先の解散が憲法に違反していると言う指摘。朝日新聞のインタビュー記事で、中曽根元首相によると、郵政解散は立憲主義に対する侵犯
、とのこと。私自身はこの記事を目にしていない。富柏村香港日剰2005-09-29より。
そういえば、毎日新聞のコラム(九月六日付け)の中で、牧太郎氏が、内閣不信任案が可決されていない今回の状況で、天皇の国事行為として国会解散の助言を与えたこと(いわゆる七条解散)に関して、憲法で内閣の解散権を明記しているのが、第六九条【内閣不信任決議の効果】内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
のみであり、権力の乱用である
と指摘している。
そういえば、小泉氏も、「郵政法案の否決は私に対する不信任と同等である」と、盛んに訴えていたが、憲法との齟齬を、幾らか気にしていたのだろう。
しかしながら、もう既に選挙は済んでしまった。世論調査で解散そのものに対する支持率が50%を超えていたように記憶している。私はその事実に大変おどろいたのだ。解散が違憲であるという主張を見たのは、牧太郎氏のコラムが唯一であった。野党でさえ、結局は「受けて立つ」となって、今回の最も重要な争点であったはずの、小泉氏の政治手法を追求しなかった。
中曽根氏は、もう一つ、重要なことを述べている。富柏村香港日剰2005-09-29から、さらに引用させて頂く。
政治的心情においてはまつたく相入れずもお互いに了解可能な言葉の存在、それが教養とか知性とかいわれる文化の枠組み。中曽根先生に「少数派と同居する、異端とも共存する――これが民主主義だ」と言われても現首相にはおそらく文章の意味すらわからぬのかも。
民主主義とは、知性と教養により、お互いに理解し合うこと。なのかもしれない。さて、「歴史を学ばぬ」ことの「無知の強さ」
というか、恐ろしさ。逃げ出しはしない。傍観するわけでもない。私は学ぶために、感じたことを書き留めていく。
髭のそり方が分からない。見よう見まねというか、おおよそ、こんなものだろうと、適当にやっている。誰も教えてくれなかった。
教わっていないことは他にもある。私は大学を卒業するまで、読書の習慣を持たなかった。コミックは別とすると、私が手に取る本の多くは、直接的な知識という恩恵をもたらしそうな、新書やブルーバックスなど。いくつか印象に残っているものもあるが、それだけ。知識という見返りを求める読書に、得るものは少ない。
幼い頃、「十五少年漂流記」やら「次郎物語」などに感銘を受けたはずが、その後の読書習慣に発展しなかったのは、貧乏臭い学力偏重の受験風土のなれの果て。私にとって、読書は長く、退屈で創造性の乏しいものであった。映画鑑賞についても同様。
父も母も、かつての映画黄金時代を経験している。若かりし頃の思い出に、映画の話が良く出てくるが、その全ては、結婚と出産を境にぷっつりと途切れる。私は父と映画を見に行った記憶はただ一度。「ポセイドンアドベンチャー」。見終わった後、父は、船が転覆すると、バッテリは役に立たず、照明は消えるはずだと指摘。映画自体も詰まらなかったが、そういう見方は更に詰まらない筈。私が未だにアクション映画を楽しめないのは、こういった幼児体験のためかもしれない。高校の頃、大変な話題作となった、スターウォーズを一人で観に行ったが、閑散とした映画館でまるで楽しめなかった。特撮シーンなどは、なかなか素晴らしいと思ったが、勧善懲悪。記号化された悪役とヒーロー。アメリカ人と私の文化の違いと思ったが、本当のところは未だに分からない。大学の頃、ETも観たが、別段どうも思わなかった。
大学を出てから、職場の先輩に勧められ、「ノルウエィの森」を読んだ。それは、私が読書の楽しみを知るきっかけのひとつとなった。村上春樹氏の作品は随分読んだ。村上龍氏も、その頃発表されていたもののほとんどを読んだ。全く知らない作家の本には、なかなか手を出せなかったが、結婚するまでの間、いろいろと読んでみた。
結婚して、子供が生まれたときに私はアメリカに住んでいた。母が遊びに来たときに、司馬遼太郎さんの「峠」上巻を置いていった。中、下巻を読んだのは帰国してからで、一年余り先になったが、その後、多くの司馬作品を読んだ。
読書はその人の生き方に影響する。村上春樹氏の作品の中で、主人公はビールを飲む。私はそれまで、ビールを買って家で飲むという習慣がなかった。まるで飲めないわけではないが、父は晩酌をしなかった。酒を飲むことが、良くないことのように感じていた。下宿の小さな冷蔵庫に、缶ビールを入れて、たまに、たいした理由もなく飲むことを学んだ。
どこにでも、転がっている。例えば、あなた達が、心から可愛がっているセキセイインコに対する気持ちが、純愛なのだ。
悲劇である必要はなく、涙を誘う必要もない。愛していると気が付かせてくれる瞬間があれば、それは純愛なのだ。
