リサイクルばやりというのは、いいことです。
何でもカンデモ捨てるのは勿体ない。使えるものは大事に使うという精神は崇高であります。
リサイクルばやりは結構だけれど、でっかく、わざと臭く、「この用紙はリサイクル・・・」と印刷すると、インキや印刷の手間が無駄に感じるのは、いじわるってもんかな?
我が国では再生紙はかえってコストが高くつくそうです。再生紙でも、普通の紙と同じくらいきれいにしなければ使ってもらえないから。作る側は大変なのだそうです。
米国のノートはよれよれの再生紙でしたが、、、意識改革をしないといけないように思います。
シャンプーのタンクに詰替用を使っているけれど、とっても使いにくいと思います。風呂場で手が塗れていると滑るので、あのパックを切るのは大変です。全部きれいに出すのも至難の業。途中で床に置いて、バタッと倒れて漏れてしまうという経験をした人も多いと思う。丸めて捨てられますなんて言っているけれど、どうして牛乳みたいな紙パックにしないんだろう?コストの問題かとも思うが、思うに、同じ量を売るのに、紙パックにすると小さくなりすぎて、売りにくいのではなかろうか。あの、ラミネートのパックの方がかさが多いように見えるのでは?
一回使いきりでなくて、1リットルくらいの牛乳パックのような容器にして、3回くらい使えるようにすればいいのに。
シャンプーの詰替用パックは、大嫌いです。
おぉ!
チチ@管理人殿まで「カイカク」だって、、、
なんだかイヤだなぁ。
多分、私は心底、アンチなのだ。人気のある人が喜んでいるとけちを付けたくなる。人気者に素直に手を振ることが出来ない。ランちゃんが一番人気の時に、なぜかミキちゃんかなぁ、、、と言いたくなる。
遠くで汽笛を聞きながら、、が、冬の稲妻になると、途端に興味を失ったり、なんだかあまり良いたとえが見つからないが、この世はこうしたアンチのへそ曲がりでも生きていけるように、へそ曲がりが満足できるように、色々なものが用意されている。モー娘があれだけ大勢いるのも、(と書きながら、本当は何人いるのか知らないんだけど)この世のアンチが多様化しているからなのだ。
もう遅いから、つづきはまた後で、、、
チチ@管理人 / 7/31(火)
あまのじゃくという、もっともな言葉を思い出した。
みんなが右向いているときに、正面向いて、一斉に正面に向き直ったときには下を向いている。
いいじゃないか。向きたい方を向くのだから。みんなと違う方向っていうのも向きのうちじゃないか。
なんかいやだな
カイカクカイカクって、なんだよ。みんなして同じこと言って。痛みイタミって、止めてくれよ。カイカクじゃない人は悪い人みたいな雰囲気、イヤな感じだよ。ちょっと前までカイカクじゃないような人が、すっかり黙っちゃってるよ。
イタミを分かち合うなんて、イヤなこった。
申し訳ありません、私と前任者がヘマをしましたので、借金が膨大に膨らんでしまいました。申し訳ありません。お詫びのしようもありません。ご無理はごもっともではございますが、皆さんにも少しだけ、ご負担願えませんでしょうか、、、っていうのがスジじゃないのか?
