見間違えることがたまにある。大切なものであれば、見間違えられないように配慮した方がいいだろう。というお話し。
たまたま通りかかった町、ということにしておくが、なにやら政治に熱心らしい。時季外れの政治家のポスターがそこかしこに、、、
犬好きな大阪のために頑張ります!
犬好きな大阪??
そうなのか?ネコじゃダメなのか?
意表をつくひとことに、よくよく見直してみると、大好き(画鋲の点)
そうか、大好きな大阪、、、そりゃそうだな。
ニュースの見出しに、放火の疑いも、山火事
イモ?妙なイモがあるのか?と思ったが、疑い、「も」あるってことだった。これは単純な私の早とちりだった。
出かけようと思ったところに雨が降り出し、電車で職場へ。
こういう日にはスポーツ新聞を買う。日刊スポーツの一面トップは、柔道選手が異種格闘技戦にデビューとの記事。
このごろ、異種格闘技が注目されている。この試合も国立競技場の特設リンクで行われる。ゴールデンアワーにテレビ中継されることもたびたび。そんなに好きな人がたくさん居るんだろうか?と、ちょっといぶかしく思う。芸能人をゲストに呼んだり、興行的な工夫を凝らしている。メディアの利用の仕方は上手だなと思う。先日ちらりと見た格闘技は、無敵のレスラー、カレリンに勝った男と、有名黒人選手の試合。有名黒人選手があっさりと勝ったが、カレリンに勝った男の方は、肥満した巨体を揺すりながら、鋭いキックになすすべがなかった。ヘビー級のキックボクシングにシロウトが出ている様な感じ。あの試合に感動して、格闘技ファンになる人はあまりいないだろう。
今の格闘技熱はメディア人気に支えられているという印象が強い。視聴率が取れている間は、メディア側にとっても金の卵であるから、一生懸命持ち上げる。それほど多くの格闘技ファンが居るとも思えないから、テレビ観戦するほとんどは、にわか格闘技ファンである。一般視聴者をにわかファンにするには、すごいカードを組んで宣伝する必要がある。すごいカードというのは必ずしもすばらしい試合ではなく、大きな看板を背負った選手が登場するということ。カレリンに勝った男、であったり、バルセロナオリンピック柔道チャンピオンであったり。すごいカードはメディアにより、衆目に晒される。真の人気は、結局は試合の質にかかっている。
試合の質は、素質のある選手を見つけ出し、いかに育てるかにかかっている。盛りを過ぎて柔道を引退した吉田選手が、格闘技選手として人気を博することが出来るかどうか分からない。プロレスにボクシングの緊迫感を持たせたところが、格闘技の魅力だろう。プロレスは多彩な技を掛け合って見せるショウである。ショウとしての側面に背を向けて、真剣勝負を強調することで、格闘技戦は人気を得てきたと思う。勝敗が大きな比重を占める分、新人選手を育てるのは難しいだろう。
真剣な勝負が売り物の格闘技戦を、芸能人が盛り上げるのに違和感を感じる。しかし、要は試合の質である。しかし、今の人気は試合の質云々を超えている。バブルはそのうちはじけるだろう。格闘技戦の真の商品価値はそのときに明らかになる。
吉田選手の健闘と、雨が降らないことを願っている。
私は滅多なことでは驚かない。
ファミレスで、二つ後ろの席で、ガラスが砕ける音がしても、気にも留めない。パチンコで、ひどく大げさなリーチが始まったところで、どうせハズレである。動物園から豹が逃げようが、ミスターマリックが100円玉を500円に変えようが、一流銀行がつぶれようが、松阪牛のパックの中に神戸牛が入っていようが、私は驚かない。世の中はそういうものだと思うだけである。
たとえ、夜遊びを咎められた高校生が、家族を皆殺しにしてでも、花火遊びをしたい、と思ったとしても、驚かない。まぁ、そういうことを考える人も世の中に居るに違いないと思うだけだ。思いついた友達にそそのかされたのか、友達をそそのかして巻き込んだのか、そこの所は分からないが、そういうことを誘われて、話に乗る友達付き合いにはちょっとだけ驚いた。しかし、世の中には、色々なことを考える人たちが居るのだということを知った今では、もう驚かないと思う。
