公共の施設。プールを利用したとき、入り口の注意書きが気になった。入場をお断りする人として、泥酔者、医師から止められている人、などに並んで、入れ墨をしたひと、とあった。かつては余り疑問に思わなかったが、どうにも気になる。
銭湯などでも、この一節はしばしば見かけたように思う。
かつて疑問に思わなかった理由は、入れ墨が反社会的職業を象徴するもののように思っていたからだ。
見かけで人を判断するべきではないと思う。面倒くさいからひとからげにする意図ではないか。見事な入れ墨を体中に入れている人を見たら、すごいなぁと思う。それだけのことだ。私は入れ墨を入れていない。入れたいとも思わない。プールサイドには、あまり派手ではない入れ墨を入れた人を何人かみかけた。プロバスケット選手などにも入れ墨を入れている人は多いから、最近の流行なのかも知れない。
ピアスなら外せば目立たない。髪の毛の色は染め直せばよい。入れ墨はそう簡単に消えない。信念に基づいて入れるものだと思う。残念ながら、入れ墨に対して差別的な扱いがあることを理解した上で自己責任でご自由にと思う。
公共施設に断られることを覚悟せねばならない現状は、改められるべきだろう。
台風が接近。気象情報が気になる。レーダーで監視しているはずなのに、台風の現在位置や進路予想が遅れるのはどうしてなのか。
気象庁(http://www.jma.go.jp/JMA_HP/jma/index.html)のホームページを見る。
トップページに難がある。肝心の「リアルタイム情報」(それ以外のリンクは、一般市民にはほとんど意味のないものばかり)のリンクが画像をアンカーに使っており、Altは指定してあるものの、即座に理解し難いほど長い。
<q> alt="気象警報・注意報、天気予報、気象情報、津波警報・注意報、地震情報、火山情報、気象衛星画像、レーダーなどはこちらからご覧になれます。"</q>
さらに、アンカー画像には、border="0"が指定してあり、且つ、widthとhightの指定がない。画像を読み込まない設定にしていると、妙なことになる。サファリで、画像を表示しない設定にすると、全くアンカーが見つけられない。
余り意地悪を云わずに、画像を表示して、ユーザースタイルシートも外すことにする。
気象情報のページは完全なテーブルによるレイアウトである。このページは大変拙い。私は特にウインドウを小さくしているわけではないが、このページを開くと、左にメニュー、右に現在までの気象情報のリンクが一覧になっている。この一覧が長大なために、開いたウインドウ全面がリンクアンカーで占められる。試しに、「大潮による高い潮位に関する全般潮位情報 第1号」をクリックすると、何も起こらない。不思議だ。何も出ない。何度クリックしても同じ。既訪問リンクの色も変わらない。リンクが切れているか、何か間違っているのかと思うのが普通だろう。しかし、アンカーをクリックして、下の方にスクロールしてゆくと、情報の本文が出てくる。一番重要な情報が、テーブルの一番最後のセルに収められていたのだ。
気が付くのにしばらく掛かった。こんなことなら、小窓が新たに開く方がまだマシだろう。
情報を見つけられるかどうかで、命に関わる可能性もあるだけに、改善していただきたいと、切に思う。
というか、何週間も前の気象情報をズラリと並べて、何か意味あるのか?と、問いたい。
随分昔の話。
かつて、プロレスは三つの団体に分かれていて、馬場の全日本プロレスが日テレ、猪木の新日本がテレ朝でゴールデンタイムに中継があり、もう一つの、国際プロレスは金網デスマッチが売りで、私の田舎にも時々ポスターが貼ってあったが、テレビ中継は見たことがない。中心選手はラッシャー木村だ。
その国際プロレスが崩壊し、主な3選手が新日に殴り込んできた。活路を見出すために、猪木に挑戦状を叩き付けたのだ。猪木は受けて立ったが、3人を一度に相手をすることになった。纏めて、ではなく、一人ずつ、続けて3試合、猪木が相手をすると云う趣向。こういった国際プロレスの3人対アントニオ猪木のハンデキャップマッチが少なくとも2度、行われたはずだ。
今にして思えば、倒産した国際プロレスの借金を猪木の新日本が肩代わりする。お金を工面するために、国際軍団の3人は新日マットに上ったわけで、猪木の好きなように扱われたわけだ。猪木の立場としては、ラッシャー木村ごときと対等に試合をやるのはプライドが許さないから、ハンデキャップマッチとする。あっさり勝つとお客が喜ばないから、他の二人に頑張ってもらって、自分のハンデをより印象づけたいということ。
