大阪に出てきた頃、「どつく」という言葉を私は誤解していました。語感から、突く、ような意味と思っていたのです。本当は、張り倒すとか、ぶん殴る、というニュアンスです。シバク、というのも、しぼる、とか、しばる、というような意味かと思っていたら、リンチに掛ける位のかなりきつい意味です。
本来の意味を知らずに、はやりのような言葉を使うのは、気を付けた方がいいと思っている。友達同士の会話で使う分には、大体大丈夫だけれど、例えばネットで楽しむときに、特に掲示板は残るし、気を付けた方がいいと思う。
思わぬ下品な言葉が基になっていたり、差別用語だったり、要するに、語源を知っていれば絶対に使わないだろうというような、言葉だったりする、かもしれぬ。
サッカーチームが調子悪いせいか、そういう調子悪いチームを、応援する(?)というか、興味を持っている・・・親近感を感じている、、、ちょっと表現が難しいですが、、、そういう掲示板に最近とてもよく、へたれという言葉が出てきます。カントクがヘタレだから、選手もヘタレで、サポもヘタレでどうにもならん、とか、そういう感じ(あくまで、感じ)です。
ヘタレというのは、はじめ、ヘタっつと、力無い様子かと思っていましたが、もしかすると、屁たれ、つまり、締まり無くどこででも屁をこく、あるいは、何となく、クサイ臭いがする、かもしれません。いや、下手くそ野郎がヘタれ、かもしれない。友人に尋ねると、へこたれる奴のことをヘタレというのではないかと、、まぁどれも似たようなもんか。
私が応援しているサッカーチームの片方の話。
負け続けている。いや、引き分けもあったかな?
ぼやぼやしている間に(私が)監督がまたもクビになったそうで、まあ、しょうがないですね。私が決めることじゃないから。
クビというより、逃げられた、という感じじゃないのでしょうか。
お客さんも減ってるし、私は、負けが込むほどに応援に行かなきゃと思うが、去年から減った分は、調子が良くてみんなが大騒ぎしている時に、集まる野次馬のような物だったようですね。札幌ドームは広すぎるし、料金も高すぎるし、席が細かく分かれすぎていて、良くないです。空席が目立ちすぎ。
前監督をクビにした時点で、こうなるのは分かり切っていたような気がするなぁ。前監督を選んだ時点で、というか、、、、
私は前監督の試合をほとんど見ていないから、どれほどダメだったのかわかんないけど、あのまま続けていれば、後期にはもう少しましになっていたということはないのかしら?
降格ムード一色だけど、まだ心配するには早すぎると思ってたのよ。でも、監督交代となっちゃ、どうもならんな。逃げられたんじゃ仕方ないし。
新監督は内部昇格、っていうのが唯一の救いのような気がするねぇ。
まだ先は十分長いし、これからも私は応援するから、頑張って欲しい。いや、頑張ってるのは知ってるよ。幸運が訪れることを祈ってます。
で、もう一つのチームは、ここに来て5連勝。ここのところ6試合のうち4試合を完封、失点は2点。すばらしい出来です。次、首位と対決であります。このカードはこの前は引き分け。私も応援に行きました。セレッソに勝って、6連勝、勝率5割と行きたいところ。森島出場停止、このところ出番のない藤田選手が出るといいけれども。
対照的な2チームと言っていいと思いますが、どちらも応援しております。
韓国代表FW、指輪に口づけをする男。
アンジョンファンが日本でプレーすることになり、所属チームは清水に決まったそうだ。
彼が日本に来ることについて、大変嬉しく思う。
移籍がウワサになった時点で、リストに札幌が入っているという記事を目にした。
大変盛り下がっている札幌サポーターに、今必要なのは、期待を抱かせてくれる何か、なのだ。アンジョンファンが来てくれれば、と思っていたが、かなわなかった。
