幸いなことに、私は今までそれほど大きな不幸に会ったこともなく、うちひしがれるような経験もないので、自分の家族を殺害した犯人を裁くための法廷に、証人として出廷したこともない。裁きの現場に居合わせたこともなく、裁かれたこともない。
絶対に許しません、とか、殺してやりたい、とか、私も云うのだろうか。絶望にうちひしがれた私は、どうでも良いです。私のことは放って置いてくださいというのではないかと思っている。如何に怒り、憎んだとしても、殺してやりたいというような欲求を人前で吐露できるものなのだろうか。
昼休み、職場近く、武庫川沿いをジョギングした。心地よい季節である。
暑さや寒さという感覚は、実に相対的なものである。昨日より気温が5度上がれば暑いと感じ、5度下がれば寒いと感じる。だから、人は温かくなると「暑い」といい、涼しくなると「寒い」という。寒さは命に関わるが、ちょっと暑いくらいなら別に生活するには差し支えないから、私は滅多なことで暑いといわない。お天道様に文句を付けるのが嫌だ。相対的なものであることを自覚しているから、暑いなどと云わない。たかだか30度くらいなら心地よい。私は「心地よい」と感じるレンジが他の人より広い。
心地よさの中をジョギングした。少し風があった。初め、廃線の脇を抜けて住宅地を走った。家探し中であるので、住宅の造りが気になるのだ。それから堤防に上り、河川敷に降りた。
新緑の季節を少し過ぎた。ニセアカシアが満開になっている。子どもの頃過ごした町に街路樹として植えられていた。廃線のフェンス越しにアブラナの群落が見える。よく見ると5ミリほどのカメムシが沢山這い回っている。堤防を越えると、雀やハトが飛び、川面をボラが跳ねる。流れは濁っており、川岸から流れの中を窺うことはできない。アオサギが魚を探している。長い首を持ち上げてひょいと飛び立ち、横風に体をスライドさせながら、川の中州に降り立った。カワウが頭を出したと思ったら、すぐに潜ってしまった。ユリカモメたちはいつの間にか姿を消した。
アオサギが飛び立った近くに大きなカメが泳いでいた。アカミミガメである。ミシシッピーアカミミガメ、頭部の両側に赤い模様がある。むしろ、ミドリガメとしておなじみだろう。私もペットショップやお祭りの縁日で、たらいの中に詰め込まれたミドリガメの塊を見たことがある。それが成長した後にどうなるか、を知ったのは最近のことだ。抜け目ない、要領の良いやつがカメで儲けることを思いつき実行したのだろう。おびただしいカメが運び込まれ、運良く生き延びた奴らは、川べりで赤い耳を隠そうともしない。
数羽のコアジサシが川面を飛び交う。しばらく眺めていたらダイビングした。ニセアカシアも、北米から持ち込まれたそうである。
かれこれ一月余り、タバコを吸っていない。世に言う、「禁煙」が一月続いている、というやつだ。私はこの言葉が好きでないので、この後は使わない。
止めた、とは思っていない。吸っていないのだ。私は自分の意思の弱さ、あるいは強さを十分に心得ているから、この後もずっと吸わずに過ごすかどうか分からない。
喫煙する環境はこの数年間でずいぶん悪くなったと云うか、良くなった。喫煙場所がきわめて明確に区別されるようになったのは、喫煙者にとってありがたいことだろう。吸えない場所が増えた。あらゆる場所が吸えない場所になったことで、結果的に吸っても良い場所が増えたといえる。
吸わないでいると、タバコを買わなくて良い。吸い殻の処分を考える必要がない。吸えない状況に陥ることを気にする必要がない。まぁ、そんなところだ。体調がきっとよくなるだろうと思ったが、まるで変わらない。まぁ、もともとそんなにたくさん吸っていたわけではなかった。