実際、国際軍団の1番手、寺西は、あっという間に猪木に捻られた。2番手は今をときめくアニマル浜口で、彼はレスラーとしては小柄だが、インサイドワークに優れ、十分に時間を使って猪木のスタミナを奪った。木村がどうだったかはたいした問題ではない。彼は所詮スターとして扱ってもらえなかったのだ。
どこまで筋書き通りに進んだのか分からない。一戦目は猪木が怒り、木村をボコボコにして反則負け。再戦となり、2試合目は覚えていない。とにかく、大将の木村を必死に守ろうとしていた浜口だけが印象に残っている。
国際軍団が新日マットに殴り込んだとき、木村氏にマイクが渡された。今なら、「なんだコノヤロー、バカヤロー。」とやるところだが、木村氏は上がり症で、テレビの生中継や、満員の観衆にも慣れていなかったせいか、、「こんばんは、ラッシャー木村です」と、ぼけをかまして、大変有名な逸話となった。今では当たり前の、プロレスラーによるマイクパフォーマンスの記念すべき先駆けだったのではないか。木村氏のボケまで計算に入れて、猪木か新間が台本を書いたとしたら、恐れ入る。ローキックとマイクパフォーマンスは猪木・新間の発明と云うことになる。
アテネのスタンドから身を乗り出し、必死になって叫ぶ浜口氏。制止しようとする警備員との小競り合いを見て、猪木に挑んだ若かりし日の浜口と重なった。いま彼にマイクを渡したら、きっと素晴らしいパフォーマンスを見せてくれるだろう、と思うと、ちょっと勿体ない気がした。
(この掲示板は、ブログではない。)
オリンピック観戦にかまけて、しばらく放っていた。私はスポーツを見ることが好きである。
ブログでない。ブログってなんだ。便利な道具。投稿をエントリと呼び、ごちゃごちゃともくじやらメニューやらリンクが詰め込まれて、続きを読むが出てきて。「コメントを書く」があればブログか。メニューから、いろいろな背景やら、レイアウトやら、スタイルシートやらが選べれば、それがブログか。
ホームページをブログにかえる。そりゃぁいい。何しろ、世の中はホームページからブログの世の中にかわったんだから。
一方、ブログは日記ではない。メモ書きの類だ。ネット上で出会ったことの感想を書き記すメモ書きだ。
私は、自分のサイトの宣伝をしない。多分、そのせいだと思うが、お客が少ない。滅多にない。いろいろと苦労して書いている。折角書いたものが、余り人目に触れないのは勿体ないと思うが、そのうちに、誰かが見るだろうと思い、ログを残している。この状況に概ね満足している。
意見や感想などフィードバックがほとんど無いが、ない方がよい。なぜなら、意見や感想などを改めて表明しようがないようなことを書いているからだ。
どうも、ここの管理人は何を考えているか分からん。何となく分かるような気はするが、分からん。と云われるのが私にとって無上の喜びだ。分かった風に、その通りと思います、等と意見を付けられると、答えに窮する。
おまえはぜんぜん分かってねぇな。いい加減なこと書くンじゃねぇ。等とすごまれるのも苦痛だ。
(続きを読む==>)
高校野球の熱戦に目を奪われた。都合、5試合を見るために球場に足を運んだ。残念ながら、決勝戦はテレビ観戦となった。スコアだけ見て、大味な試合という評価は当たらない。両チームとも実に緻密な試合はこびだった。僅かなミスを逃さなかった駒大苫小牧が有利となった。
オリンピック代表チームも、敗戦を乗り越え、チームとしてのまとまりが出てきた。異国で誇りを賭けて戦う代表達の奮闘ぶりに胸が熱くなる。
残念ながら、この時期中継は無いが、宇宙人と評されたイチローの活躍が気になる。
プロ野球は、オリンピック期間中にレギュラーシーズンの試合を中断すべきだった。高校野球の熱戦があり、オリンピックがあって、プロ野球に興味を持続できる人はそれほど居ない。そして、選手選択の不公平さも感じる。とくに、ダイエーの城島が抜けた穴は優勝争いに大きな影響を与えているように思う。
オリンピックに選手を派遣するなら、ひと月くらいシーズンを中断し、カップ戦とか、インターリーグとか、エキシビジョンゲームに切り替えるべきだった。そういったスタイルを確立する必要があったのだ。また4年後にオリンピックは巡ってくる。
