宝の地図という言葉は今や死語で、一般には、「お宝」の地図というそうである。
それはちょっと違うんじゃないかと、私は思うが、ある世代より若い人は、この言葉に全く違和感を覚えないらしい。
思うに、宝に「お」をつけると、宝物をちょいとバカにしたような響きがある。そう感じるのは、私の勝手な先入観のせいかもしれないけれど。
まぁ、好きな人にとっては大変に価値がある宝物であるけれど、普遍的な価値ではない、そんな感じがする。
一般人にいわせると、「へぇ、こんなものが、そんなに大切なの???」というようなものが、お宝。
違うのかな?
とにかく、「お」を付ける必然性は全く感じない、「お宝の地図」、であります
多忙にかまけて、アンテナを伸ばすことを怠っている。
お金もないし、暇があったら、昼間はこどもの相手、夜は女房の相手か、HPに関わる作業。
新聞も斜め読み、ニュースもヘッドラインだけ見て、あとはうわのそら。
最近熱心に何かを見るといったら、サッカー場で試合を見るときくらいかもしれない。
これじゃあ、面白いネタなどあるはずもない。
もう少し余裕のある暮らしをしなくては、、、
少しでも生活を向上させなくては、、、
アンテナ伸ばすのも楽じゃないが、、、要は要領、時間の使い方なのだ。
若い頃はもう少し上手だったような気がするが、、、
ジョージが死んだので、久しぶりにアビィロードを聴いた。
洋式に慣れたので、和式の便器は使いにくい。
便座に腰を掛けて、大抵は個室においてある雑誌を眺めながら、そのときを待つ。ふつうはあっという間だが。
うちのアパートのトイレには、ウオシュレットがついている。生まれてこの方一度も使ったことがない。大体あんなもんできれいになるのだろうか?使い方もよく分からないし。そこら辺が水浸しになったりしないものなのか?
便座のヒーターも嫌いである。大体、あんなことのために貴重な電力を無駄に使う必要はない。座った瞬間は冷たくても、数秒待てば心地よい温度になるのだから。なま暖かい便座で汗ばむくらいなら、何もない方がよほどマシである。
しかし、なんと言っても嫌なのが、便座カバーである。よそのお宅で用を足すときに、カバーがついているととても緊張する。汚してしまったら大変である。
米国のアパートに、風呂やトイレがいくつもついているのが不思議だった。彼らにとってはトイレはパーソナルなもので、客間ごとにそれぞれトイレをつけるというのは、余り違和感はないらしい。
むしろ、便座カバーなどは、他人と下着を共有しているようで、受け入れがたいそうである。事実、向こうのスーパーマーケットなどでは便座カバーは手に入らない。
私もそういう意見には共感を覚える。ましてや、ヒーターの効いた便座にカバーを被せるなんて、もう、なにをかいわんや。
何のことか、ご存知だろうか?
米国のフリーウェイ、日本で言う所の、首都高速や、阪神高速のような所に乗ると、場所によっては、カープールレーンが設置してある。大抵は一番内側の車線。
3名以上乗車の車だけが走れるということなんだけど。
なかなか良いアイディアだと思う。元の道路が広くて、車線が充分にないと無理かもしれないが。
結構厳しく取り締まりをしていた。目の前で捕まった車もあった。
赤ん坊もひとりに数えてくれます。
どうも、自分で読んでみても訳が分からないので、書き直し。
米国のフリーウェイの一部に、カープールレーンというのが設置されているという話です。初めは何のことか分からなかったんだけれど、3名以上乗車の車だけが通れるというもので、他の車線が渋滞していても、そのレーンだけはスイスイと走れる。違反車両は結構厳しく取り締まっています。
相乗りを促進して、車の台数を減らそうという試みのようです。
ちょっと前に、有名な、大手銀行の多くが、赤字、それも莫大な赤字を出すことが報じられた。ちょっとショックだった。
「不良債権」の償却のため、莫大なお金が必要で、法定準備金という、虎の子まで使うことになるそうだ。難しいことは分からないが。
そもそも、ずいぶん前から不良債権の償却とか何とか言って、税金を使ったのは何だったのか?これで不良債権の抜本的な処理が進むとか言っていたはずだ。前倒しして実施とか言うと、なんだか聞こえはいいが、果たして本当に前倒しなのか?ずいぶん昔に積もった借金を今頃何とかしようとしているのでは無かろうか?
