日曜日の昼下がり。カアサンは一足先に出かけ、そろそろ子どもたちを引き連れて家を出ようと思っていた頃。

突然泣き出したタンタン

汚い泣き顔

泣き笑い中のタンタン

泣いているつもり

カアサンは、合唱大会に出場するため市役所のとなりの文化会館へ。連れて行ってもらえなかったことが、はなはだ不本意だったタンタン。

あとで、コンサート会場に聴きに行く、と云う、大人の事情は余り考慮してくれません。とにかく、置いてきぼりを喰らったことが悲しかったのか、それとも何か他の事情があったのか、今となっては定かではありませんが、とにかく、泣きながらトウサンに飛びかかってきました。

子どもが泣いている時に、親がまずするべき事は、泣いている原因が深刻なものであるかどうか、見定めること。技術的には、ご機嫌を取って笑えば、余り深刻になる必要はない。最も簡単な方法は、擽ること。

おいおい、どうしたんだい?顔を涙でぐしゃぐしゃにして、鼻水を垂らしながら泣く息子に、尋ねてみるが、どうも埒があかない。どこかが痛い訳ではなさそう。けんかの相手も見あたらない。余りたいした理由はない、と判断し、とりあえず、汚い顔をデジカメに収める。「泣きやみなさい。ひどい顔で泣いて居るんだよ。」と、今撮ったばかりの泣き顔を、デジカメのモニタで見せると、それがどうやら面白かったらしい。いっしゅん、嬉しそうな顔になり、今度はカメラを意識しつつ、泣き出した。もう一枚撮ってほしいと云うことらしい。もう一枚、はいどうぞ。すると、立ち上がって玄関に向かい、今度はトウサンのヘルメットを被って戻ってきた。そして、又泣き始めた。はいはい、ヘルメットのシールドをおろしたままではまともに写らないからね。と、ちょっとポーズを付けさせて、もう一枚。デジカメのモニタを見ながら、泣いたり、笑ったり。まぁ、結局、自分でもどうして泣いているのか忘れてしまったらしい。

余り、めそめそするタイプではない。姉たちに揉まれて、たくましく育っている。ただ、何かを訴えたい時に、泣くことがとても効果的だと言うことは心得ている。言葉で上手く表現できない場合、とりあえず、知っている言葉をいくつか並べて、泣けば、大人たちが何とか解釈してくれる。そういう知恵がついてきている。結局、タンタンが泣いていた理由は忘れてしまったけれども、たぶん、カアサンに置いて行かれたのが悲しかったのだろうと思う。

あぁ、また息子の話題。なにしろ、こいつが一番分かりやすいから。


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