留学中に米国の職場のボスから聞いた話である。
米国の職場には、日本でいうところの定年がないそうである。ボスは年輩の紳士で、そろそろ引退を考えていらっしゃるところであった。
つまり、米国の法律は、年齢、性別、人種、などで、職業に就く機会を差別することを禁じているというわけである。何歳になろうが、能力があって、本人に働く意志がある以上、年齢を理由に仕事を辞めさせることは差別に当たると判断されるのである。
差別という言葉は、かなり広い概念であり、普段何気なく受け入れていることが、よくよく考えると差別に当たるということに気づかされる。
日本でも、雇用3/4?機会均等法で、例えば、セールスレディ、とか、看護婦、の様に、性別を意識させるような言葉を使うことが禁じられたと聞いた。
で、、、、
涙は女の武器だ、、、
コメントを求められ、思わず口にでたんだろうと思う。答弁中に涙ぐむということ自体、どう対処したものか、当惑するだろう。思わず口に出てしまったこと自体は、(他に解決しなければならない問題が山積しているということを勘案すれば)些細なことである。
しかし、これは明らかに女性を差別した表現だと私は思う。男同士の世間話なら出るかもしれない。しかし、公職にあるものが、公衆に向かっていうべき言葉ではない。男らしく、とか、女々しいとかいう表現も、不可である。
失言である。失言を認めて、撤回すれば、それで済む程度のことである。女性蔑視である、と質されたのに対し、開き直ったそうである。
「女性の涙に太刀打ちできないということを率直に表現した。これを女性蔑視と言われたら男女同権も程遠い」
なのだそうである。本気でそう考えていらっしゃるのか知らないが、、、
加えて、マキコさん以外の4人の女性閣僚に、涙は女性の武器である、という、自らの持論を擁護する発言をさせたとのこと。
飛んでもない茶番。あきれてものが言えない。飲み屋のお得意さんをヨイショするホステスさんのような、、、なんぞというと、これも女性蔑視に当たるか。
まぁよい。このような馬鹿げた論議で、カイカクに水が差されないことを祈るばかりである。
それにしても、アホか、、、何やってんねん・・・・
ナミダは女の、、、、
「だって、本当のことでしょ?」
・・・・・・・・・・・・・・・・
私はオトコなので、何とも、でも、私はナミダが女の武器とは思わない。
何かに感動して、涙が出る事はある。私はそういうことではよく泣く方である。恥ずかしながら。
しかし、論議中、まぁ、ケンカの途中、でもいいが、泣かれると興が冷める。白けてしまう。真面目な話しをしているときに、泣くのは反則だ。オトコだろうがオンナだろうが、、、そんな私は、普通じゃないのかね?
まさか、オトコどもを黙らせようとして泣いたわけではあるまい。オトコだけを相手に泣いたわけでもないだろう。彼女は大臣、相手は国民。その半分はオトコだけれど、残りはオンナなのだし。
女性はああいう言い方をされて、腹を立てるのだろうか?
