互換性の問題は、パワーポイントというソフトの性格上の問題だろう。パワーポイントのアウトラインは、ファイル全体がひとつのウインドウの中に表示されるが、スライドに分割すると、それぞれのコマ割が構造上の区切りとなる。これは、ワード文書のページ振り分けが構造上の意味を持たず、あくまでファイルひとつをひとまとまりの文書として扱うことと対照的である。そのため、パワーポイントはスライドショウの構成を変えようとすると、文書の構造そのものを変えなくてはならない。
まず、文書(アウトライン)ありき、として、アウトラインとスライドの設定を独立させたらよいと思う。アウトライン文書を改変せずに、スライドのコマを設定し(テキストをスライドに表示するか、表示せずにノート欄に表示するかも含めて)、それぞれのコマに、スライドショーの順番を(使うかどうかを含めて)設定できるようにしたらよいと思う。あるストーリーでプレゼンテーションをする場合、持ち時間によって、内容を吟味する必要が出てくる。コマを削ろうと思ったら、削除するか、後ろに回すかのどちらかである。その操作は何れも、元の文書の構造を変えてしまうことになる。
こうしてみると、オフィスというのは、実に無駄の多いソフトと思う。単純な話で、ワードにスライドショウの機能を付けるか、パワーポイントにページ振り分け印刷の機能を付けるか、どちらかでよいのではないか。
このようなことを考えつつ、自分が講師役になる講習会のためのプレゼンテーション資料作製に忙殺されていた。週末、逆に、自分が講習を受ける立場になった。
講師はかなりご年配のかた。コピー資料を配った後、パワーポイントを作ったので、後で見せるという。口ぶりから、最近になってパソコンを使い始め、どうやら処女作らしい。見せていただいたパワーポイントは、実に素朴なものだった。見出しも含めて、一切のテキストを含まない。おそらく、去年まで、オーバーヘッドプロジェクタを使っていたものをスキャナで取り込んで画像化したのだろうと思う。単純な画像ブラウザとしてパワーポイントを使っていた。そのようなプレゼンテーションでも、彼の意図を表現するには十分である。
形式にこだわるあまり、内容が疎かになるより、出来る範囲で表現し、手持ちの資料を活用するというやり方は示唆に富んでいた。
ところで、彼の使っていたパソコンは、富士通のノートだったが、デスクトップに「無料ナントカ」の広告が並ぶ。中にはアビバの宣伝もあった。そういえば、私の父が使っている富士通にもそういう広告が入っていた。間違えてクリックすると何かが起こるに違いなく、一種の広告スパムという気がしないでもない。別のファイルに切り替えるときに、ファイルメニューから開かずに、いちいちパワーポイントを終了する理由がよく分からないが、終了するとデスクトップが表示され、広告がプロジェクタに表示されるのはちょっとみっともない気がする。デスクトップのアイコンをクリックして、パワーポイントが立ち上がるたびに、「認証が済んでいません云々」というアラートが出るのも、怪しい雰囲気だ。パソコンそのものは彼の私物ではないのだが。