参議院の選挙がもうじきなんだそうです。
国政選挙は必ず投票することにしていますけれど、いつも、どこに(誰に)入れたらいいのかわからず、苦労しています。
近いと言うことで、いくらか政治的な話題が続くかもしれません。
便乗、ビンジョウ!
僕らの仕事はブームに乗ることさ。♪
タイマーズの歌の歌詞であるけれど、
誰もが、ライバルも、仲間も、ミスター85パーセントに便乗しようとしている。
ミスターを前に、自分の存在価値を示せる人が、与党でも、野党でも、いったいどれほどいるんだろうか?
とにかく、一般市民としては、誰かを選んで、投票しなくてはならない。便乗は嫌いだが、果たして、、、
積極的棄権という選択肢は、これに関しては無いからね。
バラエティ系の番組で、よくあるやつのことです。
あらかじめ用意してあるビデオや、何かの実演をしているときに、囲み画面が出て、ゲストがモニタでその場面を見ている表情が映るやつ。表情豊かなタレントさんが、めいっぱい驚いたり、笑ったり、嫌そうな顔をしたりするのが、画面の一角に映し出される。
それから、タレントさんの発言をいちいち字幕に映し出す。
別に、聴覚障害者を意識してのことではないと思う。
囲み画面は、邪魔だ。かえって見たい部分が隠されることがよくある。それに、あぁ、今俺が映されているなぁ、、と、何ともいえぬ曖昧な表情になったり、逆に気合いを入れて、大げさに驚いたような顔になるタレントさんたち。こういう起用をされる人は、いくつもの番組に同じ役柄で出ている。大げさ表情俳優ともいえる人たちで、ちょっとうんざりさせられることもある。
字幕の方も、やけに大げさな文字で、字幕の出し方で笑いを取ろうとする。
また、つづく
少々季節外れな話題であることをお断りしておく。
もう、枯れているので、バレンタインデーなんぞどうでもいい。
はしゃぐ人たちには勝手にやってもらうとして、義理でいただくのは(もらうけれど)余りいい心持ちにはならないし、「勝手にくれたんだから、ホワイトデーにお返しなんかしないよ」といって、非常識、無礼者のような言い方をされると、気分が滅入る。迷惑な年中行事である。理屈っぽいので、本来の意義を考えてしまう。愛する人(家族であったり、お世話になった恩師であったり)に、贈り物をする日というのが、本来の意図であると思われる。女性から男性にチョコレートをおくって愛の告白をしても良い日、ではないはずである。義理と念を押して、チョコレートやクッキーをやりとりして、「義理でももらえない」、などと嘲笑されては、誠に迷惑な話である。やりとりを楽しんでいる人たちに、止めろというつもりは毛頭ないが、巻き込まれるのはかなわない。
かといって、「要らないからネ」とあらかじめふれ回るのは全く愚かである。
つづく
少し、先が読めるようになった今では、そのようなものはもらわずに済むならそうしたいと思う。
以前、もう少し鼻息が荒くて、脂ぎっていた頃、今年はきっと誰かがくれるかもしれない、、、いや、くれるに違いないと、期待と不安に胸を熱くした日々、、、書いていて恥ずかしいが、なんだか懐かしくもある。
余りいい思い出はないのだけれど、一・二回、複数の女性から受け取ったことはある。渡した方としては、一種の保険というか、何かそんなに深い意味がある人はいなかったみたい。その後、何の発展もなかった。わりと男性の少ない職場にいたから、、、
そんなことはあくまで、一・二回でありましたけれど。
大抵は、チョコレートには何の縁もないバレンタインを過ごしていたのだけれど、今にして思えば、、、
「オーイ、俺はここに居るぞ〜!渡すなら今だぞ〜!ちょっと照れたような振りをして、しっかり受け取る覚悟で居るんだぞ〜!」
という、オーラのようなものをみなぎらせながら、その日1日を過ごしていたような気がする。こういう状態を、「ギラギラ」なんぞというのかもしれない。
で、大抵は、何にもなし。