彼を逃したことについては大変残念である。ジリ貧のチームにとって起爆剤となったはずだ。逃がした魚は大きい。敵に回すと手こずらされるはずである。
もう誰にも止められないのかもしれない。
国連でさえ、止められないだろう。
どっちが勝つか明白な、負ける訳のない戦争を始めようとしている。
大量破壊兵器を持っているかもしれない中東の国に対して、大量破壊兵器や核兵器を大量に持っている国が大量破壊兵器で攻撃を仕掛ける。
歴史や常識は、戦争に勝った国が作るらしい。あの国は戦争に勝つだろう。勝った方が歴史を決める。
負けると分かっている国は、誇りを捨て、蹂躙を許すしかない。負けると分かっている戦争を目前にして、自らの立場を主張するのはムダだ。
彼らは脅迫に晒されている。
大統領の人気取りか、はたまた武器の商人がけしかけているのか。制服を着た奴らが最新兵器のテストをしたがっているのか。
誰にもブレーキは掛けられない。きわめて危険な領域に世界を引きずり込もうとしている。
戦争であれば、戦わねばならぬ。対等に戦う手段を持たない国は、テロに走るしかないだろう。恐ろしい時代に突入する。
ある国の中では民主主義とやらで選挙で選ばれた男が、世界の中で狂気の独裁者になりつつある。
このごろ、何かと気ぜわしく、あまり新しい記事が出てこないおやこニュースですが、今のところ、裏の方で畑を耕しているところ。そのうち芽が出てたくさん実るはずです。これはたとえ話で、本当に畑を耕しているわけではありません。学生の頃、試験が近づくまで、私は畑を耕し、タネを巻いて水をやればいいようにしておくことが大切だと思ったのです。そういう地道な作業を続けることで、次のステップでは大きな発展が期待できると言うわけです。
いつもアクセスしてくださり、ありがとうございます。
このところ、一日あたり10名前後のアクセスがあります。アクセスログを取っておりますので、こういうことが分かるわけです。アクセスログは、入り口のページ(表紙写真のページ)あるいは、トップページにアクセスがあると自動的に記録が残るようになっています。二重カウント防止になっていますので、アクセス数は概ね実数だと思っています。記録とは、アクセスした人のプロバイダ名(例えば、.plala.or.jp とか、.nttpc.ne.jp)アクセスした時刻、パソコンのOSとブラウザ、(MSIE 5<>Mac< とか、MSIE 6<>Win2000<)それから、リンク元のアドレスの情報が含まれます。
これらを見ると、例えば、OCNでマック、ネスケで毎朝アクセスしてくれる人が居る、位のことは分かります。
さて、ヤフーのことをご存じと思います。検索サイトの名前です。私ははじめの頃、ヤッホーかと思っていましたが、ヤフーYahooと読むのですね。
最近ヤフーの検索で、おやこニュースに来てくださる方が、毎日一人か二人、いらっしゃいます。アクセスログを見ると、「りんくうタウンアウトレットモール」の検索結果からのリンクです。実際にヤフーでりんくうタウンアウトレットモールを検索すると、ページ検索結果6件の2番目と三番目におやこニュースが出てきます。1番目は、田崎真珠のニュースですので、実質的にはトップに出てくると言うことです。従って、りんくうタウンの情報を求めて、ネットで検索した人のほとんどは、おやこニュースを訪れていると言うことになると思います。
お客さんが来てくれることは嬉しいことです。そこだけ見て、それっきりという人が多いと思うけれども、ほかにも色々見て欲しいページがあるので、上手に誘導するようなページ構成が必要かなぁ、と思いました。
事件から一年過ぎて、だからどうと言うこともないが、一つの区切りではある。
あの時の、言いようのない恐怖心を忘れることは出来ない。
私たちの今日がとりあえず無事に終わりそうなことに、安堵。
平和は相互理解の上に成り立つ。