道路の白線はやりすぎじゃないか。至る所に隙間無く、白い線を引くのはムダっていうもんだ。センターラインだって、車線を分ける線だって、線と隙間の間隔は、今の倍以上空けてもいいんじゃないだろうか?分離帯に縞々つけるのだって、もっと隙間を広く取ったって、何の問題もないだろうと思う。そうすれば、ペンキ代はかなり浮くだろうし、塗り直し工事の手間もすこしは省けて、渋滞も減るかも。
日本中の道路全体で、いったいどのくらいのペンキが使われ、費用がどのくらいかかって居るんだろう?非常に無駄に感じる今日この頃。
道路標識も、もっと整理した方がいいと思うね。私の住んでいるあたりは、かなり交通量の多い都会っぽいところだけれども、標識や路面のペイントは滅茶苦茶。道案内であったり、交通整理であることを考えたら、分かりやすく、整っている必要があると思うね。闇雲に線を引いたり、看板を並べたりするのはもう止めた方がいい。うならせるような美しい道路環境を切に希望。
とにかく、現状は無駄が多すぎるという印象。道路整備予算を無理矢理使い切るためにやっているってわけじゃ無いと思うけれども。
近頃、残虐な凶悪事件が、驚くほど安直な動機で行われる話をよく聞く。そんなことで殺される人は、本当に浮かばれないと、タメイキをつきたくなる。
塩釜港にコンクリの固まりを縛り付けられて、それでも浮かんでいた少女の場合はどうだろう?死体遺棄容疑で逮捕された男は、逮捕後に自供を覆したという。何を自供したかは知らないが、驚くほどの安直で阿呆な犯人であっても、被害者の携帯電話を使い続けたりするものだろうか?携帯電話以外に何か物証はあるのだろうか?
伝わってくるのは、警察の発表を新聞記者のフィルターに掛けた記事だけである。誤認逮捕じゃないのかという気がする。
引き続き、高校野球ネタである。
高校野球は、見ていてなかなか面白いのであるが、私は高野連は好きじゃない。正直な話、甲子園球場も好きじゃない。暑すぎ、屋根はないし、家の近所にあるのは有り難いが、高校生たちのことを考えると、気の毒である。
早く建て直すべきだと思うが、古いスタジアム、暑い中でやるのが高校野球と、私は思わないが、そういうところに高校野球の意義を求める人も居るだろうし、改善はかなり難しいだろう。
たとえば、三回戦を夕方に戦って、延長戦になったりして、準々決勝は翌朝、勝ち進めば4連戦。あの暑さの中で、高校生の体は壊れる。体に悪い。せめて3回戦以降は一日空けるべきだ。それが出来ないのは、大会自体に元々無理があるからなのだ。私は年に二回、やってくれるのはうれしいが、どちらか一方でいいと思う。夏でも春でも。
各県一代表というのも不可解だし、東京と北海道が二校というのもよく分からない。前年優勝校のシードとか、それくらいはあっていいような気がする。理不尽さに耐える高校生の姿を感動的と思う人も居るかもしれないが、私は改善してほしいと、ここで吠えておく。
高校野球の応援団はなかなかのものである。
各校の個性が出る。ブラスバンドを用いて応援というスタイルは、プロ野球にも受け継がれているし、日本のスポーツ観戦の一つの典型である。
最近は人文字を作る応援が増えているが、私は好きじゃない。
アレをやるには、かなりの人数に動員を掛けなければならない。多分全校応援だろう。あの暑い中、ぎっしりと並んで統一された行動を取るというのは、端で見てあまりいい気持ちがしない。宗教法人主宰の高校の応援がオリジナルだろうが、あんなことはまねない方がいい。
応援においてはブラスバンドが重要な位置を占める。ブラスバンドの指揮者はある意味応援そのものをドライブする立場なのである。音楽と応援のシンクロがうまくいっていると見ていて楽しいし、応援席も乗ってくる。
応援のマナーとしては、相手が攻めている間は大人しくしているべきである。スタンドから声をそろえて応援するというのは、ある意味、守備を歓声でじゃまするネガティブなものである。アメリカンフットボールでは、ホームチームの攻撃の時は極力静かに、敵が攻めているときはノイズを上げる、というのが常道である。集中して守っているときに、見方応援席からヤンヤとやられるのは、かえって逆効果と思う。
応援が終わったら、ゴミを片づけるのは、社会常識と思っていたが、高校野球ではそうではないらしい。応援団の皆さんは御一考を。