スポーツアナウンサーの仕事は、主に実況することである。場合によっては時間を持たせる為の繋ぎもやらなくてはならないが、実況する状況があるときには実況するべきだ。
待ち時間に、あらかじめ取材し、書きためた原稿を読むのは構わない。しかし、膠着状態もスポーツの一部で、膠着状態をどのように実況するかがアナウンサーの能力だろう。
場をわきまえよ。実況せよアナウンサ。
伊調千春は憮然としている。にこりともしていない。カメラマンの求めに応じ、一瞬メダルに手を掛けただけで、自分の望まないメダルを無視している。
実況せよ。現実は画面の中にある。アナウンサのモノローグが画面とまるでマッチしていないのは明らかだ。
選手の心情を思いやり、状況に対応し、職業的な使命を果たすべきだ。
オリンピックの開会式を見て、私は何度か、緊張した。奇妙な物体が、フワフワと浮かんでいるときに、絡まったり引っかかったりしないのだろうかとか、全裸と見まごう青年達の、彫刻でないその部分が動き出したらどうしようとか、炎の5輪を描いた水面に、油が浮いて汚くなったりしないのか、と云うような、ごく平凡な緊張感に続き、日本の選手団がブーイングを受けないだろうか、とか。アジアカップサッカーのことが気付かぬうちに心の傷になっていたのかもしれない。
アメリカの選手団が入場するときに、もっとも緊張した。おおよそ3年前、あり得ないと思っていたことを、テレビ画像で目撃し、繰り返しリプレイを見せられた。巨大な楕円形の舞台に数万人が集っている瞬間。ニューヨークの鉄骨とコンクリートの塊よりも、遥かに狙いやすいだろう。ここが標的にならないという保証はなにもない。
緊張したが何も起こらなかった。引き続き入場した日本選手達は、私が期待した浴衣姿ではなく、実に平凡だった。ブーイングも受けず。
イラクやアフガニスタンの選手達に、割れんばかりの歓声。そして、イスラエル選手団が入場したときの、凍り付いたような雰囲気。
二百あまりの参加国。地球上にそれほど多くの国があることに驚く反面、50億の民が、僅か200のグループに分類されていることにも驚く。
セレモニーは派手すぎる。オリンピックそのものが大きくなりすぎたのだろう。2度目のロサンジェルス大会を仕切った、ピーターユベロスが、オリンピックが金になることを証明したのだ。当時、モスクワに対するライバル心もあったのだろうが。その後、バルセロナ大会にドリームチーム(米バスケット代表)が参加したときに、オリンピックは、商業主義さえも呑み込んだ。次は、宗教を飲み込み、オリンピックの進む道は、地球上の市民全ての融和となるべきだ。
中継が始まる前に、過去の大会における開会式の模様を映像で紹介していた。8年前、アトランタ大会の開会式で、私は記憶にないのだが、ご当地出身のキング牧師の演説が流れたのだ。"I HAVE A DREAM..."
ワシントンで行われた、有名なスピーチの一節である。感動的な、人類の平等を求めたその演説は、果たしてオリンピックの舞台にふさわしかったのか。その演説は、差別される側が自ら、あるいは、同胞達の解放を祈ったものなのだ。
かなり昔に、オリヴァーストーンの映画、「7月4日に生まれて」を見終えたときの感覚を思い出した。その映画の内容の細かいところまでは覚えていないが、ベトナムでの戦争を告発する内容だった。しかし、その戦争の最大の被害者は、戦地で命を落とした米国兵士ではなく、ベトナムの市民達だ。アメリカ人はいつもこの調子だ。反省するのが下手なのだろう。と、そんなことを思いながら。いつの間にか眠っていた。
泣きながら、遺族やけが人の家族に詫びた、関西電力の社長は、責任の取り方を明らかにするべきだ。社長は、毅然とした態度で、非難や批判を甘んじて受けるべきだ。周辺住民の冷ややかな視線に曝されるべきだ。それが社長の仕事である。
責任を痛感し、職を辞した後に、いくらでも泣けばよい。
関西電力は、直ちに全ての原子炉を停止し、事故の原因と考えられている検査項目リストの欠陥の有無を検証するべきだ。夏場の電力供給に支障が出るだろうが、やむを得ない。関西電力が安全だ、と云ったところで信用できない。
暢気に電力会社を非難して、ご自身の責任を余り感じていらっしゃらないらしい中川大臣も、更迭するべきだ。
原発事故が起こると、必ず放射能漏れはありません、と云うが本当なのか。
原子力開発にまつわるトラブル隠しが昨年問題になったが、公表されている内容そのものも、ねじ曲げられている可能性が高い。