単独最下位だ。ブッチギリだが、あまり心配することはない。
いい戦いをしたのだから。
運が足りなかった。
ディフェンスもずいぶん安定してきた。厳しく、しつこく、相手につきまとい、ボールを奪った。
堀井は久しぶりだったけれども、時間がたつにつれて役割を果たした。小倉はチームを背負うプレーを見せた。すばらしい嗅覚で、チャンスに絡み続けた。
ジャディウソンの技術は素晴らしい。何度も相手ディフェンスを置き去りにした。
大森、古川もよく守った。今野はもう少し前でプレーをした方が彼の力を出せるのではないだろうか。佐藤、西田、松川も短い時間で十分にチームになじんでいる。
結果は負けだが、チームの進む方向は間違っていない。自信を持って、継続してほしい。私は十分に満喫し、試合を楽しんだ。
古川のプレーはやむを得ない。ファールは明らかにエリア外であり、審判のジャッジは誤っている。だから、こっちが勝っていたとは言わない。古川の判断は間違っていなかったと言うことだ。
俺たちのチームは大丈夫。まぁまぁだ。私はおたおたしない。間違っていないのだから、結果は必ずいい方向に出るだろう。
たのむから、おたおたするな。みっともないから、残留だなんだと、くだらない札を出したりしないでほしい。目立って、テレビに映ろうとでもしているのか?俺たちは諦めていない、とか言うのも、私にはずいぶんネガティブに見えるのだ。いつも通りに楽しもう。良いサッカーをしているのだ。そこを楽しもうではないか。
事故や事件の現場ではしゃぐ人がいる。主には子供たちであるが。昔なら、現場から実況アナウンサーの背後で、手を振ったり、馬鹿な表情をしたりしていた。最近は携帯電話を片手に、テレビカメラの前で堂々としていることが多い。
場合によっては張り倒したくなる輩である。
先日、サッカー場で見かけた数人も、多分この類だろう。試合開始前に、俺たちは信じている、とかいう即席の横断幕を掲げた人たちは、もしかすると真剣だったのかもしれない。私ならそのようなことはしない。信じている、などと改めて陳述するのは、まるで、信じていないかのように、感じるからだ。私は相当ひねくれている。
試合終了後、サポーター席に挨拶にきた選手に向かって、残留どうのこうの、という粗末な札を掲げた数人は、間違いなくテレビ局の気を引いて、ニュースに映ろうとした不謹慎な冷やかしである。サッポロサポーター席に紛れ込んだ、サッポロには何の興味もない中学生であろう。熱烈なアウェイサポーター約300名の前に堂々としゃしゃり出て、あのデモンストレーションはたいした度胸だ。私の目の前だったら、おそらく、私はひとこと言って、けんかになったことだろう。
だいたい、後半はまだ2試合が終わったところである。不幸にして、サッポロは連敗スタートであるが、この後連勝すれば、まだチャンピオンシップの可能性もあるのだ。あの札を用意していたと言うことは、後期が始まって一試合が終わったところで、準備したと言うことである。
だいたい、90分間戦い抜いた選手に向かって、あまりに失礼だ。
繰り返すが、サポーターはあのような馬鹿なことはしない、(と、私は信じる)
3万人あまりのホームサポーター諸氏も、あのような子供たちに惑わされて、くだらないまねだけはしないでいただきたい、と、老婆心ながら申し上げる次第である。
随分昔に本か何かで読んだ話だが、共産主義は一種の宗教のようなものだそうな。だから、共産主義の国では宗教活動が制限される。共産主義以外の「宗教」が信仰されると都合が悪いというわけである。確かに、朝鮮民主主義人民共和国は共産主義の国であり、総書記は新興宗教の教祖のような印象を受ける。私はそのように感じるということだが。
日本とも密接な関わりを持つこの国とつきあうのは難しい。国交がないから、交渉が困難である。地下で色々と犯罪に関わるようなことをしているらしい。そういうウワサを聞くということで、真相は分からない。