ナミダは女の武器などと、細やかな感情を持った女性を、揶揄するような、オッさんである。しかも、あの開き直り方は、モリを彷彿とさせる。
だって、本当のことでしょう?か、、、
世の中はすごいスピードで移り変わっていく、部分と、遅々として変わらない部分が混在している。
幸ぢるし(食品)の犯したあやまちに関しては、猛スピードで解明が進んでいるように思える。
どうも、シールをごまかして、売れ残りの肉をお役所に売りつけただけでなく、他にも、安物を高級とごまかして出荷するような、インチキを重ねていたらしい。
だいたい、このお肉は高級です、といわれて、ハァ、そうか、、、というしかない私たち。料理して不味ければ、それは焼き方がへただから。といわれると、そうかなぁとなる。
だいたいが、牛肉は高すぎると思うが、狂牛病騒ぎのあと、スーパーやデパートで、神戸牛半額セールとか、そういうことをやっていたのも、実はインチキ肉を売りさばいて居たのかと、からくりが見えたような気分。
多分、業界の常識、という、一般庶民には分からない何かがある。どうせ分からないと、高をくくられると、素人にはお手上げで、魚屋のように、もとの姿が見えるものはいいが、精肉済みでパックされているとどうにもならない。
もう、ラベルを信じるだけである。生産農家は多分、まじめにこつこつと牛を育てている。小売り段階も、客商売だからウソはつかないだろう。問題はその間の人たち。
騙されていることが幸せな場合もある。別に、笑って済むことなら、それでもいいかもしれない。これは素晴らしいお肉で作ったハンバーグです。といわれて、食べておいしければ、それが幸せなのだ。という、業界の論理は、余り品の良いジョークとは言えないし、もう、そのような要らぬお節介は通用しない世の中なのだ。遅々として変わらない、業界の意識とは裏腹に、消費者、一般庶民の知識や情報網は急速に拡大している。
まぁまぁ、では済まない時代なのだ。ましてや、今回は健康を直接左右する食品、そして、未知の病原体がらみ。消費者はお肉そのものよりも、生産農家から消費者に食品を送り届けてくれる人々の、善意にお金を払っているのだ。そこを取り違えて欲しくない。食品の品質とは、間に立つ人たちの質の高さが支えているということを再認識してほしいわけである。
で、もう一ついいたいことは、いくら何でも、解明が早すぎるんじゃないか?ということ。こんなに次々と新たな疑惑が出てくるっていうのは、おかしい。
こそこそと、一部で不正があったというより、それが日常業務として行われていたのではないかと、いぶかしく思うのである。これほど簡単に把握できるような不正をチェックできなかったというより、それが当然のことであったということではあるまいか?
これが、幸ぢるし、一社だけと、いうのも、全く説得力のないシチュエーションである。
私が利用しているプロバイダはリンククラブであるが、ここの良いところは、無料HP開設スペースが大きいことである。つまり、プロバイダが用意しているサーバーのHDから、100MB分を無料で使わせてくれるの。それはそれでかなりお得な感じがする。料金の方は、使い放題で月2000円ほど。ちょっと前の平均的お値段と思う。それ以外には、マッキントッシュユーザーが多く、サポートがしっかりしているというのがウリである。
料金については、これ以外に電話代(フレッツISDN)がかかる。従って、きょうびのADSL回線使用料金込みのプロバイダ料金に比べるとかなり高額ということになってしまう。
そのHP用のサーバーの調子が、このごろ悪い。しょっちゅう接続が切られ、意味不明のエラーアラートが出る。
思い通りにならない、とても時間の無駄。全くいらいらさせられる。何とかして欲しい。
私がリンククラブを使い続けている、ほとんど唯一の理由は、HP開設スペースの問題なのである。別にレンタルサーバーを借りた方が、安くてストレスも少ないだろう。
そろそろ潮時かもしれない。
毎日のように、深夜の国道を利用している。
もういい加減にして欲しいと思っていることを書く。
深夜の国道、バイパスは、本来快適に走れるはずである。
私の通る国道43号線も片側3車線、立派な道である。夜中は交通量も少な目。
しかしながら、何故か、夜中になると、信号にうまく引っかかるように、信号の時間配分が変えてある。アレは、全く馬鹿げている。 何でそんなことをするんだろう?
車の燃費は悪くなり、会社員は家に帰り着くのが遅くなる。ムダである。
もしかして、暴走対策か?きょうび暴走するヤツなど、そう滅多にいるものじゃない。
だいたい、暴走するようなヤツは、信号も守らない。
暴走行為によって、騒音をまき散らすことを考えると、信号待ちで暴走車両がのんきに止まっていることは決して沿線住民の為にならない。
まぁ、百歩譲って、暴走を防止したとして、あの意味無く長い赤信号は何なの?