当初、「蒸気漏れ」事故、と報道されたが、現場の写真から、配管が完全に断裂している様子が見て取れる。蒸気が漏れたと云うより、冷却水が完全に抜けた状況だったのではないか。今回、多数の死者とけが人が出たために、隠しきれなくなったわけだが、死傷者がいなければ、今回の事故も「放射能漏れの無い蒸気漏れ」で片付けられていたのではないか。
二次系の冷却水だから、放射能漏れの恐れはないというが、冷却水が抜けることで、一次系冷却や原子炉本体が過熱する危険性は無いのか。二次系の配管が破断したが、一次系は破断しないと云う根拠はあるのか。
先端技術の粋を集めた、万全の対策、と胸を張る人々を信用してはいけない。技術の恩恵は、適切に運用されて活かされる。
夏休みを取り、実家に帰省していた。のんびりと日々を過ごしていた。
さて、フジテレビ系列会社社員が、覚醒剤、大麻、コカイン所持容疑で逮捕された。トイレに、上記薬物入りの財布を忘れ、見つけた清掃作業員から、警備員経由で警視庁に通報、逮捕。
記事によると、三種類揃えていたこと、テレビ会社のプロデューサーと云うことで、産経ウエブにはこの記事は出ていないらしいが、他系列のニュースは飛びつく話題。トイレに忘れた、と云う少々間抜けな事件の顛末など、マァマァのニュース性はあるだろう。果たして、薬物所持で、一日何人くらいが捕まっているのか、そこら辺は全く知識が無く分からないが。
それにしても、財布が見つかったのが、5月11日、逮捕されたのが8月11日。三ヶ月の間に何があったのか、何の説明もない。記者は興味を持たないのだろうか?
ホンダの中古車顧客情報が一時流出
一方、ホンダと云えば、大企業の自動車会社のことであるが、中古車顧客情報が一時流出という見出し。つまり、ホンダそのものではなく、その正規中古車ディーラーが顧客情報管理を委託した管理会社の社員が、車を購入し保証サービスに加入した人の個人情報4万人分をどうにかした、という意味である。
一時流出!流出に一時もクソもあるのだろうか?不審に思い記事の本文を読み進める。業務委託先の社員が、顧客情報を会社から自宅にメールで送ったということらしい。
内容を補完すると、社員に情報を盗もうという意図が無く、家で仕事の続きをやるため、と云うようなことかもしれない。どうしてばれたのか分からないが、自己申告なのかもしれない。何にせよ、委託先の個人情報の扱いがずさんであったことは間違いない。
当該社員の云うことが確かなら、「一時」持ち出された、と云うことになるだろう。「流出」と言う見だしには、若干の違和感を持つ。
人名に使うことが出来る漢字の制限を緩める話が、妙な方向に曲がっていった。
野呂井さんやら、久曽さんやら、目掛さんやら、
誰が苦情をいったのか知らないが、制限があること自体がおかしな話で、漢字の字面から来る印象という、個人の貧困な発想で、文字を差別的に扱うことに極めて偽善的な印象を受けた。
ジェイソンと聞くと、ホッケー面を着けて暴れる映画の主人公を想像し、6月6日生まれと聞くと、ホラー映画の主人公を思い出す。そういう貧困な発想は恥じ入るべきだ。すてきな名前を付けたつもりでも、大昔の凶悪な犯罪者と同名かもしれない、遠い彼方の国の言葉で、極めて卑猥な意味合いを持つかもしれない。字面の印象などその程度のこと。名前で人を差別することは、その人の無知蒙昧を曝していることに他ならず、おとなのやるべきことではない。こどもに名前を付けることは、おとなの仕事である。
名前にふさわしくない、とされる文字がリストに入ろうが、それを使うかどうかは親の判断ではないか。ふさわしい文字とは何なのか。
名前は、親からこどもへ与えられる、プレゼントである。字面から受ける印象より、より重要なことは、分かりやすく読みやすく、こども達が自分を表現するのに適しており、かつ誇りを持てると云うことだ。
リストの漢字に何が含まれるか、よりも、難読で珍奇な名前が蔓延る方が問題だと思う。もちろん、他人のこどもがどのような名前になろうが、私の感知するところではないが。
参考資料:
http://www31.ocn.ne.jp/%7Efamily_weekend/docum/josho_naming.html
(父親育児のための覚え書き:出産準備、命名)
http://www5.ocn.ne.jp/ ̄sensei/koramu/nikkilastest.html