その標的がどこを向いているかは知らないが、ミサイルを所持し、核兵器開発の疑いもある。
多くのわだかまりを解決する必要がある。総理大臣が向こうの国を訪問するとのこと。止めた方がいいと思う。交渉が通じる国とも思えない。向こうから来るというのなら話は別だが。総理大臣が訪問するために、向こうの国では多くの市民が動員され、歓迎の儀式をやることだろう。市民たちにとってはかなり迷惑な話と思う。うちの総理大臣も、あまり上手な交渉が出来る人とは思えないし。
それでも行くからには、何らかの成果を上げてもらいたい。殊に、ミサイルを何とかしてほしい。解決の可能性が無いなら、行かない方がいい。拉致日本人を取り戻すことが、どうでもいいとは言わない。家族の方にとっては深刻な問題と思うが、個々の事例については、国単位の交渉においては些細なこと。彼らの手先が不正に日本国内に進入し、違法行為を行っている状況そのものを解決してほしいが、これも無理だろう。
訪問など止めて、無言を押し通すのも、有力な交渉の手段であると思う。
こんな時期に、不審船騒ぎである。なんだか胡散臭い。大体、不審船という言葉自体が妙である。
このような大切な時期に、不審船が、国旗を付けて、不審な行為を行うこと自体、おかしな話だ。ナンチャッテ不審船ではあるまいか、と思う。
「族」というのはあまり響きの良い言葉ではありません。画一的にひとくくりにするという意図が見えます。画一的一括りは私が最も厭うやり方です。それぞれの人が様々な立場で一見よく似たことをしていると、それを理解するのが面倒な人(主にマスコミの記者など)が、ナントカ族、というように一括りにしてしまうのです。私はナンタラ族などと呼ばれるのは嫌で、容認できない。シャレの場合もあるようだけれど。シャレなら笑ってすませようかな。
決起という言葉を軽々しく使うのも、私はあんまり好きじゃない。無言実行の対極の言葉。たいていの決起大会は、別段決起するほどのことはなく、内輪の雰囲気を盛り上げようと言うだけ。それで目的にかなっているといえばそうなんだけれど。うまくいかないことを何とかするために決起大会とか、この前ニュースで見ましたが、はちまきを巻いたりして、偉い先生たちを壇上に上げて、気勢を上げる。さぁ、これからごり押しするぞ、という感じが見え見え。あぁ、なんか嫌だなぁ。ごり押しだと思いました。あんな風なデモンストレーションは、かえって逆効果と思う。ほかにやることを思いつかないから、、、やってるのかな?
結局、道路の話なんですが、どうしてそこに道路が必要なのかをよくよく考えて、必要であるけれども、採算が取れないというのなら、税金でやっちまえばいいです。大体、採算というのは随分おかしな話で、高速道路は本来無料であるはずなのだから、採算など取れるはずはないのです。現状で、東名や名神の渋滞にもまれる人が払ったお金で、道東自動車道を建設するというのは、詐欺のような話で、まるで理にかなっていません。いっそのこと、高速道路は全部タダにしてしまえばいいのです。せっかく作った公共の資本ですから、効率よく使うのが一番。自由に使ったらいいのです。
私は毎日の通勤で高速道路は使いませんが、阪神高速道路の高架の下をバイクで走ります。雨が降ったときなど、高速道路があるお陰で雨をしのげていいです。私にとってはとても有り難い高速道路ですが、やはり、車が通ってこそ。いくら雨宿りに役立つからといっても、わざわざそのために高速道路を造るわけにはいかない。道路を造らないと困る人が大勢で決起していたようですが、車が通ってこそ、と思っている人はいったいどれほど居たことか。
田中康夫さんが、長野県の知事に当選したニュースを読売オンラインで見て、私は、読売新聞なんて取ってはいけないタイプではないかと、つくづく思う。