義理も、人情もなし、、、とほほ、、、とは、思わずに、「俺に惚れる女の子はとても控え目で、恥ずかしがり屋で、結局渡せなかったに違いない、うむ」と、これは別に自分を慰めていたわけではなく、真面目にそのように想像していた。
脳天気、おめでたい、もう少し悪い形容詞があるかもしれないが、思いつかない。さらにつづく
HPの管理は楽じゃないです。
時間がかかるし、苦労が多いです。現在の所は、睡眠時間を削り、更新作業に当てている状況です。
「週刊親子ニュース」は、とりあえず、管理人の強力なリーダーシップの元に、管理人自身が自分勝手なことを、誰に気兼ねすることなく書きつづるというコンセプトであります。先日ついに5000ヒットを達成、ならすと、この間1日に20人近くの方が訪れてくださった計算になります。(おそらく、半数近くが自己ヒットということを差し引くと、1日10人ほどかな)
冷静に考えて、私の自分勝手な言い分を毎日10名ほどの方が見てくださっていると言うことは、私にとって驚きであります。今このとき、私がゴタクの投稿画面を開いているこの瞬間に、隣のページをどなたかが眺めているのかもしれない。こういう感覚はHP管理人にとって独特のものだと思います。
ここに再度訪れてくださる方は、親子ニュースの何かを気に入って、期待してくださっている方だと信じています。何を気に入ってくださったのか、何を期待してくださっているのかは、管理人にはわかりません。タイトルから想像するほど、アットホームでほのぼのとしたものではないと思いますし、むしろ、身の毛もよだつような、「自己満足親ばかサイト」としての用件を十分に満たしている様にも思います。
メールや、掲示板など、感想を送っていただく手だては用意しているのですけれど、そういったことは滅多にありません。多分、私にチョコレートを渡し損ねた多くの控え目で、恥ずかしがり屋の女の子たちのように、遠くから私を眺めて、それだけでちょっと満足して、もしかすると少しだけいい気持ちになって下さっているのかもしれません。
感想を送られることが、HP管理人にとって一番の励ましなのだそうです。でも、ゴタクに関する限り、私はいいのです。たとえ、誰も見ていなくても、私は黙々と書き続けるでしょう。実際、ゴタクには読み出し数のカウンターが付いていますが、かなり長い間、ゼロと1が並んでいました。最近では、数名の方が読んでくださっている模様。ちょっと嬉しくもあり、それだけでなんとなく色気づく自分自身に管理人業の、悲しい性(サガ)のようなものを感じてしまいます。読み手を意識することで、自意識過剰の管理人が右往左往する危険性をはらんでいるわけです。
さぁ、ゴタクを読んでくださっている数少ない皆さん。
と、言うわけで、カウンタが1つ刻まれるだけで管理人にとっては十分な励ましなのであります。ゼロでは寂しい。ひとりが読んでくれていればそれで充分なのであります。感想や、ご意見は別に要りません。レスは可能ですが、管理人に真っ向から勝負を挑むつもりで、それだけの覚悟で、、、
どうしても、というなら、止めはしません。
鳩は嫌いである。
人を見ると、エサをもらえると思って寄ってくる態度が気に入らない。世の中はそんなに甘くはないし、いい人ばかりでもないのである。おまえさんを捕って喰おうと待ちかまえているやつも居るかもしれないぞ。天真爛漫というか、何というか。そんな態度ではこの世の中、生き抜いていけない。
目の回りの赤いのが気味悪いとか、糞や羽毛をばらまいて不衛生だとか、アスペルギルスという病原菌をまき散らすかもしれないとか、そういうことを別にしても、何かを期待して寄ってくる、浅はかさが堪忍ならない。
どうせ生きるなら、猫のように生きたい。ちょっとハスに世の中を眺めて、人の手の届かないところでのんびりと昼寝をして、エサをもらうときは、なんとなくすり寄るような振りをして、腹が満ちたら、「ハイご苦労さん、行って良し」と、知らんぷりをする。
おいしいものを持っていない闖入者にはあくまで冷淡。常に警戒心を忘れない。猫よ、おまえはなんと素晴らしいのだ。