不良債権というのは、貸したはいいが、結局返ってこない、利息も払ってもらえないようなお金のことだろう。それを、今までは、そのうち返してもらう、としていたところを、もう見込みがないから、返してもらわないことにする、というのが不良債権の処理だとしたら、とても不思議である。
大きな会社がつぶれそうになったとき、再建計画のなかに、大抵は銀行の債務放棄がうたわれている。債務放棄ということは、不良債権の償却とは別なのか?それで再建できるならば、再建した暁に耳を揃えて返してもらえばいい。ということは、不良債権として処理される債権は、債権放棄よりもっと見込みがない債権ということになるのだろうか?
多くの銀行が、兆の単位で不良債権処理を行うらしい。今までに不良債権として処理された金額は、1992年度から2000年度までの合計で59兆円と、日経に書いてあった。国家予算規模のお金が闇に吸い込まれたということである。
今回の不良債権処理で、もうダメ企業の烙印を押された多くの会社がつぶれるのではないか?これは大変なことになった。
59兆円に加えて、今年以降に処理される金額、合計でどのくらいになるかは知らないが、そんなお金が銀行にある。
私たちは色々な理由で銀行にお金を預ける。彼らはそのお金を使って商売する訳である。高すぎる振り込み手数料、バカみたいな利息。
国家予算規模の不良債権を返し続けているのは、銀行ではなく、末端の我々なのだ。今や、銀行の口座にお金を置いておくほど馬鹿げたことはない。
今回のニュースを聞いたときに、驚いたのは、もしかしたら銀行がつぶれるのではないかと思ったからである。事実、いくつかの銀行はきわめて厳しい財務事情であるらしい。
近日中に、預金は全額保護されますとはいかなくなるとのこと。安い金利、高い手数料で、もはやお金を銀行に預ける人などいなくなるだろう。みんなタンスの引き出しにしまい込む。タンス預金は銀行より安全かもしれないが、それをやってしまうと、世間にお金が廻らなくなる。
これはやばい。
何か秘策はあるのかな?
朝から、この言葉があたまの中をぐるぐると廻っている。
奈良で起きた赤ん坊の死亡事故のことである。
テレビのニュースで見たのだと思う。夜のTBSか、朝のNHKかどちらかだろう。良く覚えていない。
ネットで、調べてみた。読売と朝日に記事が出ていた。毎日、日経、産経では見つからなかった。探し方が下手なのかもしれない。
両方の記事から、事実と思われる点を抜き出してみる。
生後7か月の乳児が死亡し、この子の父親である19歳の少年が奈良県警に逮捕された。赤ん坊は長男である。容疑は殺人。テレビニュースでは、未必の故意による殺人と言っていたと思う。
容疑者は妻(20歳)の実家に同居している。朝10時20分頃、外出中の妻に代わって赤ん坊の面倒を見ていたが、ミルクを与えても泣きやまなかったため、赤ん坊の顔に毛布(など)を被せた。しばらくして容疑者が赤ん坊がぐったりしているのに気がつき、同居の義理の妹が119番通報したが、赤ん坊は死亡した。
二つの記事を合わせて見て、はっきりしているのは以上であると思われる。
死因については、読売では何も書かれていない。朝日では、「窒息死とみられる」と、書いてあるが、検視の結果なのか、診察した医師の意見か、あるいは、警察、もしくは記者の推測なのか、不明である。
動機については、朝日では、長男が泣きやまないことに立腹、読売では、ミルクを与えるなどしても泣きやまないことに立腹、となっている。ともに、腹を立てて、子供用の布団や毛布、タオルケットをかぶせたまま放置(朝日、読売では、布団、毛布、タオルとなっている)したとのこと。
殺人罪が問われる理由について、読売には記載はなく、朝日では、「この状態で放置すると窒息死するのは明らかであるとして、殺人容疑を適用した」、とある。
重要な点、
読売:少年は「長男に虐待したことはなく、殺すつもりもなかった」などと供述している。
朝日:無職の父親(19)を殺人容疑で逮捕した。父親は容疑を認めているという。
---殺人容疑を認めている、つまり、殺意を認めたということなのだろうか?