交差する交通はほとんど車が通らない。にもかかわらず、延々と赤信号が続く。交通量によって、信号の時間を調節したらいいのだ。ちょっとセンサとプログラムを追加したら簡単なことだろう。
エネルギー節約のためにも、もう少し、合理的に運用して欲しい。
別に深夜に限ったことではない。
道路がわざわざ通行しにくいようにしているところが問題だ。
本来、走りやすい道ほど安全で、能率がいいはずだ。道路の機能は純粋に移動ばかりではなく、経済の効率を求められるのは当然のことだ。
馬鹿げた標識が並び、何が何だか分からない。安全であるはずがない。重要な標識が、くだらない標識の影になっていることは珍しいことではない。左に曲がるには、どの車線に入っていたらいいのか。黄色信号の後に、右折の矢印がでるのか、でないのか?時差式信号はどっちの向きにどういう時差がでるのか?なれている人には簡単でも、初めて通る人は多いに悩む。
とにかく、分かり易く、走りやすい道路にして、交通の所要時間を10%減らせば、燃費の節約、運転手の作業効率も上がる。事故も減る。ずらずらと並ぶ標識がきちんとした計画の基に設置されているとは到底思えない。
くだらない公共事業で、役に立たない高速道路を作るお金を、渋滞する交差点の改修に廻したらいい。主要な交差点は、幅を広げて、左折、直進、右折の車線を分ける必要がある。対面交通で、間合いを見計らって右折する、今のやり方は危険すぎる。
車線を分ければ、常時左折可、右折信号など、効率的で安全な道路交通となるはずだ。アメリカのマネであるけれど。
もう少しよく考えて、計画的に、地域の道路を整備する必要があると思う。
ちょいとペースが落ちています。
多忙につき、こんな調子がしばらく続くでしょう
またやっちまいましたな。
雪ぢるしですか。乳業じゃなくて、食品の方。
社長にとっては違う会社かもしれないが、新聞読む方にとっては、一緒だな。どっちも雪ぢるし。
やったこと自体は、商人魂、転んでもタダで起きない。
詐欺、確かに。悪いやつだ。食品会社の風上に置けない。言語道断。大臣さんもそう言ったらしい。
ぢるしが悪くない、とは、言わない。悪いことやった。これから捜査を受け、刑事上、社会上の制裁を受けるだろう。
さて、悪いやつをつかまえて、悪いというのは簡単だ。以前にどこかでそのことを書いたけど。
大臣さん。改めて悪いやつを罵倒する前に、ちょっとひねって、別なことを言った方がいい。この事件は、つまり、お国が考えて、莫大な予算を使っている、狂牛病対策そのものが、抜け道だらけでインチキがまかり通るということを証明したのだから。
つまり、犯人を断罪するのは、マスコミとか、警察に任せて、それより、自分たちの反省をした方がいいんじゃないか、っていうのが、私が大臣に言いたいことです。
人気の出たドラマはひとつの大きな資産であるというおはなし。
米国で生活していた頃、女房が英語の勉強になると、昼の時間帯のドラマを見始めた。
向こうのテレビ番組はクローズドキャプションという、字幕が付いているものが多く、本来は聴覚障害者向けと思うが、英語をうまく聞き取れない人にも大いに役に立つ。ビデオに録画し、キャプションを見て、時々辞書を引きながら、ドラマを追ううちに、女房はすっかりはまってしまった。
好いた、惚れた、系の、もっとどろどろした、いわゆる昼メロ。向こうでは、ソープオペラというそうである。スーパーのレジ横に、今週のソープオペラのあらすじ、のようなチャンネルガイド本を売っていたくらいだから、おそらく、多くの主婦がはまっているのだろう。
帰国の予定が迫り、ドラマを最後まで見られるか、心配になった女房が、友人のアメリカ人に尋ねた。
「はたして、あのドラマは私たちが帰国するまでに決着がつくのでしょうか?」
こたえはノウ。
人気のある連続ドラマは、終わらない。10年20年の単位で続くのだそうな。出演者の子供が成人して、また恋に落ちて、いがみ合って、、、と、果てしなく続く。
余り英語の勉強にはならなかったらしい。
アイ・ラブ・ユー、バット・・・・
ばかりで、、、、
大学を出てから、ロックミュージックに目覚めた。
きっかけはCDプレーヤーを買ったこと。ポータブルのやつで、当時5万円位したと思う。そのときに、4枚のCDをまとめて手に入れた。
グレングールドが演奏する、バッハのゴールドベルグ変奏曲
佐野元春、カフェボヘミア