猫のように生きたい。猫のような友達と、曖昧な距離感を楽しみたい。青春とは、そのようなものだった気がする。
お国のボスはみんなから注目される。何かやると、騒がれる。
「ボスだって人間だ、まちがえることもある」なんて言ってしまうと、「開き直るのか?この野郎」といわれてしまうことは必定である。と、私は思うが、前のボスは、「ボスだって人間だから、失敗することもある。いちいち目くじら立てること無いじゃないか」なんて平気でいってしまうような人だった。まぁ要するに、インチキだった。回りがみんなで「このインチキは、実はインチキではありません、」とごまかそうとしたんだけれど、おじさんはその上を行くインチキ野郎だったので、お手上げになり、クビになってしまった。
おじさんは一年もでたらめ放題、誰が代わってもおじさんよりはマシだろうと思ったが、おじさんに引導を渡すと言い出す人がいなかった。
こういう状態が続くと、みんなは無力感にさいなまれ、あぁ、おじさんは永久にインチキし続けるだろう、なに言っても無駄なのだ、、、という気分になる。こういうあきらめの気分にさせられたときというのは非常に危険である。
ちょっと正論を、堂々と言う人が、やたらと立派に見えてしまう。口の上手な人に、大勢が流されて、妙な独裁者を生んでしまう背景になる。やばいなぁ、と思っているところに、新しいボスが登場した。
つづく
インチキおじさんの一番の罪は、エライ人たちが私たちの未来について話し合うはずの会議の場を、とことん低レベルに落としてしまったことです。つまらない論議が水を掛け合うように続き、質問する側もあほくさいと思いつつも、質問する。見ている我々は全くしらけて、信用も興味も失う訳であります。
論議は常に結論が見えず、言った、言わないの醜い言い争い。
多くの人たちの感覚が麻痺し、マスコミも、いちいち突っ込むと自分の所の質が下がってしまうことを気にし始める。もうイイや、インチキおじさんの言うことをいちいちあげつらうのはもう止めてしまおう。という雰囲気が出来上がりました。こうしておじさんは、オールマイティの切り札となってしまいました。
おじさんに引導が渡され、渡したのは、一般市民に近い人たちでしたが、新しいボスが登場しました。
立派な人という評判です。私も悪くないと思う。これから色々なことをやってくれるかもしれないと、期待しています。そのボスの支持率が85%なのだそうです。
この世の中のすべての野球ファンのほとんどが巨人ファンとはいえ、巨人軍の支持率は、せいぜい、40%くらいのものでしょう。どんなに人気のある芸能人でも、高橋マラソンチャンピオンでも、8割以上が支持するということは、そうは無いのではないでしょうか。
この85%には、インチキおじさんの「地ならし」がかなり効いているようです。つまり、おじさんと、おじさんを担いでいた人たちに対する反感であります。それにしても尋常じゃない。
さて、85%の人から好ましく思われている人を相手に、文句を言うのはかなり勇気が要ります。誰だって世の中の85%を敵に回すのは気持ちのいいものではありません。あの「夕刊ゲンダイ」でさえ、新しいボスの太鼓もちのようになり果てています。
しかしながら、「ミスター85%」は政治家で、この世の中の最高権力を握っています。その彼に対する支持が85%というのは健全な状況ではありません。誰かが批判してあげなくてはならないのです。
私たちにとって、将来の選択肢は少なくとも二つ以上あるべきです。このような現状は、私たちの選択肢を、極端に狭めています。ミスターは素晴らしい人かもしれませんが、人間ですから何かミスをするかもしれません。私は彼のヘマと心中するのはゴメンです。
健全な批判勢力を育てるのも、マスコミの役割のひとつと思いますが、この件に関して、マスコミはプラス20%分程度の貢献はしていると思いますが、その結果出来上がった化け物のような支持率に対して、もはや批判をするつもりはないように見受けられます。ゆゆしきことです。