べつにジャイアンツびいきじゃないし、長嶋茂雄をヒーローとも思っていない。渡辺ナントカいう、社長のような人が言うことは、たいていはカンに障る。
読売を購読している理由は、一つには、日経を除く各紙を取ってみて、読売が一番マシだったということ。それから生活欄が面白いということなのだ。どうも、ニュース関係の扱い方は、私に合わないと感じることが多い。
読売の記者はよほど田中知事が嫌いらしい。田中氏に対して、好意的な記事は全くなし。一方で、不信任した県議会側に対する批判もほとんどなし。混乱の原因は一方的に田中知事ということらしい。
選挙結果はご存じの通り、田中氏の圧勝。お互いに自分が正しい、あるいは、相手が間違っていると信じて対立し、その判定が選挙の結果で示された。投票したのは地元に住む人たちである。
不信任に関わった県議会議員の中には責任を取り辞任する人もいる。新聞記事は気楽である。選挙結果で間違いを指摘されても、責任を取る必要はない。負け惜しみのような記事を並べても、宅配制度の元ではそう簡単に売り上げが落ちることもない。
この選挙の投票率は7割を超えたという。近頃の知事選挙といえば、与野党相乗り候補 対 泡沫候補の対決で、有権者の関心は薄れるばかり。一票を使う先が見あたらない場合が多い。選択の余地のない選挙は、計画されたファシズムであり、民主主義は名ばかりだ。一票を行使することで自分の意思表示が出来た長野県民は幸せであり、それは田中知事の功績といえるのではないか。
かおなしは、嫌われ者である。かおが無いせいでしゃべれないし、表情も分からない。コミュニケーションを取れない。みんなの誤解を解きたいと思っても、自分を表現する手だてがない。
少々乱暴者で、周りのみんなは関わらない方が良いと思っている。
友達を作りたいのだが、誰も相手にしてくれない。
センは新入りで、そういう事情を知らなかったので、かおなしに優しい言葉を掛けた。かおなしは嬉しくて、センのために何でもしてあげようと思った。でも、かおなしの気持ちは一方的なもので、センはかおなしが差し出した砂金を要らないと断ってしまう。かおなしにとって、砂金は他人とコミュニケーションを取る唯一の手段だったのだ。センの気持ちをすこしだけ理解したかおなしはセンに付いて行き、自分を受け入れてくれる場所を見つける。
遅ればせながら、千と千尋の神隠しをビデオで見ました。二時間あまりの大作。密度の高い、すばらしい作品だったと思う。
感じ方は人それぞれでしょう。是非、見た方が良いと、人に勧めるようなことはしません。上に書いたことは、私が感じたことで、他の人は、別のストーリーとして感じるかもしれません。私にとって、このアニメは、センがかおなしといういじめられっ子を救う話があらすじの中心です。
話は、本当にどこにでもある、子供の夢のお話のようです。誰もが、同じような夢を、幼い頃に見ているのだと思う。お父さんがブタに変えられて、助けようと思ったのに、どのブタがお父さんなのか、分からなくなっちゃった。私も幼い頃に、そんな夢を見たような気がします。多くの大人は、夢を忘れ、それはハクが自分の名前を忘れてしまったように、夢の世界に戻れなくなるのだろうと思う。
見終わって、いいようのない懐かしさを感じた、そういう映画だと思いました。
同時に、宮崎駿さんが、どうしてこのような話を「覚えて」いたのか、とても不思議です。
出てくるキャラクターたちは、どれも不気味そのもの。近年の映画技術なら、実写版も可能でしょうが、アニメだからこそ、夢の世界を構築できる。受け入れられるのだと思う。表現の手段としてのアニメーションの可能性を見せつけられた気分です。
手抜きのない、妥協の少ない、すばらしい作品と思いました。
もう一度、じっくり見てみることにします