誰が進んでイタミを分かち合おうなんて思うもんか。
何か変だよ。このごろは。戦艦ヤマトを作るために、鍋や釜をお国に差し出したあの頃に、似てないか?何かヤダよ。
インチキおじさんの後ろ盾してたヤツに、きゃーきゃー言って、支持率85%投票率56%って、どうなってんだよ。数の力で何かやろうとしていることには、インチキおじさんと何も変わりないじゃないか。
ダレかカイカク以外のことを言ってくれよ、、、
軍国主義を心配しているわけじゃありません。いくら靖国神社に参拝すると言っても、まさか、そんなことを考えるわけはない。
私がイヤだと思うのは、「お国のため」というかけ声のために、個人が自由にものを言えなくなるような雰囲気です。
偉い人が右を向けといったときに、正面を向いている人が、変人と受け取られるような世の中にならないかと、いうことです。
皆さん、投票に行きましょう。もう行きましたか?ご苦労様
大学生だって、試験を受けるには三分の二以上の出席が必要なのです。合格点をもらうには6割以上点を取らなくてはならない。
なんだかよく分からないけれど、国政選挙なんだから、行きましょう。
政党の幹部のような人に、ウチは低い方がいいとか、高い方がいいなんて言わせないように、投票に行きましょう。
結局、56%だったそうです。
参議院議員なんて、どうでもイイと言えばどうでもイイ。そうか、投票しないのも権利の内かもしれないしな。
私も意地で投票するけれど、別段支持する人も居なかったし、特に選挙区の方は悩んじゃったよ。
議員さんの定員を今の半分か三分の一くらいにして、もう少しみんなの選挙区に立派な候補さんを振り分ける工夫をしたらいいです。
兵庫県のような、どうでもいいような選挙区で、投票率55%というのは立派かも。是非、この人に、、、と積極的に投票所に行った人は、おそらく投票した人の半分も居ないのではないだろうか、、、
それとも、熱心に支持する候補者もいないのに、わざわざくそ暑い日曜日に投票所まで歩いていくおめでたい人は、わが家の他にはあまりいないのかもしれないなぁ。
そう考えると、56%っていうのは、この世の中にはまだ結構おめでたい人が大勢いるという幸せな国である証明なのかもしれません
ほんのちょっとした想像力を働かせることが、責任者に求められます。
責任者は、実績や実力から信頼されて責任者になるわけです。つまり、責任者は様々な状況を把握し、豊富な知識と判断力でそのことの運営方針を決めていくのであります。
ほんのちょっとした想像力です。たとえば、日本で一番信頼されている血液病の医者が、原因不明の病気の話を聞いて、これはもしかすると血液を介して移る病気かもしれないぞ、、と思ったら、それは未知のウィルスによる病気かもしれないから、血液を原料にしているクスリは危険かもしれない。と思い、そのまま放置すると、血液製剤を投与されている人たちが皆その病気に感染するかもしれないというようなことを想像しなくてはならないわけです。
さて、浜辺で花火大会も結構だけれど、10万人以上集まるかもしれないと思ったら、その10万人をどうやってさばくか、考えるのは当然のことです。花火が終わった瞬間に、観衆は一斉に帰り始めるだろう、と想像して、どこをどう通って家に帰るのか、シミュレーションして、対策を立てるのも当然のことであります。
それをさぼったのだとしたら、責任者は責任を果たしていないわけだから、事故が起きて他の人たちに被害が及べば、業務上の過失を問われるのは当然です。
私たちも、他人、すなわち、時としてあまり役に立たないであろう責任者に、我が身を任せるのはやめた方がいい。混乱の様子を見て、ここの責任者はどうも当てにならないぞ、と、想像力を働かせよう。被害にあってから、責任をとってくれと言うよりは、危険を察知してそれを避ける方が現実的である。
駅で電車を降りて、人でいっぱいだったら、行ってもムダだし、人混みの中で子供の手を引くのは危ないから、あきらめて帰ったほうがいい、くらいの想像力は働くようにしておこう。遊びに出かけるときはそのくらいの心の余裕を持つようにしよう。
チチ@管理人 / 7/28(土)
明日の選挙で、私は、現政権の掲げる「聖域なき構造改革」に審判の一票を投じなくてはなりません。
しかしながら、小泉氏は具体的な話をほとんどしていないから、彼に一票を投じるとしたら、期待感・出世払いの一票と言うことになります。
問題は、構造改革の「聖域」です。どこの党も構造改革をやると言っている。方法論は違うにせよ、改革には違いない。
小泉氏に私が期待するのは、まずは自民党を含む、連立与党の改革であります。彼自身も、党内に抵抗勢力がいることを自覚しているようです。小泉氏を支持する結果が、彼自身が否定している自民党(否定していないのかな?)に一票を投ずることになるというのは、きわめて滑稽で、誠もって分かりにくい。