そして、プリンス・アンド・ザ・レボルーションのパレード
もう一枚は思い出せない。
その前は、LP盤で、いくらかクラシックの名曲を持っていた。それ以外のソースは、主にFMラジオをエアチェックしたカセットテープである。
どれも気に入ったが、特に、パレードには衝撃を受けた。
以来、私はプリンスのファンになった。色々と情報を集めるうちに、ロック、中でもブルーズ系に興味を持つようになった。
プリンスのアルバムのライナーノーツの多くは、渋谷陽一氏が手がけている。彼の名前は、NHK−FMのDJとして知っていた。文庫本で彼の紹介する音楽を選びながら聴いたりした。
一人暮らしが始まり、経済的にかなり余裕が出来たこと。そしてCDが普及して、アルバム自体の扱いが気軽になったことも、私が音楽に親しむようになった大きな要因である。
仕事の帰りに輸入CDショップによって、CDを買い漁る。ライディングジャケットのポケットに入れて、バイクに乗って持って帰る。買ったCDは車に乗せて、ドライブ中や通勤中に聴く。LPの時代ではこうはいかないだろう。
古い音楽は、渋谷さんや、山川健一(作家)が教えてくれた。私の聴いた音楽の多くは、同時進行ではなく、既にある程度定評のあるものを、選んで聴いていくという形で広がっていった。
当時の私は、新しい音楽に飢えていた。
そんなときに、耳にして、印象に残ったのは、Dreams Come Trueと、ボガンボス、そして、岡村靖幸である。ドリカムは一枚目、二枚目はかなり気に入ったが、一般に流行りだしてから、面倒になってフォローするのを止めてしまった。岡村くんは、渡辺美里のヒット曲を何曲か作った人として有名なはずである。
ボガンボスのことを、引き続き書こうと思う。
まだ結婚するずっと前、夏のある日、今、女房になっている女性は、お盆の里帰りで不在。
一人になった私は日曜のひとときに、大阪ミナミを散策することにした。
最近の様子は知らないが、そのころのミナミ、三角公園付近は原宿のような雰囲気で、賑やかだった。
私は、古着屋でも眺めて、エスニックなお店でお香でも買おうとしていたのかもしれない。
三角公園のベンチに座っていると、二人連れの女性が、通りがかりに芸能人を見つけたらしく、カメラを持ってはしゃいでいた。二十歳か、それより少し若いくらい。独特な、おしゃれをしていた。
「誰か居たの?」当時の私は、大胆、かつ積極的だった。
彼女達が言うには、「ボガンボスのキョンがいた」と言うのである。
私はもちろん、ボナントカのキョンなど、知る由もない。もう一度尋ねる。
「ボガンボスというバンドのギタリスト、キョンだ」という。
ボガンボス、ボガンボス。。。。ゴバンボシ、、五番星
何とか覚えた。
彼女たちは、どこか、田舎の方から休みを利用して、大阪に遊びに来ていたらしい。ミナミのレコード屋で、さがしていたCDを見つけた。と、喜んで話してくれた。
そのCDが、これも、マニア以外はご存じないと思うが、Professor Longhairの「Rock'N' Roll Gumbo」というアルバムである。それ以外にも、彼女たちの口からは、Dr. Johnなどの名前がでてきた。
Professor Longhairや、Dr. Johnは、私なりの解釈では、一般庶民の嘆きの音楽であるブルーズが、ジャズとロックに枝分かれする境目辺りに位置する音楽である。
その二人と何となく話があって、大阪から神戸辺りをドライブにお連れした。そのころの私は、今では信じられないような、サービス精神というか、ボランティア精神旺盛だったのだ。
ドライブの最後に、箕面の新御堂筋突き当たりにあった、Augustという喫茶店に案内した。今はもう店じまいしているようだが、こぢんまりとしたいい店だった。一人はインテリアに興味があるらしく、Augustのトイレが痛く気に入っていた。
その後、多分ミナミまで車で送っていって別れたのだと思う。連絡先も何も聞かなかった。
しばらくして、職場の知り合いが、私に包みを渡してくれた。
中には、カセットテープと、ミナミを歩くキョンと、私の映った写真、そして簡単なお礼の言葉が入っていた。テープの中身は、Professor LonghairのCrawfish Fiestaである。
包みはAugust宛てに送られ、Augustに行った知り合いが私宛と気づいて、持ってきてくれたのである。彼女たちとは、その後、連絡を取り合うようなこともなかった。