晩ご飯を家族と食べて、子供たちを風呂に入れたあと、また仕事に出かける。雨が降っていたら車で行くことが多い。そんなときは、職場の有料駐車場を利用している。
先日、車で駐車場から出ようとして、ゲートをくぐるときに、窓から手を伸ばして精算機に1000円札を入れた。お釣りが勢いよく出てきて、100円玉が一個、チャリンと下に落ちてしまった。
「あら、しまった。車の下に転がったら厄介だなぁ」と思って、運転席側のドアをそっと開けて下をのぞき込んだ。
車と精算機の隙間は狭い。少しだけ開けたドアの足もと辺りに100円玉がひとつ。良かった、と思い手を伸ばすと、その横に100円玉がもう一つ。
なんだかとても得した気分になった。
ただそれだけです。
今日は、きっと良いことがあると思って、駐車場から出るときに、精算機の当たりの地面を眺めると、もう百円落ちていました。
新聞で見たよ。
オランダに行くんだってな。感傷に浸っているよ。
君が望んだことなら仕方がない。
前期終了までこっちにいるかどうかも分からないって、ずいぶん急な話だな。君に当分会えなくなる。こんなことになるのなら、万博は止めて神戸に行けば良かったと後悔しているが、手遅れだ。
3年前のフランスで、僅か15分程ではあったけれど、君の見せてくれたいくつかのプレーは忘れられない。
目の前には新しいフィールドが拓けようとしている。望むものをすべて手に入れて欲しい。パスを出すだけでは司令塔とはいえない。ゲームをドライブして初めて司令塔なのだ。そして、試合を目撃するすべての人たちの心をドライブする、そんなプレーヤーになって、いつか戻ってきてくれることを心から願っている。
そして期待している。
気をつけて、行ってらっしゃい。
別段、熱心なファンではない。
しかしながら、「勝手にシンドバッド」が大学一年の頃だったから、ほぼリアルタイムで経験している。
自分にとって3枚目のサザンオールスターズのアルバムを手に入れた。「稲村ジェーン」を二枚買ったので、実質2枚目。「バラッド3」という、ベスト盤。
バラッド3には、先日大ヒットした「ツナミ」も入っているが、なんだかひねり出した歌という感じで私はあまり好きではない。詩が流れていないと思う。「愛の言霊」が好きで、一度カラオケでも歌ったことがある。
聴いていて思った。桑田さんは「稲村ジェーン」を超えられずに居るのかなぁ、、
あの映画がきわめて評判が悪かったのは知っている。評論家に酷評され、サザンのファンからも貶された。しかしながら、私がかつて並んだ一番長い映画の行列であったし、興行的には成功したはずだ。清水美砂と加勢大周をスターにして、そして何より、ミリオンセラーのサウンドトラックを生んだのだ。映画のサントラの出来の良さは、桑田さんの映画に対する愛情と情熱をひしひしと感じるものだった。
映画自体は、確かにあまり良い出来ではなかったかもしれない。素人の監督なのだ。私はおおめに見る。見終わったあとで、なんだかドキドキした。それだけで十分だった。思い出深い映画である。(全く波に乗らない、不思議なサーフィン映画である)あれ以来、桑田さんの映画制作も途絶えている。
サザンオールスターズの桑田圭祐が稲村ジェーンを引きずり、苦しんでいる間に、(私の勝手な妄想である)ソロシンガー桑田圭祐が一枚のアルバムを出している。「孤独の太陽」という作品である(1994年)
つづく
> サザンオールスターズの桑田圭祐が稲村ジェーンを引きずり、苦しんでいる間に、(私の勝手な妄想である)ソロシンガー桑田圭祐が一枚のアルバムを出している。「孤独の太陽」という作品である(1994年)
このころ、私は米国に住んでいて、桑田圭祐のソロアルバムの噂を聞いた。女房が子供と一時帰国するときに手に入れてくるように頼んだ。
聴いてぶっ飛んだ。
はぁ?桑田圭祐は本当はこういうのをやりたがっているのだ。
サザンオールスターズとのギャップに悩んでいるのかなぁ、、、、
こういうのを聴いてサザンオールスターズのファンはどう思うのだろう?