まず、山瀬功治選手に関して、ご存じない方のために、若干の紹介を加えさせていただく。
彼はJ1リーグ、札幌所属のサッカー選手で、背番号10番。札幌の大黒柱である。もうじき21歳になるが、21歳以下の日本代表候補に名を連ね、もうじき始まるアジア大会でも代表入りと、中心選手として活躍が期待されていた。
先日の試合中に、山瀬選手は膝の靱帯を傷めた。全治六ヶ月との診断であるが、全治という言葉が、サッカー選手のパフォーマンスの回復を表すものではないことを考えると、心が痛む。
彼はしばらくの間、表舞台から姿を隠すことになるが、その間、彼のことを忘れずにいてほしい。二年後のオリンピック、そして4年後、次のワールドカップで、彼は日本代表を牽引し、すばらしい活躍を見せるはずである。必ずそうなると信じて、私は見守る。じっと、彼の復帰を待つことにする。
野球の面白さは、特定のプロ野球チームのファンだった頃には分からなかった。応援しているチームが勝てば喜び、負けたらジダンダを踏む。たまに出るファインプレーに感心し、ホームランに見とれる、、、その程度だった気がする。
メジャーリーグの野球を初めて見たのは、ストライキ明けのアナハイムだった。遊びに来た親戚にねだられ、エンジェルス対アスレチックスの試合を見た。巨大な、しかし閑散としたスタジアムの3階席に座った。今にして思うと、当時のアスレチックスにはマーク・マクガイア(かのベーブルースのHR記録を破った男である)が居たはずだが、その試合に出ていたかどうかは覚えていない。前に座っているおじさんの日本の中学生のようなずり下がったリーバイスからはみ出た贅肉と、彼がむしゃむしゃと食べていた大きな落花生の袋が印象に残っている。試合は、エンジェルスが惨敗。ヒット二本くらいに押さえられたはずだ。しかし、おもしろかった。病み付きになるにはもう少し時間がかかったが。この年は、メジャーリーグがストライキを行い、そして二本からヒデオノモのチャレンジが始まったシーズンである。
その後、私たちはドジャーズの主催試合を何試合か観戦した。うっとうしい私設応援団が居ないスタジアムで私は野球に引き込まれた。野球は次に何が起こるか予想が難しい。一瞬たりとも目を離せない。野球観戦は私たちにとって、上等なご馳走のようなものだった。
西宮市には野球場が二つある。一つは西宮球場。これはもうじき取り壊されるらしい。もう一つは甲子園球場。これはもちろん、阪神タイガーズのホーム、高校野球が行われる。阪神の試合は見に行ったことがない。高校野球は何度か見に行った。
おもしろいのである。高校野球は冷静に見るといい。ストーリーが見える。
熱中する人たちの気持ちが分かる。高校生はへたである。一日中野球をやってそれで給料をもらっている人たちとは違う。簡単なことが思い通りに行かないのが高校野球である。その分いろいろなことが起こる。スコアボード、メンバー表を眺めながら、次のプレーを予想する。思いもせぬプレーに意表を突かれ、そして納得させられる。
高校野球は一瞬先の予想がつかない野球のエッセンスに満ちている。
牛肉偽装事件で、業界第一位の食肉加工会社が窮地に陥っている。
不正を働いたことは確かである。ごまかしてお金を受け取ろうとしたんだから、詐欺罪が成立する可能性があるだろうけれども。
だけれども、、、
なんだか、おかしいと感じる。これほどまでに、一企業が痛めつけられる。
私は、牛肉の産地を偽って、国の補助金のいくらかを不正に受け取ろうとしたことは、別段大騒ぎするほどの事件とは思わない。
不正を働いたいきさつは闇の中。毒の入っているものを、無毒と偽って出荷したというわけではない。
事件の背景を注視する必要があるのではないか?この会社が利益を出すために不正を厭わない経営をしていたのなら、叩かれてしかるべきだろう。しかし、そのようなことは私の生活にはほとんど関係のないことだ。
国が行ったBSE対策そのものが、胡散臭く、いい加減と感じている私にとって、今回の一件でそちらの検証がないがしろになることを恐れる。