これ以外にも、朝日の記述は父親の虐待を臭わせる記述がある。(私の偏見かもしれないが)「たびたび暴力をふるわれたため、最近離婚話を進めていたという。」暴力を、多分妻に対して振るって居たと言うことだと思う。
「ーーーーという。」という記述を、よく見かけるが、話の出所が不明で、新聞記事の書き方としては不適当だと思う。誰に対して、どのような取材をして、この「事実」が明らかになったのか、判断の基準を示す義務が、新聞にはあるのではないか?
警察が、死因を特定する前に、父親に殺人容疑を掛けたことも、私には疑問である。朝日の記事によると、
父親が長男の顔に布団、毛布、タオルケットをすっぽりと覆うようにかぶせており、この状態で放置すると窒息死するのは明らかであるとして、殺人容疑を適用した。
とあるが、本当の所はどうなのだろう?もちろん、父親の軽率な行為で赤ん坊が死亡したわけで、父親には大きな過失がある。罪は免れまい。しかしながら、殺人容疑となると、話は別だと思う。慎重な捜査が必要なのではないか?
父親にとって、機嫌の悪い乳児の面倒を見ることは苦痛である。
泣きやまない赤ん坊を説得し、納得させる有効な手段を父親は持ち合わせていない。実は、これは母親にとっても同じように苦痛なのだそうだ。
なんとしても泣きやまない赤ん坊を泣きやませる有効な手段を知っていたら教えて欲しい。この赤ん坊を泣きやませるためなら、何だってする、という気分になることは、誰にでもあることだろうし、一度や二度でないと思う。育児を経験して、この感覚が分からないと言う人は、とても運のいい人だと思う。
もう少し、慎重な捜査、取材で、記事を書いて欲しい気がする。
特に、朝日新聞の記事には、19歳無職(失業中)少年の、犯罪ということで、記者のおかしな先入観を感じざるを得ない。
ワールドカップ会場となる、神戸ウィングスタジアムに行って来ました。
神戸には、ちょっと山の奥にユニバー記念競技場という、大きなスタジアムがあるにもかかわらず、わざわざもう一つ、新設した、その意図が、ちょっと見えたような気がしました。
神戸市に、ワールドカップ会場を誘致するのに、ユニバー記念競技場では、役不足であったのか、その辺はよく分かりません。
ウィングスタジアムの大きな特徴は、とにかく、サッカー専用ということです。今年見に行ったその他のワールドカップ会場、つまり、サッポロドーム(野球場兼用)、長居スタジアム(陸上競技場兼用)に比べると、驚くほどこぢんまりした印象でした。四角いフィールドがあって、客席があって、それ以外のものは必要最小限といった感じ。長居も、サッポロドームも、入り口から半周歩いて客席に入ったのですが、かなり疲れました。神戸ウィングは、端から端まであっという間です。岡野なら数秒で駆け抜けるのです。
ワールドカップ誘致に、サッカー専用という看板が有利だったのかもしれません。せっかくサッカーチームがあるのだから、市民がもっとサッカーに興味を持つように、交通の便が良いところに新しい専用スタジアムを建設するというのは、それなりに有意義でしょう。建設費、維持費、等々の負担を考えると、3万人程度の、小振りのスタジアムに、仮設スタンドで4万人以上という、ワールドカップ会場の条件をクリアするという手法は、実に合理的に思えます。ワールドカップ後は、仮設部分を取り壊して屋根を付けると、多目的アリーナに変身。そのときに、神戸元町から地下鉄で10分程度という立地の良さは、大きなアドバンテージとなります。
神戸市株式会社と、良く揶揄される、商売上手な自治体ですが、このスタジアムも見事な構成だと思います。ただし、周辺の再開発は、必須の条件になると思いますが。
実際のサッカー観戦に関する感想は、近々、観戦記としてアップするつもりです。
熱烈なコンサドーレファンの娘たちの父親として、ひとこと。
岡田監督が辞任の意向とのこと。日刊スポーツによると、クラブ運営の地盤を固める自分の役割を果たしたから、とか、、、来年は休養に当てるとのこと。チーム経営側との感情的な行き違いが原因でないことを祈るばかりである。