(先生のお仕事日記最新版:2004年6月12日)
仕事など、多忙な毎日。こども達が家にいると云うことは、その相手もしなくてはならないと云うことで、女房が効いたらへそで茶を沸かすだろうが、なかなかこういったことの時間が取れない。夏休みモードと云うことで、気長におつきあい願いたい。
銀行の再編。巨大な企業であり、日本経済の潤滑システムを担う。あっちとくっつきこっちと離れる、そういうことが、その場限りの思いつきで進行しているとは思いたくない。とりあえず、UFJが極めて深刻な事態に陥っていることは間違いないだろう。合併話を持ちかけた東京三菱と三井住友が、独自の判断で動いているとも思いにくい。大銀行のメンツが掛かるわけだし、申し入れて振られたら、企業イメージも大きく傷が付く。99%の成算があって行動しているのだと思う。あれほど大胆な行動に出ると云うことは、政府の意向を汲み取っているのだろう。どたばたとして、極めて場当たり的な印象を受けるが、大銀行の経営が場当たり的というより、むしろ、金融政策を決める政府やお役人のやり方が、いい加減なのだろうと思う。
1リーグだろうが2リーグだろうが、そのようなことは、たいした問題ではない。2リーグを維持した方が、その後の発展という意味では有利だろう。二つのチームが、野球とはまるで関係のない企業論理の中で、消滅しようとしていることが、最大の問題である。他のチームは、問題を共有し、当該チームの存続という目的に向かって解決を図るべきだが、チーム消滅のみが既成事実として受け入れられようとしている。
残念ながら、プロ野球はプロスポーツとしての体裁を持っていない。選手達はプロであるが、球団経営は親会社が投資する企業スポーツと何ら変わりはない。球団がプロチーム経営の社会的責任に目覚めて、初めてプロスポーツの興行が成り立つ。
渡辺氏の経営するチームが、もっともプロチームとしての体裁を持っている。少なくとも、二年前までは、ビジターユニフォームに親会社名が入っていなかったし、新聞社の名前でチームが語られることも稀である。
今回の一件で、もっとも責められるべきは、ファンをあたかも自分の所有物であるかのように切って捨てようとしている、オリックスと近鉄球団のオーナーである。
次に責められるべきは、その尻馬に乗って、渡りに船と自分たちのアイデンティティを捨てようとした、その他パリーグのオーナー達である。それをやることは、近鉄とオリックスのファンに対する裏切り行為と思う。その後、ゾロゾロと出てきたセリーグ球団の利己的な主張もファンのことはこれっぽっちも考えていない。
ファンはオーナー達から舐められている現状にもっと危機感を持つべきだ。もっとも立場の弱い選手達が、ストライキを武器に戦おうとしている。ファンの出来ることは署名だけか?ネットで吠えることだけなのか?新聞不買運動に何の効果があるか?矛先を間違えている。怒っているなら、その意思表示を明確にするべきだ。まずは、観戦拒否。おそらく、もっとも効果的なデモンストレーションとなるだろう。選手会のストライキなど比ではない。ファンは、プロ野球チームとはどうあるべきなのか、自分たちのチームがどれほど大切なのか、よく考えるべきだ。チームをオーナーの手から取り戻すために、一度だって彼らの横暴を認めてはならない。
渡辺氏は、プロ野球にとって、もっとも安易な解決方法を提示したに過ぎない。氏の理不尽な言動は、新聞社社主より、球団への出資者としてのものと思う。ただし、唐突に出てきたチーム合併や、一リーグ制の策略に、彼がどのように関わったのか表に出ていない点で、真相が明らかになれば、その評価が変わる可能性がある。
夏なんだから、暑いのは当たり前じゃないですか。
二日や三日、猛暑が続いたくらいで、いちいち騒ぐなって云うのに。真夏日は33度以上、熱帯夜は29度以上と云うことにしたらどうですか。
東京の最低気温が30度以上と云っても、日中に比べたら8度くらい下がっているのではありませんか。8度と云ったら相当な気温の低下ですよ。
テレビで取材を受ける市民のほとんどが冷房ユーザーです。冷房ユーザーは、自室の冷房室外機から吐き出される熱が、その後どうなるか、想像してみるべきだ。
使うな、と云っていない。健康を保ったり、作業の効率を上げるために、冷房が必要な状況があることは理解している。