食の安全という課題にとっては、食肉会社の詐欺事件より、政府のBSE対策が、はたして有効であるのかどうか、費やされた莫大な予算が本当に国民の食の安全を保つために有効であるのかどうか?そちらの方がはるかに重要な問題と感じている。
やはり、嘘をついている(臭い)のが、いけないのでしょうね。
参ったねぇ。
無茶苦茶だね、社長だか、専務だか、常務かなんか知らないけれど、その人も、大して悪いことと思わなかったんだろうねぇ。
参りました。危機感のなさという点では、私も全く恥じ入っています。
今後の教訓といたします。
それにしても、「自粛を指導」とか、「自粛解除」とか、それを「認めない」とか、なんか、滑稽。
あの、ナントカ大臣にでかい顔されて、もう死にたいね。あの大臣、まだ辞めてなかったんだ。元はといえば、あの人が無為無策で、、、とか言うと、さらに揉めるだろうから、言わない方がいいね。
参ったね、
でも、こんなことで、肉食わないとか言っていると、もう食えるものなくなっちゃうんじゃないかって、ちょっと心配だったから、、、、
タダでさえ景気悪いのに、、、関連企業とか、肉屋とか、泣いてるだろうね。
みんなが肉食わなくなったのは、ユキジルシがインチキしたり、ニチハムの常務だか、専務だか、営業部長だかが嘘たれたせいじゃなくて、BSE対策が後手に廻ったり、建部大臣がいい加減なこと言ったから、なんだと思うけれど、まぁ、こんなこと言うと、また揉めそうだから、言わない方がいいね。
旅行中、カーラジオで、長崎の原爆死没者追悼式典の中継を聴いた。
高校野球中継が中断して、中継が始まった。
長崎市長が、核兵器廃絶のために、世界に向けてアピールする。この式典の市長のスピーチが、どれほど広く世界に注目されるものなのか、私は知らない。日本の原子爆弾による被害は、世界に並ぶものがない。広島と長崎の市長は、この問題に関してある意味自由な発言を許される立場である。もちろんその責任は重大である。
長崎市長は、核兵器削減への取り組みを後退させていることに関して、アメリカ政府を厳しく非難した。非核三原則とやらをないがしろにする発言を公の席で行った日本政府高官に対しても、矛先を向けた。今回のようにスピーチの中で具体的に名指しをするのはかつて無いことだったらしい。アメリカ政府は不快感を表したらしいが、それだけこのスピーチが重要な意味を持つことを証明している。長崎市長は被爆都市の首長の特権を十分に使ったと言えるだろう。残念ながら、長崎市長はあまり上手な演説弁士とは言えない。慎重に言葉を選び練り上げられたスピーチを、慎重に読み上げる、致し方ないことなのかもしれない。
その後、日本の首相が、核兵器廃絶に向けて努力する旨、発言したが、具体的にナニをやるのか、つっこんだ発言は何もナシ。どうせ出来ないのなら、やる気がないのなら、何も言わない方が、、、と、つっこみを入れたくなる。なんかやるのかな?日本が世界に誇る非核三原則というのが、どう考えてもインチキ。よその国の核兵器のことをとやかく言う前に、自分の国のことをきちんとした方が良いのではないかと思う。
核兵器をこの世の中から無くしてほしい。
恐怖の平衡は何も生み出さない。使ったら最後、この世の中は崩壊するかもしれない。
無くしてほしいとは思うが、理不尽な隣国のミサイルの標的になっている我が国は、アメリカの核兵器に守ってもらっているという現実である。
日本とアメリカの同盟関係について、先日見たテレビで、筑紫哲也氏にインタビューをされた、石原都知事が言っていた。都知事のことは好かんが、安保条約にはアメリカが日本を守るとは一言も書いていない。適切な行動を取る、と書いてあるだけだと、、、
核兵器廃絶を叫ぶなら、自ら核の傘から出る勇気が必要だろう。無謀なのかもしれないが、それくらいしないと。今のままでは、いつの日か、核兵器廃絶の気運が国際的に高まったとき、日本が守旧派の抵抗勢力と思われてしまうだろう。
簡単なことではないけれども。決意を持ってやらなくてはならない、と私は思う。現状で、核兵器廃絶を叫ぶのは、二枚舌を使い分けている様に感じられる。
リンゴを買うために、八百屋に行ったとします。
リンゴを三つ買いたいのです。
幸運なことに八百屋ではリンゴの特売中。
おいしいふじリンゴ、5つで300円。こいつは安い!
