テレビニュースには映像が必要である。
アナウンサーの質の低下と密接に関わっているかもしれないが。ニュースショウの時間は決まっていて、今日はニュースがないから、音楽にしましょうというわけにはいかないらしい。
視聴者のイメージをふくらませるために、映像を流す。時として、ニュースと直接は何の関わりもない(資料映像)だったりする。
資料映像にも2種類ある。
つまり、例えば、亡くなられた方の在りし日を偲ぶような映像。これは、リアルタイムでないにしても、本物である。例年行われる行事が来週ありますというようなニュースでは、去年の行事の映像が流されたりする。
これはまぁいい。見てれば分かるし、あながちウソの映像というわけではない。
問題なのはもう一種類の方である。例えば、若い女性が事件に巻き込まれたニュースで、盛り場を歩くミニスカートの女子高生とおぼしき映像が映されたり、覚醒剤などの事件のニュースで、スタジオで撮影した砂糖の山(多分、つまりはただの白い粉末)の映像を出したりする。ぼんやりと見ていたら、被害者の女性はミニスカートの制服で、夜の盛り場をうろついていたのかと、私などは勘違いしてしまう。白い粉に至っては、やらせである。
番組プロデューサーの貧困なイメージを、視聴者に吹き込もうとしているようで、良くないと思う。バラエティーやワイドショゥならまだいい。少なくともニュースと名乗っている以上はプライドを持って、真実をそのまま伝える努力をするべきだ。
資料映像とテロップを出すことは、必須である。
現場からの中継というのも、考え直すべきではないか。国会前から、、とか、事故現場から、、、というのはどこの局のニュースでもやっている。どれほどの価値があるのかよく考えて欲しい。最新のニュースをリアルタイムで、という姿勢の表現方法なのだろうが、最新のニュースがあろうが無かろうが、やっている。現場から、現場以外のニュースを下手くそなレポーターが読むなんてことは本末転倒である。
もう少し続く
特にテレビニュースは気をつけなくてはならない。
情報のソースが分からないことが多いからである。ソースが分からない話は、真偽の判断は不可能である。
実際には、近所の人の話によると、、、とか、テレビ局の取材に答えて、とか、警察の発表によると、、、と、アナウンスしているはずだが、そういうことは大抵、ニュースの冒頭に言うから、聞き逃してしまうことが多い。新聞なら、読み返すことも出来るが、テレビニュースはそうはいかない。
少なくとも、今流れている情報が、客観的事実なのか、あるいは、誰かの主観が入った伝聞なのかをはっきりさせなくてはならないだろう。そして、誰かの主観が入っているとしたら、それは被害者のものか、加害者か、端で見ていた第三者なのか、あるいは全く関係のない評論家か誰かなのか、気にした方がいい。ある種のニュースショウでは、そのニュースを取り上げた意図さえも、疑った方がいい場合がある。ニュースとはいえ、視聴率を稼がなければならないのである。
このような、情報の取捨選択は、視聴者である私たちには少々重荷である。我々に出来ることは、信頼できる番組、キャスターを捜しあてること、現実にはそれくらいのものだ。
新聞は、慎重に選んだけれど、テレビのニュースショウとなると、少々安易であるかもしれない。
マスコミに与えられた力は絶大である。いきなりカメラを向けることは、銃口を向けると同じくらいの効果がある。正しく使って欲しいと思う。
振り回されるのは、誰だって嫌に決まっている。
ジェットコースターが嫌いである。好きこのんであれに乗る人の気が知れない、とまでは言わない。女房は喜ぶし、好きな人が大勢いることは知っている。私が嫌なのは、自分でコントロールできない状態になること、重力と軌道のなすがままになって振り回されるからである。体に悪い、心にも悪い、私にとっては。
父の日に小学校の日曜参観があり、娘から伝え聞く情報によると、おとうさんたちが綱引きをするそうである。体育の授業を参観するのか、その辺は今ひとつ、ハッキリしない。
綱引きはジェットコースターと同じくらい嫌いである。第一、危険である。
自分が綱引きに参加していた頃はクラスでは小さい方だった。綱引きはなぜか背の順に並ばされて、体の小さい子供は前の方である。つまり、張りつめた綱にぶら下がるような状態になるのである。後ろの方の引き手がふらつくと、それに引きずられて、前の方の子供たちは振り回される。
必死で頑張らされるが、何も生み出さない。エネルギーの無駄。子供の前では一生懸命やるだろうが、綱引きは嫌いである。