マスコミの皆さんは、そんなに暑さを話題にしたいのなら、冷房を使わずに日々過ごす人々の生活を取材してはどうですか、いま、夜中になって、ほとんど風が吹きません。部屋の寒暖計は32度くらいですが、扇風機一台で随分涼しい気分になっています。一昨年までは、33度を超えたら冷房を使おう、と云う取り決めが我が家にありましたが、昨年から、お客さんが我慢できないと云ったら冷房を使うと云うことになっている。試運転もしていません。リモコンの電池が切れているかもしれない。
でもぜんぜん構わないのです。これは、慣れの問題です。暑がる人は、寒がることが多いです。常にどちらかに苦情をいっている。あぁ、これぐらいが適当で心地よい、と感じる余裕がないのか、閾値が狭いのか。
そのうち、冷房が壊れます。それから地球も壊れるかもしれません。
多勢に無勢と云うことは分かっているのです。極めて少数意見。しかし、信じられないかもしれませんが、冷房を使わずに、携帯電話も使わない、石器時代のような生活は、やろうと思えば明日からでも可能です。
バイク屋へ。クラッチレバーが新品になり、フロントフェンダーもピカピカ。作業を待つ間、冷房の効いた部屋で雑誌をめくる。バイク雑誌は、随分と淘汰され、それでも残る雑誌は、大昔からあったものばかり。モトライダー誌に目がいった。
フレディーの特集である。そのことで、一言書きたいと思っていたのだが、随分昔の話で、かなり記憶が曖昧になっていた。私が始めてWGPをシーズン通して(雑誌で)追いかけたのが、83年シーズンだったのだ。その頃のことを思い出すと、胸が高まる。読みふけった。
私がオートバイのGPマシンに初めて興味を持ったのは、モノコックフレームのNRが片山敬済とミック・グラントに託された年だった。その頃はNRの格好良さに痺れたのだと思う。82年のRIDING SPORTS誌刊行が大きな契機となった。私は、たまたまプレ創刊号を手にしたのだった。鈴鹿8時間耐久レースが台風に襲われた年である。
83年シーズン、WGPは全12戦で争われ、最終戦サンマリノを迎えたとき、珍妙な三気筒マシンNSを駆るフレディ(ホンダ)が6勝、OWを駆るケニーロバーツ(お父ちゃんの方、ヤマハ)が5勝。最終戦でケニーが逆転でチャンピオンを獲得するには、優勝し、なおかつフレディを3位以下に抑える必要があった。ヤマハはエディローソンにフレディの前に出る役回りを用意した。
このシーズンのNSとOWの実力は伯仲していたが、特にシーズン後半は、ヤマハが若干有利だったように思う。WGPがクラッチスタートになったのは、最近のことで、この頃は、押しがけでエンジン始動。ケニーのエンジンが始動せず、と言うようなレースもあったはずだ。
私が覚えているのは、最終戦の表彰台の様子である。栄光なき勝利を受けるケニーと、結局、フレディの前に出ることが出来なかったエディ。虚脱状態で、3位の表彰台に立つエディの憔悴しきった表情。
多分、ケニーはこの年を最後にWGPを引退したはずだ。翌年の鈴鹿8耐に藤色のヤマハで登場した。私の生まれて初めての生レース観戦となったレース。パートナーは平忠彦。ここでのライバルは、ワインガードナーだった。
私の記憶では、ケニーは84-85年、二度、八耐を走ったように思うのだが、8耐のオフィシャルサイトでは、84年のことにふれていない。
割り箸は、なかなか便利なものである。
職場の昼ご飯に、良く割り箸を利用している。私の昼ご飯は、食欲を満たせればよい。中身には全く頓着しない。気軽にたべられることが最優先である。
だから、売店で三日分のカップラーメンやカップ焼きそばを買い込んでくる。それから三日間はカップラーメンかカップ焼きそばが続くが、構わない。腹に何か入ればそれで良い。サイドメニューも一切なし。カップラーメンの日はカップラーメンを食べる。それだけ。
三つまとめて買うのは、いちいち買いに行くのが面倒だから。売店で、「お箸はいくつ要るか?」とたびたび尋ねられ不審に思っていたのだが、どうも、一度に三つたべると思われたようで、もちろんそのような不健康なことはしない。一色に一つだけだから、割り箸も三膳分必要なのである。
売店の経営者が変わった。レジで呉れる割り箸も新しくなり、従来のものより3センチほど短くなった。
たったそれだけのことだが、自分が昼飯にしているカップラーメンが、やけに貧しいものという気分になる。驚くべきことである。
