私も、実は、かなり来ている。
それだけで何の事だか分かるだろう。何が「来ている」のか、
前額部の髪の毛が抜け始め、毛髪が生えていない部分、つまりおでこが広くなり、いわゆる生え際が後退して、ちょっと気になる水準まで上がって「来ている」のである。
ああ、なんてまわりくどいんだ。
まぁいい。あまり気にしないようにしている。こればっかりは、本人に何の非もないわけである。そうなったところで胸を張って見せればいい。なんだかそれだけでオジン臭いだ何だと同情されるのは実に不本意である。
生理学的には、(ってあんまりしらんけど)耳の周りと裾のみ残して真ん中のあたりがさっぱりするタイプ、磯野波平を想像して欲しいのだが、これは男性型といって、平たく言うと男らしさの象徴だというわけである。だとしたら、誇るべきであろう。
馬鹿にしたものではないのである。だから、かぶる必要もない。ちょっと早すぎるのは不安かも知れないが、10年くらい待てばいい。必ずどこかで止まって、友人たちが追いかけてくる。剃ってしまうのは、論外である。魂胆が見え見えだ。一生剃り続けなくてはならないぞ。これは人生の大きな損失と言っていいだろう。
馬鹿にするおねいさん・お兄さんにひとこと言いたい。つまり、あんたの彼氏も、あんたも、そう遠くない将来同じことで悩むだろう。こればかりは保険にはいるわけには行かないのだ。そうなってからの人生の方がずっと長いのだ。男らしさを魅力的に思えなければ、人生の半分はつまらないものになってしまうぞ。
ふた月に一度は床屋に行かなくてはなりませぬ。
髪は好む、好まざるに関わらず伸びてゆく。
気に入った髪型で、髪ののびが止まると、本当に楽だと思う。伸ばしたいと思ったら、自由にのばせるような技術が開発されないものでしょうか。
てるてる坊主のようにエプロンを巻かれて、鏡の前に座るのは少々間抜けな感じがして、ヒマとお金があるときでも、床屋に行くのは苦痛であります。
「どうしましょ?」と、訊かれても、言うことが無いんですから。
床屋でいくら立派にしてもらっても、そのとき限り。家ではドライヤーはおろか、櫛さえ滅多に使いませんから。おまけに、私の髪はストレート、さらさらで量が多い。自分では「どうにもならない髪」と思っています。普通にするといわゆる、「坊ちゃん刈り」風になってしまいます。
さて、訊かれると、「適当に・・・」「お客さん、適当ったって、、、」「さっぱりと・・・・」「・・・」「短めに・・・」これくらいしか言うことがないのです。まるで禅問答です。
そっちもプロなんだから、似合うようにしてよ、、、と言いたいところです。信頼できる美容師さんに頼りたくなるのはそのためです。
鏡とにらめっこしながら、約1時間。ぼさぼさあたまの中から顔が出てきて、あぁ、俺ってけっこうかっこいいなぁ、と思う一瞬があります。ありますが、床屋さんは、そんな私の心情を知ってか知らずか、(知らないに決まってますが)切り続け、まぁなんとなく、、の髪型が出来上がっていきます。
今はお金がないし、新しい美容師さんを捜すのも面倒だし、近所に二軒も床屋があるので、理髪師のおじさんにお願いしています。思い切りよく切って下さるのでわりと、信頼して居るんですけれど。マッサージがてきとうなのです。
以前通っていH?た美容院では、とても念入りにマッサージしてくれました。気持ちがいいんだけれど、余り気持ちよさそうな顔、つまり、恍惚の表情になるのも照れくさくて、(このおっさん、おかしいんちゃうか?と思われそう)必死に仏頂面をしておりました。その方が、不気味だったかも。
マッサージはいい加減な新しい床屋ですが、耳掻きをしてくれます。耳掻きは大嫌い、ウゥうぅぅぅうううぅ、、、止めて〜〜〜と叫びそうになりながら、身をよじっているのに、、、おばさんきっと気が付いているだろうな。
新旧といえば、500円玉のことである。
ついこの間まで、役立たずと思っていた新500円玉であるが、最近は新500円玉対応の自販機が増えてきた。
それに伴って、旧500円玉が使えないところが急増中である。