岡田さんが本当にクラブ運営の地盤が固まったと思ってらっしゃるかどうか、新聞の記事だけでは分からないが、私はとうていそうは思えない。今年も結局の所、レンタル選手で、なんとか乗り切ったというのが私の印象であるし、後半は、選手層の薄さが露呈しているように思える。昨年の得点王、エメルソンにしても、今年の得点王候補、ウィルにしても、どちらも借り物で、そのときのしのぎにはなったが、チームの財産とはなっていない。チームの中心選手が借り物で、毎年入れ替わるようでは、チームの何を愛していけばいいのか、サッポロというチームはいったい何なのか?私のような温いサポーターには、チームのアイデンティティを見い出すのは難しい。
岡田さんは良い選手を見つけ出し、チーム内でそれを生かしていくことに関して素晴らしい手腕であると思う。しかし、今シーズンは見て面白いゲームがあまり無かった。その辺で私の評価は別れるのだけれど、チームの力を考え、J1に残留を目標とした場合には、そうなるのもやむを得ないのは理解できる。
しかし、チームが負けても、選手が総入れ替えになっても、それでもサッポロ以外は考えられない、というサポーターばかりではない。チームを大きくしていくためには、むしろ、公平な目で見ているサッカーファンに、サッポロのサッカーはなんて面白いんだ、と、思わせなければならない。そうなって、はじめてサッカークラブとしてのサッポロの基盤が固まったと言えるのではないか?
今年のウィルの活躍は、マスコミへの露出の高さも含めて、サッポロのサッカーを一般のファンにアピールするのに充分であった。そして、彼は喜びとともに、いつもサッポロを愛しているとアピールしてくれた。素晴らしいと思う。にもかかわらず、サッポロは、来期彼を手許に残すことが出来そうにない状況である。巨大な損失である。もういい加減にせい!と言いたい。
みんな貧乏が悪いのか?
はした金とは言わないが、お金で解決がつく問題ではないのか?
つづく
貧乏というのは、要は累積債務、つまり、つもり積もった借金の話である。
それは、しらん。金利の支払いだけでも大変だろう、、同情はする。
いくらかかるんだ?と、いうことで、北海道フットボールクラブのHP、、決算報告があった、、おぃ、PDFくらい作っておけよ、と思いながら、プリンと。こういう物の見方はよく分からないが、、、、
あぁ、よく分からない。
一試合、2万人、入場料2千円、15試合を掛けると、6億円である。延べで、30万人。この30万人に、スタジアムで2000円余分にお金を落としてもらう工夫をするべきだ。グッズ販売など、
Tシャツ一枚3000円、バッジ一個1000円、タオル2500円、帽子2800円、サインボール4000円、いくらでも考えればあるじゃないか。
こどもをエサに、じいちゃん、ばあちゃんを引っ張り出せば、孫にねだられていくらでも金を出してくれる。こどもはどんどん汚すし、背が伸びれば買い直さなくてはならないし、こども相手の商売は金になるぞ。
米大リーグの健全な経営は、入場料、テレビ放映権料、グッズ販売収益が1:1:1なのだそうである。見習って欲しい。
グッズ販売は、スタジアムに足を運べない、圧倒的多数の北海道民、潜在的サポーターからお金を集める最良の手段だと思う。サッポロの収入になるのであれば、多少お値段が高くても、みんな迷わず買うだろう。
まだまだ色々とアイディアはある。商売せよ。
無償の寄付を集めるなんて、小学校の子供会活動じゃあるまいし、みっともないから止めてほしい。仮にもプロ、プレーを見せてナンボじゃないか。
ねっとぼ金、、、あんな所に名前出して、仮にもプロのサッカーチームが、、、
ちょっと、違うんじゃないか?という気がするが、、、、
とにかく、もちょっとしっかりして欲しいよ
地球環境保全を真剣に考えねばならぬ。そのような発想は、何となくマッチポンプ的で、いかがわしい気がしないでもない我が国である。
日本人は贅沢だ。これはホント。つまんないところが贅沢で、肝心なところに手を抜く。まぁ、これはどこにプライオリティを置くかの問題だけど。
米国で、ノートやレポート用紙の紙の質が悪いので驚いた。
まぁ、酷いですな。へろへろのノート。濡れると罫線が消えるし、、、
あっちは三つ孔のファイルが一般的。日本じゃA4サイズだと、孔が30個もある。いくら何でも、30個あな開ける必要があるのか?