ブログ、と云う言葉は、Weblog(ウエブログ)から生じたらしい。少々複雑な掲示板スクリプトのようなものが本体で、ウエブ上に記録してゆく日記のようなものである。
いまや、無料ホームページサービスに代わって、無料ブログサービスの時代。ホームページが、ローカルで形を組み立てて、サーバーに転送すると云う手続きが必要なのに対して、ウエブログはネットに接続できる環境にあれば、ブラウザの投稿フォームから入力できる。HTMLのタグに煩わされることもない。とにかく気楽なのが大きな特徴である。加えて、ブログは、閲覧者からコメントを受ける掲示板のような機能を持ち、記事の内容を簡単なキーワードで分類したり、見出しを付けたりすることが出来る。少ない努力で、自動的に見た目立派なページを作りだしてくれる。記事さえ入力すると、体裁を整えることを自動的にやってくれる。
見た目はそういったものである。
日記を書くだけなら、自分の日記帳(ノート)に書き連ねればよい。ウエブ上に公開すると云うことを意識することが、ブログというものの意義であろう。人に見られることを意識することが、日記を書く動機付けとなる。しかし、ブログの真価は、そのようなことではない。ブログはウエブ上の情報をつなぎ合わせる機能を持つ。それを見た誰かが、ブログにコメントを寄せる。それだけなら、掲示板と変わらない。ブログの興味深い点は、読んだ誰かが、自分のブログで引用し、意見を付け加えると、それが、リファラやらトラックバックという形で、引用元に通知される仕組みがあることである。
したがって、ブログを有効に利用するためには、ウエブ上で見かけたことを、アドレス付きで引用してゆく必要がある。ブログはウエブ上で出会ったことの日記となるべきなのだ。
World Wide Webの発案者、Tim Berners-Leeの著書を読むと、彼がウエブブラウザにエディタの機能を持たせることに、強く拘っていたことが読み取れる。ウエブ上の記事を有機的に結びつける為に、記事を読んだ参加者が、新たに情報を提供していくことで、World Wide Webの網の目は、強化され、無限の広がりを持ってゆく。Mozillaがコンポーザーを諦めないのもその一つの現れだろう。ブログは、極めて合理的な手段で、Tim Berners-Leeの理想を実現しようとしているように思う。
Gotaku Statementsは、ウエブログではない。話題はあらゆる所に素材を求める。ウエブ上でであったこともあるが、多くは私の実生活や思い出が元になっている。加えて、掲示板の体裁を保つことで、複数の全く独立した話題が一つのページに収められるために、検索エンジンに誤解を与えてしまうと云う潜在的な問題を抱えている。だから、私は敢えて、検索エンジンを拒否する設定を加えている。ウエブログとして成り立たないのである。
linkclubのサーバーが不安定なのに業を煮やして、私は、はてなダイアリのサービスを、おやこニュース、Gotaku Statements、そして、道具としてのパソコン、という、私のサイトの三つの主要なコンテンツを作る上の、メモ書きに利用している。体裁、機能的には、ブログであると思うが、記事の内容、構成は、決してブログを意図しているのではない。
しかし、自動的にキーワードが設定され、記事はキーワードを介して多くの人の目に触れる。少なくとも、Gotaku Statementより、遥かに大勢の閲覧者が訪れている。はてなダイアリのリファラを眺めていると、どのような話題が閲覧者を集めるか、理解できる。多くの閲覧者を意識することは、ウエブページ管理人にとって、一種の麻薬のようなものである。
しかし、私ははてなのサービスに入れ込むつもりはなく、はてなダイアリ「おやこニュースの下書き」は、あくまで下書きである。そういった利用の仕方に批判を頂いたことがある。私は人に読まれることを意識し、ある水準以上の内容を維持しているつもりである。ダイアリの内容に推敲を加え、一ランクレベルを上げて、本編に収録している積もりである。
読み比べるのも面白いかもしれない。
別に、それほど大騒ぎすることじゃないと思った。ニュースの片隅に見つけたら、笑い話の一つくらいに思うかも。
私は温泉に思い入れがない。そこにあればついでに入る程度。温泉にはいるために、わざわざ出かけていったりしない。
のんびり風呂につかりたいとは思うが。