でも、五つも要らないのです。どうしたらいいでしょう?
簡単です。易しい算数ですね。五つで300円ということは、一つ60円。
三つで180円です。
八百屋は売りたくて、私たちはリンゴを手に入れたいというのに、なぜか、5つまとめないと売ってくれないことが多いです。こんなに簡単な算数なのに、60円掛ける3個が180円にならないことが多いです。
どうしてでしょうね?妙なところに几帳面で融通が利かないのが、日本の社会の仕組みのようです。
アメリカのスーパーマーケットでは、三つほしければ三つ、安い値段で売ってくれるはずです。
帰ってきました。
子供たちは夏休み、しかし、私の夏休みは終わり。
明日から平常通り、、、になるのかしら?
ぼちぼちやりますので宜しく。
というわけで、のんびり更新です
私はハリウッドのUniversalStudioには二度ほど行ったことがあるが、大阪にできたUSJにはまだ行ったことがない。
ハリウッド映画が好きで、アトラクションを見て映画の一シーンが目に浮かぶ人には楽しいところだと思うが、私はあまりハリウッド映画は好きではないし、映画の一シーンが目に浮かぶようなことも、あまりない。入場料も多分、あまりお安くはないから、行っていない。行くとしたら家族全員でということになるし、楽ではないのだ。
最近、イロイロと叩かれている。突貫工事が災いした部分もあるのだろう。誠実さを欠く運営ぶりのような印象を受けた。何かトラブルがあったときにニュースのネタになるということは、まだいくらかの注目を集めているということだ。実際に従業員やお客さんへの健康被害は報告されていないようだし。
叩きまくって、USJが転けると、大阪の経済に与える影響はきわめて大きいと思われる。もう少し暖かい目で見てあげてもいいような気もする。
火薬の使用量が不正であった話。これがUSJにとって一番痛いだろう。呼び物のアトラクションを中止せざるを得ないのだから。夏休みでかき入れ時だというのに!
ずいぶんいろいろな規制があるのだなぁ、と、感心した次第。許可制なのか、その辺はよく分からないが。何しろ、きちんとお役所に申請したり、許可を求めたりしないと駄目なんだな。
私はUSJの経営がどうなろうと、そのために大阪の経済がどうなろうと、知ったことではないけれど、余波を受けて閉鎖されることになっている、宝塚ファミリーランドと、神戸ポートピアランド、そしてそれらを残念がっているこども達のことを考えると複雑な気持ち。
儲けようとした大人たちの下心に、こども達の楽しみは台無しにされている。といったら言い過ぎか。
新聞記事で、再来年から、現行の紙幣を新札に切り替えると知った。現行紙幣が登場して20年が経過したとのこと。
偽造対策、偽札の話は時々聞くが、そんなに深刻な事態なのかな?