あっちの3つ孔のファイルも、紙の質が悪いから、簡単に取れちゃってファイルはバラバラ。日本のノートは、なんて贅沢なんだろうと思った。
雑誌の紙も日本の方が20倍くらいいいね。ただし、雑誌にそんな立派な紙を使う必要があるかというと、これは米国の方に軍配が上がるかも。
ファイルの方は、米国の紙の質で、孔を10個くらいに増やすと丁度いいかもしれない。
米国の紙の質が悪いのは、再生紙を使っているから。製紙会社の人に聞いた話では、日本では再生紙にふつうの紙と同じくらいの質を要求するので、結局はコストが高くついてしまうそうです。どうせ再生紙なんだから、ちょっとくらいよれよれでもいいじゃないか、というわけに行かない。
再生紙を使うことは社会的な正義でありましょうから、多少よれよれでも、誇りを持って再生紙を使おう。小学校のノートなんか、あんな立派なの使う必要は無いね。こどもの頃からそういうことに慣れさせていかなくっちゃ。
話は関係ない方に飛ぶけど、義務教育の教科書も、使い廻しさせるといい。タダで配る必要は無い。欲しい人にはお金を出させて、買ってもらえばいいと思う。
人と話をするときに、だからぁ〜、、で始まる友人は、いいやつだったけど、会話の度に気分が滅入った。
だからぁ〜〜、って言われると、なんだか自分がとても物わかりの悪い唐変木と思われているような気分になった。
織田ユージに、テレビ越しにそれを言われるのは別に構わない。
なんのCMだか、忘れたが、それが視聴者に受けると思っているプロデューサのセンスは、私には理解しかねる。
なんのCMだっけ?
あなたがバスケットボールチームワシントンウィザーズの監督だったらどうするか考えて欲しい。
第4クォーター残り25秒、一度は同点に追いついたものの、詰まらないミスからダンクを許し、再びターンオーバーからスリーポイントを決められ、5点差がついたところで、こちらのボール。タイムアウトを取った。
どういう作戦を授けるだろうか?
私なら、マイケルをおとりにして、スリーポイントを撃つと見せかけて、インサイドにパス、二点シュートを狙わせるだろう。向こうがファールしてくれれば、しめたもの。バスケットカウント、プラスワンスローで三点いただき、ならベスト。
時間がないし、とにかくスリーポイントを狙わせるという作戦はいただけない。スリーポイントが入ったところで、追いつかないし、向こうもスリーポイントシュートを警戒して、厳しくマークに来るだろう。ロングシュートが入る確率は低い。外して向こうのボールになれば、追いつくのはきわめてむつかしくなる。ここは確実に、時間を余り掛けずにまずは二点取るのが正解と思われる。3点差になれば、次は一か八かでスリーポイントを狙う手もある。
いきなり大量得点より、相手にプレッシャーがかかる点差まで確実なプレーで縮めることが重要だと思う。
昨日みた試合の、仙台の作戦が多分これだったと思う。自力で決めるには、京都に3点以上の差をつけなくてはならない。初めから全開で行くかと思ったが、そうではなかった。決してさぼっていたとは思わないが、先制点を許さないような最新の注意で試合を運んでいた。そして、土壇場で決勝点を取って最小得点差で逃げ切り。
一方の山形は、気合いが空回り、、、監督の意図に反して、選手達がテンションを高めすぎ、結局攻めまくりながら得点を奪えず、延長へ。2位の座は手からするりと抜け落ちた。
よもやの大逆転である。無謀なチャレンジをせずに、相手にプレッシャーを掛けることに徹した、清水氏の采配が上回った結果では無かろうか?