とはいえ、旧500円玉は今も私の財布に入っている、財布の中のお金が使えたり、使えなかったりすると言うのは、都合が悪い。喉の渇きを癒すのに、自分が持っているお金が役に立たないかもしれないのだ。使いたいときに使えないようなものはお金とは言えない。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。所沢に住んでいるときに、近所の酒屋の自販機で、ウーロン茶か何かを買ったときに、お釣りの中にグロテスクなコインが紛れていて驚いたことがある。それが例の穴あき500ウォン硬貨だった。翌日酒屋に渡して、本物の500円玉と替えてもらった。その後、周辺の自販機はどれも500円玉を受け付けなくなってしまった。
通貨は社会の潤滑油。使えるのが当たり前だと思っていた。このような事態に立ち至って、日本という国の治安が傾いてきていることを実感する。
いや、むしろ、こういった犯罪行為に弱い社会の仕組みが問題なのかもしれない。
テレカやハイウェイカードの偽造もしかり。
職場の、有料駐車場の精算機に、「1日500円硬貨は使えません」と張り紙があった。ついこの間までは、新500円玉を使うなとかいてあったのに、500円は全部ダメになったのかと思ったら、、、「新」は使える、「旧」は使えない、ということだった。ややこしいな。
>>職場の、有料駐車場の精算機に、「1日500円硬貨は使えません」と張り紙があった。
>>ついこの間までは、新500円玉を使うなとかいてあったのに、500円は全部ダメになったのかと思ったら、、、
>>「新」は使える、「旧」は使えない、ということだった。ややこしいな。
このコラムの趣旨とは全く関係が無いのですが…
私のうちは旧中山道(きゅう・なかせんどう)からちょっと入ったところにあります。
この旧中山道を「いちにちじゅうやまみち」と読んだどっかのアナウンサーがいたなあ…と
そんなことを思い出しました。いじょ。
> この旧中山道を「いちにちじゅうやまみち」と読んだどっかのアナウンサーがいたなあ…と
読めますねぇ、確かに、
原稿を書いたディレクターの字が下手くそだったのではないでしょうか
それは、元フジテレビアナウンサーの有賀さつきでなかったかな?(笑)
> それは、元フジテレビアナウンサーの有賀さつきでなかったかな?(笑)
もしかすると、そうだったかもしれません。有名な話なんでしょうか!?
有賀さん、今は何やってんでしょうかね・・・
おそらく「元フジテレビアナウンサーの有賀さつき」だったと思います。
実は私はそのシーンを見ていなくて、友人に教えられました。
「あんたそんな1日中H?歩かなきゃ着けないような山ん中に住んでるんだ?」
いや歩くのは好きだけどそこまでは(笑)。
女性の方には、おそらく分からない緊張感を、男はトイレの中で味わっている。
男がトイレにはいるとき、選択肢が二つあるのだ。つまり、朝顔に向かって立ったまま済ませてしまうか、個室に入って一息つくか。
男にとって、トイレで個室にはいるということは、いささか特別なことなのである。
私は公衆のトイレで個室にはいるのが苦手である。緊張するのである。
幼稚園のトイレで、他人が入っている個室の戸を開けて喜ぶくそガキが居た。多分幼稚園のトイレは鍵が掛からないようになっていたのか、それとも、幼稚園児はいちいち鍵を掛けたりしなかっただけなのか、そこのところは定かではない。小学校は古いだけが自慢の校舎で、もちろん水洗ではなかったし、薄暗い石造りの饐えたトイレでは、とてもではないがズボンをおろしてしゃがみ込む気分にはならなかった。
成人になってからも、よそで個室を使うのは緊張する。トイレに入ったとき、誰か他に人がいると、個室に入りにくい。誰も居ないところでゆっくり、誰に邪魔されることもなくやりたい。
しかし、時に、生理的欲望は、そういったわがままを超越して、私に個室にはいることを促す。左の膝が時々痛むので、個室にはいるときは洋式を選ぶようにしている。入って、戸を閉めてしまえば一安心である。どうせ中に誰がいるのか、分かりゃしないだろう。
