤ん坊」です。
不思議なもので、どんなに可愛い赤ん坊を見ていても、自分の赤ん坊はそれより可愛く思えるのです。
さて、あなたが赤ん坊を育てた経験がないと言う前提で話をします。
他人の赤ん坊を見たら、まず、ほめましょう。そのほめ方をちょっとアドバイスします。
とにかく、すぐにほめましょう。間が空いてしまうと、褒め言葉はでにくいものです。褒め言葉を考えているような素振りを見せてはいけません。
なるべく陳腐な言葉で、照れずに褒めましょう。凝ったほめ方は誤解を生みます。ありきたりな言葉を大きな声で。
体の一部を褒めてはいけません。素敵な肌、とか、目がきれい、とか、髪が柔らかい、、、などと、部分的に褒めるのは、若い男女には効果がありましょうが、赤ん坊の褒め言葉はシンプルストレートを旨とします。他に褒めるところがないのか?と、親はひねた気持ちになることがあります。
オリジナリティを出してはいけない。そのほめ方がわかるのはあなただけです。親は真意を察する余裕が多分ありません。
とりあえず、性別を判断しましょう。大抵は服の色が手がかりになります。自信がないときは、女の子と思って褒めましょう。面と向かって、性別を尋ねるのは、時に失礼に感じられることがあります。
これだけ理解していても、咄嗟に陳腐な言葉で褒めるのは、場合によっては難しいかもしれません。タイミングを逸してしまったら、体でその意志を示しましょう。つまりはだっこさせてもらうのです。
必ず、だっこさせてもらっていいか訊いて、出来れば手を洗ってからだっこです。自信がないときは、やり方をおかあさんに教えてもらうといいでしょう。赤ん坊が泣き出すまで、ずっとだっこしていればいいです。
わざわざ赤ちゃんを見に来てくれたのに、、、
「イヤァ〜可愛いねぇ、離れた所から見てもよく分かるよ、ははは、、、」
と、2メートル離れたところから眺めて言うのは止めた方がいいです。
もう一歩近づいて、おでこを撫でてあげるくらいした方がいいです。
NHKのサンデースポーツで、WPキンセラ氏がインタビューを受けていた。
映画「フィールドオブドリームズ」の原作者。野球小説家、コラムニストのおじいさんである。
イチローについて、熱く語っていた。
彼はシアトルマリナーズのファンなのだ。
シアトルは歴史の浅いチームである。発足当時は弱小チームで、彼が言うには、弱いチームを応援するということは、「病気のペットを飼っているようなもの」・・・なるほど
以後、シアトルにはケン・グリフィー、ランディ・ジョンソンのようなスーパースターが育ったが、結局ワールドシリーズにたどり着くことは出来なかった。
今のメジャー選手の誰にも出来ないことを、イチローはやってのける、、と彼は言う。華麗な守備、強肩、驚異的な打率、、、そういうことではない。
彼がもっとも印象に残るプレーとして挙げたのは、イチローが打ったセカンドゴロである。
平凡なゴロ、誰もがゲームセットと思った次の瞬間、イチローは二塁手の送球が一塁手のミットに納まるより前にファーストベースを駆け抜ける。彼は風のように走る・・・・
最高の賛辞ではないか。
グリーンスタジアムでイチローのプレーを見ることが出来ないのは残念であるが、今や、彼の出場するほとんどの試合が日本に生中継される。日本のプロ野球に埋もれていたイチローは、メジャーのフィールドで、確かな目を持つ評論家、自らの意志で立ち上がり喝采を送るファンに囲まれ、「再発見」されたのだと思う。
ビートルズの最後のアルバムで、彼らの作品の中ではもっとも評価の低いもののひとつであるかもしれない。
企画された時点で、ジョンはビートルズ脱退の意志を固めていた。おそらく、観衆の前で演奏することを止めてしまったバンドに興味を失っていたのだろう。
ジョンをつなぎ止めるためか、はたまたビジネスなのか、ポール主導で、疑似ライブによるアルバムと映画製作が始まった。
リハーサルを重ねて、一発録りのはずが、メンバーのテンションが上がらず、結局、このセッションは失敗に終わり、中途半端なリハーサルの録音が残された。セッションの最後に、有名なルーフトップコンサートが行われ、これがビートルズが人前で演奏した最後となった。
ジョンは回想録「回想するジョンレノン」のなかで、デモテープを聴いて吐き気を催した、と語っている。ビートルズのメンバーの誰もが見向きもしなかった録音テープをフィルスペクターが作り直してくれると聞いてホッとした。作り直されたものを聞いたがもう吐き気はしなかった、と。
莫大な量のリハーサルの録音をつなぎ合わせ、いくらか音を重ね、ルーフトップコンサートからの曲を足して、吐き気がしない程度に作り直した、フィルの努力と才能、しかもそれはビートルズのアルバムとして世に出るわけであるから、大変な苦労だったと思う。
そんな不幸な生い立ちのアルバムではあるが、結構好きである。
特に、I've got a feelingと、For You Blue、そして、Get Backもいい。One after 909も。
映画「Let it be」。子供の頃にテレビで見たような覚えはあるんだけれど、興味を持ち始めてから、見ていない。ビデオ屋でも見かけないし、テレビでもやらない。著作権か何かの都合で世に出ないのだろうか、、、
誰か持っている人居ませんか?