京都vs仙台を見てきました。
バックスタンドの4割と、メインスタンドの一部、ゴール裏の半分ほどを埋めた仙台サポの中で、、、詳しくは観戦記を書くつもりなのでお楽しみに。
今日の試合のMVPは岩本。素晴らしい活躍だった。決勝点を入れた財前、得点王のマルコスなどよりはるかに、責任溢れるプレーぶり。感銘を受けた。
あとは、京都のDF辻本。完璧だった。
とにかく、、見ていて疲れる試合。まぁ、詳しくは、観戦記で。
アンが引っ込んだ時点で、京都は勝つ気がないようには見えたのだけれど、、、2点以上、取らせる気は無かったようです。山形が、自力で昇格を決めるなら邪魔はしないよ、というふうに、みえました。
月に一度くらい、場末の郵便局が強盗に襲われるご時世である。
警備が手薄なのは当然だから、そんなところに大金を置いておくのが問題だ。本当は強盗に入るやつがいるのが悪いんだけれど、もうそんなことは言っていられない。治安の悪化と言うべきか、お金が欲しい人も積極的で、勇敢になったと言うべきか、、、、
ともあれ、そういう状況なのだから、やっぱり無意味に大金を積んでおかない方がいいでしょう。
キャッシュレスを推進しようにも、我が国じゃ限界があるね。
米国での話。小さな町の中央郵便局に切手を買いにいった。朝、仕事場に行く前に寄ったのだけど、5ドル札で、釣り銭がないという。お昼前に来てくれれば、そのころにはあるはずだと、、、
小切手での買い物が一般的な国であるからだろうか?ここまで徹底するのもどうかとは思うが、それが当たり前の国もあるってことで。
結局、切手は自販機で購入したのでした。
Jリーグ二部のチーム名を全てご存知の方は余りいないと思うが、サガン鳥栖(佐賀県)と水戸ホーリーホック(茨城県)の二チームが経営難で、Jリーグ側より、経営改善策の提示を求められた。つまり、来期に向けて経営改善策が充分でない場合、リーグからの退会を求められる可能性があり、チーム消滅の危機というわけである。(読売OnLineより)
両チームとも、今期は成績不振。観客動員もきわめて不振である。
昨年、甲府が同じような危機に瀕していた。
甲府の場合、株主である山梨県が、チームを存続させるか否か、HPで意見を募集した。甲府存続のための署名活動のようなことも行われた。結局、ホームゲームで平均観客動員3千名以上であれば、という条件が提示され、今期、甲府はその条件をクリアした。選手の大幅な入れ替え(つまり、給料の安い選手を集める)など、黒字経営となったと聞く。
昨シーズン終了後、ネット上で甲府存続運動がかなり賑やかに行われたが、実は、わたしはこれに関して何もしなかった。今は甲府サポと、自分では思っている。今、同じことが起きても、やはり何もしないだろう。わたしに出来ることは、甲府戦の中継をテレビで見て、甲府が近くで試合をするときには、家族を連れて、友人を誘って観戦に行くことだけだと思っている。
問題は、チームを運営していく上で、収入が少ないことである。赤字が出る。埋め合わせなくてはならない。スポンサーが付けばいいが、自治体の支援は別として、スポンサーは営利企業であるから、支出した分の見返りがなければ援助は望めない。見返りは、何も経済的な効果だけでなくていい。
自治体のケースでは、お金は住民が納める税金であるから、住民がその支出を良しとしなければ支援は成り立たない。住民の意思は、ひとつは選挙で表明されるわけであるが、選挙戦中の貴重な時間を、皆が余り興味を持っていないサッカーチームについての論議で割けるはずがなく、結局、地元開催試合の観客動員が一番の目安となる。山梨県民がどうでもいいと思っているサッカーチームに、県が山梨県民から集めたお金を払うか、どうしようか?と言っているときに、全くの部外者のわたしが、どうして、「頼むから税金を今の倍額都合して欲しい」などと言えようか?仮にそのときの経営がそれで何とかなったとしても、翌年、当然赤字が出るわけで、県民、市民のチームに対する支持(つまりは観客動員)が解決しない限り、単なる問題解決の先送りであり、その間に浪費される税金を考えると、ごく一部の人が支持しているサッカーチームを存続させることは、決して県民の為にならないという結論は自ずと出る。