景気対策の名の元に、訳の分からない遺跡のような「箱もの」を作り続け、私たちに莫大な借金を負わせることになった責任の多くは、現政権の与党にあると思うが、責任の所在はまるではっきりされていない。選挙というのは、それまでの政権がよかったか悪かったかを国民が判断する「業績投票」が本来の姿であるという。小泉氏は就任して間がないから、たいした業績も上がっていない。それならば、少なくとも、小泉氏が今までの与党の業績をどのように評価しているのか、はっきりとお聞かせ願いたい。
ともかく、ついこの間まで内閣にいた人たちが、依然として自民党の中で権力を持ち続けている。自分たちのやってきたことに対する反省もなくして、改革の尻馬に乗ろうとしている姿は、全くいただけない。それらを何とかする所を見ずにして、期待と出世払いの一票は、少々難しい。
多くの人たちがどう思っているか、私には全く分からないけれど。
地球温暖化というのは厄介な問題で、放置すると様々な不都合が私たちの生活に及ぶかもしれません。
地球の気温が上がると、山の上や南極、北極の氷が溶けて、海水面が上昇します。低い土地では浸水するかもしれない。小さな島は水没するかもしれない。
暑いのは誰だって嫌だろうという、単純な話以外にも、例えば、農作物が異常気象で採れなくなるとか、土地の砂漠化が懸念されるとか、マラリアのような熱帯の病気が広がるとか、
どうも、温室効果ガス、つまり、二酸化炭素、メタンなどの大気中の濃度が上がることが原因らしいということで、これら温室効果をもたらすガスの排出を規制しようということで話し合いが持たれたわけです。
根底には、かけがえのない地球を守ろうという発想があり、また、この問題の解決には、国際協調が必須であるという事実があります。つまり、どこかひとつの国が努力しても、解決しないということです。
京都会議では、各々の国の現状に即して、目標が掲げられ、あとはそれぞれの国が条約を批准し、発効するのを待つばかりということ。
現在、先進国内で最大の二酸化炭素排出国である、米国が条約の批准に難色を示しており、枠組み自体の存続が危ぶまれる状況であります。
さて、我が国は、1990年を基準にして、二酸化炭素排出量を6パーセント減らすと、国際的に約束することになっています。
しかし、考えてみてください。二酸化炭素排出量はエネルギー消費量に直接関わるものです。11年前に比べ私たちの生活はいくらか優雅になっている。11年前のさらに6%減らすには、おそらく、今の排出量を10%くらい減らさなければならない。すなわち、10%エネルギー消費を減らさなくてはならないということであります。これは、不可能ではないだろうが、簡単ではない。
私たちはかなりの我慢を強いられることになるでしょう。
批准してしまっていいのでしょうか?
私はいいと思うが、批准するからには、10%のエネルギー削減を実現するための策を用意しておかなくてはならないと思うのです。そうでなければ、空手形を出したことになり、私たちの国は国際的な信用を失うでしょう。
どうすればエネルギー消費を10%も減らせるのでしょうか?
エネルギー消費の削減、つまり、いわゆる省エネについて、10%減らそうと思ったら、何か根本的なことを変えなくてはならないでしょうし、私たちは相当な不便や苦痛を我慢しなくてはならないことになると思います。それでも、やらなくてはならないという、強い意志が必要ですし、国民全体の合意が必要でしょう。そういう意味で、この件は今回の選挙の重要な争点であってしかるべきと思いますが、余りそうなってはいないみたいです。
いくつか、思いつくままにアイディアを並べたいと思います
■サマータイムの導入、および、国内時差の導入。
これはかなりの効果があると思う。明るいうちに仕事を済ませちゃおうということです。暗くなったら寝ましょうね。私は米国で経験済み。仕事が終わってから子供と公園に行けてしまう。余暇の活用にも大きなメリットあります。
国内時差というのは、ちょっとした思いつき。東と西で時差1時間くらい。日本は広いんだから、それくらいはいいかも。
■新築家屋の断熱施工
北海道の家は、分厚い断熱材が入っています。結露もしないし、いい感じ。本州以南でも、断熱材を入れれば、冷暖房の使用が少なくて済むんじゃないかな。
■自動販売機の規制
日向に、ドリンクの自販機が意味もなく並んでいる。あれはとんでもない無駄じゃ無いだろうか。業務が終わり、暗くなって誰も通らないオフィスの片隅に、煌々と灯りがついた自販機、、、これも無駄だな
■カープールレーン
分かりにくいかもしれないが、高速道路で車一台に3人以上乗っていると、優遇するのです。米国ではカープールレーンというのがあって、3人以上乗車の車は空いているレーンを走ることが出来た。3人乗車で高速道路代無料なんていうのはどうだろうか?
■渋滞を減らす
道路の拡幅、信号を減らす、左折専用レーンを作るなど、渋滞を減らして、少しでも燃費が良くなるような道路環境を作ろう。渋滞の緩和は、空気をきれいにして、時間の無駄を無くして、交通事故を減らして、、、いいことずくめだと思う。もう少し真面目に取り組もう。道路標識、意味のない案内板、信号機を減らすのは、安全の面でも有効だと思うが。
なんだか、良いことばかり書いたけど、もっと色々と耐えなければならない世の中になるだろうね。さぁ、何かアイディアは無いかな?