しかし、次に音と臭いが私に緊張を強いる。外に人の気配を感じると、極力その人が去るのを待つか、出来うる限り音を立てないように、細心の注意を払う。しかし、臭いに関しては如何ともし難い。音も時として隠しようがない。
さらに、隣の個室に人が入ってくると、パニックである。自分の音と臭いはいいとして、問題は隣の音が聞こえてくることである。その人が、私のことを思いやるデリカシーを備えた人であることをひたすら願い、あとは一刻も早く、その人がことを起こす前に、個室からの脱出を試みる。臭いはいい、この場合の問題は音なのだ。
一般論として言わせていただいて、体調のいいときの排泄は、快感である。個室の中では誰にも邪魔されず、ゆっくりと過ごしたい。家族が増えると、自宅でもそれがかなわないことが時にある。まあ仕方がない。身から出た子供たちであるし。
職場で穴場を見つけてあるのだ。こぎれいで、滅多に人の来ない場所である。
もう一つ
女性の方には、おそらく分からない、トイレの中の男の話を。少々下品であるかも。
男は小用のあと、拭かないんですな、これが。女性は拭きますよね(しらんけど)。
拭かないでどうする、やはり、そのままというわけにはゆきません。この年になって下着を汚すのはみっともないですから。
立って、済ませたあとに、ブルンブルンと振るのです。すると、先端に残った滴と、まだ十分に出きっていない、いくらか通り道の中に残っている液体が、気持ちよく放散されて、上手に振れるとほとんど下着を汚すこともないのであります。振り方は、見たところふた通り。つまり、手に持って、手を動かしながら振る(私はこっちの方)場合と、膝のクッションを効かせて、下半身全体を元気良く上下、場合によっては左右に動かして、(手は添えているだけで)振る。どちらの方法にするかは、各人の長年の習慣によるみたいです。
別段そうしろと習ったわけではないから、自然と身に付くような気がします。
本当かどうか、定かではありませんが、アメリカ人は振らないらしい。で、どうするかというと、手でしごくらしいのです(!!!)。
アメリカ人がトイレから出てきたときは、手をきちんと洗ったか、少し気にした方がいいかもしれません。ちなみに、私の目撃情報では、日本人の男性の1割くらいは、トイレから出る時に手を洗わないようです。
ついでにもう一つアメリカのトイレ話を。ローズボウルというフットボール場のトイレで、すごいものを二つ見ました。ひとつは、ついたてのない小便器。ついたてがないだけではなく、何というか、、、馬の水飲み場(あんまり見たこと無いけれど)のような横に長い流し台みたいなものが、デンと設置してあって、男性が数名、横に並んで、その流し台に向かって用を足すわけです。もちろん、前述の通り、ついたてもなにもありません。ちょっと野性的すぎて私は遠慮しまして、個室の方に入りました。そこで見たものは、直径1メH?ートルを超える、巨大なトイレットロール(つまりはトイレットペーパー)。これにもびっくり。
何しろ、試合の時には10万人が集まる施設だし、それくらい大きくてもあっという間に無くなっちゃうのかもしれません。それに、かっぱらっていく、ふとどきものもいないでしょう。一石二鳥か。
いや、「ふる」に関しては、ふ〜んなるほどそうなのかぁと言う感想以外は口の出しようが無いから置いておくとして(苦笑)。
私もオープンなトイレ見たことありますよ(^-^)。日本で。どこかの公園のトイレでしたが、まさにチチさんがアメリカで見たのと同じ状態でした。“流し台”は、ステンレスじゃなくてコンクリートですよね?(笑) で、端の方に排水溝があったんじゃないかと記憶しております。
お前、男子トイレに入ったのか?とお思いになるかもしれませんが、公園のトイレは入り口もオープンなので中まで見えちゃうんですってば。…ええ、人が居ないのをいいことに覗きましたともさ(爆)。珍しかったんだもん。まだ子供だったしねー、人に見られても問題にはならなかったと思うよー。あのトイレ、今もあるのかなあ…?????