というわけで、部外者、少なくとも、やまなし県知事選挙に投票権を持たず、山梨県の税金も払っていない私に、チーム存続についてとやかく言う資格は無いと考えた。今でもそう思っている。
今はネットと言う便利なものがある。クリックひとつでよそ様のHPに行って、勝手な意見を自由に書き込むことが出来る。しかしそれがネットの限界であって、いくら同情的な意見が世界中から集まったところで、このケースは何も解決しない。とにかく、地元に住む無関心な人たちに、サッカーの面白さを伝え、スタジアムに足を運んでもらわなくてはならないのである。
結果的に、もちろん地元の様子は知らないのであるけど、甲府のことが話題になり、観客は増えた。そして、チームの存続が決まったのだから、そのような署名活動は決して無駄ではなかったのだろう。
プロスポーツチームを持つ町は特別なのである。プロスポーツ観戦はワクワクするのだ。胸が高まるのだ。一度失うと、おそらくもう戻ってこないだろう。その幸せなひとときを満喫しようではないか。
弱いチーム見ても仕方がないという考えを持つ人はもう既に産業スポーツに毒されている。プロスポーツは産業ではなく、文化、生活の一部なのだ。今日は疲れた。一生懸命仕事をした。ご褒美はサッカー観戦だ。ということが出来る幸せを噛み締めて欲しい。勝負事だからどちらかは負ける。大体は弱い方。給料の少ない方が負けるのだ。
その背景のドラマを読みとる眼を磨こう。磨かれた眼を持ったファンの多いチームが、そのうちに強くなっていくのだから。
アメリカ人は休日を家族のために過ごす。例えば、クリスマスは一般には祭日でお休みであるが、自宅でプレゼントを開いたり、ご馳走やケーキを食べたりして過ごす訳である。
日曜日もご多分に漏れず、家族と過ごす、日本では家族サービスというけれど、そういう日と位置づけられている。
しかし、おとうさん達は,NFL、つまりプロフットボール中継を見たい。試合は原則的に日曜昼間の開催である。米国は時差があるから、西海岸に住んでいると、日曜の朝から、夕方まで、フットボールの中継が続く。
気になる。見たい。見たい、見たい、、、
しかし、それをやると女房が不機嫌になる。父ちゃんをいかにしてテレビの前から立ち上がらせるかは、女房の腕の見せ所である。
家族円満のためを思うと、フットボールは諦めて、女房と子供を連れて出かけなくてはならぬ。父ちゃんの辛いところである。米国のご婦人がフットボールを好きになれないのはこのような訳がある。
マンデーナイトゲームは、そんなおとうさんとおかあさん達の為にある。一試合だけ、月曜の夜に開催するわけである。月曜の晩なら、テレビの前でゆっくり試合を見ることが出来る。一応、注目のカードが用意されているらしい。
フットボールの放映権はAFC、NFC、それぞれのカンファレンスと、マンデーナイトゲームで、3つのテレビ局に振り分けられる。つまり、主催者側にとってもおいしい話し。ファンにとっても有り難い話し、家族円満の一石三鳥というわけである。
TBSがJリーグの放映権を手に入れて、土曜・日曜二日に分けて開催することを希望しているという。J1の8試合のうち、2試合程度を日曜日に振り分ける意向とのこと。
わたしは賛成。
