ダイアリ:いっしゅんの一コマ@おやこニュース
1995年、私達は南カリフォルニアにいて、長女が生まれたばかり。メジャーリーガーたちはストライキをしていました。
長女が、夕刊を眺めながら、野茂選手、200勝を達成したよ、と教えてくれました。私は、すでにそのことを知っていましたが、夕刊の一面トップ記事の扱いに、少々おどろきました。そして、我が家と野茂選手の関わり、彼が如何に日本を変えたかを、私は娘に、少々熱く語ったのです。
私達が初めての育児に明け暮れているとき、日本から野茂選手がやってきました。勿論、プロ野球での活躍は知っていました。超一流の右腕でありますが、はたして、メジャーリーガーとして通用するのかどうか、全く未知数。野茂の前には野茂は居なかったのですから。
ようやくストライキが終わり、彼の活躍の場が開かれました。何試合か様子を見てから応援に行こうか、などと考えていましたが、その後の彼の活躍は、敢えて申し上げるまでもないでしょう。ナショナルリーグ新人王、奪三振王、そして、チームは西地区優勝。
アメリカ人の友人も、「おい、ノモはすごいじゃないか。」が挨拶代わり。彼のピッチングをフィーチャーしたナイキのCMが、全米で放映され。ドジャースタジアムは、即席のノモマニア(アメリカ人たち)と、観光バスを連ねてやってくる日本人旅行者たちが入り乱れ、私達もその中に混ざりました。
私にとって、野茂英雄は特別な選手です。勇敢な先駆者であり、孤高のチャレンジャー。。不屈のアスリート。野球(と書いてベースボールと読む)の伝道師。決して曲げず、諦めず、夢を追い続ける。少々陳腐かもしれませんが。
私は、彼の活躍に励まされました。私達の誇りでした。そして、戦士たちが闘うフィールドを、スタンドから見つめることが、実に楽しいものであることを、彼に教えられました。当時のドジャーズは、内野守備に不安を抱えていましたが、外野はセンターのバトラー、ライトのモンデシーと鉄壁。私は一瞬たりとも見逃せない、野球の緊張感を心地よいと感じ、我が家はドジャースタジアムに何度も足を運びました。紹介する画像はその時のもの。内野席に邪魔なフェンスがないことに注目して下さい。以来、ベースボールは私のフェバリットスポーツとなりました。全て野茂選手のお陰です。ありがとう、そしてご苦労様。さらに上を目指す、あなたをいつも応援しています。