ついでに、切り株のような特大ロールペーパーも見たことあります。これは外国の空港かなんかで。日本にはないと思うな、あれは…(^^;)。
> いや、「ふる」に関しては、ふ〜んなるほどそうなのかぁと言う感想
光栄です、そうなのですよ
> “流し台”は、ステンレスじゃなくてコンクリートですよね?(笑) で、端の方に排水溝があったんじゃないかと記憶しております。
私がローズボウルで見たトイレは、日本の公園の古いトイレよりさらにさらにワイルドでありました。日本のトイレは、壁に向かって立ってやるはずですが、海の向こうで見たトイレは、部屋のまん中に、デン、と設置してあったと記憶しております。金魚すくいに使えそうなサイズ。つまり、実際には、馬が水を飲むように、向かい合わせで、、、、
しかも照明が煌々と付いていて、とても開放的な気分になれてしまう代物でありました。
材質は、多分、陶器、あるいはプラスチックだったのではないかと思います。
とてもじゃないが、私にはあそこで、出す勇気はありませんでした。
ついでに、、個室の方も、大抵は扉の上と下に広く隙間があるんですよね。腰掛けると足が床に届かないトイレもありました。私はそんなに小柄な方ではありませんけど。
> ついでに、切り株のような特大ロールペーパーも見たことあります。これは外国の空港かなんかで。日本にはないと思うな、あれは…(^^;)。
1メートルもなかったかもしれません。でも、でかいことは確かです
> 日本のトイレは、壁に向かって立ってやるはずですが、海の向こうで見たトイレは、部屋のまん中に、デン、と設置してあったと記憶しております。金魚すくいに使えそうなサイズ。つまり、実際には、馬が水を飲むように、向かい合わせで、、、、
そ、そこまでワイルドなものはお目にかかったことはございません(^-^;)。
しかし向かい合わせとは……。「ふる」時に失敗したら向かい側の方にご迷惑をかけてしまったりしませんか?(爆)
そうなるともう“手を洗う・洗わない”の問題ではなくなってくるような…(爆)。
日本人は神経質なんでしょうか(苦笑)。
18歳になって程なく免許を取って今まで、余り多くの車を運転したわけではありませんけど、印象に残っている車のいくつかを紹介します。
幼稚園の頃、近所のおじさんが車を買いました。そいつはふかみどり色のスバル360。いわゆる、テントウムシというやつ。乗せてもらった覚えがあります。
小学校に入った頃、親戚のおじさんが、カローラ、赤のセダンを買いました。隣の車が小さく見えます、、というあれです。以降、このおじH?さんはカローラ・スプリンターを乗り継いでいます。
わが家に車が来たのは、私が小学校の高学年になる頃。釧路に住んでいた人からコロナ1600セダンをもらったのです。とてもボロボロで、いとこのマサちゃんは、「ツヤの無い車」と呼んでいました。確かにさびだらけ。おまけに、後ろのドアが閉じなくなって、右と左のドアの取っ手を着物の腰ひもで縛って開かないようにするという、荒技を使って運転していました。
そのあと、誰かがリースで使っていたコロナ1600、(ベンツのようなグリルがついたやつ。銀色)を買って、これは少し立派、少なくともツヤはありましたし、ドアもちゃんと閉まりました。私が免許を取ったときに家にあった車なので、私もずいぶん運転しました。
最初に運転した車は、自動車学校のギャランシグマでした。バックギヤに入れるのに、いちいちレバーを押し込まなくてはならない、厄介な車でした。ノッキングしやすい訳じゃなく、運転が下手だったんでしょう。
免許を取ってからは、父親のコロナをしばらく使わせてもらいました。(前述)51年排気ガス規制車。この世の中の車がもっとも退屈だった時代の車です。重たくて、エンジンは吹けないし、シフトがごりごりと入りにくいし、、いい印象は何もありません。スペクタクルな事故で、私の体はどうもありませんでしたが、家族と、たまたま向かいを運転していた人に、多大な迷惑をかけたのもこの車でした。
つづく
大学から自宅まで、少々距離があったので、中古車を勝ってもらうことになりました。出かけた中古車屋がホンダの店で、余りポリシーもなく、50年排気ガス規制のシビック1500CVCCを買いました。緑色の2ドアで、当時シビックはハッチバックがウリだったのですが、これはトランクのやつ。グレードはGTLと書いてあったと思います。
運転して、今までのコロナとのあまりの違いにびっくり。まず、視界がいい。シビックに比べるとコロナは塹壕にしゃがみ込んで運転しているようなものです。そして、軽い。エンジンの馬力がある。背中がシートに押しつけられるような感覚でした。(コロナに比べて)更に、燃費がいい。私の運命はこのとき決まったようなものです。私はシビックに惚れ込み、ホンダのファンになりました。シビックは運転はしやすかったけれど、エンジンが煙を噴いて、積み替えることになったり、気が付くと床にねじがいくつも落ちていたり、、と、耐久性にはいささか難のある車でした。コロ除けば、うちの一族はみんなホンダを運転しています。