生まれ、育ちが北海道の私にとって、ゴキブリはいつまで経っても慣れない。同じく、驚いたのがムカデである。体長15センチくらい。初めて見たときには身の毛がよだった。
咬まれたなどという話も時々聞く。ゴキブリは不衛生なだけだが、ムカデは危ないのだ。見つけたら、とにかく戦うしかない。しかし、こいつの体は結構丈夫に出来ていて、相当手強い。逃げ足も早い。
先日、夜中に天井付近をムカデがはい回っているのに気が付き、およそ1時間ほど、丸めた新聞紙を武器に戦った。
ムカデは一撃では倒れない。落下して、隙間に逃げ込む。探索し、見つけ出し追撃しなくてはならない。緊張の1時間だった。結局、数回の打撃を受けた末、ムカデは床の上で絶命したのだが、私は戦慄の時間を過ごした。もちろん、私に意気地がないといえばその通りだろうが、ムカデは相手にとって全く不足はないのだ。
千と千尋で、竜がもがき苦しむシーンを見て、ムカデとの格闘を思い出した。それにしてもリアルである。すごいアニメーション、状況設定。
大暴れしているカオナシが、センに家族のことを言われてへこむシーンもすごかった。
キャラクター的には、ユバーバの家来みたいな三つ子の頭が面白いアイディアと思った。センに踏みつぶされてエンガチョ切られたムシも面白かった。
と保養所に泊まりに行って、久しぶりにカラオケをやった。
二年ぶりくらいかも。結婚する前はよく楽しんでいた。このごろは、家族でカラオケ、というケースが多い。
私はフルコーラス歌うのが面倒くさい。好きな歌の、好きな部分だけ歌いたい。大げさなオーケストラの伴奏も、うっとうしい。それがなければカラオケにならないといえば、その通りだが。
カラオケは偉大な発明だと思う。画面上の字幕を追っていくという、現在の方式を発明した人が特許を取っていれば、大もうけしたと思うが、どうなのだろう?
8トラックテープ(古いなぁ、私はほとんど縁がない)から、カセットテープ、そして、レーザーディスク、このごろは通信カラオケ、つまりはネットでつないで、サーバーの音楽情報を受けるということと思うが、さらには、採点したり、、、進歩はその辺で止まっている様であるが、
次世代のカラオケについて、一つ提案しておく。生バンド風カラオケである。
たとえば、ギター一本で、とか、ピアノ、あるいは、オーケストラ、コーラス付き、というように最初に選んで、後は、歌い手が歌うのに会わせて、伴奏なり、コーラスなりをつけてくれるやつ。ゆっくり歌いたい人には、ゆっくりと伴奏してくれる。ソフトウェアの問題と思うが、そういうカラオケが出来たら楽しいだろうと思う。
以前、結婚する以前、飲みに行くと二次会はカラオケ、ということが多かった。一月か二月に一度くらい、カラオケを楽しんでいたと思う。
他人が歌うカラオケで、覚えた歌がいくつかある。他人が歌う曲目まで口を出せないから、カラオケは普段聴かないような歌を聴くよいチャンスなのだ。
こども達とカラオケに行くと、アニメの主題歌やら童謡やら、であるが、我が子たちの歌う歌は、ほとんど親の知っている歌ばかりで、あまり新鮮味がない。今回は、友人の娘さんが、モーニング娘。のメドレーを歌った。小学校二年生。うちの長女にモーニング娘。は好きか?と尋ねたが、あまり興味がないようだった。そういうテレビ番組をほとんど見ないので、興味を持たないのは当然といえば当然。
モーニング娘。自体は、随分と人気があるし、歌も部分的には聞き覚えがある。
つんくという人が歌を作ってプロデュースしているらしい。
カラオケの場合、画面に歌詞が出る。ただ聴くだけなら気にも留めないような内容を、読みふけってしまう。これから書こうとしていることは、つんくの悪口である。要するに私はつんくという人を全く信用していないのだ。