ベストアルバム一枚持っているだけである。
スピッツのソングライターのことである。
次々と意表をつかれる言葉が、心地よい。
♪ バスの揺れ方で人生の意味が分かった日曜日
でもサ、君は運命の人だから、強く手を握るよ
ここにいるのは優しいだけじゃなく、偉大な獣
愛はコンビニでも買えるけど、もう少し探そうよ
変な下着に夢が弾けて、叩き合って笑うよ
余計なことはしすぎるほどいいよ、扉開けたら、
走る、はるか、この星の果てまで、、、、
(運命の人、1998年)
彼のハートの奥底まで見せようとする、誠実さ。
シンプルなな言葉と裏腹な、難解なシチュエーション、そして、ストレートに愛を告白してゆく。
今度カラオケで歌おう。
ちょいと驚いた。一晩留置場に居たのだ。
芸能人の謝罪記者会見。何となく、演技がかっていてあまりいい気持ちはしないけれど、、、
吾郎君は誠実な男なのだろうと思う。ちょいと常識に欠けることは今回証明されたけど。
一生懸命答えていた。十分だったと思う。内幕は分からないが。
とりあえず、駐車違反だったのだ。私はしないけれど、昔、それで捕まったことがある。この世の誰でもすることだ。しかし、やらないで置こうと思えばそれで済むことなのだ。これは、突発的な、不運に避けられなかった事故とは違う。彼がやらない意志さえ持っていれば何の問題もなかったはずだ。
その後の公務執行妨害と傷害は、芸能人の驕りか、なんだかよく分からない。
いいわけ記者会見。一生懸命見たわけではないが、しっかりとした受け答えだったと思う。質問する方も、明らかに同情的だった。吾郎君の人徳なのだろう。
芸は身を助ける。あまり演技がからないところが彼のいいところか。
気長に復帰めざしてがんばってほしい。
甘いかね?
逃げるなんて、、、、
やっぱり、何か隠さなければならないことがあったんだと思う。
内緒にしていることがあるんなら、早いところ告白した方がいい。
ウソはどんどん大きくなるよ。
またですよ。
イチローのヒットの話ではありません。株が下がった話しでもなくって。
あの、今さらで恐縮ですが、神奈川のお巡りさんの話です。
小田原ってぇ町で、ある刑事が事件の捜査をしていたら、芋蔓にぶら下がっていた悪いヤツ9人のうち3人が同僚のお巡りさんだった。
さぁどおしようと迷った末に、(所長さんに相談したとか、しないとか)見なかったことにしちゃったらしい。
それはそれで、魔が差したのか何かしらんが、良心の呵責に耐えかねた巡査殿が告白のお手紙を書いた。
県警本部も、こいつぁぁまずい、とおもい、結局またまたごまかそうとしたらしい。
芋蔓にぶら下がっていた3人はこっそり辞職、ほとぼりが冷めた頃に公表。。。。。
それを聞いた多くの人は、あら、またかい?と思う。
私も思った。
ところで、この前は何だっけ?何かがばれて、モトヲもと本部長がしどろもどろになっていたことは覚えてるんだけど、、、普通の人は三つ似たような事件が続くと、四つ前のことまでは覚えてられないからね。
シャブ中毒のお巡りさんの事件を隠そうとしたんですよ。思い出しましたか?
それで叩かれて、すっかり懲りたと思っていたのですが、またインチキして隠そうとしたらしい。いや、隠すつもりはなかったというかもしれないが、隠そうとしたことがばれないように、特段の配慮をしたことは間違いなさそう。
古い子供向けの映画のなかで、女神様が言いました。
「ピノキオや、ウソは大きくなるのです」
子供達にとっての常識。大人には通用しないかな?
眠くて眠くて、、、
何となく、身近にいる人と、(つまり、身近ということは、ある偶然で出会ったというわけ)、知り合い、そしてお互いに興味を持ち会う。
そして、二人はお互いの気持ちを確かめ合いたい。
オレはこんなにすごいんだぜ。キミはどれほどぼくに心を開いてくれているんだい?
アナログ世代には、こういった関係は直接的で、深みにはまりやすい。気がついたときには、抜き差しならなくなっていたりしたことがある人も居るだろう。
今やデジタル。ネットの時代。バーチャルと現実の区別をどうやってつける?身近にいる人っていうのは何処にいる人のことなんだい?
そこが私には分からない。自信がない。
顔も、何も分からない相手と、関係を発展させようということ自体が、アナログ世代には難しい。デジタル少年、少女たちの営みが、何か無謀で危うげに見えてしまう。
君たちだって、実際に会ってギャップを感じることはあるでしょう?
さぁ、そのチャンスがあれば、アナログに付き合おう。片っ端から手を出して、インチキ野郎のような甘い言葉を囁き、見え透いた贈り物で誠意のかけらを売りさばいて。
次から次へと、とっかえひっかえ、気に入らなければ振ろう。
100人を幸せにする必要はないし、そんなことは出来やしない。100人引っかけて、99人ふればいいのだ。私たちは自分自身に対して誠実であるべきであり、誠実であればあるほど、相手に対しては不誠実になるだろう。それでいいのだ。99人に対する不誠実さが、きっとキミに幸せをもたらしてくれる。幸せになりたいだろう?
さぁ、ふろう。見極めたら、あとはふるか、死にものぐるいで食らいつくかのどちらかだ。どちらを選ぶかは、自分自身に尋ねるしかないのだ。