チチ@管理人 / 7/26(木)
ちょっと間が空いてしまいましたが、学生の頃のバイクの話のつづきです。
夏休みに間に合うように免許を取って、CX-EUROにまたがった私は、一週間後には、初めてのツーリングに、いきなり日本半周を始めてしまいました。
最終目的地は鈴鹿サーキット、8時間耐久レース観戦です。
バイクの苦労、楽しさ、何も知らず、ただ、あこがれだけで、出発してしまったわけです。北海道から出るまでに、冷たい朝露に悩まされ、バイクってこんなに寒いものだったのか、と、しみじみ。怖いものを知らないと言うのは恐ろしい。
その年は梅雨明けが遅くて、本州に渡ってからも、ずっと雨に悩まされ、ずぶぬれになりながらの旅でありました。ユースを泊まり歩いたのです。鈴鹿サーキットではコンクリートの上で野宿。見境もなく肌を陽に灼いたので、皮がむけてひどい目にあいました。
今でも人気の8時間耐久レースですが、当時は予選から10万人を越える人が集まり、その多くがバイクで集まってくる。F1のブームのあと、サーキットの雰囲気が随分変わったのですが、当時は、臭そうな男たちの巣窟でありました。今ほどアウトドァを楽しむ人も居らず、バイクで集まった兄ちゃんたちの大半は、私がそうしたように「シンプル野宿」だったようです。
野宿兄ちゃんたちは、鈴鹿サーキット近郊の銭湯、あるいは、サーキットホテルの浴場に行くのですけど、未だにアレより混んでいて、きたない風呂に入ったことはありません。玄関に靴がてんこ盛り、洗い場の隙間に立って、湯船が空くのを待ち、湯船に立って(混んでいてつかることが出来ない)洗い場が空くのを待つ、、、
今考えても恐ろしい。
レースは昼間に8時間走り続けるわけで、観衆の多くの臭い兄ちゃんたちは、前の晩の野宿で疲れ切って、サーキットの客席のあちこちに寝そべって居る。
人のことは言えないが、見たくない光景。
F1以降は鈴鹿も随分整備されて、客席も立派になった。何より客層が変わった。女性が増え、家族連れが当たり前になった。めでたしめでたし。
キング・ケニーロバーツが平忠彦選手と組んで出場した年であります。
つづく(ツーリングの話しに戻す予定)
ツーリングで重要なことは、ルートを選ぶことであります。
北海道で生まれ育った私は、道路というのは立派なものだと信じて疑いませんでした。八戸から陸走して、会津若松の友人宅に寄り、北関東を横切って諏訪湖のユースに泊まる。そこから安房峠、乗鞍スカイラインを経由して飛騨高山から木曽福島へ。名古屋に抜ける途中で、馬込・妻篭を眺めて、鈴鹿へ、という道を、地図の上で選択したわけです。ほとんどが国道を通る。
私は国道は県道より立派で、県道は市道より立派と信じて疑わなかったのです。
まず、安房峠でトラブルを起こしました。バイクにまたがって一週間。しかも、中型随一の巨体であるCX−EUROが相棒であります。峠道を通ったことなど無かったのですから。知識として、スローインファーストアウトは分かっていました。もう一つ、アウトインアウトも、、、
公道でアウト・イン・アウトは、いけません。私は判断ミスから下りのヘアピンカーブで大きく膨らみ、観光バスと正面衝突してしまったのです。
スキーで鍛えた転倒技術のたまものか、大きな怪我はなく、バイクも小破程度で、走行には障害がなかったのが幸いでした。バスのバンパーの請求書は後日届きましたが。観光バスの乗客のおじちゃん、おばちゃんたちに注目されてしまいました。あぁ、みっともない。
木曽福島から名古屋方面に抜ける道は、入り口はとても立派でしたが、だんだんと心細くなっていき、そのうち舗装は途切れ、まるでけものみちのようで、巨体のEUROには命がけの走行でありました。ガードレール無いし、、、今はきっと立派になっていることでしょう。
飛騨高山はとても素敵な所。どこぞから来ていた女子高生のグループと一緒に古い家を改造した喫茶店で食事をしたりなんかして、楽しかったです。