しごとで出ていた姉が自宅に戻ってきて、赤いバラードセダンを手に入れて、私も時々運転させてもらいました。これもなかなかいい車でした。
私のシビックは妹が就職して通勤に使うことになったので、私の手を離れました。しばらくして、妹は私のシビックを勝手に下取りに出して、新車のシビックを買ってしまいました。白いワンダーシビック。1500ccです。
この暴挙には私も少々驚きましたが、新車を運転させてもらう権利を手に入れたようなもと思い、諦めました。ワンダーシビックは素晴らしい車でしたが、3年ほど運転しているうちに、車体がヤワになって、乗り心地がかなり落ちました。今はほとんど見かけないですが、その辺が問題だったようです。
そうこうしているうちに私も就職して、一人暮らしを始め、給料をもらえる立場になったので、車を買いました。シティカブリオレ、赤いオープンカーです。これはずいぶん乗り回しました。
つづく
カブリオレは、一人暮らしにはとても良くあった車でした。私は極力幌を外して運転していました。冬はマフラー巻いて、、、3速ホンダマチック。車体が重たいので余りスピードは出ません。タイヤが太いので、ハンドルを切るのにとても力が必要、(パワーアシストなし)で、しかも、陽に灼けるということで、女性には向かない車だったと思います。ただし、天井が外れる特性を生かして、大きな荷物を運ぶときはいつも大活躍でありました。
カブリオレは結婚して子供が産まれる直前まで使っていました。出産を目前にして、アメリカに渡ることになり、カブは従兄弟のアキちゃんに譲ることになりました。
アメリカで車を買うとき、もちろん日本車は人気がありますが、滅多にないことなので、ワーゲンジェッタを選びました。
これはとても使いやすい車でした。子供が二人くらいまでなら、十分な広さ。何より、大きH?なトランクがアメリカで生活するには役に立ちました。スーパーでの買い物はもちろん、車で旅行に出かけるとき、スーツケースが2つすっぽり収まるサイズです。私は惚れ込み、二台目の車を買うときも、ワーゲンを選んだほどでした。(ゴルフGT)ゴルフの方は余り状態の良い中古車ではなかったですけど。
帰国してすぐ、今使っているオデッセイを買って、5年余りになります。乗りつぶすつもりであります。オデッセイはいいんだけれど、燃費がちょっと、、いや、かなり悪いです。使いやすい車ではあります。左前方の視界が悪いのを除けば。
関西のローカルニュースでは、大阪府議会議員の加藤さん(65歳、自民党)のセクハラ疑惑が大きく取り上げられていました。
大阪茨木市の女性(39歳)が、講演会事務所への就職をエサに、市内のホテルに誘われ、未婚の母親である身の上を「ふしだらだ」などと侮辱された上、部屋を出る際に、握手をしながら抱き寄せられたとのこと。
そのオッさん、いや、加藤府議が本日、テレビ局の女性レポーターのインタビューを受けて、疑惑を全面否定し、その模様がニュースに流れていました。
府議「いえいえ、セクハラなんてとんでもない。私はただ、こうして、、」と、その時の様子を女性レポーター相手に実演する。
突然、レポーターの手を握り、、、それから空いている方の左手を彼女の背中に回そうとした。
あせったレポーター嬢、「いっ、いきなり右手を引っ張って、左手で抱き寄せようとしたわけですねっ!」
府議、「こう、握手をして、肩をたたいただけなんです。」
・・・・オッさん、分かってねぇなぁ。そう言うのがセクハラって言うんだぜ。テレビカメラの前で実演してどうすんだよ。あほう。
ホテルに誘った段階で、下心満載とみた。思いとどまったつもりでいたんだろう。こういう人には何言ってもムダだ。
ごたくも掲示板なので書き込み・レス可能です。
どうせ、誰も見ていないだろうと思っていたが、誰かがみてくださっているらしい。
誰も見ていないだろうと思うから、書きたい放題、誰のレスも期待せず、気にせず書くことが出来た。誰かが見ているとなると、ちょっと話が変わってくる。
今の所、ほとんど誰も書き込んでいないけれど、私はレスが苦手です。レスつけるのは難しいと思う。相手だけではなく、それを端から見る第三者まで意識し無くてはならない気がして、どうしても論点がぼけて、ありきたり、当たらず触らずになる(ような気がする)。
もう少し修行が必要と思っている。
あまりレスを期待しないひと、掲示板ですから、、、書き込み可です。
未だかつて、書き込んでくれた人が、一人だけいるのです!