私のお気に入りは、一曲目(漫画ドリーム)、2曲目(しゃあない節)。この二つはいい。強烈なインパクトのある曲。
それから、エロスで・・・(4曲目)、鏡(5曲目)貧乏ブルース(12曲目)Journey(13曲目)。まぁ、これは私の好みということだけれど。
ちなみに、あるサイトで、孤独の太陽の中の曲の人気投票をやっていたが、しゃぁない節は最下位だった。私にとってはベストなんだけれど、、、
全13曲大変密度が高い。
桑田さん、こんなアルバムを5年に一作くらい作ってくれないかなぁ、、、
米国にいたので、このアルバムがどれくらい売れたのか知らないのです。
聴いたことがないという人には、是非に、と、お奨めいたします。
「回想するジョンレノン」(草思社:ジョンレノン著、片岡義男訳)と言う本を読んだことがあるだろうか。以前は「ビートルズ革命」というタイトルで出版されていたはずである。
ビートルズ解散後、ソロアルバム(プラスチックオノバンド・ジョンの魂)のプロモーションを兼ねて、レノンが一部ヨーコと一緒に、音楽雑誌「ローリングストーン」編集長のインタビューを受け、その内容が、かなり忠実に記されている。
インタビューァの誠実さが、ジョンの言葉に重みを増している。解散直後のビートルズについて、ジョンが生々しい言葉を発している。売るために作り出された多くの偶像をことごとく否定してゆく。「ビートルズ革命」と名付けられたのも頷ける内容である。
この中で、インタビューァがジョンに尋ねる。
「あなたは天才でしょうか?」
「この世に天才というものがあるとしたら、私は天才です。」つまり、彼は自分の表現力を100%信じている。
「どんなものでもいいから楽器を持たせてくれれば、自分はそれで芸術を奏でる自信がある。」というのである。
自分が天才であると信じられる彼は、やはり、天才なのだと思う。
「あなたは自分のギタープレイをどう評価しますか?」
これに対して、ジョンは、自分のギターは下手だから、照れくさい、と言う。しかし、自分はバンドをドライブ出来る。
ポールのファンは見ない方がいいと思う。
ロックスターを目指す少年・少女たちのバイブル。
ジョンの音楽と、ジョンの言葉、、、、(with yoko)
米国に生活していて、日本の物価は高いなぁ、どうかしているよ、と思ったものがいくつかあった。
お米、ビール、牛乳、ケンタ、ガソリン、音楽CD、ビデオなど。
一緒くらいだ、あんまり変わらない、と思ったものが、ディズニーランドの入場料
日本の方がはるかに安いと思ったものが、中古車。米国の中古車は本当にどうしちゃったの?っていうくらい高いのです。いや、日本が異常に安いのかな。10年落ちのソアラより、軽自動車の方が高いなんて、やっぱり納得しかねる。これは多分、車検制度の影響だと思う。
米国に住んでいる間に、大きな事件が3件ありました。
行ってすぐに、山火事があって大騒ぎ。
しばらくして、ノースリッジ地震。
それから,OJシンプソン事件。
事件の大きさの尺度として、テレビの取り扱いが参考になります。
これらの事件で、すべてのテレビ局がヘリコプターを飛ばして現場から実況生中継をしたのです。フリーウェイを逃げるシンプソンの車を延々と上空から追いかける、ちょっと彼がフットボールのスターだと言うことを知らない人にとっては全く退屈な映像であります。
さらに、こういった場合、すべてのテレビ局が同じように生中継をして、しかも、CMが入らなくなります。CMが入った瞬間に、視聴者はチャンネルを変えてしまうということを、テレビ局側も心得ているのです。何しろ、他局でもほとんど同じ映像を流しているわけですから。
先日の大阪の事件。午後1時頃、気が付いてテレビをつけました。職場のテレビはフジテレビ系列しか、まともに映りません。小堺一機が、奥様がたを相手にする番組をやっていました。
何年に一度かの、大きな事件だったと思うが、、、、もう少し柔軟に番組を編成した方がいいように感じました。呑気というか、冷静というか、、、
かなり柔軟にはなってきたようですが、野球中継が未だにいいところで途切れてしまうことがありますよね。最近、滅多に野球中継は見てないけれど。
米国で見た野球中継はとことんやっていました。だいたい、米国内で時差がありますから、ロサンジェルスでいい時間の試合は、ニューヨークでは深夜になってしまいます。初めから余り時間は気にせずやっているらしい。
野球の中継は大抵ローカル局でやっていますが、ある日、4大ネットのひとつがドジャースタジアムの試合を中継しました。試合開始が午後8時というのは、おそらくテレビ中継の時間に合わせて試合開始を遅らせたのだろうと思います。試合は延長となり、深夜1時近くまで中継をやっていた覚えがあります。
日本のように、いいところで中継打ち切りは、よく視聴者が黙って居るなぁと、感心する次第。やるとなったら、とことんやる。当たり前のことのようで、野球に関してはそうでは無いのですね。
親会社がテレビ局だから、局側の都合が、試合やファンの要望に優先するのでしょう。見せてやってんだから文句いうな、という発想ではないとは思いますが。
あの事件以来、どうも不調であります。
お茶らけるような気分になれません。