あくまで、テレビ観戦するファンと、スタジアムに出かけるファン両方の便宜を図って欲しいとは思うが。よもや、日曜の夜にサッカー中継を計画しているとは思えないから、日曜の試合は昼間だろう。それならば、近場のファンは観戦に差し支えない。昼間の試合が増えると、子供も行きやすくなる。Jリーグは少年・少女ファンの発掘にもっと熱心になるべきだ。試合日程を振り分けることで、近いスタジアムのはしごも可能になるだろう。遠征してくる熱心なサポーターには、日曜日開催は辛いかもしれないが、全ての試合を日曜日にするわけではない。
テレビ中継の視聴率が上がれば、注目度も増して、スポンサーの獲得にも有利に働くだろう。アイディアは悪くない。あとは、上手にやって欲しい。途中で投げ出さず、日曜の昼間はTBSでサッカーという、イメージを上手に育てていって欲しい。この企画がうまくいって、ファンにもチームにも大きな利益がもたらされることを期待している。
結婚するまで、結婚指輪と、婚約指輪の区別が今ひとつはっきりしていなかった。豪華で、婚約した芸能人などが、チラリと見せる、女性の方がしているのが婚約指輪。夫婦そろい出、地味目のやつが結婚指輪である。
結婚したら、指輪をするのが楽しみだった。結婚指輪はプラチナで、少し模様が入っている。内側に、結婚の日付と名前が彫り込んである。実際、結婚して10年近くなるが、ほとんど外さずに過ごしている。
結婚式は神式でやった。深い理由はなく、披露宴をやったホテルの中に神式の結婚式場があったからである。チャペルもあったのだが、一生に多分一度の結婚式を、キリスト教の流儀でやることにちょっと抵抗があったのと、女房の父がリラックス出来ないのではないかと思い、実際は余り深くは考えずに神式でやった。物心着いてから、神式の結婚式に出るのは初めてである。しかも、今回は自分たちが主役。
式の前に神主さんから、ちょっとしたアドバイスを受けて、式に臨んだ。余りよく覚えていない。書棚の奥に眠っているビデオでも見れば思い出すだろうが、私は見たくない。
良く意味の分からない誓いの言葉を二人で声を合わせて読み上げ、指輪の交換と相成った。
まず、新郎(私だ)が新婦の指に指輪を入れる。(指輪は「入れる」でいいのかな?)ほい!っとやると、何故かゆるゆるである。ちょっと待て、これは多分自分の指輪を女房の指に嵌めてしまったに違いない。ごまかそうか?
しかし、次に女房が私の指に嵌める番だ。女房の指輪は私の指には入るまい、、、
観念して、指輪を女房の指から抜き、お皿(なんて言うんでしょう?)に戻して、もう一つの指輪をはめ直した。周りの人たちは気が付いて、苦笑している。これですっかり舞い上がった私は、次に女房が指輪を持ったときに、うっかり右手を出してしまった。女房も何も疑わず、右手の指に指輪を突っ込んだ。あぁ、っと、途中で気が付いたが、今さら引っ込めるわけにも行かず、婚約指輪は私の右薬指に収まった。
指輪など慣れていないとそう簡単には外せないものである。しかも、右の指は左よりいくらか太いらしい。式の間、私は周りに気づかれぬように気を遣いながら、必死で指輪を外そうとした。もがくほど汗が滲む。神主も異変に気が付き、私がしていることを理解したらしい。
エイやっつ!と、指輪は外れ、私は左の薬指に嵌め直すことが出来た。
以来、指輪は私の左手で光って、、いや、もう光ってはいないが、とにかくいつも指輪をしている。
たまに寝ぼけて布団の中で外してしまうことがある。指輪の近くを蚊に刺されたときには、さすがにやばいと思って数日外していたこともあるが、無くしもせず、いくらか形は歪んでしまったが、今も私は指輪といっしょである。結構大切なことだと思っている。
女房の指輪は金属アレルギーだかなんだか知らないが、ずっとタンスの引き出しの奥に、しまったままだ。余りこだわらない性格なのである。