アメリカに住んでいた頃、現地で出来たアメリカ人の友人に、尋ねた。
「ねぇ、ハンドガン、持ってる?」
彼は白人で、まぁ、中流の下の方だろう。中流というのは、どこに済んでいるかによっても違っている。我々とそうは違わない生活をしているという意味である。彼は子供の頃に台湾に住んだことがあり、中国語を少々、日本語も片言なら分かる。アジア系の住民とのつきあいも多い。小学生の息子と、幼稚園前の娘がいる。
「もちろん、ノォだよ」これは彼らにとって、微妙な問題らしい。
彼はよくしゃべる男で、彼の会話が途切れたのは、このときと、アトミックボムについて質問した時、それからあともう一度あったはずだが、思い出せない。
「オウケィ、私たちは子供が水鉄砲で遊ぶのさえ嫌なんだ。これで分かるだろう」
帰国してから、わが家の長女が幼稚園に通う歳になって、通園バスの待ち合わせ場所に、私がよく見送りに行った。そこで、近所の親子連れと挨拶し、一緒にバスを待つ。
姉の手を引き、もうじき幼稚園に上がりそうな弟をだっこしてやって来るおかあさんがいた。息子は手におもちゃの鉄砲を持っている。にこりともせず、その鉄砲を私に向けて、撃つ真似をする。何も意味はないのだ。普段から、父親とそうやって遊んでいるに違いない。
「おじさんを撃たないでくれよ」大人げないと思いながら、私はその子に言った。だっこしていた母親も気が付き、笑いながら「済みません」と謝った。
わが家には武器となるようなおもちゃはない。他愛ない遊びとは分かっていても、とりあえず、親の意志が通じる間は持たせたくないと思っている。そのような考えは了見が狭い。窮屈だという意見を否定するほど、重要なこととは思っていない。その先、子供たちは多くのやばいものに接する機会を持つだろう。免疫をつけてやる機会を放棄しているだけかもしれない。
了見が狭い、大人げないと自分でも思う。しかし、子供のおもちゃとはいえ、目の前に銃口を突きつけられた不快感は忘れられない。
タイマーズを時々聴きたくなる。
清志郎が作ったバンドが、1990年頃に出したアルバムである。ジャケットは、短く先がつぶれた、たばこのようなものが並んでいる。
この中で清志郎がカバーしたデイドリームビリーバーが、カップラーメンのコマーシャルで使われたので、聴いたことがある人も居ると思う。
語呂合わせ、言葉の遊び、ロックは元々向こうの音楽で、向こうの歌詞は必ず韻を踏むから、言葉遊びの要素は出てくるのである。
露悪的、そして、ブルージィ。まさしくロックンロールがここにある。これでもか、これでもかと、清志郎の怒りが渦巻き、ぶつかってくる。そしてサウンドはシンプルこの上ない、まさしくロックンロール。
このひとつ前の、「カバーズ」(RCサクセション)と、「baby a gogo」(RCサクセション)を挟んで登場した「日本の人」(HIS)と、異なるクレジットで立て続けに登場した三部作は、私にとっては清志郎の代表作。日本ロック史上に燦然と輝く傑作だと思っている。
三つ組にして聴いてみることをお奨めします。
(baby a gogoも好きですけど。)
試しに「タイマーズ」をヤフーで検索してみるといい。出るわ出るわ、、、ページ検索の結果で700以上。
1988年、RCサクセションが出した、「カヴァーズ」というアルバムは、音楽以前に大きな話題を呼んだ。
つまり、古いロックに清志郎が新しく歌詞をつけて歌った訳だが、内容がよろしくないと、東芝がアルバムの中の4曲を削るように要求し、結局東芝は「素晴らしすぎて、発売できない」と言うコメントを出して発売を拒否。アルバムは、Kittyレコードがそのまま発売することになった。
どうやら、原発反対やら、核武装反対、などの内容が親会社の気に入らなかったらしい。
まぁ聴いてみてください。選りすぐった上質のロックンロールがそこにはあります。素晴らしいアルバムと思うが、すねに傷のある、偉い人たちには理解できなかったらしい。
発売になったカヴァーズはNHKとFM東京から放送見合わせの処置を受け、清志郎がある生放送のテレビ音楽番組の第一回目にゲスト出演して、生番組中に替え歌でFM東京をこき下ろすという「事件」を起こした。私はその番組は見ていないが、たまたまその次の週に番組を見て、司会者(古館伊知郎)が先週の清志郎さんには、本当にびっくりしました、、、といっているのを聞いた覚えがある。
(つづく)
タイマーズ、というバンド。どうも清志郎がやっているらしいんだけれど、本人は否定しているけど。
カバーズの発売、放送自粛の件がよほど頭に来たらしい。怒りが渦巻いている。
タイマーだぜ、別に良いだろう?