まさか、そんなものが入っているとは思わないものが、いろいろ入っている。驚くが、別にどうってことじゃない。毒ではないのだろうし。入浴剤入りでもっと気持ちよくなれるなら、私はそれでも構わないと思う。
私が無知なだけで、この世にはそういうインチキにあふれていると思うのだ。
色つきのタラコやら、レトルトのステーキを出すレストランやら、八百長の取り組みやら、やたらと売れるが誰も読んでいない教祖の著書やら、概ねインチキなのだろう。
警察の捜査記録までインチキだったらしいし、そんなことに比べると、話題にはなっても、騒ぐほどのことではないと思う。
いきなり話題を振られた草津の入浴剤の方は大丈夫なのか、そっちが心配である。
私は普段バイクに乗っている。バイクや自転車など、二輪車は進行方向を変えるとき、進行方向側に車体を傾けて曲がる。これをバンクという。車体をバンクさせて曲がる乗り物は、他に、一輪車、飛行機、水上バイクなどがある。
学生の頃、スノーモービルに乗ったことがある。スノーモービルは、一条のキャタピラ(無限軌道)が駆動する乗り物で、ステアリング操作はバイクと似たハンドルで制御されるスキーが一対、車体の前方に装着されている。車体に跨って乗る点、ステアリングバーの見た目はバイクに似ているが、バンクさせても曲がらない。ステアリングを目一杯進行方向側に切ると、車体は進行方向と逆に傾き、外側スキーに加重されて曲がる。進行方向と逆方向に車体が傾くことをロールという。この時、体重をイン側に移動させ、ロールを適度に調節するのがスムーズな運転のコツである。
4輪車の方向変換はロールが基本であり、円弧を描くときに、外側の車輪に荷重がかかる。乗ったことはないが、サイドカーも同様で、子供用三輪車、レジャー用の4輪、および三輪バギーもロールしながら曲がるはずである。ステアリング操作に加えて、体重移動によるロールの調節が素早く方向を変えるコツである。
乳母車は一般に四輪であるが、スムーズに操作するには、ロールを意識させると良い。右に向きを変えるときは、意識的に左に車体を傾けて、左前輪に荷重を掛ける。気分的には、進行方向、つまり、イン側に車体を傾けたくなるが、そうすると、嫌というほど乳母車は曲がろうとしなくなる。軽快な操縦には、ロールさせつつ外側加重が鉄則なのだ。
補助輪付き自転車の挙動は、幾分複雑である。
直進時は前後輪の二輪のみ接地する。方向を変えようとしたとき、バンクさせると内側の補助輪が接地する。一般には十分なバンク角が取れないから、そのままでは曲がらない。ハンドル操作に続いて、車体をロールさせ、外側の補助輪を接地させて曲がるのが正しい補助輪付き自転車の運転法である。
これに慣れると、補助輪を外してからロールさせる癖を直すのに苦労することになる。二輪はロールさせても決して思い通りには曲がらない。というか、必ず転倒する。
補助輪付き自転車に慣れさせるのは、危険である。
選挙が終わり、次の国政選挙は3年後という。北朝鮮による拉致被害者とその家族にとって、厳しい3年間となることだろう。
今回、はっきりしたことは、拉致被害者に対する救済を積極的におこなうことが、国民の関心を大いに引くものの、さほど投票活動に影響しないことである。小泉氏は、そのように見切ったと思う。
増元氏が東京選挙区で落選したのも、厳しい現実である。
与党の誰が考えついたのかは知らないが、曽我さん家族の再会は、選挙に対する一般の関心を希釈する効果があった。政府が選挙目当てでやったのだとしたら、まっとうな解決への道筋を用意せず、一番安直な手段と選んだことは、犯罪的と感じる。そのために、北朝鮮に、資金を提供したのだろうと思う。出発シーンの中継サービスや、様々なことをやってくれた。同行の北朝鮮職員の宿代を日本政府が負担していないことを願っている。
ジェンキンズ氏の説得とは、何のことか。
この場合、日本政府が米国政府を説得するべきであって、曽我さんがジェンキンズ氏を説得することに意味があるとは思えない。現状では、一家がインドネシアに永住するか、改めて家族が離散するか、曽我さんが北朝鮮に戻るか、と云う選択肢以外に用意されていない様に思う。
面会させるということは、日本政府が米国政府の説得に成功し、一家は日曜の朝、羽田空港に降り立つのだろうと思っていた。選挙を意図した話題作りとすると、やりすぎと云う気もするが、拉致事件の一部が解決するわけで、大いに喜ぶべき事だと思っていた。
残念ながら、日曜の朝には何も起こらなかった。