今ではレースの中継に無くてはならない車載カメラであるが、初めて車載映像を見たときの驚きは、今でも鮮明に覚えている。
黄色いロータスをネルソンピケが運転して、舞台はモンテカルロ市街地の雨に濡れたウォームアップセッションだったと思う。ネルソンがロータスに乗っていると言うことは、おそらく88年か89年のことだろう。狭い市街地コースを抜けていくマシンの速さ、ガードレールの近さ、音に驚かされた。こんなことが出来るのは、慎重に選ばれた天才たちだけなのだと言うことを痛感した。
車載カメラが初めて本格的に搭載されたのは、その前の年、87年のロータスホンダ、中嶋悟のマシンだったと記憶している。この年、ロータスはアクティブサスペンションを採用し、機械仕掛けの足回りにティッシュボックスを一回り小さくしたサイズのカメラを取り付け、史上もっとも複雑なF1といわれていた。このときの車載映像は、テレビ中継に使われなかったのか、それとも、いざというときに悟がリタイアしてしまったのか、私は見た覚えがない。
つづく
89年鈴鹿日本グランプリの車載映像が印象に残っている。終盤、アランプロストに追いついたセナがシケインで仕掛H?けた「あの」映像である。セナの車載映像で見ると、明らかにアランはシケイン進入でイン側を開けたように見えた、その隙間に向かってするすると入っていくセナのマシン。次の瞬間、カメラは左右に大きくふるえ、マシンは止まった。(このときの古館氏の実況も強く印象に残っている)
このレースはセナがトップでゴールしたにもかかわらず、シケインの不通過で失格、最終戦を残してチャンピオンの資格を失うことになった。
さらに衝撃的な車載映像は次の最終戦、オーストラリアGP。
日本での失格は無効、自分はまだチャンピオンの資格があると主張するセナは、大雨でアランがレースを放棄する中、信ずる可能性に向かって走り続けた。水煙の中、ネルソンの後方車載カメラは突然セナのマシンのノーズを捉え、次の瞬間に画像は途切れた。
固定カメラに映し出されたセナのマシンは3輪でピットを目指し、そこでレースを終えた。彼が信じていた可能性も完全に潰えた。
程なく雨は上がり、乾き始めたコース上で、中嶋は日本人選手として唯一のファステストラップを記録している。
アメリカンフットボールでは昨年から、審判の頭に小型カメラを着けている。これは凄い迫力。まるで、見ている我々が試合真っ最中のフィールドの中に迷い込んでしまったような錯覚を覚えるほど。相撲も行司にカメラをつけるとか、やってくれないかな。
サッカーの主審にカメラをつけても、きっと面白くないでしょう。それより、抗議に対してビデオ判定をやる仕組みは作れないものでしょうか。
別に、青春ドラマの懐かしくも暑苦しい俳優さんの話をしようというわけじゃない。
昨晩見た、二輪のロードレース世界選手権(フランスGP)の決勝レースが白熱していたので、そのご報告を。
この話題で原田といえば、哲也である。かの、国営放送の、トップランナーにも出演経験のある、世界に通用するトッププロアスリートの一人。彼の活躍の場、イタリアでは、おそらくはナカタに次いで有名な日本人であろう。彼はアプリリアという、イタリアチームから、250CCクラスに参加している。無敵の強さを誇ったチャンピオン、500CC挑戦は期待したようにはならなかったが、今シーズンから250CCに復帰である。
一方の大治郎は加藤くんのこと。今年からホンダ250CCのエースである。
二人の日本人による、果てしのないデッドヒート、言葉にすると陳腐であるが、素晴らしかった。
今シーズンは二輪ロードレース世界選手権に注目であります。
東京の偉い裁判官の方が、女子中学生を買って逮捕されたそうな。
法の番人も所詮は人間だ。間違わないように努力はするだろうが、間違うこともある。
しかしだな、この変態行為はなんとしたことか。
この行為を「援交」と表現することが出来るということに、私は気がつかなかった。
まず、はっきりさせておく。
援交という言葉は、茶髪以上の死語である。少なくとも、児童買春、児童ポルノ処罰法が出来て以来、完全に葬り去られたはずである。援助交際はアホな男の馬鹿さ加減を正当化しようとする、一種の言葉の発明であり、ちんけな集合住宅をマンションと呼ぶがごとく、著しい勘違い、少女たちの無知、慎ましさにつけ込もうとするうそつき野郎の妄想の一種である。
このような行為に対して、需要と供給の関係を持ち出すのは全く間違っており、101%買う方が悪いのである。
なぜおっさんは中学生を買うのだろうか。
■中学生という看板がついていないと興奮しない(つまりは、ロリータ趣味、変態だ、おそらくは同じ年頃の娘がいてもおかしくないはずだ)
■中学生は安上がりである(甲斐性なしの給料のほとんどは家のローンか?)