偶然の出会いであったけれど、その後、私はProfessor Longhairを大変気に入り、そしてボ・ガンボスを聴くきっかけになったのである。
ボ・ガンボスのデビューアルバム(Bo & Gumbo)1989年
色々な意味で、新鮮なアルバムだった。自然とからだが動く、聴いて楽しい
これを聴いている時は余りブルーズなんてことは考えずに、ただ、楽しく聴いていた。
ライブにも出かけました。あぁ、このごろのコンサートのことをライブというのだ、、、とか、とりあえず、全員が立ち上がらなければならないんだ、とか、思ったのは、このとき。
評判が良かったデビュー盤に続く二枚目(Jungle Gumbo)は、ちょっと構えすぎの感じで、余り印象がない。持っては居るんだけど。今度、改めて聴き直してみよう。
そして、3作目が、Ultravelin' Elephant Gumbo(1992年)でありますが、私はこのアルバムを皆さんに推薦したいと思う。
一曲目、「ぶーやんだらけ」まるで、何かの啓示のように、ぶーやんになったら終わり〜〜〜と響き、絶体絶命!夜の〜〜〜ドライブしよぉゼッ、と、三曲目、
祭りの国に行きたくて川を下って探しに行く の〜んびり行こう小舟にゆられて いつか扉が開かれて流れ着くだろ さあ見せておくれよ向こうのありまさを...(ゆーらゆら、祭りの国へ)
・・・中略・・・
アンモナイト何もない。うちの赤ん坊はこの曲に合わせて踊る。
そして最後の曲、ポケットの中、は、プー太郎賛歌。
全11曲、揺るぎないシーケンス。圧巻であります。ぜひぜひ、お聞き下さい。
ボガンボスは、寡作である。約8年間で、アルバム11枚。うち、スタジオ録音のオリジナルアルバムは、多分4枚。後はカヴァーや、ライブ盤である。
Ultravelin' Elephant Gumboも、実質的にはオリジナルアルバムであるが、ライブ収録で、ところどころに歓声が聞こえる。
ライブバンドなのである。
そんなことはどうでも良い。
ボガンボスはもう過去のバンドなのだ。すでに、解散し、メンバーはそれぞれのソロ活動をしているらしい。そして、
ヴォーカルのどんとが一昨年、突然死去した。
私はそのことを全く知らなかった。ネットで知った。
手元にない残りのアルバムを、手に入れようと思う。
アンモナイトなんもない
おれは死んで 土の中へ
石になる日まで
いつか あえるさ 化石になって
今は なんもない
おれは アンモナイト
アンモナイト なんもない
さようなら、さようなら
さようなら アンモナイト
なんもない なんもない
アンモナイト なんもない
石になる日まで 石になる日まで
ころがって ころがって ころがって
海の底へ
化石になるまで さようなら
アンモナイト なんもない・・・・
日本テレビ系の番組の名前です。
金曜の夜遅くにやっている。藤原紀香さんを中心にして、今田コウジと松任谷正隆さんが、両脇を固める。
毎週話題のゲストミュージシャンを迎え、トーク、演奏。そして、新人っぽい歌手の楽曲紹介。
女房が好きで、毎週おおむね必ず見る。私は多分、二回に一回くらいは、その番組を放映しているテレビがおいてある部屋にいる。面白そうならそちらに興味を引きつけられるし、興味がないときは、他のことをやっている。
基本的にインタビュー番組は好きである。ゲストの意外な側面、個性を引き出すような、上手な聞き手がいれば。
なかなか力の入った、いい番組だと思う。松任谷さんと、今田君の掛け合いも、絶妙なバランスで、紀香さんが、上手にバランスを取っている感じ。
ただし、この番組の問題点は、、、
視聴率を気にしすぎるあまり(?)呼ばれるゲストがありきたりというか、詰まらない人がしばしば登場する。
今田コウジが若干仕切りすぎる嫌いあり。
再放送(総集編)をやりすぎ・・・・
で、昨日の放送分が、総集編だった。
以前のVTRの放送。内容はともかく、紀香がこのような大胆な発言を・・・云々ビデオが流れる。
画面の中に、大げさなキャプションと、囲み子画面で、モニタを見つめる紀香さんの表情が映し出される。はっきり言うが、子画面とキャプションはウザい。