人を愛している自分の気持ちに気が付くことの困難さを思う。気が付くことが出来れば純愛である。
そう村上さんが言うと、株価が上がる訳です。株の値段が上がるということは、会社の価値が見かけ上、上がったと云うことです。
株主の利益を守るというが、それを株主が言ってどうする。株主でない人の利益を誰が守るんだろう。電鉄会社の場合、利用者は沿線住民に限られる。そして、沿線住民と電車の関わりは極めて濃い。利用者の利益と、会社の利益、株主の利益をどのように摺り合わせるつもりか。
株主の利益が正義とは思わない。利用者に十分なサービスを提供して、会社の存在は正当化される。
ファンが株主となることで、より強い結びつきとか、そんなことを言っていたけれど、電鉄会社の場合は、沿線住民が株主になる訳でもない。
他に選択肢がない。阪神のサービスにはおおむね満足している。不動産資産に興味津々のようだ。不動産は副業。副業にのめり込んで、本業が傾く話は随分聞かされたと思う。
村上さんが、記者に囲まれて、色々と力説していらした。ニュースでちらりと見た。必死になってエクスキューズしている風である。似合わない。
阪神電車沿線に住む私は、他人事でなく、幾らか興味を持っている。
妙な雲行きになってきた。親会社が買収されて、村上さんのものになってしまうかもしれない、という重大な局面を迎えて、野球チームの株をどうするかという、興味深くはあるがむしろ些細な問題に大騒ぎしている。このままでは、親会社が買収される。子会社も一蓮托生だ。そうならないために、株を上場して、ファンに買ってもらうと言う話と思っていた。親会社に依存せず、野球チームが存続する方策が株式の上場ではないのか。上場した株式を誰かが買い占めるとなると、話は別だが。
別に、親会社が阪神である必要はなく、「西宮タイガーズ」でも、まぁ百歩譲って「大阪タイガーズ」でも別に構わないというか、むしろそうあるべきだと思う。
どちらかというと些細な方の問題でやり玉に挙がった村上さんが言うには、「ファンの皆さんに聞いてみたい」これは、ちょっと前の選挙の時に、ソウリ大臣が言った台詞だ。些細な問題の方が争点になった状況も、何となく似ている。
星野さんは、電鉄が株を独占し続ける方が良いという。読売社主は、「偽善者のインチキ野郎」と吐き捨てた。それを聞いた妻が、「今の台詞はあなたがテレビの気に入らない人に悪態をつく台詞と同じだ」という。
そうか。気に入らないと思って購読を止めた新聞社の社主と、私のボキャブラリはかなり被っているらしい。
そう思います。
いつも、六つか七つくらいの見出しが、きわめて簡潔に並べられている。お堅いのが上、下世話なのが下の方。ヤフーの中の人が、数あるニュースの中からトピックスを選んでいるのだろう。今、世の中でもっとも影響力を持つ人が、ヤフーのトピックスを選ぶ人かも知れない。
お笑い俳優が腰を痛めようが、何処かの女優に不倫の疑惑があろうが、年端もいかぬアイドル歌手がダイタン発言をしようが、そんなことは全くどうでも良いことであるが、ヤフーのトピックスは偉大だ。その小さな枠に取り上げられていると、何となくそれが、世の中では有名で多くの人々が気にしているのだろうと思えてしまう。
子供の頃、ライバルとの間に境界線を引き、空中有りか、無しか、で、やり合ったような覚えがある。空中有りというのは、たとえ、自らの一部が境界線を越えていたとしても、実際に相手の領地に接触していなければ可とする考え方。一方、空中無しであれば、境界線の上空にスクリーンイメージを引いて、カラダの一部でもその仮想のスクリーンを越えてしまうと不可という発想。
国際関係に於いては、空中無し、つまり、上空を通過することは「領空侵犯」となるが、領空とは大気圏内のことで、成層圏を遥かに超えた大気圏外では「空中有り」である。
アメリカンフットボールは、かなり厳格に「空中なし」が適応される。ボールは常にラインの内側にあらねばならない。タッチダウンの時も、選手が内側にいても、ボールが線の外側ではポイントが認められない。また、ボールが内側であっても、ボールを運ぶ選手の両足が(プロの場合は)フィールドの内側に付いて居る必要がある。非常にいい加減なのは、バスケットボールで、ボール、選手共にコートから飛び出していても、どちらかが接地する瞬間までインプレイとなる。完全に体が外に飛び出していても、空中でボールをフィールドに戻すことはルール上問題ない。相撲の場合かなりユニークで、空中アリだが、体が死んでいる、という、特例ルールがある。空中アリを積極的に、ある意味合理的に取り入れたルールと言っていいだろう。少なくとも、バスケットの何でもありルールより、合理的と思う。そういう観点から、野球は厳格な空中アリルールといえるのではないか。フェンス際でジャンプ一番、ホームランをもぎ取るプレーなど、空中アリの神髄である。