鈴鹿から、紀伊半島を一周して、大阪経由で名神、東名を通って東京の両親の元にいったのですが、紀伊半島の「国道」も悲惨なものでした。43号線だったかな。三重から和歌山に抜ける当たり。ただの田舎道。凄いなぁと思って写真を撮ったくらいにして。そのうち、感動を通り越すくらい道が狭くなり、車がすれ違えなくなる。もちろんガードレール無し。前を走っていたトラックがとつぜん止まる。対向車とすれ違えないのである。そのうちバックしてきた。クラクションを鳴らしたが気がついてもらえず、EUROの前にトラックの後ろがぶつかり、バイクは倒れ、悪いことに積んでいた荷物が外れて、崖から転げ落ちてしまった。藪の中を必死に取りに降りる。トラックのおじさんは、謝ってくれたけれど、、、まぁ荷物で良かった。バイクが落ちていたら、どうしようもなかったです。
和歌山に入ってからの43号線は海沿いで快適な道でした。
大阪で入った喫茶店で、レイコを注文する人が居てびっくり。アイスコーヒーのことなんですって。
懲りなかった私は翌年、再び鈴鹿を目指し、旅に出たのでした。
2度目の鈴鹿もCX−EUROで出かけたのですが、前年の経験を基に、余裕のあるスケジュールにして、テントを持参するなど、グレードアップ。
2年目は日本海沿いを南下。秋田の親戚宅を尋ね、只見を抜けて甲府の友人宅に泊まって富士登山競争に出場するなど、ツーリング以外に色々と目的を持った旅となりました。
この年の鈴鹿8時間は、ワインガードナーが激走に次ぐ激走。トップ独走中の平忠彦のヤマハが残り20分でリタイア、という、史上もっともドラマチックな8耐として、記憶に残るものになりました。
思い返せば、バイクのなんたるか、バイクの辛さ、楽しさ、そういったことを何も知らずに、ただ、バイクに対する憧れだけで突き進んだという点。初恋にも似て、バイクに乗るためのバイク旅行。恋に恋するじゃないが。
旅自体はとても楽しく、いい思い出になりました。一人旅。自分で自由に目的地を選びながら進んでいく。バイクの旅はいいものです。
ただし、事故が起こったとき、多くの場合、怪我をするのは自分自身であります。加害者になり、被害者になったにしても、、、、
今まで大きな怪我が無かったのは本当に幸いであります。
大学を卒業して、北海道とCX-EUROと別れるときがやってきました。EUROは乗って気持ちのいい、楽ちんな、まさしくツーリング向けのバイクでした。ただし、停まって押すときの重さは、並大抵ではありませんでしたが。
チチ@管理人 / 7/28(土)
大学を出て、大阪に住むことになりました。旅立つ直前に、雪のまだ残る歩道に一台の真新しい白いバイクが停められていて、一目で惚れ込んだわけです。どうも私は白いバイクが好きなのかもしれない。
CBR400Rというバイクであります。このころ、87年ですが、RG250Γ、GSX400が、本格的に火をつけたレーサーレプリカブームに、ホンダは完全に乗り遅れていました。中型バイクでは、V型4気筒のVFシリーズと、空冷直列4気筒のCBR400Fの二本立てに、シングル(GB)やV型2気筒(GL、VT)など、種類が多すぎたのかもしれません。若者は、速いバイクが好き。CBR400FもREV(今でいうVTEC)を装備して、速さではそれほどひけを取っていなかったはずですが、何しろライバルたちは、フルカウルに水冷・油冷エンジン。アルミニウムフレームでありますから、どうもホンダの直列4気筒は見劣りがしていたのです。そんな中で、満を持して登場したのがCBR400Rであります。
まるでレーサーから移植したような、極太のアルミフレームを、白い流線型のカウルの下に隠してしまっていたところが、私にとっては好ましく、多くの若者たちにとっては物足りない点となったようです。
ホンダはレーサーとロードバイクの違いをはっきりとさせたかったんだと思う。レーサーレプリカとはいえ、ほとんどは通勤、通学、ちょっとした買い物やツーリングに使われるわけで、レーサーのようなフル加速、フルブレーキングで、限界速度でコーナーを抜けるということは、普通の乗り方ではあり得ないわけですから。ホンダ的にはおおかみの子供に羊の振りをさせるバイク作りになったんだろうと思う。同業他社(スズキ)は、オオカミ(といっても本物じゃないが)をオオカミのまま首輪に綱をつけて、引き回すようなバイク作りというか、少なくとも見かけはレーサーそのものと言っていいようなバイクを作っていた。そのようなバイクが日常走るのに都合がいいかというと、そうでもないはずであるが、バイク雑誌は「これぞ究極のレプリカ」とはやし立て、バイクは年々過激になっていく。バブル時代とほぼ一致していたんではないかと思う。バイクの単価もずいぶん上がってしまったし。