■中学生は後腐れがない (何しろ後ろ暗いからなぁ、子供たちは忘れてくれるかもしれないが、法律は追いかけてくるぞ!)
■中学生は優しくしてくれる(あほぅなおっさんに、同情しているだけだと気が付けよ!)
■中学生は・・・・・・???いったいなんだって言うんだ!!
このおっさんは、43歳、東京都在住だそうである。法の番人を自負し、それで給料をもらい、家族を養っている。多分家族も居るんだろうと、勝手に想像して言っている。
女房に優しくしてもらえ。よそ様の娘にてぇ出すな。
おっさんの妄想に、安銭でつきあわされた少女たちが哀れ、、、
なんにせよ、犯罪行為。厳罰に、、、、
今年も茂木で300キロオーバーのレースが開催されました。
関西に住むようになって、そうそう出かけるわけにも行かず、テレビ観戦であります。
中継は日本テレビ系列。余りレース中継に熱心ではないところです。しかしながら、土曜日の午後、大勢の人にレースを見せる。約2時間の中継。レースファン以外も見るだろうし、視聴率も稼がなくては、、、
私はわりとじっくりと見ましたが、、、、
ニッテレは、シロウトさんウケを狙いすぎと思います。レース途中で、腰を折るような形で再三、ルールの解説のようなあらかじめ用意してあるビデオを織り込んでいくのはやめて欲しい。織り込むなら、もう少しタイミングを考えて、、、どうせコマーシャルも入るのだから、、、
そいから、レポーターは、ひどかった。みれば分かるようなことを連呼、しょっちゅう間違える。黙っていてくれた方が、50%以上はマシ。(モモタ氏)
実況の、アナ氏も、レースの流れを読めていないというか、、、興ざめするような絶叫は、今回限りにしておくれ。
ただ周回遅れを抜こうっていうのに、あの絶叫はないだろう、、、
そういった、様々な、中継局の不手際を補って余りある、熱戦でした。レース自体はとても面白く、迫力満点でありました。
一昔前、インディ500の生中継(深夜から明け方まで4時間に渡る、これはTBSでしたが)は、現巨人軍監督の長島茂雄氏を始めとした正体不明のゲストが、深夜のスタジオずらりと並び、世界の松下か何かが現地から実況していた、あの時代よりは遙かに、マシ、にはなっていますけれど
今や、髪の毛が黒い人の方がめずらしい。
茶髪という言葉は今や、死語である。どのくらい死んでいるかというと、ヤングや、ファジー、フィーバーと同じくらい。何しろ、むだ毛の処理より、髪を染める方がふつぅのことなのだ(だろうなぁと、勝手に想像)。数年前には、髪の毛の色で就職を差別された、などという話が珍しくなかったのだが、、、
所沢に住んでいた頃、私も髪を染めていたことがある。お堅いはずの公務員であったのだが、染めるどころか、伸ばして、インチキ侍のように後ろで束ねていた。その頃の写真が、(見にくいけれど)親子ニュース「埼玉水族館」に出ている。女房が髪型を気に入らなかったせいか、あまり写真を撮ってもらえなかったので、貴重な画像である。
所沢で、相性のいい美容師さんに出会い、いろいろと相談して、髪型をいろいろいじってもらった。髪を染めるのは、おかねを払って、しばらく座っているだけだけど、髪を伸ばすのはかなりの辛抱と努力が要る。
引っ越しの度に、気持ちの通じる美容師さんと、お気に入りのコーヒー屋を探さなければならない。これは結構気の重くなる作業である。今回の引っ越し後は、4人目が生まれて経済的な問題もあって、美容師探しは諦め、近所の床屋に任せることにした。
コーヒー屋は、程なく見つけたけれど。