もしもぼくが偉くなったなら、偉くない人を馬鹿にしたりしない。偉い人だけでつるんだりしない。当たり前だろう。
ぼくらの仕事はブームに乗ること。便乗、便乗、
全く当てはないが、、一度でいいから、印税暮らしをしてみたい。
印税で暮らすということは、私のオリジナリティがかなり多くの人に受け入れられて、それによってお金がいただけるということだ。
全く当てなど無い。
子供たちの一人でも、そのような才能に恵まれ、その印税で養ってもらうという可能性なら、遠い将来あるかも知れない。もちろん具体的には当てなど無いが、、、
フォークソングがニューミュージックと名前を変えたのは、いつのことだったか。オフコースが5人に増えた頃からではなかろうか。
色々な形でマスコミへの露出は増えたにもかかわらず、拓郎や陽水は、今でもやはり拓郎であり陽水である。泉谷も相変わらず泉谷で、ミックとキースは死ぬまでストーンズだろう。
私が中学生になる頃、フォークソングがもてはやされていた。フォーク歌手が私たちのアイドルで、深夜放送のDJになって、ギターを手に自作の歌を歌うことがフォーク歌手の証のような時代だった。
今にして、思う。フォークソングなんて、実体のないものだったのだ。どこかのレコード会社宣伝部の頭のいい誰かが、売らんがために作り出した一種のジュモンのようなものだったのではなかろうか?
いつの間にか演歌歌手になって、ディナーショウで稼いだり、タキシードを着て国営放送の二人のビッグショウなんかに出ている、かつてのフォーク歌手を見ると、一杯食わされた気分になる。あんなにテレビには出ないと大見得を切っていた人が、大御所のような顔をしてテレビ番組でゴタクを並べるのを見ると、気分が滅入る。
♪いつも、ちっとも似てないの。窓の下には神田川♪
正直な話、「神田川」がラジオから流れてくると、今でもいい気分にさせられるのだけれど。
青春のアイドルは、いつまでもアイドルで居続ける努力をしてほしい。それが印税で暮らす人の務めだろうに。
開かれた学校、と子供たちの安全は、全く別の話です。
朝、子供を送り出したあと、家に戻ってくるまでの間、子供を守ることが出来るのは学校なのであります。
私は、法的にどうであるかは別として、悪意を持った侵入者が(結果的に)学校敷地内に入ることを許してしまった学校側の責任は否めないと思う。
今までも、大きな事件にはならなかったにしても、侵入者が問題になったことはあったはず。
このような事件が起きた以上、痛ましい教訓として、今後は侵入者を寄せ付けないような体制を整えていただきたいと思います。
交番は日本独自の優れた仕組みらしい。アメリカには無かった。
アメリカは各市ごとに警察本部があって、パトロールに廻るだけ。 パトロールカーであったり、馬に乗ったり、自転車だったり。ローラーブレード警官なんていうのも聞いたことがある。
日本の交番のような、こまめに張り巡らされた出張所のような仕組みは、使い方によってはとても役に立つはずだ。
小学校と交番を並べてもらえないだろうか、、と、ふと思った
恐ろしい凶器となる刃物が、スーパーマーケットで簡単に、自由に手に入るのは、おかしいと思う。
事件が起きるたびに、感じる。
あまりに安易に、使い方によって凶器になる刃物が手に入ることはおかしい。また、それを持ち歩くのに規制がないのも手落ちだ。ほとんどすべての人は、危険な使い方をしないということは十分承知の上だ。
いろいろな規制をかぶせることで、窮屈な状況が出てくるというのもその通りだろう。
しかし、現在のように、刃物が放置されている状況は、良くない。
購入、保有に登録が必要にするべきだ。販売するときにも、購入者の身分証明を必要にするとか、購入後に管理する人の責任を明確にさせるような法律が必要だと思う。