この時代のバイクは素晴らしいが、高い。今、中古車の値段が下がらないのもそのせいだと思う。乱暴に乗られていたものが多いせいか、初期のレーサーレプリカは、中古車市場にほとんど出回っていないようであります。
私が一目惚れした、控え目なCBR400Rは若者たちの充分な支持は得られず、どちらかというと、少数派のバイクでありました。
何にせよ、初めてもらった給料で、中古車やに並んでいた白地に青いラインの入ったCBRを手に入れるためのローンを組むことが出来たのであります。
わが家に、当時中型免許で乗れる最速のバイクがやってきたのです。
チチ@管理人 / 7/23(月)
サンダーバード(TB)というと、私にとっては、操り人形のSFドラマ、国際救助隊(International Rescue)のことだけれど、近頃の若い人たちは、何を思い起こすのだろう。
多分、大富豪のおじさんが、南海の孤島を基地にして、息子たちを隊員にして、国際救助隊をやっている。垂直離着陸可能のロケット機や、潜水艇、などで、信じられないような機動力。何しろ、宇宙ステーションを自前で持っているという、驚異の情報収集能力で、世界のどこででも、時には宇宙で、誰かが「国際救助隊、サンダーバード、助けてくれ、、、」という声をキャッチし、駆けつける。そして見事に救い出す。多分今から30年以上前のドラマである。
さて、我が国の科学技術は世界最高水準なのだそうな、、、水準というところが曲者で、最高ではないのだ。例えば、半導体を作るような技術は最高かもしれない(良く知らないが)でも、その半導体を企画立案と言うことになると、多分ダメだろう。医学でも、生命科学でもしかり。東大の偉い先生たちが作ったロケットがことごとく失敗したのはつい先日だし、「最先端」の原子炉からナトリウムが漏れたあと、どうなったかは知らない。
バケツでウランを混ぜ合わせるという、しゃれにならない世界最先端の裏側を見せつけられて、それでも世界最高の科学技術といわれると、ちょっと気恥ずかしくなる。
世界で一番治安が良くて、住み良い国と信じている人も多いと思う。案外そうではないのだと言うことは、最近の多くの事件が知らせてくれる。我が国で、世界一とか、世界最高水準の、、、というときは、ちょっと眉に唾つけて考えた方が良さそうなのである。
神戸で地震があり、多くの人たちが瓦礫の下に閉じこめられたとき、キャンプ中の家族が激流に呑まれそうになったとき、墜落した旅客機の生存者が助けを待っているとき、漁船が転覆したとき、我々は手をこまねいているしかない。サンダーバードを待つわけにはいかないのである。
年間500億円くらいの予算で、もっと出してもいいけど、自衛隊か警察か消防、あるいはその3者の共同で、救助隊を作ってくれないだろうか。日本のどこかで事件が起こったときに、2時間以内に駆けつける。多くの痛ましい事故を教訓に、あらゆる事態に対応できるような設備と訓練を施したスペシャルチーム。結局、何も起こらず、今年も役に立たなかったというなら、大いに結構。予算というのはこういうことに使って欲しいと、私は思う。
チチ@管理人 / 7/23(月)
盗まれて2週間になりますが、私のバイクは結局戻ってこないようです。
無いととても不便なので、新しく買い直すことにしました。先週末と今週末、バイク屋を訪れて、適当なバイクを探し当てました。
最近の中古バイクはとても値段が高いのです。ここ10年くらいの間、バイクの機種はどんどん減り、新型が余り出ていないのが大きな理由のようです。
11年前のブロス(400cc)を支払総額で30万円といわれると、魅力的なバイクであることは別にしても、躊躇してしまう。
最後にダメ元で寄った、職場の近所のバイク屋に、3年落ちくらいのVTR250ccを発見。支払い、31万円で手を打ちました。走行が一万4千キロとちょっと多めですが、全オーナーはノバの講師をしている外国人女性とのことです。
今週末には手に入る見込み。良かったです。
バイク屋の話によると、駐輪場に止めていたバイクに、「このバイクを高価で下取りします。手放すときはご連絡下さい」というような札が架けられていたら、それは、泥棒が下見に来たことを意味するとのこと。
気をつけましょう。