メロディはともかく、歌詞は酷い。歌というのは本来、作る人の感情が発露したものだと思っている。特に、ブルーズの末裔であるロックは、まず歌詞ありき、と思っている私にとって、つんくの作るモーニング娘。の歌は、彼の商売道具としての存在価値しかない。どうせ誰も歌詞のことなど気にしない、メロディだって、どっかで聴いたことがあるようなもので十分。モー娘。の歌の歌詞に励まされたり、それを口ずさみながら生きてゆく人など居ない、と、なめきって、彼女たちのブームを続かせることだけを目的にしている、、、、、
様に思えて、嘆かわしく感じる私は、もう聞く耳を持たない頑固者なのだろう。
時代はつんくなのだから。
癒し系というのがよくわかんない。
もともとは音楽業界の言葉なのかな?癒し系女優というのも居るらしい。井川遥という人がそうだというのだけど、どんな人なのか、ぴんとこないな。
私は、癒されたいとは思わない。ひどく傷ついたり、落ち込んだりしたときは、癒し系の何かでどうにかしようなどとは思わないだろう。既成の癒し用品で間に合わせるなんて、まぁホンキでそんなこと思う人は居ないだろうが。
癒し系音楽というのは、商売としてはあると思う。自分で音楽を選べない人のために、どこかで聴いたことがあるような、耳あたりのいい音楽を、オムニバスで並べてCDを仕立てる。一人のアーチストが、60分間そればかりのアルバムを作っても、癒されるというよりは疲れるだろうから、あっちこっちから集めて、しかも、どこかで聴いたことがあるような、、、(これ重要かも)何かのついでにちらりと聴く分には良いかもしれないが、大体私はオムニバスアルバムは好きじゃない。自分で聴く音楽は自分で選びたいと思うから。癒し系ばかり、10曲も続けられるのはウンザリするだろう。あっちこっちからのつまみ食いっていうのも、いやな感じだし。
女優さんの方は、一種のシャレだと思う。もし、自分が女優なら(男だけれど、仮定の話)、癒し系などと本気で奉られた日には、かなわない。癒されたがっている人たちに、女優の私は、「ママのお膝で甘えてな!」とか、悪態を吐くことだろう。
大体、世の中何でもインスタントになって、情報の受け手が自分で物事を判断することを放棄し始めている。何によって癒されるかは、個人個人で、その時々で違う。既製品の癒し系が持てはやされるとしたら、自分の気持ちを癒してくれる何かを探す努力を放棄してしまっているか、あるいは、自分が今、癒しを必要としているのかどうか、その判断さえ曖昧になってきているという、ことなのかなぁ、、と、、、、
まぁまぁ、多分シャレなんだから、そう堅く考えなくてもいいんじゃない?ということか。
ダムにせよ、道路にせよ、お金がたくさん掛かるのだから、みんなの役に立つものを作ってほしい。社会資本として、あのとき借金してでも作っておいてよかったなぁ、と思えるようなものを作ってほしい。
計画を建てた以上、造ると約束した以上は、造る。というのは変な話だ。不純な動機があるのではないかと、出資者はいぶかっている。
他人様に預かったお金をばらまいて、自分の評判を上げようとする、気前のいい、不純な動機を持った人がいるらしい。
いまや、無茶苦茶で、動機が不純か、それとも高い志があるのか、何が何やらわかりにくい。
しかし、動機が如何に崇高であったとしても、大切なお金をたくさん使って、結果的に思ったほど役に立たなかった場合には、立案者なり、その計画を推し進めた人が、責任を取らねばならないと思う。その辺をうやむやにし続けたツケが、この期に及んで吹き出しているみたい。小泉さんナントカしてくれるだろうか?
そして、その責任の取り方は、道義的なもの、つまり、役職を辞するということで留まってはならず、つまりは失政の代償は、法的に裁かれるような仕組みにしないと駄目と思う。
諫早湾の馬鹿げた堤防や、、東京湾横断道路、瀬戸内海の橋とか、関西新空港とか、、、日露友好の家とか。景気対策につぎ込んだ莫大な借金とか、責任取ってほしいこと、いろいろあるねぇ、