何らかの規制、例えば、自宅から包丁を持ち出すときはきちんと安全を意識した容器に入れてもって歩くような、ルールを作っていただきたい。つまり、刃物を持って公共の場を歩くこと自体が法に触れるようにするべきだろう。
料理は好きで、得意だったはずだが、一人暮らしが始まり、学校とバイトに明け暮れるうちに、朝飯を抜く習慣が付いてしまった。
アパートの向かいに、デニーズとケンタが並んでいて、夜通しのバイトが終わって、たまには朝飯でもと、一人でデニーズに入った。
ふと見ると、バイト先の知り合いが向こうのテーブルに座っていた。
あれまぁ。全く知らない間柄ではない。わりときれいな娘で、私は綺麗よと、どこかに書いてあったような、、、錯覚だけれど。
自分が何を食べていたかは覚えていない。モーニングサービスっぽいものを食べていたと思う。向こうもこちらに気がつき、、、そして、鼻で笑った、ように見えた。そのテーブル、彼女の向かいに、今朝の(昨晩の?)彼女のパートナーが座っていた。
およそ釣り合わない、年輩の男。なるほどなぁ、確かに鼻で笑ったのだ。
まずいコーヒーだった。ウエイトレスにおかわりを勧められた。
今でもデニーズが嫌いなのは、そのせいではない。狭くて、まずくて、高い。だからイヤだ。ファミレスに一人で入るのは、元々好きじゃなかった。
少しだけこのことが関係しているかも知れないが、およそ5年間の一人暮らしの間、一人でレストランに入ったのは、本当に数えるほどだった。
並べ続けて、ついに100ゴタク突破であります
先日までは、だぁれも見てくれていないなぁ、、と思いながら、せっせと投稿していたんだけれど、このごろは、見てくれる人が数名いるようです。ちょっと緊張しながら、ゴタク並べに取り組んでおります
見て下さる人、あるいは、初めて見ると言う方に、ちょっとしたアドバイスを昔話を交えて、、、
結婚した当初、某週刊漫画雑誌に、「流行るんです」という、4コマ漫画が掲載されていて、かなり面白かったのです。女房は、それを見るためにわざわざ本屋に出かけて、立ち読みしていたほどです。
単行本になって、買ったのですけれど、やはり、週刊で、一週間ごとに少しずつ見るからこその面白さと言うのがあって、それをまとめて読むと、かなり胃にもたれるような、消化不良を起こすような感覚をおぼえました。
ゴタクも同じことで、一度に読むゴタクはせいぜい3つくらいに押さえましょう。何しろ、ゴタク並べているだけですから。他人のゴタクをまとめて読むと、さわやかな読後感というより、むしろ不快感ばかりが残る可能性がかなり高いです。扱う話題もさわやかなものばかりではありませんし。
ですから、まめにチェック、出来れば週に二回くらい、をおすすめします。
前にも書きましたけれど、掲示板ですので、投稿、レスは可能です。ただし、簡単な手続きでパH?スワードを取る必要があります。この手続きはプログラムが勝手にやるもので、管理人は全くカヤの外です。誰がパスワードを取ったかさえ、管理人には把握できません。
管理人は、他の人の投稿にレスを付けるのが下手くそです。余りそういったことを期待せずに、ゴタクを並べたい方はどうぞお使い下さい。
> 結婚した当初、某週刊漫画雑誌に、「流行るんです」という、4コマ漫画が掲載されていて、かなり面白かったのです。女房は、それを見るためにわざわざ本屋に出かけて、立ち読みしていたほどです。
賢明な、マニアの皆さんなら、この勘違いにお気づきのことと思います。
なんだか変だなぁと思いながら書いていて、思い出しましたが、、、
伝染るんです(うつるんです)
でした。吉田戦車というひとが描いていた漫画です。失礼しました