すごいなぁと思うのは、モニタを見つめる彼女の視線の先には、自分の過去のVTR映像があって、その中に、過去の自分を見つめる今の自分の表情があるはずである。あぁ、今私が撮されている、と思いながら、(これは私のような素人なら、雑念となるはずであるが)何食わぬ顔で、モニタを見つめる。この自分が以前変なことを言ったりしたりした、再放送映像を見ながら、自分はどういう表情をしたらいいのだろう、、、というような迷いは、一切感じさせない。
女優だなぁ、プロだ、と思う。
この手のゲストを呼んでインタビューする番組は、誰を呼ぶかが全てである。いくらレギュラーの3人が頑張ったところで、詰まらないやつは詰まらない。そういう時は、今田コウジのしょうもないギャグも、有り難く感じられる。大抵はそれでも盛り上がらないけれど。
そういう時は、テレビを消すに限る。かなりの部分、紀香目当てで番組を見ている女房でも、たまに消してしまうことがあるのだ。
もう少し野心的に、ゲスト選びをしてもらいたいと思う。
ちょっと無理して、CD−RWとライティングソフト、Toastを手に入れました。
値段もずいぶんと安くなってきているようだし。書き込み24倍速、IEEEとUSBの接続。買ってみて気が付いたが、今のところ余り使い道がないんだよね、これが、、、、
ソフトの使い方がよく分からないし、かなり厄介な代物。とりあえず、音楽CDを何枚かコピーしてみたが、、、、一応出来た。結構速いし。とりあえず、車の中に積むCDをコピーしようかと思ってるけれど、、、
RWの方も使ってみようと思ったが、どうにも訳が分からない。
まぁ、そのうち役に立つでしょう。
半年待てば、ハードはさらに性能向上、そして安くなっているでしょう。
一年後にはソフトの方も、機能が付加されさらに使いやすくなっているに違いない。
パソコンの周辺機器はそういうものだから、仕方ないですけれど。。。。。
それにしても、、使えないなぁ・・・
だいたい、使っているヒマがないです
何となく、忙しい朝の時間帯、連ドラ、ほんまもん をチラリチラリと見ながら過ごしている。
もう少しさわやかなドラマをお願いしたい。
どろどろどろ、、すずちゃん恐い。復讐の鬼と化している。ひでぇなぁ、、、
と、思っていたら、今日になってすっかり仲直りしてる。あれれ?
あんまり熱心に見ているわけじゃないんだけれど、、、
昨日、息子が小さい方のカメラをコップのお茶に浸して遊んでいたそうな、、もちろん、カメラは動作不良。あの世往きである。今さら修理もなぁ、、、いっそデジカメを、なんぞとひとりごとをつぶやいてみたり、、、
同じく昨日、職場のデスクで、コーヒーをコップに半分ほどこぼしました。
机の上は余り被害はなかった、つまり、パソコンのキーボードが水没、、、
慌てて分解掃除と相成った。
まず、キーボードをひっくり返して、貯まった水分を排水する。それから、裏面のネジを3つ外すと簡単にケースを開けることが出来る。あとは、キーをひとつずつ外してから、水気を綿棒とちり紙でふき取っていく。キーを外すのはちょっとコツがいる。数も多いし、、、
いつか一度掃除したいと思っていたので、思わず徹底的にやってしまった。
結論からいくと、キーボードの中は、想像を絶する汚さである。ちょっと人には見せられない。埃と、髪の毛と、食べ物クズと、、それにコーヒーがかかって、実に掃除のし甲斐があった。
埃を除いたあと、キーをひとつずつ拭いて、手垢を取り、元通りに取り付ける。私は一応ブラインドでキーを打てるはずだが、いざ何もないキーボードにキーを取り付けようと思うと、かなり難儀した。
もう一つ、結論だが、アップルのキーボードは、水がかかっても大丈夫なように出来ている。だから、慌てて掃除することもなかったのだ。でも、これは分解してはじめてわかったのだが、、、
私はカバーの掛かったキーボードがきらいである。グニャグニャして打ちにくい。コーヒーをこぼしたときは、カバーを掛けておけば良かったかな、と思ったが、中の構造を確認して、やっぱりカバーは掛けなくていいのだと確信を持った次第。
水をか¢苦けたときの対処法として、ケーブルの出ているところに、基盤があるので、その反対側から排水する。むやみにキーボードをひっくり返そうとすると、大切な部分に水が廻る可能性があるから、ケーブル側を上にして排水、それから分解掃除、が、よろしいかと思う。
ちょいと忙しいので、なかなか進みません。
昨日、所用で梅田に出て、ヨドバシカメラ梅田店に寄った。
南エレベーター前に新iMac展示中、と貼り紙、、、南エレベーターって何処なんだ、いったい?