関連需要が見込めることによる経済効果も期待しているとか。。。。
必要があるならやればいい。偽札対策は重要だが、あえて今、新札に切り替える必要があるのかどうか、十分な説明が必要と思う。
自販機とかATMの改造にまつわるコスト、つまり無駄なコストをかけることによる経済効果というのは馬鹿げている。経済効果というのは、ごく限られた産業にとってのみプラスで、それ以外のほとんどには、無駄な投資を強いることになるから、マイナスだと思う。不必要な公共事業で景気対策というのに似て、一般庶民にとっては紙幣切り替えによる様々な不都合を抱え込むことになる。
新500円玉が登場してずいぶん経つが、私は未だに不都合に感じることがある。
私にとっては迷惑な話。できることなら止めてほしい。
みなさん、自分で使うソフトや、仕事に使うソフトはお金を出して買いましょう。
パソコンを使うと、いろいろなものを簡単にコピーできます。買うのが面倒だったり、コピーの方が当然お金もあまりかからないので、お得なような気がします。ちょっと試してみるだけならイイかもしれないけれど、気に入って使うようになったら、お金を出して、正規ユーザーってやつになりましょう。
ソフトウエアを作っている人も、そういう気になるようなお値段にしてもらいたいものです。あくまで、商売抜きでパソコンをいじるものにとって、出せるお金には自ずと限界があります。10万円もするようなソフトは論外で、まともなソフトなら3万円以内、ユーティリティソフトなら一万円以内が私にとっての許容範囲です。(以内ですよ!}
ソフトのお値段について、もう少し具体的に考えてみます。たとえば二万円のソフトを買って、年に一度アップグレードがあるとします。アップグレード料金がその半額、一万円とすると、一万円の初期登録料に毎月830円の利用料ということになります。目的にもよるが、これくらいが適正な料金なのかもしれません。
実際、ソフトウエアのパッケージは、箱にCDロム、そしてマニュアル。材料費や加工費用は僅かなもので、主には開発経費、すなわち、知的所有権がコストの大半を占めると思います。メーカーはソフトのパッケージを売って、開発にかかるコストを賄おうとするわけで、販売している品物自体は、ほとんど製造コストのかからない、つまり、定価の実態を把握しにくいものだから、しばしば、いかにもどんぶり勘定的な価格設定を見かけます。
私は箱やCDロムを手に入れたくてお金を払うのではなく、そのソフトを使う権利、あるいは、ソフトを利用することで得られる結果に対して投資するわけです。ソフトウエアを作る側がどういう計算を根拠に値段を決めているのか分かりませんが、ソフトに払うお金というものは、次のアップグレードまでの期間、ソフトを使用する権利を得るための契約料と思っています。そう考えると、購入時点からアップグレードまでの期間が短い場合に生ずる購入者の不利益に対してメーカー側は当然保証するべきだと思う。利用料を支払った以上は、ある期間そのソフトの最新バージョンを利用する権利が生ずると思うからです。
また、購入方法によって支払金額に差がつくような価格設定は、メーカーの信用を著しく損なうと思う。
ヒマがあったら具体例を出そうと思うが、私はソフトウエアをお金を出して購入し、ずさんな販売戦略に直面したことが何度かあった。そうなると、お金を出すことがばかばかしくなり、こんなことならコピーで済ました方が、よほど気楽だと思和されるわけで、知的所有権に関しては、買う側より、まず売る側の意識改革が必要だと思っています。ユーザーとメーカーの信頼関係を築く必要があるでしょう。ネット時代に入って、お互いの情報交換の手段は完備されているのですから。
私は、98の頃からパソコンを使っている。初めて購入したパソコンはエプソンの98クローンだった。その頃はシステムディスクがパソコンについてこなくて、私はMS−DOSver2.1を誰かにコピーさせてもらった覚えがある。当時のパソコンには5インチのフロッピードライブが二台ついているのが普通で、コピーを取るにはとても都合良くできていた。一太郎ver3やロータス123なども、もちろんコピーさせてもらった。私がATOKを使うのはこのころ以来であるから、違法コピーもいくらか顧客を増やすのに役に立っているのである。
初めて買ったソフトはテクノメイトという多言語対応のワープロで、仕事で英文を打つ機会が多かったので、一太郎ではどうにもならなかったのだ。ワードスターや、ワードパーフェクトなどという有名なソフトはほとんど使わなかった。このころのワープロソフトの値段の相場は5〜6万円くらいだったと記憶している。
