ハンドルネーム(2007-07-22)

私は、匿名掲示板のようなものにほとんど関わりがない。なんだか、インターネット・WWWの悪い部分というような扱いをされることが多いけれども、私は別な意見をもつ。極めて多様なものが混ざり合っているだけに、中には下世話なゴシップを扱う部分もあるだろうが、多くは極めて有用な匿名情報の集合体なのではないか。発信者が匿名であることは、情報を集める上で重要なファクターである。作者の素性が分からない記事は、常に読者がその信頼性を判断する必要がある。

当てになるか、ならないか、誰かが保証してくれると、安心する人もいるらしい。しかし、保証してくれる人を信用する勇気を私はもてない。歴史の教科書にあることが、すなわち事実ではない。当然、全てが公平に書かれているわけではなく、多くの事実とされていることが、のちに虚偽であることが証明されることは多々ある。著名な先生が書いたコラムが著名先生本人である保証を誰がするか。著名先生の信頼性に関する情報はどうやって手に入れるか。著名先生が専門外に言及しているなら、それは素人の戯言とどこが違うのか。

誰かが何らかの意図をもって用意した著名専門家の意見より、多くの人の目に触れて、様々な意見が交錯する匿名掲示板の方が、より公平な意見を集めることが出来るケースも考えられる。まぁなんと言うか、私が何度か目にした2ちゃんねるのスレッドは、全体を通してみるとそれなりの情報を読み取ることが出来る、有用なものだった。匿名の問題点は、なりすましが可能であることだ。一人が百人になりすまして、多数意見を偽装することが出来るなら、それは読者の判断を狂わせる。

私は自分のサイトを公開するにあたり、匿名を選んだ。当初から家族のことを扱う積もりでいたから、安全上の配慮から匿名にした。始めるときは誰もが素人で、私はインターネットがどれほど市民のセキュリティに影響を与えるか知らなかった。今もって分からない部分はある。初めてウエブページを公開する時に、プロバイダにサーバースペースを申しこんで、取りあえずでっち上げたIDが、そのままハンドルネームになっている。おしゃれでも、分かりやすくもない。しかし、私はずっとこれでやっている。いまさら変えるつもりはない。よそで他のハンドルネームを使ったこともない。

どうやったところで、つまり、おかしなニックネームだったり、一見まじめそうな普通の名前だったり、どう名乗ろうと自由で、発信者の自己申告である。そのもっともらしい名前が、本名か、ウソかは、実はたいした問題ではない。まずは、読んで信憑性を判断せよ、ということで、記事に貼り付けてある著名な先生のお名前は、むしろ客観的な判断の邪魔になる。

私は匿名だろうが実名だろうが関係ない、という主張である。ちなみに、私の本名は検索等に掛からないように配慮した上で、誰にでも見られる場所に公開してある。


私はハンドルネームを使っているが、実名でやっている人も多い。

著名人のオフィシャルページ、オフィシャルブログの類は、当然ながら実名だ。私の旧友の小説家、小路幸也氏は、下積み時代に長くハンドルネームで読書日記を公開していたが、本名でプロデビューしたのをきっかけにして、実名を使い始めた。今は「小路幸也オフィシャルサイト」という扱いになっている。デビューに際して、ペンネームを考えたようだが、結局本名でデビューした。ペンネームがあれば、実名は公開しなかったはずだ。

政治家や作家、芸能人、その他、名前を売り込んで利益が得られる人はそうするだろう。しかし、ネットに参加している大多数は、本名を公開することのメリットは何もない。著名人が実名で何か意見を書いたとしても、その名前を存じ上げていなければ、それはハンドルネームと大差ない。