ありました。正面入り口入ってすぐ。アクリルのケースに収められ、何かのデモが動いているiMac。あたかも、一億円の金塊(古い・・・)ツチノコの脱皮した皮、いや、昭和高度経済成長時代の漬け物樽・・・何かいいたとえが見つからないが、、、
日本に4台しか入っていない、そのうちの一台とのこと。確かに白い魅力的なキーボードはアスキー配列だった。
かなりで¢苦かいことを覚悟していたが、その想像を超える大きさ。バスケットボールを半分に割ったくらいか?いや、サッカーボール?ウゥ〜ウン、でかい。かさばるなぁ、、、
というのは二番目の印象。まず目が行くところは、頑丈そうな首。自動的に首を振ったりはしないようです。手で動かすのか、、、、当たり前だな。アイボじゃあるまいし。
転ばないようにするには、ベースを重たくしなければならない。従って、電源ユニットも中に入れて、、、そんでもってまぁるく、、、となると、そりゃ大きくなるねぇ。
コネクションが後ろに並んでいるのもどうかなぁ、いくつかは前に付けた方が実用的な気がする。小さいことだけども。
人だかり、というほどでもなかった。それがパソコンだと気が付かずに通り過ぎる人がほとんどだろう。
どうしてもデスクトップが一台必要、となったら買うだろう。あのでかさを見ると、G4Cubeの偉大さが、理解できる。
あと直径、(願わくば半径)で1インチ小さければ、、、電源は机の下に置いて、不安定な分はクランプで固定するくらいは許されて良かったのではないか、、、アップルならではのデザインか、、、機能か、デザインか、どっちかを優先するべきだったような気がする。どちらにしても、もう少し小さくということで、、、
突然、腕時計のバネ棒が折れてしまった。使い始めて6年。時計店に行って、交換してもらった。105円ナリ。
6年前に買ったG−shockである。
以前に使っていたものは、セイコーのマラソンランナー用。中山竹通選手が使っているのを見て選んだ。防水、デジタル。ラップの記録やら、色々出来て、薄く軽かった。ボタンも押しやすい。もしあれば同じものをと、思ったが、結局見つからず。
カシオの時計など、大昔には見向きもされなかったのが、6年前に時計店でデジタル、防水で、腕時計を選ぼうとすると、カシオ以外にまともなものが無かった。G−shockはごつすぎる。気に入って使っているわけではない。他になかったから選んだ。買った以上は壊れるまで使うのだ。
意外に安くなおったので機嫌良く、ついでに店の中を眺めた。色々な時計が並んでいる。壁掛け時計や目覚まし時計に目が行った。
時計は大きすぎる。大きなゼンマイや歯車、振り子が必要だった時代ならいざ知らず。今や、時計の心臓部は電池と小さなムーブメントである。
大きな文字盤はこけおどしなのだ。うちにもいくつも時計がある。そのほとんどはいただきもの。
時計を贈るときは、どんなのが欲しいかリクエストを尋ねるか、出来るだけ小さいものを選ぼう。机の脇にちょこんと置いておけるような時計はなかなか役に立つ。
目覚まし時計も色々。しかし、こちらも大きなものばかり。文字盤は小さくて、周りが大きい。しむけんのバカ殿の時計とか、大きなキャラクタつき時計もらったら、困るだろうな¢苦ぁ。でも、どこの店にも置いてあるところを見ると、結構人気商品なのかもしれない。自分で買う人も居るんだろうか、、などと考えながら、店を出た。