マックを使い始めた頃、漢字トーク6の時代だったが、マックはフロッピードライブが一台だけでコピーはなかなか面倒だった。使い始めた当初は、いくつかをコピーさせてもらった。初めて買ったソフトはハイパーカードだったが、使い方が余りよく分からなかった。その後、留学直前に、日本語ワープロを買っておこうと思い、マックライトIIというワープロソフトを買った。私が買ったのが最終ヴァージョンで、その後アップグレードなどは一切なかったはずである。
米国留学中にいくつかのソフトを購入した。マイクロソフトオフィスを買った。100ドルのキャッシュバックつき。450ドルくらいだったと思う。ワード5.1、エクセル4.0などがついていた。英語版であるが、このころマックのソフトは英語版を使うことが余り珍しいことではなかった。英文用のワープロも欲しかったので、買ったのだ。直後にオフィスはヴァージョンアップ。アップグレード料金は、キャッシュバックの二倍以上。マイクロソフトの金儲けの上手さを思い知ったのでありました。
週末の夜、あまりおもしろいテレビ番組がありません。土曜夜は、爆笑オンエアバトル(これも最近はかなりテンションが落ちている)までの時間をどうやって過ごすか。サッカー中継が終わって、(実際には子供を寝かしつける時間をとられるので、一試合通してみられることは希ですが)おおよそ3時間ほどの間、つまらない番組が多い。残念ながらスーパーサッカーはオンエアバトルの裏番組です。
女房が、お父さんの為のワイドショー講座(山瀬まみがやるやつ)をみます。お父さんのためと銘打った番組をお母さんが見ることでウケを取ろうとしているのではありません。一週間の下世話な出来事を放映時間を統計にしてじゅんに取り上げていくという趣向です。ブロードキャスターという、福留さんが司会をしている番組の一コーナーです。この番組自体は、いろいろな話題を紹介してくれる、なかなか得難い番組です。スタジオに並ぶコメンティターの皆さんのメンツが今ひとつという気はする。というか、私はこういう番組のコメンティターは少ないほどいいと思っている。まぁ、ニュースとワイドショウ、っりょうほうの要素を上手に折衷した番組だと思います。
もう、家元のことは、相手にしない方がいい、と、私は思う。この番組を見る人の7割くらいはそう思うに違いない。
ちょっと前フリが長くなってしまった。
先週は高速道路の収支の話が出ていて、高速道路の多くは赤字。一部の黒字路線の収入を赤字路線の維持や建設費に充てているという話し。まぁ、そんなもんだろうとは思うが、矛盾を感じる人も多いと思う。私は高速道路は直ちに全てタダにしたらいいと思っているのだが。
レポーターが北海道の高速道路を走って、どのくらいの対向車とすれ違うか調べたりしていた。昔住んでいたし、今でも年に一度は帰省しているから、大体の事情は想像がつく。調べた曜日や時間は分からないが、驚くにはあたらない。私も昔道央道を走っていて、今日は高速道路はお休みだろうか?と、不安に感じたことがある。料金所にはちゃんと係員がいて、少々落胆した。
まぁ、どう考えても余り役に立たない高速道路を造り続けていることは確かなのだ。根室に向かう道路など、何の役に立つのだろう?本州方面に向かうトラックはフェリーを使うだろうし、サッポロに出る人はJRを使う。飛行場もあるのだ。渋滞とは無縁。信号も滅多にないような国道がすでにある。沿線の人口はいったいどれくらい?旭川と札幌を結ぶ、北海道では一番の幹線道路でさえ、ほとんどいらないのだ。国道の拡幅工事の後、高速道路が出来て、拡幅した国道は、半分塞いでしまったのだから。北海道だけではない。日本中、代議士の数だけ高速道路が造られているのでは?と、私はいぶかってしまう。
この基本的な疑問に、江藤某議員が答える。江藤某議員は、ゴタクには2度目の登場。サッカー選手の髪の毛の色をとやかく言ったおじさんである。
彼は力説する。インタビューしたのが若い女性キャスターだったためか、おじさんは噛んで含めるように、蕩々と持論を述べる。力説している。作りかけたのだから、作らねばならない、とか、沿線住民の悲願だとか、採算など関係ないとか、(国は採算の取れないことはやってはいけないんですか?とかね)
こういうことを恥ずかしげも無く力説するこのおじさんはすごい。編集が上手なのか、それとも、レポーターが上手なのか。おじさんが阿呆なのか、立派なのか、、、
絶望的な気分と云うよりは、苦笑。こういう人を議員にするのは日本のどこの人々なのかと、思わずヤフーで検索すると、宮崎でした。比例区選出ではなく、選挙区のようです。
何かすごいなぁ、、イノセ氏があんまり好きじゃない私としては、どっちか、といわれると、この痛快なおじさんの方を応援してしまうかも。いや、おそれいりました。